サークルクラッシャー麻紀

サークルクラッシャー麻紀(第1話)

佐川恭一

小説

10,126文字

文芸サークル「ともしび」は真面目な活動を重ね、各種文学賞においてかなりの成果をあげていた。しかし超絶美女・麻紀の加入により様相は一変。荒れに荒れる人間関係、失われる童貞、飛び交う精液――「ともしび」に明日はあるのか? 京都大学サークルクラッシュ同好会会誌vol.4掲載作品。

サークルクラッシャー麻紀の朝は早い。相当早く起きてシャワーを浴びる。その方が髪がいい感じになるのである。観るのは『す・またん!』。食パンは結構焦げ目がつくまで焼く。電気ケトルで沸かした湯とインスタントコーヒーの粉末を銀色のスプーンでかき混ぜる指は白く細くセクシーである。爪にはわりと高めの鮮やかな装飾。ショートボブの髪をコテで内側に巻いていく。化粧はナチュラル。ぴかぴかの鏡でチェック。サークルクラッシャー麻紀は今日も美人である。明るく元気に大学に通う。すれちがう男子学生たちのうちヒエラルキー下位の者たちは目を合わせることもできずうつむく。サークルクラッシャー麻紀の放つ輝きはヒエラルキー下位に耐えられるようなものではない。ヒエラルキー上位は「おう」「ウィス」「よっ」などと軽やかに挨拶をし、時には短くまとまったオシャレな会話をやり取りする。それを眺めるヒエラルキー下位はルサンチマンをみなぎらせる。そのエネルギーは彼を演劇に向かわせたり、美術に向かわせたり、文学に向かわせたりする。芸術とはヒエラルキー下位のものなのだとヒエラルキー下位は言う。生きる才能に恵まれ現実と馴れあうヒエラルキー上位に芸術はわからない。そのようにヒエラルキー下位は言う。読書好きの父親の影響で幼い頃から活字に親しんでいたサークルクラッシャー麻紀はしかし小説に造詣が深い。読解力にも定評がありセンター現代文も満点。趣味は読書とサークルクラッシュ。得意技はだいしゅきホールド。サークルクラッシャー麻紀が京都大学の中でもっとも芋くさいとされる文芸サークル「ともしび」の部室に足を踏み入れたとき、時が止まった。サークルクラッシャー麻紀はそういう瞬間が三度の飯より好きである。ザ・ワールド! 心の中で叫ぶ。男4、女1。すばやく人数を確認。女のルックスは中の下。男どもはおしなべてヒエラルキー下位。おし隠せない童貞の香り。右手にべったり貼りついた精液の幻影が見えるようである。もっともサークルクラッシュの起きやすい「紅一点」の戦形ではあるが、部屋の雰囲気、男どもの表情からして、この文芸サークルは平穏期にあると即座に判断する。サークルクラッシャー麻紀は低姿勢を装って挨拶する。

