二〇二二年の癲癇

破滅派18号「検閲」応募作品

Juan.B

エセー

12,584文字

Juan.Bの活動と規制の記録。

高橋文樹氏より、かつて俺が受けて来た検閲や規制について一文書かないか、と依頼が来た。「破滅派」と「規制」と言われればJuan.B、というイメージがどこで出来たのか知らないが、確かに俺はこの種の問題について、向き合いたくもないのに向き合うことが続いてきた。そして破滅派に来ることになった。だが、このさまざまな「なる」「こと」という言葉の一つ一つが、二文字では済ませられないものだ。

この文章が載ってみなさんの手に届く頃は、俺が破滅派に入ってから七年目を迎えている頃だろう。二〇一五年十一月に破滅派に入ってから、七年。歳月は誰にとっても残酷で、ある者にとってはさらに残酷である。はっきり言って振り返りたくない。いや、本を出したこととか、都合の良い記憶は良く振り返るが……。

 

振り返ってみれば、生まれた時から正常に出生せず、息が止まったまま帝王切開で引きずり出された後、詳しい事は知らないが通常よりも長く保育器にぶち込まれていた。出生時から監視と規制に俺はまみれていた。小学校でも、虐めや学年崩壊の中で周囲との全面対決に陥り、半保健室登校に陥らされた。都合の悪いものを、何やら言い含めて「教育的措置」としてオブラートに包みながら排除する。そういうこともある。

とにかく子どもの頃から、このステレオタイプな混血と言う出生と、生き方自体が、何らかの規制と監視と排除とにまみれて来た。そして俺にはこの様子を、たとえば歌やラップで語る才能も、絵で広く表現する才能も無かった。ただ識字のみがあったので、俺が自分のことを何か表現するとすれば、それは文章そして小説しかなかったのである。

 

 

マゼランが来て

 

中学生活後半のある日。その頃は周囲に比較的恵まれ、「政治的」な事はあまり考えていなかった。そんなときに、何気なく入ったあるブックオフで、一冊の、チープな朝日文庫を掴んだ。本多勝一『マゼランが来た』。本多勝一と言う名前に色々刺激される向きもあるだろうが(『中国の旅』から『日本語の作文技術』まで)、そのときは何も知らずにその本をパラパラと捲り、何やら世界旅行の紀行文に思えていた。写真も多いしたまにはこういうのを読むのも良いだろう、と考え、百円で手に入れ、約二十数年遅れで「今時・今更」本多勝一の本を読み始めたのである。当然、それは俺の思っていた内容とは異なっていた。大航海家にして世界一周中に非業の死を遂げた、とされるマゼランの、しかし彼に「寄港・発見」された側の人々・民族・文化が以後どの様な命運と苦難を辿ったかの記録である。

この様な書き方すら、今から見れば「チープ」なのかも知れない。だが、俺はそこに書かれていた人々の姿(そこには混血もいる)に、妙な胸騒ぎを覚えたものである。単純に、見向きも描かれも代弁もほとんどされて来なかったもう一つの世界史であり、もう一つの戦いであり、もう一つの生き方、というものがあるのだと。

俺の親父の本棚には小林よしのりの漫画『戦争論』が鎮座し、俺の本棚には本多勝一がいる、その奇妙な磁場が何かを産み出したかもしれない。それをきっかけに、様々な本を以前に増して読みふける様になった。そして数年後、俺は様々な出来事を経て、文章で自身を表現する道に入ることとなった。小学校時代に訳も分からず散々発揮し、そして忘れていた、原始的な「政治性」が再び俺の身の回りに現れ始めていた。

 

知人の死、差別的な職質、ネット右翼の興隆、都条例などに代表される表現規制問題……様々な物が、思春期の俺自身を取り巻いていた。表現規制というものには、まさに青少年時代から嫌悪感を抱いていた。「あッ! 花子ちゃんが匂い付き消ゴムを持ってる! いけないんだー!」とでも言う様などうでも良い出しゃばりの矮小な自称正義感が、ある時は「健全育成」と呼ばれ、またある時は「社会的責任」と呼ばれる。そしてこの様な物が満たされるために、真っ先に少数者が標的となる。俺は平気でエログロ表現に触れており、文部科学省が歓迎する様な「健全な青少年」になどなる気は無かったし、そもそも俺が「健全」になったところで、それは出自的に利用しやすい、見せかけの多様性の駒になるだけだろうということは分かっていた。

しかし、嫌悪感を抱くだけで、例えば、有名かつ悲劇的な死を迎えた山田かまちの如く、青少年なりに何か主体的な創作をしていたかと言えば、それほど劇的な物は出来なかった。ただ、小説と言う手段には惹かれていた。識字とタイピングだけは、俺に対して平等であった。高校生活の後半ごろから、幾ばくか小説とでも言う様なものを書き始めた。そうした表現の初期から、規制と検閲は確かに、俺に取り巻いてきた。

 

 

「小説家になるな」

 

