男子高生とその周辺

佐川恭一

小説

5,773文字

僕は電車で出かけるとき必ず本とiPodを持って行くんですが、大体は音楽聴くだけで終わるんですよ。本読むのって結構疲れるので。でもiPod忘れたときは読書がすごくはかどります。「他にやることがない!」って状態は、消極的な理由とは言え集中力を生み出すんですね。つまり、男子校って環境は受験には合ってるんじゃないかってことです。受験にだけはですけど。

臙脂色の体操服を着た五十四名の生徒たちは次々に呼び出され体育教師の放るバスケットボールを受け取り二度のドリブルをしてレイアップシュート(あるい はランニングシュートとも呼ばれる)を放ち約七割がゴールを決めた。残りの三割の生徒は二巡目に入り、そのようにしてゴールを決めない者が残されていき、最後に一人、亀井という生徒だけが全く課題をクリアできる様子もないまま五十三名の心ない観客に取り囲まれ立ち尽くしていた。「落ち着いて、落ち着いてやればできるぞ」体育教師が励ましの言葉をかける、体育教師はどんな分野においても、努力さえすれば誰でも一定以上の成果を得られると信じている熱心な共産主義者だった。心ない観客たちは亀井をせせら笑ったりあくびをしたり互いに英単語の問題を出し合ったりした。彼らはある田舎の進学校の二年生だった。

亀井が一度もシュートを決めないまま体育の時間は終わりを告げ、体育教師は放課後に【体育館】にやってくるよう亀井に命じた。すみませんが今日は【塾】があるのです、亀井が言うと心ない観客たちは「今日は【塾】があるのです」と亀井の語尾に特徴のあるアクセントを真似してはやし立てた。体育教師は生徒たちを一喝して沈静化させてから、亀井の頬をひっぱたいた。学校は勉強のためだけにあるのではない、色んな大切なことを学ぶ場所なんだ、お前がレイアップを決められないまま【塾】に行くことは許さないぞ。

心ない観客たちは無関心な五十三名の生徒へと姿を戻し七限目の「家庭科」が終わるのを膨大な量の宿題が出されている数学の問題集をやりながら待ち続けた。クラスで一番数学のできる亀井だけはすでに数学の宿題を片付けていたため苦手な古文の文法を覚えこんでいた。授業が終わる五分ほど前、家庭科の教師が 机を両の手のひらで叩き付けながらほとんど叫んだ。「今は数学の時間ではありません!」生徒たちのほとんどは手の動きを少しずつ緩やかにして止めた。お裁 縫もお料理も生活に必要な、とても大事なことなんです、今のあなたたちにはわからないかもしれないけれど、あの時に聞いたのはこういうことだったのかと思う日がきっとくるはずよ。涙声になっている家庭科の教師の話に耳を傾ける者は一人もおらず皆手を動かすのはまずいと思っただけで頭の中で数式をこねくりま わし亀井は古文の助動詞の意味を反芻していた。しかし家庭科の教師は大人しくなった生徒たちを見て少なからず満足した様子で教室を出た。帰りのホームルー ムが終わるとある者は図書室へ向かいある者は【塾】へ走り出した。
亀井は机から動かず少しだけ長く目をつむった後で、制服のまま学校を出た。

 

 

翌日、朝から【体育館】において月に一度の身体検査が行われた。彼らの高校では特に頭髪の長さに関する厳しい規定がありそれに違反した者はその場で【バリカン】で髪の毛を刈られ坊主にされるのがしきたりだった。その長さは明確に測るのでなく野球のストライク判定のような曖昧さをもって測られるため、生徒 の醸し出す雰囲気が重要な判断基準の一つとなっていた。真面目な亀井はこれまで身体検査に引っかかったことがなかったがアンパイアであるところの体育教師に名前を呼ばれすごすごと出て行くと「貴様、なぜ昨日来なかった!」と大声で怒鳴られた。亀井は小さな声で【塾】があったからですと明確に理由を述べたが 体育教師は怒り狂い亀井の元々短い頭髪を乱暴に引っ掴み【バリカン】で丸坊主にしながら今日の放課後こそ絶対に来い、お前はまだレイアップを決めていないのだからなと脅迫めいた言い方をした。無抵抗なまま頭髪を失った亀井は体育教師を無感動なくすんだ眼で見つめながら今日も【塾】ですと言った。他のクラス をも含む何百名もの心ない観客は好奇の目を向けて成り行きを見守ろうとしている。その瞬間、体育教師は【バリカン】を床にたたきつけ亀井の頬を今度は握り拳を作って思い切り殴りつけた。床に倒れ込んだ亀井に、彼と仲の良かった隣のクラスのYという生徒が走り寄ってきて抱き起こした。「大丈夫かい、亀井くん」亀井は左頬を手でさすりながら頷いた。それから担任教師がゆっくりと寄ってきて「痛くないか」と面倒くさそうに声をかけ亀井はまた小さく頷いた。「F先生、やりすぎでしょうが」担任教師が体育教師に言うと、こいつはまるで教師をなめている、高校というものの大切さと社会のルールを全く理解していない、 理解能力のない者には社会システムの一環としての暴力を行使する必要がある、などということを言った。この田舎の進学校には担任教師を含め成績の悪い者を 殴りつけたり投げ飛ばしたり倒れた生徒の顔面を踏みつけたりするような教師が何人も存在しまたそれらは当然の罰として認められていたので、体育教師の打撃それ自体は全く問題にならなかった。担任教師が指摘したのは「レイアップシュートなんてどうでもいいではないですか」ということだった。担任教師は数学の担当だった。