「急にすみません、あの、わたし小説とか好きで、興味あって」

ヒエラルキー下位たちは一様に顔を真っ赤に染める。その中で部長を務める男、ある有名な、『ともしび』が毎年目標としている文学賞(以下A文学賞とする)の最終選考に残った一番の実力者でもある男がサークルの説明をたどたどしく始める。ヒエラルキー上位などには小説はとんとわからぬのだ、HAHAHA……といつも内輪で盛り上がっている彼らであるのに、手の届かない別世界に住むヒエラルキー上位が目の前に、しかも自分たちとのかかわりを望んで現れた途端、ヒエラルキー下位たちが丹念に練り上げ自己暗示を繰り返したはずの逆転の論理――現実的に下位の者こそが芸術的に上位に立つという論理――はもろくも崩れ去る。男たちは欣喜雀躍し「一緒にがんばっていきましょう!」とニヤつきを隠せないまま言う。紅一点は男たちがいつも「小説がヘタなやつなどウチにはいらないのだ、HAHAHA……」などと豪語していたのに、その作品をろくにチェックすることもなくサークルクラッシャー麻紀をすんなり受け入れていることに、さほど怒りを感じていない。紅一点は男たちのあらわになった愚かしさをつぶさに観察し小説の題材にしようと考えている。これがブスだったら? 紅一点は考える。きっと男たちは厳しい試験を課してブスの混入を避けようとしただろう。私が入るときには三十枚の短編のチェックがあった。一定のレベルを超えていると認められ、晴れて『ともしび』の一員となれたのだったが、この絶世の美女を前にした男どもは誰も試験を行おうとしない。本人にどうすることもできない、また本質的でもない表層の「容姿」を選考の基準にまぎれこませることは、芸術からもっとも遠い行為であるとは思わないのだろうか……紅一点はいろいろ考える。考えるのが好きなのである。会話は苦手。趣味は読書と執筆とプロレス鑑賞。得意技は長州力と橋本真也の罵り合い(通称コラコラ問答)のモノマネ。紅一点は頬杖をついて場の流れを見守っている。はしゃいでいる男たちの中では唯一、冷静な目を保っているのが部長である。サークルクラッシャー麻紀の加入について、部長と残る男3名との間には明らかな温度差がある。もともと学歴を天皇とする軍隊式の男子校出身であり、実際に受験戦争を勝ち抜いた部長には、ストイックに努力を続ければ必ず道は拓けるという信念があり、また恋愛などという桃色の誘惑に負ける者はどんな道を選ぶのであれろくな成果を上げることができないと考えている。事実、彼の通っていた予備校の現役生向けのコースには、恋愛慣れした女子高からの刺客「玲奈ちゃん」通称「れいにゃん」が送り込まれており、男子校の仲間たちの童貞が次々に奪われ、童貞でなくなったものはほとんど全員が京都大学に落ち、同じ予備校の浪人コースで一年ないし二年あるいは三年に渡り学費を搾り取られていた。部長は、れいにゃんは予備校の雇った傭兵だったのではないかと今でも考えている。れいにゃんは男子校で鍛え上げられた、偏差値を上げること以外に価値を見出さなくなった男たちの強烈な洗脳をいとも簡単に解き、彼らがいかにひどい視野狭窄に陥っているのかを身体をもって教え込んだ。世の中には星の数ほどの異なる価値観があるのよ、それはすべて幻想かもしれない、ある人間にとって最高の価値を持つものも、別の人間にとっては塵のように無駄なものであるかもしれない、あなたたちの学歴信仰は乱立する幻想的価値観の中のちっぽけな一つにすぎないのよ……れいにゃんはフェラチオによって、あるいはヴァギナにペニスを挿し込まれてイキ狂うことによって、それらの事実を男たちに伝える。