ナニワ最狂伝説ねずみちゃん

応募作品

佐川恭一

小説

13,552文字

破滅派13号応募原稿です。テーマ「BTTB(バック・トゥ・ザ・ベーシック)」ということで、私の選んだ題材は村上春樹の処女作『風の歌を聴け』でございます。

 

 

おまえら聴けぇ、聴けぇ! 静かにせい、静かにせい! 風の歌を聴けっ! 男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。静聴せい、静聴せい! おまえら、風の歌を聴けぇっ!

 

 

「金持ちなんて・みんな・くそくらえやろが!」

ねずみちゃんはカウンターに両手をついたまま誰に向けてともなくそう怒鳴った。ねずみちゃんは、いつも上下ねずみ色のスウェットを着ているので、ねずみちゃんなのだ。

「ほんま、うちらなんか、スウェット買うのでギリやっちゅうねん。」

そう言いながら、ねずみちゃんはビールをガブガブ飲んだ。ねずみちゃんは一日最低1000ミリのビールを飲むのだ。

「ほんま、スウェット以外の服、買えへんしな!」

ビール代を服に当てれば余裕なのだが、ねずみちゃんにそういう考えはない。ねずみちゃんは、自分がスウェットしか買えないのは資本主義のせいだと思っていた。

「資本主義が人間を狂わしたんや、ぜんぶパアにしたんや! せやろ? 資本主義のせいで人間は金の奴隷や、くだらん家畜に成り下がったんや、縄文の魂を思い出せっちゅうねん!」

ねずみちゃんは岡本太郎のミニチュア太陽の塔を肌身離さず持っている。太陽の塔が縄文の精神を表しているのだという。僕ちんにはよく理解できなかったが、ねずみちゃんにとっては縄文人こそが人間なのだ。

「ダニや。金持ちちゅうのはダニなんや。あいつらなんか何も考えんと生きて、そのまま死んでいく。その点、縄文人はちゃんと考えとった。」

僕ちんはねずみちゃんの白く細い指を眺めながら頷いた。ねずみちゃんは信じられないほど綺麗な指をしていて、僕ちんはそれがとても好きだ。

 

 

僕ちんとねずみちゃんが一夏で飲んだビールの量は計り知れない。吸った煙草の本数も計り知れない。それ以外にすることがないからだ。僕ちんは無職だったし、ねずみちゃんも無職だった。

「ワイズ・バー」のカウンターには煙草の脂で変色した一枚の版画がかかっている。ある退屈な夜、僕ちんが版画を眺めながら酒を飲んでいると、バーテンのワイが話しかけてきた。

「ワイはな、版画が趣味なんや、そこに掛かっとる版画もワイが作ったんや。あれ何にみえる?」

それは僕ちんにはシックスナイン中の男女にしか見えなかった。

「シックスナイン中の男女だね。男が僕ちんで、女が剛力彩芽。」

「剛力彩芽が好きなんか?」

「かなりね。」

「意外やな。どこがええの?」

「そうだね、事務所から推されても推されても人気が出ない、それでも健気にがんばっている、そういうところがいいんだな。」

「西内まりやは?」

「反吐が出る。」

「えらい厳しおすな。」

「厳しくなんかないさ。モデルの彼氏がいる女なんてロクでもない。糞だメルドー。」

するとワイは楽しそうに笑った。

「でも、西内まりやがタダでご奉仕フェラしてくれる言うたら、あんた泣いて喜ぶやろ?」

「翌日死んでもいい。」

「ほしたら、あんたは西内まりやが好きなんや。ただあんたがイケメンモデルになれへんかった、それだけのことや。しょうもない負け惜しみはやめときなはれや!」

僕ちんはワイにビールをぶっかけてやろうかと思ったが、もう一度冷静に西内まりやのご奉仕フェラを想像してみた。

 

翌日死んでもよかった。

 

 

「虫酸が走るっちゅうねん。」

ねずみちゃんはまだ金持ち許すまじ的なオーラを出していた。

「うちがスウェットしか買えへん世の中ってどうなん? それって金持ちがぜんぶ金持ってるからやん 。うちかて綺麗なドレスとか着たいやん。」

僕ちんはドレス姿のねずみちゃんを想像してみた。そして言った。

「きみはスウェットのほうが似合うと思うよ。もうほとんど一体化してる。」

ねずみちゃんは激昂して僕ちんをビールジョッキで殴打した。
「お前なんや、一体化とはどういうことや、うちがスウェットやっちゅうんか、うちがスウェットのようなものやと、そう言いたいんか?」
「すみませんでした。」
「すみませんでしたやないねん、イエスかノーかで答えろ! お前は・うちを・スウェットの・ようなものやと・そう言ったんか?」

