脱糞せよ家康

アマゾンの段ボールをヴィリヴィリ破いたら~、ヌルヌルルサンチマン近大マグロでした〜。チクショー!!(第3話)

合評会2023年07月応募作品

眞山大知

小説

3,333文字

合評会2023年7月参加作品。タイムマシンが実現した後の日本を想像して書きました。
(アイキャッチ画像:徳川美術館所蔵『徳川家康三方ヶ原戦役画像』)

「警部、なんで家康を脱糞させないといけないんですか!」
「それがウチの仕事だからに決まってるだろ、バカ!」
 井戸田警部は若手の稲荷巡査を叱り、オフィスの天井をまっすぐ指差した。吊り下げられたプレートには『公安第五課・歴史干渉犯担当』と書かれている。
「クソ、なんて汚い仕事だ……!」
 稲荷は頭を抱えてしまった。
 ここは桜田門・警視庁公安部。公安第五課に課せられた使命――それは日本の歴史を守ること。十年前にタイムマシンが実用化されて以降、自分たちの都合のいいように歴史を変えようとする危険思想団体が雨後の筍のように出現。日本政府は団体の活動を妨害するため、公安警察に歴史干渉犯を担当する部門を新設した。
 稲荷は警視庁に採用されてから五年もの間、その団体どもから必死に歴史を守ってきた。宇佐八幡宮神託事件、源平合戦、元寇、応仁の乱、関ヶ原の戦い、明治維新……。その他諸々の現場に行き、団体を妨害しつづけた。クソのように汚い工作なんて腐るほどしてきた。団体の手によって織田信長が炎上する本能寺から脱出した際は、京の闇夜にまぎれて銃で信長の頭をぶち抜いたこともある。
 だが、下痢便をさせるなどという物理的に汚い仕事は初めてだった。それにどうしても腑に落ちないことがある。稲荷は井戸田警部へ質問した。
「そもそも三方ヶ原の戦いで家康が糞を漏らしたって話、本当ですか? おかしいですよ。あれって昭和の初めにできた作り話じゃないですか」
「決めつけるんじゃない。それはな、もうすでに歴史が書き換えられたせいだ。腹痛で悶え苦しむ家康に、農民に扮したホシが下痢止めを飲ませた。だから家康は脱糞しなかった」
「ちなみにホシは……」
 稲荷の言葉に、井戸田警部は一拍置いて返答した。
「いつもの東京翻訳センターだよ」
 東京翻訳センター。全国チェーンの英会話教室を運営する東証プライム上場企業。だがその裏では、創業者の社長が日本の歴史を美しく作り変えようと組織的に歴史干渉を図っていた。
「苦労して育った人はこういうことをしがちですよね。汚い歴史を修正したがるというか」
 社長は雪深い青森の極貧家庭に生まれ、刻苦勉励を重ねて東大に入学。その後起業した英会話教室が成功し、売上高一〇〇〇億円を超える優良企業へ成長させた。
「典型的な成り上がりだよ。過酷な環境に生まれて努力だけで這い上がってきたヤツほど、意外と現実の汚さを受け入れられない。独りよがりな美しさを混沌とした現実の社会にしつこく求める。社会が変わらなきゃ破壊する。そんなヤツは、たとえ肩書が社長でも政治家でもね、テロリストと一緒だよ」
 井戸田はしみじみ言うと袖机を開け、大きい筒状の物体を取り出した。
「稲荷、つーわけで任務だ。元亀げんき三年の三方ヶ原へ行って、家康を脱糞させろ。ビチビチに下痢便させろ。翻訳センターの輩どもをなんとしてでも阻止して、絶対に下痢止めを飲ませるな。もし下痢止めをすでに飲まされていたら、こいつを家康の口にぶち込め。屈強な三河武士もこの下剤なら秒で下痢する。どんな卑怯な手も使っていい。絶対に、絶対に、家康を脱糞させろ!」
 井戸田警部は目を輝かせて稲荷の肩を叩いた。井戸田警部のもう片方の手はビンを持っていた。ビンの中では灰色の液体が鈍く輝いていた。

 

*     *     *

 

