ほんと愚図

応募作品

曾根崎十三

小説

18,977文字

暴力をふるうことも暴言を吐くこともほぼないクリーンな主人公です。

スクランブル交差点で信号待ちをする人々に猛スピードの軽自動車が突っ込んだ。中学生くらいの子供が血まみれで泣いているのが見える。人間も肉で構成されているのだと突き付けられる惨状。悲鳴。嗚咽。車から眠そうな顔の人物が降りてきた。居眠り運転でもしていたのだろうか。いや、違う。その人が手に握りしめた物に気付いてすぐに分かった。わざと人間を轢いたのだ。そう思った時、その人は鉈を振り回し、泣いている子供に切りつけた。一際高く血飛沫が上がる。逃げ惑う人達がぶつありあい、あちこちで人が転んだり、踏みつけられたりしている。ドミノ倒しになって怒号をあげる人たちがいる。目の前で赤ちゃんを抱いた女性が転んだ。その人は二人に容赦なく鉈を振り下ろした。獣じみた悲鳴。親子が血にまみれた人型の塊になるまで執拗に嬲っている様子だった。返り血を浴びたその人がゆらりと近づいてきた。影が私を覆う。

「ごめんなさい」

自然と口をついて出た言葉だった。ごめんなさい。鉈を持っているとすぐ気付いたくせに何もできなくて、ごめんなさい。私が代わりになっていれば殺された人たちは生きていたかもしれないのに、ごめんなさい。子供が泣いているのをただ黙って見ていて、親子が転ぶのをただ黙って見ていて、ごめんなさい。役立たずで、ごめんなさい。私なんかがまだ生き残っていて、申し訳ない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私を殺させて、ごめんなさい。私を殺した分罪を重くさせて、ごめんなさい。私がこんな所にいたのが悪いのに。いなければ私を殺すことなどなかったろう。生きていて、ごめんなさい。目の前が赤くなる。切られたのだろうか。不思議と痛みはなかった。

飛び起きて、時計を確認する。まだバイトには十分間に合う。目覚ましをかけなくても自然と遅刻しない時間に目が覚める。

またこの夢だ。全体が白っぽく、芝居じみた現実感のないあの夢。しかし、気持ちだけは嫌に現実的だ。私はきっと、目の前で同じことが起これば同じ感情を抱くのだろう。

世の社会人は私より遙かに厳しい環境を生き延びているのだとバイト先のコンビニオーナーは言う。大学卒業時に就活に失敗してから私はもう三年もコンビニでフリーターとして働いている。在学中も合わせるともう七年近く働いていることになる。情け深いオーナーは私のことを解雇せず雇ってくださっており、頭が上がらない。

台所へ向かうともう朝ご飯は出来上がっていた。祖母もまたオーナー同様、優秀な人だ。いつも私の起きる時間に合わせて手作りの朝食を用意する。掃除も常に部屋の隅まで行き届いており、未だ現役でパートをしているというのに、いつも隙のない家事をしている。祖父は私が生まれる前に亡くなったが、その頃から働き者だったと生前の母が言っていた記憶が朧気にある。小さい頃から祖母に育てられていた私は、幾度となく彼女の役に立とうと試みたが、一度も役に立てた試しがない。祖母が私に任せてくれるのは風呂を沸かすスイッチを押すことと、新聞を郵便受けから回収することだけだ。それ以外は私がやるといつも足を引っ張ってしまう。私の失敗の後始末をするため、余計に時間がかかってしまうと言う。

「あなた就職先いつ見つかるの。全然バイト先で役に立ってないんでしょ。いつまでもバイト先で甘えてるつもりじゃないだろうね。あなたみたいなキチガイを置いとくのにも費用がかかるんだから。人様にいつまでも迷惑かけてちゃダメよ。ほんと頭も悪いし、何させても不器用なんだから。いつになったら努力できるようになるんだか」

仰る通り。祖母には何もかもお見通しだ。私は本当に頭が悪い。理解力がないため、幼い頃から小さな疑問に躓いて前に進むことができない。小学生時代に先生から「そんなことを気にしていたら話が進まないから」と怒られたことが何度あったろう。クラスメイトからも場を乱す奴だといじめられていた。お陰である程度は矯正してもらえた。いじめは必要だ。世の中の輪を乱し人様に迷惑をかけまくるであろうキチガイを矯正してもらえる。頭のおかしな奴がおとなしくなる。出過ぎた真似はしてはいけない、と学習する。高校時代のクラスメイトも言っていた。いじめは社会秩序を保つために必要だ、と。キチガイに社会常識を叩き込む。キチガイが一般人と一緒に過ごすためにわきまえる方法を教えて下さっている。勉強させていただき、ありがとうございます。今となっては感謝しかない。おとなしくなることが大人への第一歩。大人らしい。大人しい。