こうなってしまっては、イエスもノーも悪手だ。良い答えじゃない。ただ沈黙だけがすべてを解決してくれる。ねずみちゃんはもう一度ビールジョッキを振りかぶった。僕ちんは咄嗟に避けようとしたが、その前にワイが叫んだ。
「それ以上やるんやったら外に出え!」

僕ちんはホッとしたが、ねずみちゃんの怒りはおさまっていなかった。
「おう、ほんだら外出よやないけ! お前来い!」

僕ちんは無言でカウンターから立ち、受けて立つような雰囲気を醸し出した。そしてねずみちゃんが「ワイズ・バー」の扉を開けて外に出たとき、僕ちんは脇から一気にねずみちゃんを抜き去って逃げ出した。
「ワレ、待たんかい!」

ねずみちゃんは多分僕ちんを追いかけただろうが、僕ちんは一度も振り返ることなく逃げた。必死で逃げ抜いた。ねずみちゃんと一戦を交える、それは絶対にやってはいけないことだからだ。ねずみちゃんの座右の銘は「専斬臨陣退縮(陣に臨んでもし下がれば専ら斬る)」。敵を前にして逃げ出した者は即座に殺す、という意味だ。これは中国の清朝に反旗を翻した太平天国軍の陣頭に掲げられていた言葉である。中国ではじめて社会主義思想を唱えた洪秀全こそ、ねずみちゃんのヒーローなのだ。そんな人間と戦えば一体どうなる? 僕ちんは脚がちぎれるほど走り続けて帰宅し、震える指でねずみちゃんに「ごめんなさい。」とラインした。するとねずみちゃんは「なんやっけ?」と言った。

酒の入ったねずみちゃんの記憶力は、ミミズの脳味噌以下なのだ。

 

 

なぜ君は、じぶんのことを僕ちんなんていうんだ?

 

さあ、忘れたね、そんなことは。

 

 

僕ちんは無職だが、一度だけ保険代理店に就職しようとしたことがある。同族経営でやっていた小さな代理店だ。社長は居酒屋で酒を飲みながら面接を行った。僕ちんは適当に話を合わせているだけだったが、社長は「採用!」と言って僕ちんの手を握ってきた。

「採用や! あんた、気に入ったで!」

僕ちんは何が気に入られたのかわからなかった。「なるほど。」以外の言葉を発していなかったからだ。

「あんたみたいなんがわしらには必要なんや、あんたみたいなんが!」

僕ちんは「あんたみたいなん」の内容がわからなかったが、無職であることを理由に両親から百烈ビンタを食らっていた身だったので、「ありがとうございます!」と言った。それからふたりで祝いのワインを飲んだ、飲みに飲んで僕ちんは幸せだった。僕ちんは、僕ちんは、これでサラリーマンだ! そう思うと自然に笑みがこぼれた。僕ちんはあの憧れのサラリーマンなのだ、テレビを点ければ東京の新橋で、大阪の京橋で取材されている、厳しい仕事を乗り越えながら明るく笑って酒を飲む、あのまぶしいサラリーマンたちの仲間入りなのだ! 店を出ると社長は駐車場へ向かい、バキバキに改造したフェアレディZに乗り込んだ。

「乗れや、送ったるわ!」

僕ちんはたじろいで、「いや、飲酒運転じゃないですか?」と言った。すると社長は大声で叫んだ。

「何をしょうもないこと言うてまんのや、ええか、わしはな、ビール三杯くらいでちょうど頭がまっすぐなるんやわ、ビール三杯飲んでやっと頭がまっすぐなる人間も、おるっちゅうことですわ!」