今号で、二〇一四年ごろに執筆した拙作『1988年の強姦』(ゲーム版は「1988 OCT」)を諏訪靖彦氏が取り上げ、「検閲」してくれた。この作品は、確かに非常に思い出深いものであった。今読み返すと、技巧的に書き改めたい部分など幾らでも見つかるが、その様な事は問題の本質ではない。そして俺は以前、確かにこの作品を検閲され、些細な部分とは言え自ら「書き改めた」ことはある。

二〇一三年頃より、ブログを始め(現在はサービスごと閉鎖してしまったが)、俺は様々な記事を投稿しつつ、また小説も投稿していた。それなりに読者もおり、毎回コメントしてくれる知人もいた。ある時、その知人は、『攻殻機動隊』と言うアニメ(もとは士郎正宗の漫画だが)の、「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」云々という台詞を俺にぶつけて来た。俺はそれに対して全く感動もせずウンザリしたし、その台詞が単に作中の描写(キャラクターのその後の成長など含め)を離れて散々切り取られ、引用者に都合の良い様に振り回されている言葉であることに気付いていた。だが同時に、切り取りとはいえ漫画やアニメが確かにこうも(臭い物にフタの追認として)多くの人間に影響を与えることについては感銘を受けており、そしてその様な表現が「我々の側」には無いことに気付かされもした。ひっくるめて言えば「上を見るな」と言う言葉が持て囃される。自分が「ふつー」だと思っている人々とその社会は、上を見て欲しくないのだ。上を見続けたら何が出てくるのだろうか。幕末の尊皇志士(往々にしてテロリストだが)も、藩で対処できぬ問題を上の幕府に、そして幕府で対処できない問題をさらに上の天皇に求め、そして実人間の天皇に対処できないならば「国体」なんてものまで作り上げて、この国を作った。俺はその逆算をしているに過ぎない。

表現の中で、体制や社会に順応しない「何か」は得体の知れないものとして描かれ、少数者の抵抗(明治維新の様に成功したテロは「テロ」とは呼ばれない)は常に否定され・乗り越えられるものとして描かれる。本当にそうだろうか? 無数にある表現なのだ。単純に、何千回と放映されている『アンパンマン』でも、一回くらいバイキンマンがアンパンマンを本質的に「破壊」する話があっても良いのではないか。いや、俺が知らないだけでそんなものは有り触れていて、また人知れず「元々その様な作劇は有り得ない」故に否定されているのかも知れないが……俺がやっても良いのではないか。

 

二〇一四年頃にオンライン文芸サイト「小説家になろう」に登録し、俺の出自や「日本」との向き合い方を描いた小説を、最初はブログから転載し、後に書き下ろす様になった。多くは無いが、好意的な反応もいただいた。周囲の作品やランキングの常連を眺めながら、明らかに自分の作品が、オンライン文芸とでも言う物には沿っていないことは分かっていたが、あらゆるものを包含するのがネットである。そもそも小説では無いものも散々投稿されているのだし、まさか自分の作品が規制・検閲の対象になるとは思っていなかった。

『1988年の強姦』の詳細についてはここに語ることではないだろうが、瀕死の昭和天皇の描写や、日本の社会における軋轢、巡る暴力が描かれる。その全てを詳説などしない。そして人がこれらを「真面目」に見ようが「悪趣味」「ポルノ、エクスプロイテーション」として見ようが、それは構わない。それが表現である。ただ、「小説家になろう」の運営は、俺の小説で「興奮」したようである。

 

二〇一五年十月、突如「小説家になろう」からメールが届き、『1988年の強姦』が性的に露骨なために規制するとの通知が来た。俺の表現がR18相当であり、R15か全年齢描写に書き換えなければ削除すると言う。しかし周囲を見回せば、所謂「全年齢」でも、幾らでも暴力やセックスの描写はあり触れている。何者かの密告か、運営の暇つぶしか、理由は分からないが、なぜ俺の作品が規制されなければならないのか、曖昧にしか示されていなかった。恐らく、政治的な描写への規制こそが本来の目的だったのだろう。知る限り、「小説家になろう」で天皇と日本の社会をあのような形で描写しているのは確かに俺だけであった。だが同時に、性表現で規制するというならば、運営は恐らく俺の小説を読み、興奮し、もしかすれば陰部を湿らせたかもしれないということでもある。

その時、仕方なく俺は多少の修正を選んだ。後半の描写は故にマイルドな物となった。これでもはや文句は来ないであろうし、面倒ごとも無いだろう、と思っていたが、しかし性描写が本題ではないことによって、再び俺は強制的な規制に晒された。「描写を改めた」「改まっていない」の押し問答の末、11月6日に小説は運営により削除された。俺は「小説家になろう」と言うサイトの、「なろう(なる)」と言う意味が分からなくなった。なろうにとって、俺は小説家では無いし、俺の感覚や記憶や諸々は小説に値しないのだ。それはよい。そして、放浪が始まった。

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2022年10月14日公開

© 2022 Juan.B

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