確かな快感、幻想でない生身の、若い女性の聖性さえ帯びた肉体の魅力によって伝える。男子高生たちの偏差値は下がった。めちゃくちゃ下がった。全国模試で七十台前半だった偏差値が五十台半ばにまで下がる者もいた。誰も京都大学に届かない。部長はしかしそのようなれいにゃんの誘惑に敗北しなかった。れいにゃんは現在付き合っている彼氏に関する悩みを他の男に相談することによって、男たちの友人関係を対戦車砲のようにも破壊しながら、数珠つなぎの要領で恋愛関係を更新していった。その一環に部長が選ばれそうになったことは確かにあって、「最近な、○○くんとうまくいってへんねん」などと帰りの駅にいたる道のりの中でさめざめと泣き出され、思わず抱きしめて「おれじゃだめか?」と言いたくなったことは一度や二度ではなかった。れいにゃんは殺人的にかわいいのである、髪をダークブラウンに染めており、化粧は濃い目で、制服のスカートはかなり短く、ふとももは最高に白い。これを○○や○○はぺろぺろしたというのか? そのさきにある神秘までもなめ回し、この汚らしい男根を突き入れ性的絶頂を迎えるまで往復運動を繰り返したというのか? だが部長は強烈な誘惑に耐え、「親身に相談に乗ってくれる下心のない優しい男友達」の地位を守り抜いた。しかしそれはほんとうに守ったのだったか? おれは受験にかこつけて、新たな一歩を踏み出す勇気のない自分を正当化しただけではなかったのか? 部長は童貞を捨て、「学歴で人を判断するなんて、カッコ悪いよ」と、まるで全盛期の吉川晃司のようなキメ顔で一様にのたまい始めた同級生たちから目を逸らすようにして猛烈に勉強に励んだ。机に向かっている間だけでなく、電車の中でも、ご飯を食べている間も、風呂に入っている間も、通学路を歩いている間も参考書を開いて勉強した。通学路では何度か車に轢かれかけ、右足の親指だけタイヤに踏まれたこともあったが、絶対に勉強をやめなかった。その姿はほとんど病人と区別がつかなかった。もしかすると、ある種の強迫性障害だったかもしれない。かなりのスパルタ系教育ママであった母親でさえ「ちょっとあんた、もうやめといたら?」と心配して声をかけるほどだった。しかし部長はやめなかった。右手中指にできたタコはまるで寄生生物のようにふくらみ、頬はみるみるこけていき、顔全体から生気が失われ、もともと青びょうたんのようなガリ勉生徒の多かったその高校の中でさえ「まなぶ」とあだ名されるほどだった。ちなみに部長の名前はまなぶではない。部長は予備校の行う京大模試でも文学部で一桁の順位を取るようになり、本番にとんでもなく弱い豆腐メンタルを圧倒的に上回る実力をもって余裕で合格した。努力は報われたのだ。そうして今、文学に対しても同じようにストイックな取り組みを行っている最中だというわけである。しかし部長の中でまだれいにゃんは生き続けている。あの触れる指をしたたかに押し返すほどにもみずみずしい弾力をもつ肌におおわれた、若さみなぎるれいにゃんの凄絶なかわいさ。京都大学へのチケットと引き替えに捨てた「れいにゃんとのセックス」は部長の胸の中で美しく剥製化され、大学で同質のものを取り返そうとしてももはや極限まで補正のかけられた「れいにゃんとのセックス」にどれもかなうことがない、そういう冷たい砂漠の中で、部長は「れいにゃんとのセックス」の劣化ヴァージョンを味わって失望するよりは、受験を文学に置き換え、ある目的への努力を要する世界、そしてその努力が完全に自己の内部で完結可能なものであり、他者との関係性に左右されない、つまりは自分のもっとも得意とする世界の中で、情熱を燃やし続けることに決めたのだ。