僕ちんはやばいと思い、「ダメです、ダメです!」と言いながら車につかまって社長を止めようとしたが、車はそのまま発進した。僕ちんは約200メートルに渡って引きずられ、17箇所に傷を負い、左腕を2箇所骨折した。車はさらに351メートル先の公園の垣根を突き破り、つつじの植込みを踏み倒し、石柱に激突した。僕ちんが駆けつけた時には車は半分ほどにつぶれていた。これはもうダメか……これで僕ちんの就職もおじゃんだ、また無職に逆戻りだ! そう思ったとき、血まみれの社長が車から這い出してきた。僕ちんは思わず駆けよった。「社長! 社長! 僕ちんは内定したんですよね? 内定したということでいいんですよね? いつから出勤すればいいですか? 持ち物や服装は?」僕ちんがそう言うと、社長は僕ちんを殴り飛ばして「救急車!」と叫んだ。

そういうわけで、社長は今でも僕ちんのツイッターをブロックしている。

 

 

喉の渇きのためだろう、僕ちんが目覚めたのは朝の6時前だった。僕ちんは見慣れない北欧家具に彩られた他人の家にいた。いや、もはや他人ではない。僕ちんが童貞を捨てた、愛すべきピチピチギャルの家である。僕ちんはもう童貞ではない。あれだけ苦しかった童貞デイズだったのに、捨ててみれば懐かしくさえ感じられる。僕ちんは優越感と喪失感のあいだで揺れていた。いまだ世界には掃いて捨てるほどの童貞がいる、いつか僕ちんは、飲み屋で偶然出会った童貞にセックスのすばらしさを渾々と語り聞かせるだろう、そしてこう言うのだ、「ああ、きみはまだ童貞だったのか! それはすまなかった!」

三時間ばかり経ってから、ピチピチギャルは目を覚ました。

「え?え?あんた誰?え?ウソ?誰?」

「もしかして覚えてない?」

ピチピチギャルはあぜんとして言った。

「説明して。」

「どのあたりから始める?」

「最初からよ。」

最初ってどこだろう? 僕ちんは十秒ばかり考えてから話しはじめた。

「暑いけれど気持ちの良い一日だった。僕ちんは午後じゅうプールでバタフライを練習していた。僕ちんはさまざまな泳ぎをマスターしているけれど、バタフライだけはまだだった。ドルフィンキックというやつがどうもうまくいかなくてね、その日も僕ちんはドルフィンキックをマスターできなかった。だからと言って落ち込んでたわけじゃない、人生はまだまだ長いからね、ゆっくりやればいい。それから僕ちんは散歩に出かけて、海岸通りで風に当たりながら動画を眺めてた。少し前に問題になった『フリーおっぱい』の動画さ。有名になりたい女子高生が通行人にタダでおっぱいを触らせているだけのくだらない内容だ。でも、女の子はわりとかわいかったし、もちろん胸も大きかった。フリーおっぱいというくらいだからね、胸に自信があるんだろう。僕ちんは図らずも股間が湿ってくるのを感じた、それで、海なんか眺めてる場合じゃないな、家に帰って抜こう、と思った、でもその時、僕ちんはふと寂しさを感じた、家に帰ってフリーおっぱいで抜く、じゃあその後は? 長い長い賢者タイムさ。僕ちんはその深い孤独を恐れた、それでとりあえず『ワイズ・バー』に行ってみたんだ、あそこなら少なくともワイと話せるからね。でも奴はいなかった、いたのは知らないバイトと君だけだった。」

僕ちんはそこで言葉を切って立位体前屈をした。

「……どうして立位体前屈をするの?」

「なんだか、身体が硬くなった気がしてね。」

「いま?」

「え?」

「いますること? 立位体前屈って。」

「さあ。でも、決して立位体前屈をしてはならない、なんて場面が本当にあるかい?」

ピチピチギャルは私を強く殴りつけた。

「あなた、しゃべり方がむかつくから直したほうがいいわよ。」

「これでずっとやってきてるんでね、まあ我慢してくれ。とにかく『ワイズ・バー』できみは僕ちんに、『あなた童貞でしょ、わたしそういうの百発百中でわかるのよ、童貞丸出しの顔してるわ、そうでしょ?』と話しかけてきたんだ、僕ちんは童貞だったから頷いた、するときみは、『わたし童貞好きなのォー! 童貞ちゅきぃー! あなたの童貞ちょうらい☆』といって僕ちんの息子をファスナーの間から取り出してしゃぶりついた、きみはそれを僕ちんのレーゾン・デートゥルと呼んでいたよ、僕ちんはすぐに勃起して、レーゾン・デートゥルは一分もたたないうちに発射寸前だった、僕ちんは正直そこで一発出してしまってもいいかなと思ったんだ、でもアルバイトの奴が『続きは外でやってくれ!』と怒鳴って僕ちんらを放り出した。」

