レーニン光線

応募作品

Juan.B

小説

3,966文字

スターリンは寝床で不規則な就寝から目が覚めた。嫌なことが続いている。

※合評会2022年5月出品作

「レーニンは……」

ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンは、執務室の日めくりカレンダーを自分でまくりながら言葉を漏らした。スターリンの手元に1924年1月22日の日付が現れるのを見ながら、側近たちはいつになくリラックスしていた。それに反比例するように、スターリンの手は震えている。

「ゴールキから何の連絡もないんだな」

「昨日、議長を訪れたブハーリンによれば、同志は元気そうだとのことですが」

「元気……それはブハーリンにとって元気ということか。俺に対する‟元気”では無いのか」

側近達は顔を見合わせ、何と言葉をかければ良い事か悩み始めた。スターリンが何を恐れているかは分かっていた。自分が他人を消してきたように、レーニンが脳梗塞から回復して自分を消すのを怖がっているのだ。その時、フェリックス・ジェルジンスキーが声をかけた。

「書記長。お気持ちお察しします。同志レーニンの健康へかける書記長の思いは私たちにもいたく伝わっています」

「……」

スターリンの冷ややかな目線にも関わらず、ジェルジンスキーは猫なで声のような言葉を続けた。

「トロツキーにも先んじなければなりません。書記長と同志レーニンを繋ぐべきは、ただの電報や電話、手紙などではないのです。もっと直接的なことです、医療です!」

「つまり、俺に、医療に見せかけてレーニンをころ」

「はい! 全ソビエト、いや全世界の労働者同志たちは書記長による同志レーニンへの医療に、こう、魅せられているのです! もし書記長による、それも創造的でソビエト的な医療の手配によりレーニン同志が回復されれば、書記長への信頼とソビエトの科学力、全国力が医療その物によって証明されるでしょう!」

スターリンが何か決定的な言葉を漏らす前に、ジェルジンスキーは官能的な大声で応えた。その後、両脇にいたヤゴーダやメンジンスキーに目配せをすることも忘れなかった。側近たちも制帽を揺らしながら大きく頷いた。ヤゴーダの弱気な答えが最後に付け加えられた。

「仮に同志レーニンが回復されなかったとしても、それはまあ、人間死ぬものですから、仕方ないので……」

「同志たちの言いたい事は良く分かった。しかし、既にソビエトとして……一応の、まあ、最大の医療体制は敷かれている。この俺が、俺らしく、俺のために、それ以上に同志レーニンに提供できるものといったら……」

「未来派医療です」

何、とスターリンが聞き返す前に、ジェルジンスキーは新聞を広げた。その一角には、イタリアの未来派運動が、未来派医療というものを始めたことが載っていた。

「マリー・キュリー博士によるラジウムの研究などのように、放射線は早くも医療に応用されている所です。スウェーデンでは子宮癌の治療にラジウムを使っているとか。そしてイタリアの未来派医療は、近代工業社会を越え、放射線を浴びることにより超人の誕生、原子社会を目指しているとのことです。例えば超肥満者にラジウムを投与させ続ける事で、全身から血が噴き出し、餓死寸前までに痩せたとか、乳幼児にレントゲンを浴びせ続けたところ、皮膚の色を変えることに成功するなどの例が出ています。これからの時代は未来派医療です」

医学にそれほど関心がある訳ではなかったスターリンは、ふうんと頷きながら目線を下げた。

「放射線というのは、何か、ワイヤーみたいなものなのかね」

「目に見えないのです。無線などと同じです。コンゴからラジウムの試料がアカデミーに届いています。それをレーニン同志の周囲に置き……」

「目に見えないのか。そうか。何が起きているのか分かったり分からなかったりするわけだ。ちょうどチェーカーと同じだ。ハハハ」

わざとらしいスターリンの笑い声に、側近達も乾いた笑い声を出した。

「何が起きるか分からないが、多分いい事が起きるんだろう。それもチェーカー、GPUと同じだ。それをやってみろ。この俺の命令だ。成功した暁にはスターリン=レーニン療法と名付けよう」