 夕暮れ時の三方ヶ原の枯野。いたるところで烏たちは鎧の隙間に嘴を突っ込み屍肉を貪っている。そんな地獄のような三方ヶ原を稲荷はジムニーで疾走していた。
「もう嫌だ、転職してやる!」
 文句をぶちまけながらアクセルを思い切り踏み込んだ。
 やはりタイムマシンはジムニーに限る。デロリアンじゃダメだ。車高が低くエンジンが弱いし、電気系統がすぐ壊れる。とてもじゃないが激動の日本史には耐えられない。日本中、いや世界中どこでも走れて、車体が小さく目立たないジムニーがいい。
 ジムニーは茂みに突っ込んだ。稲荷は停車させると急いで双眼鏡を取り出した。
 双眼鏡を向けた先、丘の上を馬が狂ったように走っていた。馬は死体も甲冑も蹴散らし、馬上に跨る男はギョロ目で痩せこけた顔を無様にさらしていた。
 あれが家康だ。仕事でもう何度も見た顔だ。現在、武田信玄に殺されかけ、浜松城へ敗走中。人生最大のピンチ。家康は腹を抱えて顔が歪んでいる。おそらく下痢便発動タイミングが近い。家康の腸も人生最大のピンチ。なにせここで脱糞すれば、家康は江戸幕府を開いても豊臣家を滅ぼしても、クソを漏らしたクソ野郎として数百年後も語り継がれてしまうのだ。
 出発しようとジムニーのドアを開けると、耳につけたPチャンイヤホンから井戸田警部の声が聞こえた。
「家康は見つかったか? そろそろ下痢止めが渡されるはずだ」
「警部、まったくその気配がありません」
 糞を我慢する家康の進む先は、ただの枯野が延々と広がっている。生きている人間の気配すらない。
「どこにいやがる…!」
 双眼鏡であたりを見渡す。ふと、枯野で倒れていた足軽がふらふら起き上がった。背中に刺す旗には『厭離穢土欣求浄土おんりえどごんぐじょうど』の字。家康軍の旗印だった。
 足軽の手は、この時代に存在してならないものを握っていた。細長い容器、先端には長い針、そしてライフル。――麻酔銃だ。一九五〇年に発明された麻酔銃はもちろん戦国には当然存在しない。
 ヤツがホシだ。だが、最初に聞いていた話と違う。出発前、井戸田警部はホシが農民の格好をして家康に近づくと言っていた。どうやら下痢止めを渡す世界線と麻酔銃で打つ世界線が混ざっている。おそらく最初、ホシは農民に扮して家康に下痢止めを渡したのだろう。それを元の世界線で阻止された。だから東京翻訳センターはさらに別のホシを三方ヶ原に送り、下痢止めを麻酔銃で打とうとしている。
 稲荷は茂みを出た。目測だと足軽との距離は二百メートル。気づかれないよう静かに疾走。足軽は屈んで弾を込めていた。
 絶好の機会。音を立てないよう細心の注意を払って枯野を走ると、イヤホンから井戸田警部の急かす声が聞こえた。
「早くしろ。そろそろ足軽、、に扮したホシが家康に近づいて下痢止めを飲ませるぞ」
 井戸田警部の言うことが変わった。さらに別の世界線も混じってきやがった。
「そこまでして脱糞させたくないのかよ」
 稲荷は枯野を走り切り、足軽の後ろに回り込んだ。足軽は麻酔銃を構え、じっと前を見つめていた。
 今だ。下剤の蓋を開ける。稲荷は足軽を羽交い締めにすると、下剤を口へねじ込んだ!
「後の天下人に銃を突きつけるなんて、ただのサラリーマンにしちゃあ度胸があるじゃねえか。ほら、たっぷり飲ませてやるよ」
 稲荷が吐き捨てる。足軽はうめきながら、茹で蟹のようにじたばた藻掻いた。中身を半分ほど飲ませて、口からビンを外すと足軽が叫んだ。
「公安め! うわ、なんだよこの不味い液体。俺たちの税金でこんなクソ不味い飲み物を飲ませるな!」
「クソ不味いのは当たり前だ。これは下剤。貴様は今からここでバチクソのクソを漏らす。それよりも、なんで歴史を修正しようとするんだ」
「社長に殺されたくないからに決まってるだろ。これ以上、殴られたくねえよ!」
 足軽が青く腫れた目を指さすと突然、雄叫びを上げてのたうち回った。尻からはビチビチという破裂音とブッという重低音が、交互に、そして不規則に流れて、暗褐色の臭い液体が地面にみっともなく垂れていった。稲荷の服にも、足軽の下痢便がかかった。
「下痢便で俺の服を汚しやがって。ふざけんな。元亀三年十二月二十二日酉の刻、公務執行妨害で現行犯逮捕する。ムショのほうがお前らの会社よりも楽だろうよ!」
 すぐさま手錠を取り出して足軽の手首に嵌めた。「不当逮捕だ!」と叫ぶ足軽を蹴倒して、双眼鏡で家康を見る。馬上の家康は呆然として、馬の背中からは暗褐色の液体が滝のように流れていた。家康も盛大に下痢便!
 仕事が成功して稲荷は感極まって叫んだ。
「ビチクソのクソを漏らしたな、家康ぅ!」