「まあ、今の説明だけではよくわからんと思いますから、今日みんなで飲みに行きませんか? そこで色々話しましょう」

サークルクラッシャー麻紀は部長の提案を快諾する。他の全員も快諾。サークルクラッシャー麻紀は居酒屋(くれしま)の中でおおよその力関係を把握する。似たり寄ったりのヒエラルキー下位たちの中にもまたさらに細分化されたヒエラルキーが生まれる。狭く閉じた世界の内側でヒエラルキー下位たちは外部存在であるヒエラルキー上位に唾を吐きながらもヒエラルキー下位内ヒエラルキーの上位を争わされる。サークルクラッシャー麻紀が知りたいのはそのランキングである。それはアルコールの入った場ながらもすぐに明らかになった。男4の中で頂点に位置するのは当然部長であり、その次がA文学賞の三次選考を通過したことのある男(以下三次とする)。そして次がA文学賞の一次選考を通過したことのある男(以下一次とする)。まだ何の成果も出せていない残りの男ケンタが最下位である。紅一点は応募者を女性に限定した文学賞で入選を果たしており、男性陣のヒエラルキーの中に単純にあてはめることはできなかった。

「えっすごーい! A文学賞って聞いたことあります! それの最終選考ってもうほとんどプロじゃないですか!」

部長は緊張にこわばっていた顔を少し緩める。三次と一次が嫉妬心を燃やす。「いや、おれも三次までは行ったんやけどさあ」「おれも一次は行ってんねん。二千ぐらい応募あるから、一次も結構難しくて、こないだやっとさあ」などと自分もある程度すごいことを何とか示そうとする。実績なしのケンタは笑っているだけである。紅一点はライムサワーを飲みながら飲み会をひっそり録音している。後で文字に起こして小説に使うのだ。サークルクラッシャー麻紀は褒められたがっている男たちを順にたっぷりと褒め殺し、さりげないボディタッチも忘れない。すごくいい匂いがする! 童貞四人全員がそう思っていた。ほとんど匂いだけで勃起しそうなぐらいのかぐわしきかほりである。「ほんとに私なんか、ただ何か書いてみたいなって思ってるだけで……ちょっとレベル高すぎるところに来ちゃったかも」などと落ち込むふりを見せるサークルクラッシャー麻紀を部長と紅一点をのぞく全員が引き留める。そのへんはおれらが教えるから! 大丈夫やから! この日サークルクラッシャー麻紀は晴れて『ともしび』の一員となった。その週末、『ともしび』の例会に現れたケンタの様子がおかしい。いつも気弱に笑っていた、冴えない小説を書くばかりのケンタが、自信に満ちあふれた様子で「まず、僕の小説から読んでみて下さいよ!」と普段の三倍にも達するほどの声で言ったのである。みんなで首をかしげながら読むと、それはケンタがこれまでに書いたこともない、凶暴なセックス・ドラッグ・ロックンロール小説であった。その童貞らしからぬあまりにも生々しいセックス描写にたどりついたとき、全員が気付いた。

 こいつ、もう童貞じゃない!

