グランド・ファッキン・レイルロード(1)

グランド・ファッキン・レイルロード(第1話)

佐川恭一

小説

3,889文字

受験に失敗した男が電車に乗って色んな人たちにからまれます。

 

私はハイゼンベルク永田ディックKフランシスであって、ペイザバトラー野村ジョージFハッキネンではない。そのことだけは、初めに言っておかねばならない。私は今ここでただ考えているのであって、思考の海に自ら溺れようと意識を集中させ外界を一切遮断しようと試みているのであって、目の前に丈の短いスカートと色っぽい黒のストッキングを穿いた長身のスラリとした女性が現れたために股間に痛みを感じ出し、ポケットに手を突っ込んで自然な動きでポジションを直しながら少しずつ顔を上げてみるとそれは女装した男だった、というようなことは決してないということだけは、初めに言っておかねばならない。私がこうしているのはそもそも、大学受験に失敗したからである。大学受験に失敗したことは私にとって想定内の出来事ではあったのだが、こうしてJRの東海道山陽本線に揺られ魂の抜け殻のようになってしまっているということは、自分で考えていたよりも私は受験に価値を置いていたということなのだろう。人間は、他人のことはおろか自分のことすらよくわからないもので、条件さえ揃えば動機や行為は結果によって規定されるという逆説も成り立つ。さらに言えば、動機が行為によってやっと姿をあらわすということだってあり得る。ある特定の場面では時間が逆に流れるのだ。
「今日は暴れん坊将軍でいくぜぇええー!」

車内では派手な金髪を派手に逆立てた声の高くうるさい男がビールの空き箱で作ったステージに上り、歌を歌い出した。横では綺麗な顔立ちをした、上半身裸のロングヘアの男が、空き缶を組み合わせて作ったと思しき壊れかけのドラムセットを叩き始める。
「紅だあああああああああああ!」

乗客はみな一斉に歌い飛び跳ね、私も一緒になって歌い飛び跳ねたが、そのことによって理性をとばしてしまうようなことはない。なぜなら大学受験に失敗した人間の多くのように、何か外的なものに身を任せて楽になってしまうことは自らを凡人と認めてしまうことだからだ。「くーれないー、にそーま……オラァー!」派手な金髪を派手に逆立てた声の高くうるさい男は非常に適当なタイミングで乗客たちを煽る。
「オラァー! お前ら、悔い残すんじゃねーぞ!」

私は悔いの残らないように歌い、全力で飛び跳ねたが、それは悔い残すんじゃねーぞと言われたからではない。何事においても、悔いが残らないということはありえない。所詮人間が何かをベストであると思ったところで、それがほんとうにベストであるということは原理的にありえない。あらゆる場面において、すべての選択肢を吟味してベストをチョイスすることはできないからだ。恋人を選ぶにしても、すべての異性を見比べて最高のものを選び取っているわけではないということを、すべてのカップルは、しっかりと認識するべきだ。今付き合っている相手よりも良い相手が、百パーセントと言っていいほどの確率で世界のどこかに存在しているということを、心の片隅に留めておくべきだ。

また馬鹿なことを考え出したな。

は?

お前それ何回目なんだよ、昨日の夜も言ってたよ、予備校の年間費用比べながらぶつぶつぶつぶつとさ、同じこと何回も何回もよく飽きずに言ってるよ、しかもわかりきった、意味のない話。うるさいんだよ、あのステージで叫んでるやつよりもよっぽどうるさくて無意味だよ。
なんだい、正しいことを何度言ったって俺の勝手じゃないか? 正しいことは何度も何度も、心の中でそして声に出して繰り返すべきなんだ。そうしないと、忘れてしまうからな。私が仮に人気絶頂の女性アイドルグループの主力級の女性と付き合うことができて週に一度セックスできる生活を手に入れたとしても、それはベストの生活では決してないし、そう考えてしまわないように制御する必要がある。満足した人間は進歩しないからな。偉大な発明や芸術は、不満の爆発から生じる。不満こそがすべてのエネルギーのもっとも根源的なものなんだ。

そういうものかね?

そういうものだよ。

ふと気が付くと、綺麗な顔立ちをした上半身裸のロングヘアの男が激しいドラムプレイの末に失神しており、派手な金髪を派手に逆立てた声の高くうるさい男は一曲しか歌えなかったことを涙ながらに乗客にわび、老人を四人ほど口から火を噴いて焼き殺し優先座席にどかんと座った。

私がJR東海道山陽本線の能登川駅についたとき、駅前にあるTSUTAYAからとてもかわいい女子中学生がレンタルしたビデオの青い袋を持って飛び出してくるのが見えた。その女の子の名前が吉高由里子であることが私にはテレパシーでわかった。
「わたし、吉高由里子。あなたのことが好きなのよ」

私には確かにそう聞こえ、彼女の告白にOKするため電車から咄嗟に降りようとしたが、扉は無情にも閉まり、周囲からは電車を降りようとしたのに降りられずそのくせ冷静な顔を取り繕っている恥ずかしい馬鹿だと思われていることが私にはテレパシーでわかった。

私は奇跡的に見つけた最高の女性・吉高由里子を、わずか数秒の差で失ってしまったことが悔しくてならなかった。おいおい、俺が立ちあがるのが数秒速ければ、あの女子中学生が高校生になり大学生になり社会人になり結婚して出産して温かな家庭を築くところまで一緒にたっぷり楽しめたかもしれないのに、たったの数秒だよ、数秒遅れたぐらいで何です、もうおしまいだと言うのですか?