ピチピチギャルはロダンの考える人のようなポーズをとって、思索に深く沈み込んでいる風だった。僕ちんは続けた。

「僕ちんはそれでタクシーを拾ってきみをここまで連れてきた、僕ちんは確かに勃起していたけれど、きみが酔っ払っているのをいいことにきみで童貞を捨ててしまおう、とはさすがに思わなかった、それじゃレイプと変わらないからね。僕ちんはきみをベッドに運んでそのまま帰ろうとした、するときみがすごい力で僕を掴んでベッドに引き入れて言ったんだ、『あなたの童貞もらってあげる、あなたってステキよ、あなたがそれに気づいていないだけ、私にはわかるわ。』それで僕ちんはもう我慢できなかった、きみの導きのままにレーゾン・デートゥルをきみのなかに挿れたのさ、きみのなかはとても温かくて、何よりも優しかった、僕ちんはそれで何かすべてを許されたような気持ちになった、僕ちんがこれまで歩んできたロクでもない人生のすべてが、きみのおまんこに肯定されたような気がしたんだ。きみは『気持ちいいっ、気持ちいいよぉっ、あなたのレーゾン・デートゥルってサイコーだわ! 童貞ちゅき、童貞ちゅきぃぃっ!』と叫んで、潮をまき散らしてイってしまった、それであそこにシーツを干してあるのさ。」

ピチピチギャルはしばらく黙り込んでから、真剣な表情で言った。

「嘘だと言ってくれないか?」

 

 

ある日「ワイズ・バー」へ行くと、ねずみちゃんの左手の小指がなくなっていた。ねずみちゃんは相変わらずビールを飲みまくっていた。

「どうしたんだい、その指は。」

僕が聞いてみると、ねずみちゃんは「いま思い出しても腹立つわ!」と叫んで、拳をカウンターに叩きつけた。

「うちな、ほんまこの貧乏生活に耐えられへんようになってきてん、こないだにこあるスウェットのいっこに穴空いてしもてな、そしたらもう洗濯もできひんやんか、新しいスウェット買う金もないしイライラして歩いてたら、グラサンかけた怪しいオッサンが寄ってきて言うたのよ、『あなた、いまこう思っているのではないですか? “替えのスウェットが欲しい……っ!”』それでうちビックリしてしもてな、なんでわかったんやろ、このグラサンただもんちゃうぞって思った、そしたらグラサンはな、貧乏人が一発逆転できるギャンブルイベントがあるから来えへんかって言うてきたんや、それでうちはソッコー参加決めて会場に行った、そしたら野球拳でボロボロに負けて素っ裸にされてな、そんなん悔しいやんか、そこで終わったら悔しいやんか、せやから『まだやれる!』言うて小指賭けてもうひと勝負したったんや、それでこのザマや。」

ねずみちゃんはそう言って左手をひらひらさせた。

「それで、小指をとられて負けたのかい?」

「せや、うちはそのあと右手の小指も賭けよう思てたんやけど、麻酔なしで左の小指いかれて気絶してしもたんや、それで強制退場やがな。」

「そんなこと、もうやめたほうがいいよ。」

「でもうちらが逆転しよ思たら根性しかあらへんのや、根性で負けたらほんまに終わりや、そやろ? またあのイベント行ったろ思てんねん。」

「やめたほうがいい。」

「なんでやねん!」

「そんなの馬鹿げてるよ。きみは前に言ってたじゃないか、みんな金の奴隷だ、くだらない家畜だって。今のきみは、まさにきみが軽蔑していた存在そのものだよ。」

ねずみちゃんはマジギレしてビール・グラスを床に叩きつけた。

「うるせー! 資本主義の犬が!」

「いや、だから……」

「もう我慢ならん、お前外に出え!」

僕ちんは無言でカウンターから立ち、受けて立つような雰囲気を醸し出した。そしてねずみちゃんが「ワイズ・バー」の扉を開けて外に出たとき、僕ちんは脇から一気にねずみちゃんを抜き去って逃げ出した。
「ワレ、待たんかい!」