 

~~~

 

ゴールキの、レーニンの別荘の庭に、大きな温室が出来上がった。温室を作り上げた工兵たちが、偉大な議長レーニンのために仕事が出来たことに爽やかな気持ちを覚えながらクワスを飲んでいた頃、別のトラックが別荘の庭に入っていく。

「ンッグッ」

温室の中心で、車椅子に乗ったレーニンは体を強張らせていた。警護人や看護人たちが、トラックから運び出したラジウム鉱石を次々とレーニンの周囲に置いていった。倉庫から長らく同乗していたアカデミーの機密担当者は、喉の辺りに違和感を覚えながら、ひときわ大きな鉱石をどんと放り投げた。更に、レントゲン装置も医者とともに運び込まれた。

「あの、しかし、何度も申し上げている様に、レントゲンは浴びすぎると……」

「良いから、やるんだ。ここで見た事は絶対に外に言ってはならない」

GPUの担当者が、ホルスターの辺りを撫でながら、渋る医者を顎で指図した。レーニンは目を泳がせながら、ウンと何か頷いている。派遣されてきたメンジンスキーが後から入り込み、レーニンに目線を合わせ、話しかけた。

「同志レーニン。同志スターリンの手配により、これより毎日この療法を行って頂ければと思います」

「ンガッググ」

ピーナッツを喉に詰まらせたような声を出しながら、レーニンは明後日の方向を向いていた。

「同志スターリンは全ソビエトの医療の粋を集めたこの療法で、同志レーニンが回復されることを願っております」

 

メンジンスキーが外に出ると、穏当に排除したはずのレーニンの妻ナデジダ・クルプスカヤと、いつ来たのかレーニンの兄で医者のドミトリー・イリイチ・ウリヤノフがGPUに食ってかかっていた。

「おい、弟に何をするんだ! お前等何をしてるんだ!」

「そうです! 説明をしなさい!」

「同志。落ち着いて下さい」

「あれはレントゲンだろう! あの至近距離で何をする気だ! 放射線は危険なんだぞ!」

メンジンスキーは顎を振り、GPUにドミトリーとナデジダをトラックの方で“落ち着かせる”ように指示をした。

「以後は、経過が良くなるまで、同志スターリンとその許可のある方以外全員面会謝絶です」

 

~~~

 

レーニンは昼間、温室にずっと放置されていた。レントゲンの技師もどこかに行ってしまった。みんなどこかにいってしまった。いるのは、よく分からない、何か光っているようにも見える石ころたちだけである。最近、体の芯が特に暖かい気がする。

「うんぐぐ」

自分で自分の感覚も制御できなくなっている。時折、記憶すら制御できなくなる。忘れるのではなく、白昼夢の様に過去に引きずり戻されるのだ。派手な活動ばかりやって来たので、派手な夢ばかりが繰り返される。あちこちを襲い、労働者のために戦ってきた。城内平和で尻込みしたバカどもを罵っている。スターリン、お前には絶対にソビエトの未来を渡さない。お前は悪魔だ。だが、お前が悪魔だということは、お前と共に戦ってきた俺も悪魔なのだろうか。とにかくスターリンに任せる事は出来ない。誰かペンと紙を! あいつを排除しろ! 誰も来ない。誰も。誰も。誰も……。しかし不思議なことに、無数の声が聞こえてきた。

「親父! 元気出せよ!」

「父さん!」

親父、父さん、とは聞こえるが、自分に息子はいない。そしてこんな思い出もない。同志たちを息子と呼ぶのも失礼だろう。それは封建社会の論理だ。それにしても何だか可愛らしい声だ、とレーニンはようやく口の隅をどうにか動かし微笑らしい表情を浮かべた。誰だ? と心の中で聞いてみる。