 

*     *     *

 

 井戸田警部はオフィスのPCで、名古屋・徳川美術館のWebサイトを真剣な目つきで見ていた。
「歴史は無事に守られた、か……」
 井戸田警部は大きく息を吐いた。画面には家康の袴の写真が表示され、股は一面が汚い褐色に染まっていた。

2023年7月20日公開

作品集『アマゾンの段ボールをヴィリヴィリ破いたら~、ヌルヌルルサンチマン近大マグロでした〜。チクショー!!』第3話 (全10話)

© 2023 眞山大知

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"脱糞せよ家康"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2023-07-29 17:42

    三方ヶ原の戦いの家康ウンコ垂れエピソードを現代劇に仕立てる発想はお見事です。歴史を改変しようとする勢力と戦うという物語は他にもありそうですけど、家康の脱糞をやり遂げさせる話なんて聞いたことがありません。
    犯行組織は十分儲かっているのに、なんでわざわざ歴史を変えたがるのか動機がよく分かりませんでした。組織トップ自ら武田信玄の格好して出て来てくれたら良かったかも、などと妄想を呼びました。

    主題とは関係ありませんが、鞍の前輪後輪があるので馬の背に下痢便は流れないんじゃないかなと思いました。袴は脛巾で括り付けてたっつけ袴状態になっていたので裾から流れ出ることもなかったと思うんです。袴の中身がウンコだらけでぐちゃぐちゃだったでしょうからそれはそれで情けない状況ではあります。

  • 投稿者 | 2023-07-29 17:51

    まさか下痢の話でSF歴史小説が出てくるとは!
    歴史改変を改変したら歴史改変になるのでは?
    いや、でもすでに歴史改変されてるわけで……と悩みながら読みました。警察も組織も大変ですね。翻訳センターにはきっとビッグモーターの幹部みたいなのがいるんですね。

  • 投稿者 | 2023-07-30 01:22

    たしか日本書紀でも白村江の戦いのくだりで追い詰められた倭国の兵士たちが苦しんで脱糞したという記述があったのを鑑みましても、戦場での脱糞というのはおそらく珍しくなく、家康のそればかりが言われるのは少々アンフェアなのではないかという気がします。ともあれ、翻訳センターの社長が自分の個人史ならともかくなんで日本史そのものまで美化したいのかという理由が今一つわからない気がしましたが、理由のわからない事で争うところに面白みがあるのかもしれないなとも思いました。

  • 投稿者 | 2023-07-30 08:42

    歴史改変SFは好きですが、こういった描き方もあるんですね。翻訳センターが家康の功績をたたえるために脱糞しなかったことにするのであれば、元服直後に今川義元を射殺して今川領を征服、そして武田群をマシンガンで一掃すれば楽に天下が取れたのでは?と思いました笑

  • 投稿者 | 2023-07-31 02:28

    まさかのタイムパラドックスものとは! 発想が素晴らしい上にストーリーも描写も淀みない。特に「とてもじゃないが激動の日本史には耐えられない」の一文には痺れました。文句なしの星五つ!

  • 投稿者 | 2023-07-31 15:41

    有名なエピソードにこう言うのがあると大変だなーって思いますね。でもまあ、それもまたその人の有名税なんでしょうかね。
    あと、ジムニー最高。

  • ゲスト | 2023-07-31 18:01

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  • 編集者 | 2023-07-31 19:20

    家康のある意味有名なエピソード、誰か扱うかも知れないと思っていたが、やはりいた!しかしタイムトラベルまで組み合わせるとは。しかし天下を取る人間はクソくらいなんともないぜ。頑張れ家康!

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