僕ちんは振り返らずに走った。横山典弘の乗った人気薄の逃げ馬のように激走した。絶対に「ひとり太平天国」の二つ名を持つねずみちゃんと戦うわけにはいかない。しかし僕ちんは道中に落ちていた何かにつまずいて転んでしまった。それは電話帳ほどもある風俗情報誌「シティヘブン」だった。僕ちんは思わず笑った。死因がシティヘブンだなんて、いかにも僕ちんらしいじゃないか? 追いついてきたねずみちゃんは、手に持っていたビール瓶を電信柱に打ちつけて割り、僕ちんに突きつけて言った。

「なんやったっけ?」

 

 

ON

やあ、みんな今晩は、元気かい? 僕ちんはトゥー・バッドだよ。大体僕ちんが元気なんてことはないんだ、無職ってのは楽だって思うかもしれないけど、じっさいやってみたら地獄だぜ。親は怒る、近所の目は痛い、おまけにこのネット・ラジオぐらいしかやることがないときたら、誰だってノック・アウトだ、そうだろ? とりあえず僕ちんのオリジナル曲を聴いてくれ、「カリフォルニア・ニート」、飛ばしていくぜ。

 

イースト・コーストのニートはイカしてる。

ファッションだってご機嫌さ。

都会の企業の学歴フィルター、圧迫面接、

うん、ノックダウンだね。

やさしいやさしいブラック企業、

ハートにぐっときちゃうのさ。

豪腕が売りのワンマン社長、

君をたっぷりかわいがってくれる。

 

素敵な人たちがみんな、

カリフォルニア・ニートならね……。

 

 

もうすぐねずみちゃんの誕生日だ。ねずみちゃんは処女だが、というべきか、処女だから、というべきか、セックスに対する研究心が凄まじく、AVに目がない。僕ちんはしばらく気持ちの良い潮風の吹く港のあたりをあてもなく散歩してから、目についた信長書店のドアを開けた。AVのフロアにはほとんど客の姿はなく、店の女の子が一人でカウンターに座り、うんざりした顔で伝票をチェックしながら缶コーラを飲んでいるだけだった。僕ちんはしばらくアナル・コーナーとスカトロ・コーナーを眺めてから、突然彼女に見覚えがあることに気づいた。僕ちんが童貞を捧げたピチピチギャルだ。やあ、と僕ちんは言った。その時点で、僕ちんは少なからず勃起していた。あのすばらしい童貞喪失の日の記憶が鮮明に蘇ったからだ。彼女は少し驚いて僕ちんの顔を眺め、股間を眺め、それから残りのコーラを飲み干した。

「勃起してるわよ。」

彼女は軽蔑したようにそう言った。

「偶然さ。AVを買いに来たんだ。」

「どんな?」

「アナルとスカトロと……レイプ。」

「趣味が悪いわね。」

「プレゼント用なんだ。何かお薦めはある?」

彼女は疑り深そうに頷いてから立ち上がって棚まで大股で歩き、よく訓練された犬のように三枚のAVを抱えて帰ってきた。

「はい。これでどう?」

「『美尻主婦アナル解禁作!!服従の肛姦条件』、『脱糞フレンド。ギャルJKレナ・あかね ノリノリGALはウンチだってハイテンション』、『特殊警護課の女 犯されたボディガード』……うん、悪くないね。」

「あなたは観ないの?」

「いや、後で観せてもらおうとは思ってるよ。かなりチンコに効きそうだから。」

彼女は窮屈そうに肩をすくめ、9449円、と言った。僕ちんは金を払い、AVを受け取った。

「まあとにかく、あなたのおかげで昼までにAVが3枚売れたわ。」

「良かった。」

彼女は溜息をついてカウンターの中の椅子に座り、伝票の束をもう一度繰り始めた。

「ねえ、」と僕ちんは言った。

「もし良かったら、一緒に食事しないか?」

彼女は伝票から目を離さずに首を振った。

「あなた、私ともう一度ヤレると思ってるんでしょう。あの夜、私はおかしかったのよ。悪いけど忘れて頂戴。」

彼女はそう言い終わると、店の奥のスタッフルームへと姿を消した。僕ちんは、「待って、ちょっと待って!」と言った。

「もう一回だけ何とかならないか? もう一回だけ。」

彼女は何も言わなかった。それから10分ばかり待ってみたが、客は一人もやって来ず、彼女はスタッフルームから出てこなかった。

 