九時開始のシフトに間に合うよう家を出た。スムーズに行けば十五分前には辿り着けるが、不測の事態があってはいけない。遅刻しないよう足早に歩き、バイト先へと向かう。以前は自転車で通っていたが、飛び出してきた小学生とぶつかってしまったことがあり、歩くようになった。幸い小学生は無傷のようだった。驚いた様子だったが、私が狼狽えているうちに走って公園へ行ってしまった。大人が誰もいなかったので、誰も私を咎めることはなかった。だが、ひょっとしたら、あの子は見えない部分に怪我を負っているかもしれない。そして、その怪我が進行して歩けなくなった、ないしは亡くなったかもしれない。最近見かけない気もする。そのうち警察が私を逮捕しに来るかもしれない。その点、歩いていれば誰も轢かない。私は罪を重ねなくて済む。

汚いドブ川にかかった橋に差し掛かる。近所の高校生たちが待ち合わせをしている。私はその隣を猫背で通りすぎる。甲高い声で何がおかしいのかケラケラと笑っている。自分を嗤われているようで気になってしまうが、それは自意識過剰で、よくよく聞けば、彼女たちは通行人には露も通じない内輪ネタでただ笑い転げているだけなのだ。自分も高校生の頃はそうだったろうか。あまり友達はいなかった。数えるほどしかいない高校時代の友達とも随分長く連絡を取っていない。何をしているかも知らない。そもそもの問題として、私には友達が少ない。コミュニケーション能力は壊滅的だ。多田と、あと数えるほどしかいない友人は皆年下だ。私は友達に年下が多い。これも欠点だ。ツイッターで年下とつるんでる奴は性格に難がある、という話題が定期的に流行るのを見かける。大手掲示板でも見かけた。年下とつるんでいる奴は、年下から年上への気遣いを友情だと勘違いして威張り散らしている可哀想な裸の王様であり、対等な人間関係の築けないキチガイなのだ。大多数がそう言うのだから私もその手のキチガイであることは間違いない。

「いらっしゃいませ」

勤務開始後、早速、常連客の車が見えたのでいつものタバコを用意する。私でもこの程度のことはできる。ただ見て覚えれば良いだけなので、他のスタッフの手を借りることなく覚えられる仕事だ。それに、タバコを手に取れば側面にタール数が書いてあるので濃さもおおよそ覚えておくと良い。そうすればお客様が欲しいタバコを曖昧にしか言わずとも、即座に見つけ出すことができる。タバコを探すのにもたつく時間は無駄。タバコも覚えられない奴は給料泥棒だとオーナーも言っていた。確かに賃金を頂いているのだから、それくらいは当然だ。

「いつもありがとね。もっと若い子だったらテンション上がったんだけどなー」

常連客は軽口を叩きながら例のごとくやきそばパンとマルボロのブラックメンソールを買う。この人のパンは温めない。温めない人もいる。大抵、時間帯、客層、やってきた方角によって決まっているため、何も聞かずともおおよそ予想を付けて動くことができる。常連の場合は顔と行動パターンを頭に叩き込んでおく必要がある。こうしたこともなかなか覚えられず最初はよくオーナーからぶたれていた。今となっては懐かしい。昔の新人はぶたれて育ち、長年働いている者もいくらかいたが、ここ数年の間に、家業を手伝うなり、転職なり、引っ越しなりで辞めてしまった。彼らに比べると無能だった私が今もここで働き続けている。オーナーも「あんたここ以外じゃやっていけないわよ」と言っていた。確かに、コンビニより前に一度だけやっていた飲食店のアルバイトでは、力仕事もできず、オーダーミスも多く、一週間でクビになってしまった。私はここ以外ではやっていけない。オーナーのお情けで働かせてもらっている。今の新人はぶたれるとすぐに辞めてしまうので、ここではいつも人手不足だ。最近の若者は仁義を軽んじているとオーナーも頭を抱えている。オーナーの質の高い教育のおかげで、近隣店舗よりも来客数が多く、住民からの評価も高い。バックヤードにも本社からの表彰状が所せましと並んでいる。しっかり育つ新人が見つかるまで、せめてもの穴埋めができればと思う。なので私は努力しなければいけない。

幼い頃から刻みこまれている言葉がある。

「あなたのようなキチガイは何でも半人前にしかできないんだから、周囲の二倍努力して人並みになれるの。二倍でも足りないかもしれないね。周囲より抜きん出たいというのなら、四倍でも八倍でも努力なさい」

祖母はことあるごとに私に言った。両親は幼い頃に二人そろって交通事故で亡くなったので、私の唯一の肉親は祖母だけだ。祖母はいつも私に「脳に障害があるキチガイ」と言っていたので、何度か本当に病院に行こうとしたが祖母から猛反対された。家からキチガイが出るなぞ恥、と言う。障害は治らないのだから医者になぞ行っても無駄だ、と。それに、医者に断定されていないキチガイはキチガイではないらしい。何だか哲学的だ。認識されないものは存在しない、みたいなことだろう。祖母はあの時代に珍しく大学まで出ている才女だったので頭が良い。誇らしい。私はキチガイ認定を受けていない野良キチガイとして社会生活に溶けこむことができている。それも寛大なオーナーが私を雇ってくださっているお陰だろう。人員不足の穴埋めをしなければならないのだから、本来であれば他の人よりもはるかに抜きん出なければいけない。ならば私は私のペースを四倍、いや八倍にあげて努力しなければとても求められる実力には及ばないだろう。