体育教師はこの田舎の進学校で最も重視される大学進学実績に自らの担当教科である体育が一切関係せずただ高校卒業の単位として必要だから仕方なく行われているという風であることに常々疑問を抱いておりまた《有意義な》数学を担当している担任教師の余裕の表情が気に食わなかった。あなたねぇ、社会に出てから数学が役立つシーンなんてありますか、よほど専門的な職業に就かない限り単純な計算さえできれば問題ないんです、大学に合格する手段として使われた後、 誰が三角関数やベクトルを使いますか、生活の基本は身体、運動、これですよ。この高校は視野狭窄に陥っている、長い目で見たときに何が本当に大事か、それを見失っているのではないですか。すんなり場が収まると考えていた担任教師は思いがけない反論に面食らいながらも以下のように述べた。先生のおっしゃるこ とはよくわかります、それは今後この高校を真の教育の場とするために議論せねばならない内容の一つでしょう、しかしそのことと、学校が終わってから生徒を拘束しレイアップシュートを決まるまでやらせるということとは、大きく関係しないのではないですか。高校数学を仕事や生活で使わないというなら、レイアップシュートも同じぐらい、いやそれ以上に使わないのではないですか。

体育教師はまあいいでしょうと言いながら飛び散った【バリカン】の破片を集め【バリカン】が壊れたので以降の生徒は全員合格とすると言った。

 

 

一時限目の地理の時間には受験科目に地理を選択していない者も参加させられていたので約半数の生徒が居眠りをするか、選択している日本史もしくは世界史の勉強 をしていた。地理の教師はそのような現実に逆らうことはしない。この高校に赴任して初めの頃は懸命に授業を行う自分を無視する、あるいは邪魔者扱いさえする生徒たちに嫌悪感を覚え、生徒参加型の授業にして居眠りを減らそうともしたが、生徒参加型の授業は各回の生徒の出来により進み具合に乱れが生じ元々真面目に聞いている生徒の不利益にさえなるので、一人でも自分の話を聞いてくれていれば良いと考え直した。毎回熱心にプリントを作り、センター試験に必要な知識を網羅できるよう、また国公立の二次試験にも対応できる応用力を身につけられるよう工夫をこらした。

亀井は地理を選択していなかったので、枝葉末節と言えるような知識まで執拗に書き込まれた、教師の汗と涙の結晶とも言えるプリントをごみ同然に破り捨て、【塾】で受けている世界史の講義のプリントとテキストを繰り返し読み込んでいた。次々に問題集を買ってこなした冊数を自慢する馬鹿がいますが、そういう奴は浪人しますよ、我が【塾】の選び抜いた問題集と考え抜かれたテキスト、これ以外に手を出す必要はありません、まあやりたいというなら止めませんが、浪人したときには是非またウチに来て下さいね……亀井の通う【塾】はそういう物言いで自分たちを神の如く信 じ込ませようとする方法を採っていた。

 

 

このように亀井は学校にとって好ましい生徒とは言いがたかったが、有力な生徒の一人ではあった。定期テストでは大抵学年のベスト20に入り特に数学では 全国模試でも上位に名前が載るほどだった。最難関レベルの大学に現役で合格するかどうか微妙なラインの成績を保ったまま夏を迎え、亀井はこの田舎の進学校の伝統的行 事【学習合宿】への参加を決めた。仏教系の、さらに言えば真言宗系の高校であるためつながりのある高野山の寺に二年生のほぼ全員が泊まり込み二十日間に渡 り監禁生活を余儀なくされる。朝は五時に起床、夜は九時に就寝とされていたが特別自習室が設置されそこで何時まででも自習ができるというので九時に眠る人 間は皆無だった。まるで先に勉強をやめた方が負けとでも言うように生徒たちが張り合い酷いときには朝四時まである二人の生徒が競り合って翌日にふらふらに なっているということもあった。亀井はしかしそのような競争に参加することなくいつも十二時ちょうどに勉強を切り上げ十二時半には眠りについた。