 

ON

やあ、元気かい? 僕ちんは相変わらずさ。また土曜日の夜だけど僕ちんには関係ない、毎日がビューティフル・サンデーだからね。今日はまず、きみたちからもらった一通の手紙を紹介したいと思う。読んでみる。こんな手紙だ。

「お元気ですか? いつも楽しみに聴いています。早いもので、この春でニート生活も二十年目ということになります。時の経つのはほんとに早いもんです。もちろんエア・コンディショナーのきいた自室の窓から僅かに外の景色を眺めているばかりの私にとって季節の移り変わりなど何の意味もないのだけれど、それでもひとつの季節が去り、新しいものが訪れるということは心の躍るものなのです。

私は41歳で、一度もはたらいたことがありません。アルバイトもせず、家事も手伝わず、お母さんにお金をせびって、パットで競馬をやらせてもらっています。競馬場は近くにないけれど、私にはパットがある。それだけで勇気が湧いてきます。パットがあれば、それで日本じゅうのレースの馬券を買うことができるわけですから、パットにはほんとうに感謝しています。私がいま取り組んでいる馬券術は、『できるだけたくさんのお金を人気馬の複勝に賭ける』というものです。複勝というのは基本的に三着以内に入る馬を一頭当てる馬券で、複勝圏内確実の人気馬を選ぶのには少しコツがいりますが、私はいまのところうまくいっています。昔、三連単にこだわっていたころの私は惨めでした。一、二、三着を順番どおりに当てる、そんなことは奇跡なのだと、私は永いあいだ気付きませんでした。私は三連単のおかげでほとんど十年間を丸ごと無駄にし、中古の一戸建てが買えるほどのお金を失いました。でも、どんなに惨めなことからでも人は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができるのです。私はまだ人生を投げていません。この複勝馬券術がうまくいったら、本を書いて出版しようと思っているのです。そうしたらウハウハではないですか? じつは電子書籍ではもう出しています。『一攫千金!複勝ニートの馬券術』というのです。みなさんも、ぜひ私の馬券術で夢をつかんでください。必要なのは、ほんの少しの勇気とお金だけです。

 

さよなら。お元気で。」

 

本名は書いてない。僕ちんがこの手紙を読んだのは昨日の2時過ぎだった。僕ちんはGⅠの高松宮記念がこれからはじまるということを思い出して、慌てて『一攫千金!複勝ニートの馬券術』を買い、一気に読みこんで高松宮記念で一番人気だったレッドファルクスの複勝を買った。それも10万円だ。金はもちろん母親にせびった。言っておくが僕ちんは最高でも一点300円しかかけたことがない、そういうタイプの人間なんだ。そいつが一点に10万円賭けるってのは、もう全人生をBETしてるに等しい。わかるかい? それでどうなったか、僕ちんの10万円を乗せて走ったレッドファルクスは、8着だった。つまり10万円はパアってことさ。僕ちんは、これまでの人生のすべてを合わせたって10万円も稼いじゃいない。せいぜい5、6万円といったところだ。そう思うとね、急に涙が出てきた。泣いたのは本当に久し振りだった。でもね、いいかい、じぶんが情けなくなって泣いたんじゃないんだ、僕ちんの言いたいのはこういうことなんだ、一度しか言わないからよく聞いておくれよ。

 

何が・複勝・ニートやねん。

 

あと10年もたって、きみがまだあの本に書いたとおり複勝で稼いでいるというのなら、そのときは僕ちんに連絡してくれ。僕ちんの理解が甘かったのだと認めて謝罪しよう。でも、きみが結局失敗してどん底に堕ちていたのなら、きみは立派な詐欺師だ。二度と馬券術なんて言わないでくれ。そう、僕ちんはこうやってすべてを他人のせいにしている。でも、それの何が悪い? 何もかもじぶんが悪いなんて考えてたら、ニートなんて三日とやってられない。すぐに首でも吊って死んじまうよ。いいかい、きみたちの中にニートがいるかもしれないから言っておくけど、大抵のことはきみのせいじゃない。周りが悪い。それでいいんだよ。死にたくなったら、ぜんぶ周りのせいにしてくれ。死ぬよりマシさ。