――おしまいだと言うのですよ。

私はあきらめてもう一度席についた。

吉高由里子はベストだったのか? ベターではあったね。何とくらべて? それはわからない。しかしもう、何もかもが遅い。

 

 

近江八幡、近江八幡です。

なんだい、もう次の駅じゃないか。

私はそこで乗り込んできたひとりの女性に目を奪われた。彼女は三島由紀夫の『金閣寺』を、真剣なまなざしで読んでいた。身長は一七〇センチ近くあり、スタイルは抜群に良く、ヨーロッパ系のハーフかクォーターのような実に整った顔立ちをしていた。私には電撃が走った。
「どんな美女の顔も、些かの夢もなしに見るとき、この老婆の顔に変貌しない、と誰が云えよう」

私は金閣寺の登場人物である柏木という男が美女でなく老婆で童貞を捨てた場面におけるこの一節にかつて心奪われ、人間の容姿というものは単なる飾りで、皮膚一枚剥がせばすべて同じ構造を持つもので、中には結局グロテスクな内臓が詰まっているのだ、深い認識の目をもってすれば外見などはすべて取り払われるはずなのだ、という考えに共感していた。

それについてこの美しい女はどう考えるだろう? 自らの美貌などはほんとうに価値のあるものではない、と思うだろうか? 彼女の名前がトリンドル玲奈であるということが、私には直感でわかった。
「そんなわけないじゃない」

彼女は私に念を送った。
「美女の顔が老婆に変貌するようなことがあるわけがないじゃない、私を見ていればわかるはずよ、ねえ、変貌しないでしょう。私は美しいままでしょう」

なるほど、と私は感心した。
「そういうのはね、言葉遊びなのよ、もっともらしい話で、インパクトはあるけれど、真実を言い当ててはいないわ。何よりも可笑しいのは、そういった思考実験は現実に対してあまりにも無力であるということね。私は美女であって老婆ではないの」
「あ、あの! 俺と、セックスしてくれませんか」

私はいても立ってもいられなくなり、トリンドル玲奈に声をかけた。さきほどの吉高由里子とは違い、まだ彼女と話す時間はある。周囲の好奇の目に晒されたが、私はもうチャンスを逃すことがいやだった。
「どうしたんです、急に」
「あなたが好きになってしまったんです、一発やりませんか」
「一発やらないわ」
「どうして」
「だってあなた、東大に落ちたんでしょう」

私が東大に落ちたことがなぜわかったのだろう? 単純な私は東大という日本一の大学の文系ナンバーワンである文科Ⅰ類を受験して落ちたのだが、それはもしかすると「俺って東大受けるんだぜ」という誇りを保つためだけの安易な選択であったのかもしれない。だがそれなりに努力を重ね合格圏内に入ってはいたわけで、実力がまったく伴っていなかったとは思いたくないのだが、結果的に落ちてしまったからには実力不足、高望みと言われても何の反論もできないのだった。
「落ちました」
「ダサーイ」

そう言ったトリンドル玲奈の顔は、私には老婆に見えた。なるほどと私は思った。ひとは自分の手にしているものに価値を見出し、手に入らないものにはすこぶる冷たく当たる。たとえば私が東大に合格していたなら、私は学歴に価値を見出したろうし、それによって他と自分を区別するようになったろう。トリンドル玲奈が私を否定したことでその価値を失墜させたのは、それが私の世界に邪魔なものになり、また関与しないものになったからだ。無関係なものはほんとうにどこまでも無関係で、テレビで「自動車の玉突き事故により八名死亡」などというニュースが流れても、それはただの事実以上のものとはならず、私の心に少しも響かない。しかし、感情移入して観ている映画やドラマやアニメの登場人物が死ねば、それが虚構とわかっていても、無関係な人々の死より何倍も悲しい。私の愛するアニメキャラが死なない展開になるなら、現実に生きる無関係な人々百人分の命を捧げたってかまわない。ユーシー?

……私はトリンドル玲奈をあきらめた。

 

第一章・完

2015年6月30日公開

作品集『グランド・ファッキン・レイルロード』第1話 (全17話)

© 2015 佐川恭一

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