ケンタはすでに、サークルクラッシャー麻紀のだいしゅきホールドを食らっていたのである。ケンタはサークルクラッシャー麻紀の蜜壺にペニスをはめこむために最適化された行動を常に取るようになり、自らをヒエラルキー上位と勘違いし始めた。かれの書く小説はもともと備えていたはずの繊細な優しさ、温かさを失い、だんだん単なる村上龍のパクリ、もしくはアーヴィン・ウェルシュのパクリのようなものになっていった。その後しばらくの間、例会ではケンタの隣に座ったサークルクラッシャー麻紀が机の下でケンタのペニスをいじろうとし、「やめろって」などと言いながらまんざらでもないケンタのドヤ顔を見せつけられる、ということが続いた。一次と三次は大慌て。A文学賞の予選を通過した経験が彼らとケンタとを決定的に区別するものだったのだが、ケンタは『ともしび』に新たな価値観を持ち込んだのである。それは他のメンバーが無視を決め込みさえすれば問題にならないはずの価値観であったが、そううまくはいかなかった。どのように意識を操作してみても、彼らの羨望は止まらなかった。ケンタの圧勝だった。A文学賞を獲ってプロデビューしているというのならまだしも、予選を通過したからってそれだけで将来につながるわけではない、このまま受賞できずに文学をこじらせて死んでいくよりは、文学への傾倒を早いうちに切り上げ、一般的な男たちが経験するはずの、セックスをはじめとする一連のなんやかやを経験しておくことの方が今後の人生にとって重要だろうし、何よりも楽しいだろう……一次と三次およそそのように思ったのである。ケンタの醸し出す余裕はすごかった。だんだんふるまいもモテ男のそれになってきて、弱々しかった顔が自信にみなぎってイケてるメンズ風にも見えてきたのである。特に一次は焦った。一次を通っただけのやつなんてゴマンといる。いま、『ともしび』的価値観とケンタの持ち込んだ価値観を総合したランキングを作るとすれば、最下位は自分だった。一次はサークルクラッシャー麻紀に個人的にラインを送る。「小説の方はどう? あれやったらおれが書き方とか教えるで!」一次の気色悪い行動はサークルクラッシャー麻紀には噴飯ものだった。「え、ちょうど今困ってたんです! どうしてわかったんですか? エスパーみたいな?笑 物語を進めるだけの単調な描写になってるんじゃないかってところがあるので、ぜひ見てもらいたいです!」サークルクラッシャー麻紀は書いてもいなかった小説をばりばり書き始め、物語を進めるだけの単調な描写を作りあげて指定されたカフェで一次に提示した。親身なアドバイスを行う一次。その夜、一次はだいしゅきホールドで一丁上がりであった。一次はもう死んでもいいと思った。マジで小説とか書いてられない。書いてる場合じゃない。時間の無駄。おもんない。セックスしたい。人生の時間をできるだけ美女とのセックスで埋めたい。それ以外したくない。小説書きたくない。はたらきたくない。セックスの時間の長い人生こそが良い人生なんや……一次は例会に自作の小説を持って行かなくなり、他のメンバーに小手先のアドバイスを与えるのみとなった。「最近、あんま書けなくて。すんません」。『ともしび』では無理矢理小説を書かせることはしない。そうして書いた小説には魂がこもらないというのが理由である。紅一点は魂なんてくだらないと思っていた。あらわれる文字こそがすべて。書き手が魂をこめたかどうか、それは小説の出来不出来に関係ない。頬杖をついて場を見守る。部長と三次は、一次が小説を書かなくなった訳を直感的にわかっていた。一次はケンタ同様、急激に垢抜けていった。サークルクラッシャー麻紀はだんだんケンタでなく、一次の横に座るようになっていった。ケンタは内心穏やかでない。小説を持ってこない一次に対して不満をぶちまけることもしばしば。「自分の小説持ってこーへんのやったら意味ないやないですか、なんなんすか? 人の小説にケチつけるだけやったら、アマゾンでレビューでも書いてろって話ですやん!」それは明らかにサークルクラッシャー麻紀を奪われそうになった者の、論点をすりかえた上での魂の咆吼であった。部長は「まあ、書けへん時期ってのはあるから。一次は知識もあるしセンスもあんねんから、また書ける時期が来ると思うし」と大人の対応。焦り始めたのは三次である。部長には才能がある、おれにはとても追いつけへんくらいの才能がある、あれは絶対にデビューするやろう、でもおれはわからん、必死で書いてるけどどうなるかわからん、小説は大したことないけどケンタも一次も非童貞になっておれを置いていきよった、もうおれはあかんのかもしれへん……様子のおかしくなった三次をすかさずラインでフォローしたのはサークルクラッシャー麻紀である。「最近元気なくないですか? 私でよければ相談乗りますよ☆」翌日、三次はだいしゅきホールドによってKOされた。しかもサークルクラッシャー麻紀は面白がって、すでにKO済だった相手に「い、いく、いっちゃう、いくぅ……っ!」と耳元で囁き、全身を痙攣させるふりをしたのだ。オーバーキルである。三次はこれにより、小説は現実に太刀打ちできないと結論づけた。小説が現実を超えることはない、現実に適応できひんからって、おれらは小説に夢を見すぎた。小説が効力を発揮するのは、未熟ゆえに現実以前を生きる夢遊病者に対してだけなんや……三次は静かに筆を措いた。以降、サークルクラッシャー麻紀をめぐるケンタ・一次・三次の争いは激化した。サークルクラッシャー麻紀の欠席した例会の中で三人は互いの過去に書いた小説の欠点を洗いざらい攻撃し、険悪きわまるムードの中、三次は「おれ、麻紀ちゃんに告白するわ」と言った。「はあ?」「おれホンマに麻紀ちゃんのこと好きになってしもてん」「待て待て。おれも好きやし」「いや、てかおれが最初にあれやから」「は?」「麻紀ちゃん、おれのこと好きやって言ってくれたし」「そんなんおれも言われたって」「おれのはそういう軽い好きじゃなくて、ホンマの好きって意味で」「おれもそうやって!」「大体お前のチンポ小さかったって笑てたぞ!」「お前なんかえらい鼻息荒いらしいやんけ! 集中できひん言うてたで!」「なんやねん!」「なんじゃコラア!」紅一点はすべて録音してうっすらと笑っている。しばらく黙っていた部長は、我慢できなくなって叫ぶ。