「あんたの精子だよ! 喋れるようになったんだよ!」

 

~~~

 

一ヶ月後、ゴールキのレーニン別荘に、一人でスターリンは訪れていた。辺りに全く人気は無い。GPUから送られてきた奇妙な手紙を懐に、震える手で扉を開けた。

「同志……」

「よう!」

とても可愛らしい声がどこかから響いている。それも、何人、いや何百人という微かな声がする。スターリンが邸宅を抜け、庭に出ると、温室は破壊されていて、そこには五メートルほどの人間らしき塊が微笑んでいた。

「ソビエトの未来はウォウウォウウォウウォウ」

スターリンは目を伏せながら、手紙をもう一度見た。大した教育を受けていないGPUの担当者のヘタクソな筆記体が続いている。

 

同志レーニンは可愛らしい声で話す様になったよ。それも一度に相当の発話が出来るんだぜ。やべえよ。それと、体が巨大化した。特に睾丸とペニスがでかい。俺のよりも。大変なことになっている。それと、遠隔思想受精が可能になった。

 

「レーニン……」

「ぼく、レーニンの思想的精子!」

その時、レーニンの思想的精子が、スターリンの脳天に形而上学的に飛び掛かり、前頭葉から後頭部を貫いた。スターリンが卒倒した後、突如別荘の二階が破壊され、そこからどろどろになったナデジダが汁を引きずりながら現れた。それがスターリンの体の上を通ると、スターリンは溶けてしまった。

「合体!」

妻のナデジダがレーニンの巨体の上をはいずり回り、肩からマントの様に覆いかぶさって融合した。レーニンの巨体のあちこちにラジウム鉱石が埋め込まれ、胸の辺りには相当変形したレントゲン装置が嵌め込まれていた。そして兄のドミトリーが、この腐った世界を修正するためにレーニンに乗込んでいた。

「くらえ! レーニン光線! びーっ」

自分で擬音を発しながら、レーニンは胸のレントゲン装置を発光させ、青い光をモスクワの方向へ放った。

 

ジェルジンスキーはクレムリンで青い光を浴びながら、世界について考えた。なぜ、我々は、そして世界の全ての文明は、愛を基調にした社会を築けなかったのだろうか。

 

(終)

 

2022年5月22日公開

© 2022 Juan.B

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"レーニン光線"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2022-05-25 22:11

     ほとんどの読者はジェルジンスキーもブハーリンも知らないだろうし、短い話の中で登場人物名が増えれば増えるほどごちゃごちゃしてくる。レーニンの兄や妻も含めて登場させなくても作品は成立したのではないか。掌編なのだから場面数ももっと減らす工夫をしたい。その一方で、ソ連のことをあまり知らない若い読者のために、レーニンとスターリンの人物像や経歴、二人の関係ぐらいはざっくりとでも作中で伝えた方がいいと思う。/内容はブラックユーモア系SFホラーという感じで気軽に読める仕上がりだが、被爆者やその家族の人たちがこれを読んだらどう感じるのだろうかと、ちょっと心配。

  • 投稿者 | 2022-05-28 01:17

    この物語を読んだら、写真のレーニンの目が完全に何かをキメてイッチャッてる人のそれにしか見えなくて不謹慎にも笑えた。遠隔思想受精のくだりは筒井康隆っぽくて毒が効いている。

  • 投稿者 | 2022-05-28 08:10

    ホアニズムの極みとも言えるケレン味たっぷりの作品に仕上がっており、無限のパワーを感じる。これが原子力か。サザエさんネタなど要所に庶民的センスを交えるあたり、ベストセラー作家としてのサービス精神の芽生えを感じた。

  • 投稿者 | 2022-05-28 08:33

    梶尾真治の短編に、水虫に悩まされている男がプルトニウムを盗んできて足に照射したら白癬菌が突然変異して巨大化し暴れ始めたという話があって、それを思い出しました。

  • 投稿者 | 2022-05-28 08:44

    プーチンが抱くレーニン像への思いというのが、日本人男性が抱くウルトラマンへの憧憬と似たようなものではないかという気がしてきて、改めて恐ろしくなってきます。

  • 投稿者 | 2022-05-28 11:10

    ここからあれなんですかね。岩盤浴っていう文化というか、ああいうのが始まったんですかね?

  • 投稿者 | 2022-05-28 23:19

    ちょっと『運命の卵』ぽくもあるなと思いました。あれは赤い光線でしたが。
    Juanさんの作品は大体いつも一番最後に来るので、作風と相まってそれまでの全作を(良い意味で)茶化すサテュロス劇のようなものを感じます。そう深刻になるなという解毒剤的な。

  • 投稿者 | 2022-05-29 00:41

    ソ連からきっちり時勢に乗ってウルトラマンを引っ張ってくるあたり、素晴らしい。シン・プーチンで長編を書いてほしい。

  • 投稿者 | 2022-05-29 01:24

    難しくてよく分からなかったです。
    すみません。

  • 投稿者 | 2022-05-29 13:32

    前後のギャップが凄まじいですね! 今回は終始このトーンでくるのかと身構えましたが、徐々にジェットコースターが加速していくように、いつもの凄まじいブラックユーモア?の世界へ取り込まれました。
    精子が自我を持ったら、主(?)は父ポジションになるんですね。産んでるから母?とかいろいろ考えました。でも産んでもないのか……。

  • 投稿者 | 2022-06-12 23:14

    ここで出てくる「未来派医療」というワード、ほんとうのソ連でももしや使われているのでは思いました。共産主義の革命(世界を「未来へ」前進させる・好転させる、みたいな)思想と変に親和性が高そうです。で、突然精子が喋れるようになったあたりで声出して笑いました。

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