じゃ、餞別に複勝詐欺野郎のリクエストをかける。イギリスの歌い手ジョセフ・ベディングフィールドの「ウィズアウト・ジョブ」、乗ってくれよ、ベイビー。

 

OFF

 

……ふう……

 

……シコ……

……シコ……

 

 

……シコシコ……

 

……シコシコ……

 

……シコシコシコシコシコ……

 

 

ピュ

 

 

 

 

10

 

ひどく暑い夜だった。半熟卵ができるほどの暑さだ。

僕ちんは「ワイズ・バー」の重い扉をいつものように背中で押し開けてから、エア・コンのひんやりとした空気を吸い込んだ。店の中には見なれない制服を着た地下アイドルが二人、そのファンの男が二人、それだけだった。ねずみちゃんの姿はない。僕ちんはワイに言った。
「ねずみちゃんは? プレゼントを渡しに来たんだ。」
「さあ、今日は来てへんな。」
ワイは上の空だった。どうやら地下アイドルのうちの片方が気になるようなのだ。その子はスイカのような乳房をつけ制服をパツンパツンにしていたが、間違いなく30歳は越えていた。アイドルをやるには少しきついかな、という印象だった。だが、ワイはそういうのがたまらなく好きだ。

「歳に抗おうとして若作りしてる女が、一番そそるんや。」

それがワイの口癖だった。

三十路アイドルは途中で便所へ行き、帰ってくると僕ちんの隣に座った。
「あんた、包茎でしょ。」
「いかにも。」
「顔でわかったわ。でも、彼女はいる。」
「残念。いないよ。」
「なら、そのかわいらしいプレゼントの袋は何?」
「これは知り合いの女の子にね。『美尻主婦アナル解禁作!!服従の肛姦条件』、『脱糞フレンド。ギャルJKレナ・あかね ノリノリGALはウンチだってハイテンション』と……何だったかな。」
「変った女の子ね。」
「とても変ってる。」
「ねえ、私って幾つに見える?」
「36。」
「え? そんなにいってるように見えるかしら。」
「35。」

女は顔を引きつらせて言った。
「24よ。」

僕ちんはギムレットを吹き出した。
「嘘は良くない。」
「本当よ。あなたに嘘をついたって、何にもならないわ。」
「30を越えてないなんて、信じられない。」
「……まあいいわ。私って独身に見える? それとも亭主持ちに見える?」
「亭主持ちで二人子供を産んだものの、離婚して今はシングルマザー。」
「離婚は当たってるけど、子供はいないわ。」
「そう。」
「離婚した女の人と話したことある?」
「いいえ。でも神経痛の牛には会ったことがある。」
「は?」
「え?」
「何故神経症の牛が出てきたの?」
「さあね。思い出したからさ。」
「いま私は離婚した女の人と話したことがあるかって聞いたのよ。そんな答えってある?」
「いや、それは……」
「あなたは私と神経痛の牛を並列したのよ。いくらなんでも失礼だわ、そうでしょ? もし何が失礼なのかわからないのなら、病院に行きなさい。」

三十路アイドルはそう吐き捨てて、ファンのいる席へ戻っていった。彼らはトランプゲームをしていた。どうやら勝てばアイドルの胸を揉んだり頬にキスしてもらったりすることができ、負ければ強い酒を一気飲みする、というルールだ。三十路アイドルはスイカのような爆乳を触らせてうっとりしていた。僕ちんはそれを見ていると、ムラムラしてきた。
「お。ムラムラしてきたんかいな?」

ワイが楽しそうに言った。

「少しね。僕ちんも参加したい。」

「それはあかんやろなあ。あそこにおるのはトップオタ、物販で散々貢いどるやつらや。一見であの中に入るっちゅうんは……」

僕ちんはワイが言い終わる前に、三十路アイドルの席へ突撃した。

「やあ。僕ちんも混ぜてくれ。」

すると、トップオタAが三十路アイドルに聞いた。

「ファンの人?」

「違うわ。この人、さっき私のことを30オーバーだと言ったのよ。」

「それは聞き捨てならない。」

トップオタAは僕ちんにトランプをシュッシュ投げてきた。そのすべてが、ちょうど角の部分で僕ちんをひどく痛めつけた。

「痛い。」

しかし、トップオタAは攻撃の手を緩めない。

「きみよりも、彼女の心の方が痛いさ。」

トランプは本当に角ばかり当たった。一体こいつは何者なんだ? こんなにうまくトランプを投げるなんて、相当な練習が必要なはずだ。だが、そんな何の役にも立たない技術を磨く暇人がどこにいる?