「やめろや!」

場内は静まりかえる。

部長は語り出す。

「……お前らの気持ちはようわかる。おれらは弱い。あまりにも弱い。あんな子が入ってきたらこうなるのは当然やったんや。もうお前ら、小説やらへんのやろ? やめるんやろ? 別にええと思う、それも一つの選択やと思うわ。『ともしび』のことを考えるなら、麻紀ちゃんを入れるべきじゃなかったかもしれへん。それは反省してる。でもお前らは、この先もずっと童貞こじらせて小説にかじりついてるより良かったんかもしれへんわ。今日でおれらは解散や。お前らほど小説のことじっくり話せるやつおらんかった。最後はこんなぐちゃぐちゃなってしもたけど、『ともしび』で過ごした時間が消えてなくなるわけじゃない。ホンマに感謝してるわ。今までありがとうな」

この部長の言葉に、ケンタ・一次・三次はまったく感動することなく、「童貞が何か言うとるわ」と思っただけだった。サークルクラッシャー麻紀は文芸サークルの次にアニメ研究会と漫画研究会をクラッシュして破壊王としてその名をとどろかせ、二留の後に大手証券会社に就職した。

 

 

五年後、紅一点は文芸サークル『ともしび』内部の紛争をテーマにした壮大かつ繊細な精神小説『サークルクラッシャー麻紀』で、見事A文学賞を受賞しプロデビューを果たした。その頃にはケンタも一次も三次も部長も、すでに就職して会社で働いていた。部長が久々に、紅一点の受賞を祝う会を開かないか、と呼びかけたが、誰からも返事はなかった。当の紅一点からすら、返事はなかったのである。そうしてさらに時は流れ、部長は三十六歳になった。部長は係長になっていた。後輩だった気立ての良い女子社員と結婚し、四歳の息子が一人。幸せだった。小説はたまに趣味で書き、『ともしび』時代に知り合った仲間の主宰する同人誌に寄稿したりしている。もうプロを目指すつもりはなかった。そんなとき、意外な人物から連絡があった。サークルクラッシャー麻紀(36)である。久しぶりに飲みに行きませんか? 何だか昔を思い出しちゃって、一晩付き合ってくれませんか? それまで浮気一つせず、妻以外の女性と二人で食事をするなどということの一度としてなかった部長だが、このとき初めて妻に嘘をついたのだった。サークルクラッシャー麻紀(36)の指定した小洒落たバーで二人は再会した。サークルクラッシャー麻紀(36)は学生時代から比べれば相当に落ち着いた大人の女性になっており、当時の馬鹿騒ぎを二人で面白可笑しく振り返った。恐らくは部長が二度と会うことのないケンタや一次や三次の過去の恥ずかしい言動もみずみずしく再現されて、まるで大学時代に戻ったかのようだった。サークルクラッシャー麻紀(36)は三十六歳になっても美しかった。部長のように老け込んではいなかった。夢のように楽しい時間を過ごした後、さて帰ろうかというとき、サークルクラッシャー麻紀(36)は「帰りたくない……」とつぶやいて部長の袖を引っ張った。部長は学生時代に結局体験できなかったあのサークルクラッシャー麻紀とのセックスが目の前にあるのだと興奮したが、ケンタや一次や三次があれだけ愛していたはずの小説をすっかり捨ててしまうほどに鮮明な印象を残したのはサークルクラッシャー麻紀であって、サークルクラッシャー麻紀(36)ではない、という思いが拭えなかった。サークルクラッシャー麻紀(36)は美しいが、やはり当時に比べれば衰えは隠せない。自分に唐突に連絡してきたのも、自分の容姿が若い頃のように無敵の威力を持たなくなったからではないか? そんな双方に悲観的な考えも浮かんでくる。ケンタや一次や三次が抱いたのはこの女ではない。あの三人はサークルクラッシャー麻紀のもっともよい果実を味わったのであり、現在のサークルクラッシャー麻紀(36)に過去の未体験を回復するような気持ちで飛びつくことは、あの三人に、そして当時の自分にも敗北することだと思われた。部長は時の残酷さを噛みしめながら、サークルクラッシャー麻紀(36)の指を袖からそっと外し、「また、たまに飲みに来ようや」と笑いかけた。

 

 

部長は結局のところ、一度もクラッシャられることがなかった。高校時代に男子校を食い荒らしたれいにゃんの全盛期の肉体も、『ともしび』をわずか半年で完全破壊したクラッシャー麻紀の全盛期の肉体も、部長の人生を風のように吹き抜け、そしてふたたび存在することは永遠にない。部長は凡庸な幸福の中で、そういう危険に踏み出す勇気のなかった、客観的には正常であるはずの自分と、後で馬鹿なことをしたと人から笑われ、自らも真剣に悩み苦しむのではあっても、危険地帯への衝動に身を任せてみることのできた無謀な男たちと、どちらの人生が豊かなものであるのか、その答えは簡単に出せるものではないと考えている。彼はサークルクラッシャー麻紀(36)と再会した夜、自分の知り得ない、全盛期のクラッシャーにクラッシャられることのよろこびに思いを馳せながら、妻と子の眠る部屋の隣にある小さな書斎で、学生時代に小説の構想を練るのに使っていた古びたノートを取り出し、冗談とも真剣とも取れないような顔で次のように書き付けた。

To be crushed or not to be crushed,that is the question.

(クラッシャられるべきかクラッシャられないべきか、それが問題だ)

〈了〉

 

2017年7月23日公開

作品集『サークルクラッシャー麻紀』最新話 (全1話)

© 2017 佐川恭一

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"サークルクラッシャー麻紀"へのコメント 2

  • 編集長 | 2017-07-24 10:41

    部長にやらせてあげないなんて、紅一点は嫌な女だと思いました。

    • 投稿者 | 2017-07-25 23:16

      部長からアクションを起こせば、あるいはワンチャンあったのかもしれません…!

      著者
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