朝になると修行僧たちが寺の木でできた床をドタドタと踏みならす音で大半の生徒たちが目覚める。規則正しい生活を送る亀井もその中の一人である。そして 毎朝決められた十名ほどの班が順番に【お勤め】に参加し真言宗の経を僧侶たちが読み上げるのを正座して一時間聞き続ける。その間多くの生徒たちの頭にあるのはこの後行われる英作文の例文テストのことである。亀井は合宿の八日目に【お勤め】に当たり、周囲の班員が長時間にわたる正座に耐えきれず足を崩す中 (辛ければ足を崩すようにと住職が初めに呼びかけていたためでもあるが)亀井は最初から最後まで綺麗な姿勢を崩すことがなかった。そして住職の法話が始ま る。この田舎の進学校は真言宗系列ではあるが、浄土宗も浄土真宗も日蓮宗も創価学会もキリスト教も、生徒の家庭の属する宗教には含まれていた。そしてそれぞれの生徒に宗教心があるとは言い難かったようでもある。

真言宗の本尊は【大日如来】であり、【大日如来】とは宇宙の本体であり真理である、たとえば不動明王にご祈祷してもそれはつまるところ【大日如来】にご 祈祷していることになる、【大日如来】は悟りを開き煩悩の一切ない崇高なお姿で現れるので我々のような凡俗にまみれた人間には近寄り難い、そこで【大日如来】は位を落とし我々に合わせて下さる、それは優しい顔をしていてまるで母のように我々を温かく包む込む観音であったり、優しい顔だけをしていては御しき れない人間を愛をもってであるが厳しく見つめて下さる明王であったりする、それらはいずれも【大日如来】の変化されたお姿である、さらに我々一人一人の内 にも【大日如来】が宿っておりそれを仏性と呼ぶ、人は日々選択に迫られており人の人生とはつまるところ無限に近いほどの選択の集積である、選択に迫られた ときには必ず仏性に従うことが肝要である、たとえば学校へ向かう道の途中で子供が泣いている、それに声をかけ助けてあげるのか、遅刻すると恐い先生に怒ら れるので放っておくのか、たとえそこであなたがたが子供を助け先生にこっぴどく怒られたとしてもそれは現象界での小さな損であり真に重要な徳がしっかり積 まれたことになるのでそのような選択を出来る者の方こそが結果的に必ず大輪の花を咲かせることとなる――

亀井と同じ班の生徒の何人か、そして亀井と仲の良いYも、英作文の例文を思い浮かべながらも法話を聞きかじり日頃の行いを改めようと考えたようだった。 【大日如来】がどうとかはよくわからないけど、もう僕たちには道徳的な判断ができる。競争に勝つことばかり考えている僕たちは本当に正しい道を進んでいるのだろうか? このような議論がいくつかの場面で交わされることとなり住職の法話は英作文の例文テストになんとか一矢報いたというところだった。

 

 

引率としてやってきていた共産主義者の体育教師は一定数の生徒たちのこの意識の変化は自分に味方するものと思い熱心に語りかけた。マルクスはこう言っているね、人間はもともと善良であり、その天賦の知能は同等であり、経験と習慣と教育が全能である、こういう唯物論の教説が理想的社会形態である共産主義につながると、そういうことを言っているね、君たちは競争にかまけて善良さということを見失っている、それに気付けただけでも、この合宿には意味があった よ。
生徒たちはうっとうしそうに苦笑いをして体育教師の話に相槌を打つのみだったが体育教師はそれが自らを承認する笑顔であると思い込み、合宿中は終始上機嫌で過ごした。

二十日間の合宿は体調を崩す者もいたが概ね無事に終わり、生徒たちは開放感に満ちた表情で寺を出て帰りのバスに乗り込んだ。曲がりくねった山道を走る中で二名の生徒が嘔吐した。

 

 

彼らはこのようにして受験の日を迎えた。学校が一括で申し込んだため生徒たちのセンター試験の会場はすべて同じ某大学であった。亀井はYと二人で会場に やってきていたが、二日目の朝、Yが雪道の中で転んだ老婆を見つけ、亀井の静止を無視してそれを抱き起こそうとし、車に撥ねられた。周囲は騒然となったが 亀井はそれを無視して会場へ向かい、大きなミスもなくセンター試験を終えた。帰りに亀井が再びその道路を通った時にもまだ雪が積もっていて、Yのものか老婆のものか、あるいはその両方の赤い血が染み込んでいた。

翌日、亀井のクラスのホームルームで担任教師がYの死亡を伝えた。教室内にはざわめく者もいれば無視して問題集を解き続ける者もいた。

Yと仲の良かった亀井はさぞ辛いだろうが、今夜お通夜がある、クラスを代表して私と亀井が参加しようと思うがどうだろう。担任教師がそう言うと、亀井は小さな声で、そして語尾に特徴のあるアクセントではっきり答えた。
「今日は【塾】があるのです」

 

〈了〉

2015年6月21日公開

© 2015 佐川恭一

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