「きみは、無職だね。」

僕ちんがそう言うと、トップオタAはたじろいだ。

「なぜわかった?」

「わかるさ。」

僕ちんは努めてニヒルな笑みを浮かべながら元の席に戻った。ゆっくり酒を飲みたかったが、その後はトップオタAのみならず、トップオタBまでも僕ちんにトランプを投げ続けた。僕ちんはその精度によって、それがトップオタAによるものか、トップオタBによるものかを見分けることができた。僕ちんの見立てでは、トップオタBは無職ではない。失投がいささか多すぎる。僕ちんは分析結果をワイに報告した。

「あそこのトップオタ、小肥りの方は無職じゃないね。」

するとワイは言った。

「ふたりとも無職やで。」

 

11

 

これで僕ちんの話は終わりだし、もちろんたいした後日談なんてない。僕ちんは39歳になった。結婚もしていない。親はまだ生きているけれど、状況は最悪だ。飲みに行く金はとっくになくなった。僕ちんは結局、あのピチピチギャルとの童貞喪失セックス以降一度もセックスしていない。ねずみちゃんとも、あれから一度も会えていない。野球拳に負け倒してマグロ漁船に乗ったのだ。あの3本のAVはまだ僕ちんが持っているが、もう擦り切れるほど観てしまったので勃起誘発力は低い。いま僕ちんがはまっているのは『浴室の扉を開けっ放しで僕の勃起を誘うお義姉ちゃんの洗い尻に我慢できず・・・後ろから即ハメ!!』、そして『ソソるJKリフレでぬれぬれパンツマッサージ マッサージの気持ちよさと女の子のパンツの食い込みに我慢できなくなったので、俺にもマッサージをやらせてくれよと頼み、パンツの上からJKのモリマン、マン肉、メコスジマッサージを開始!!パンツぬれぬれで感じ始めたので、どさくさまぎれにチョイ入れしたらギンギンに締め付けてきた!!』の2本だ。特に後者の一人目の女の子がパンツ越しに女性器を触られながら「彼氏どんぐらいいないの?」と聞かれ、「い、一年はぁ~ん♡」、というところがなんともいえず良い。

 

 12

 

何年か後、僕ちんは三重県志摩市の渡鹿野島に渡った。『ソソるJKリフレでぬれぬれパンツマッサージ マッサージの気持ちよさと女の子のパンツの食い込みに我慢できなくなったので、俺にもマッサージをやらせてくれよと頼み、パンツの上からJKのモリマン、マン肉、メコスジマッサージを開始!!パンツぬれぬれで感じ始めたので、どさくさまぎれにチョイ入れしたらギンギンに締め付けてきた!!』の一人目の女の子を探す短かい旅だ。渡鹿野島はかつて売春島として栄えたが、今では厳しい規制のために見る影もない。しかし、『ソソるJKリフレ……』の一人目の女の子がこの島のある置屋で働いているとらしいと聞いて、居ても立ってもいられなくなったのだ。僕ちんはお目当ての置屋でやり手婆に女の子の写真を見せながら説明したが、「そんな子おらんで。」とにべもなく切り捨てられた。手ぶらで帰るのもなんなので、僕ちんはなけなしのお金を払って一人の売春婦を手配してもらい、指定の宿でその到着を待った。女の子はタイ人で、多分50代だった。コミュニケーションを取ることも難しく、僕ちんは仰向けになって眼を閉じ、何時間も無言でタイ女性の熟達した性技を味わった。もちろん、『ソソるJKリフレ……』の一人目の女の子を想像しながら……

タイ女性は最後に「オニイサン、マダマダ、イケルヨ」と言った。「オニイサン、タイデハ、イケメン、モテルヨ」

そうであってほしい、と僕ちんも願っている。

 

 

最後になってしまったが、この作品を書くに当たって、村上春樹氏の処女作「風の歌を聴け」(Haruki Murakami;Hear the Wind Sing:1979)を一部参考にさせていただいた。感謝する。

 

二〇一八年四月

 

佐川恭一

2018年4月7日公開

© 2018 佐川恭一

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