こんなとりとめもないことを毎日思い出している。他人からすると簡単なことらしいが、私には理解できないことが多い。ひょっとしたら私の周りが皆キチガイなんじゃないかと思うことがある。しかし、そんな迷いこそが私がキチガイである証拠なのだ。皆がキチガイに見えると言うのなら、キチガイなのは私なのだ。私だけの常識は社会の非常識である。

「何言ってるんですか。じゃあ先輩は皆が死ねって言ったら死ぬんですか」

昨日一緒にランチへ行った時に多田が言っていた。心底不思議そうにしていた。私は首を傾げた。彼女はたとえ自分しか主張しない事があっても、上手くやれば社会の常識すら変えられると心の底から信じている。クラスでいじめを見たら上手に根回ししながら止めるタイプだ。実際にそんな話もしていた。それができる時点で彼女の主張は既に社会で通用しているのだ。彼女は自らが常識を作ることができるある種の天才だと思う。ああ、そういえばお礼を言っていなかった。私はノーゲストのうちにこっそりレジを抜けて多田にメッセージを送る。

「昨日はありがとう。迷惑かけてごめん」

これではまだちゃんと感謝を伝えられたことにならない。結局昨日もランチ中にオーナーからの「今どこ? あ、そこからなら一時間で来れるね。じゃあ一時間後お願い」といういつもの突発シフトの電話が入り、途中で早々と切り上げることになった。「断れば他の人が犠牲になるの。あんたがやらなかった責任を誰かが負うことになる」と、オーナーは言うので、最近は迷う素振りも見せず快諾している。その程度の学習能力はある。多田は怒っていたが、私がいくら多田に謝っても「そうじゃないです。何で怒らないんですか」と言っていた。私が何に怒れば良いのだろうか。いくら恩返ししても、恩は返しきれない。多田のために時間を割けなかったのは私がそんなタイミングに約束してしまったのが悪い。別の日の候補もあったのにそちらにしなかった私の判断誤りだ。せっかく私のために時間をとってもらったのに申し訳ない。

売り場に戻って販売期限切れ商品をチェックしながらも、考える。礼は三回言え、とオーナーが言っていた。謝罪も三回した方が良いだろうか。「その場で、後から連絡して、次に会った時の三回。それでようやく感謝したことになる。そこまでやらないと、あんたの『ありがとうございます』は挨拶と変わんないの。挨拶はして当たり前」というのがオーナーの教えだ。私は多田にランチに付き合ってもらったお礼をまだちゃんと伝えることができていない。次に会う時にも前回のランチのお礼から入らなければ。しかし、よく忘れてしまう。そもそも、私に何かがきちんとできたことがあったろうか。

「相原には才能がある」

たしか高校の合唱部に入った時に私にそう言った先輩がいた。風変わりな人だった。祖母に報告すると、彼女はため息をついた。

「全く、そんな言葉を真に受けて。社交辞令を真に受けてるなんてほんと常識がない。やっぱり脳に障害があるのね。何なら皮肉や嫌味かもしれない。あなたはそういう人の心の機微を読み取れない。これだからキチガイは」

私よりも遥かに社会の荒波を乗り越えてきた彼女が言うのだから間違いない。微塵も先輩の言葉を疑わなかった自分に恥ずかしくなった。何を真に受けているのだろう。そして私が馬鹿なせいでまた祖母に余計な心配をかけてしまった。申し訳ない。

「相原みたいな子がここ入ってくれて本当に良かったって」

「そりゃあ、後輩のやる気を出させるのが先輩の仕事だからね。嘘も方便だよ。上手にやる人ね」

「皆が気付かないようなことも気付いて率先してやってくれるし、空気も良くなったって」

「遠回しに皆が分かることが分からないって注意されてるのよ。あなたは普通の人が一から三まで言えば十まで分かるようなことを一から十まで懇切丁寧に説明しないとわからないからね。やっぱりあの時の事故で脳をやられたのかもしれないわ」

キチガイなので判断能力の低い私は祖母に代わりに判断をしてもらうようにしているし、祖母も私に報告するよう義務付けている。学校の人たちの上っ面の言葉を訂正してもらうことで安心できた。祖母のお陰で、私は浮かれて道を踏み外し、鼻つまみ者になることを回避できた。私はこうして祖母に面倒を見てもらわなければ学校での人間関係もままならなかった。

そのうちに報告せずとも真意を考慮できるようになった。祖母の熱心な教育の賜物だ。キチガイは訓練で緩和される。

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2022年4月28日公開

© 2022 曾根崎十三

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