推論A①

曾根崎十三

エセー

3,598文字

「おしろんえーいち」と読みます。続くか分かりません。エッセイです。

「推し」という言葉がしっくり来るようになったのは、とある推しと出会ってからだ。

恋でも愛でもないこのクソデカ感情は一体何なのか。それを人々は「推し」と呼ぶのかもしれない。そう理解した。

好きな人、とも、ファン、とも違う。崇拝、には少し近い気もするが、彼女が死ねと言ったら死ねると聞かれればそうでもないので、また少し違う。クソデカ感情を持った応援したい相手、「推し」が最もしっくりくるのだ。

平成も終わりに近い2018年のある日、いろいろと精神がやられたていた時に、Youtubeで彼女の歌に出会い、私はなんて静かに寄り添ってくれるのかと驚いた。まさに「お前は俺か」だとか「私のためにこの歌は書かれたのでは」という状態。このような共感をたくさんの人に呼び起させものが傑作だというのなら、まさに彼女の歌は傑作。「お前は俺か」に名高い平成最後の太宰治であり、エヴァンゲリオンにおける碇シンジ。少なくとも私にとってはそうなのだ。

そんな彼女がライブをすると知り、当時からえげつない倍率だった中、なんとかライブチケットを手に入れ、関西から渋谷QUATTROまで行き、女子高生と大学生とおじさんの混じる列に並んだのが懐かしい。行列が長すぎて焼き鳥屋の兄ちゃんにライブ会場の人が注意されてわたわたしていた。そういえば、目の前の女子高生二人が「思ったより大人の人が多くて緊張するね」「本当だね。もっと私たちくらいが多いかと思った」「でも、私たちももうすぐ卒業だね」「私まだ女子高生でいたいよ」「私もだよ」みたいな話をしていて、めっちゃ女子高生だった。えもいわれぬ、今風に言うとエモいとはこういうことか。

話を戻す。ライブなんか倉橋ヨエコの引退ライブ以外行ったことがなかったので、ノり方も楽しみ方もわからなかったけれど、とりあえず言われるがままに前が見えない紙眼鏡を受け取り、開始直後にアナウンスされるがままに紙眼鏡をかけた。今のライブはこういうものなのか?と思っていたが違っていたらしい。これが推しの世界観なのだ。まぁとにかく最初からヤバかった。皆が知ってる一番有名な曲の前奏が始まるものの私たちは目隠しされている。とうとう歌まで始まった。そわそわしているとサビ前で推しが歌声とはまた違うややハスキーなトーンで「眼鏡とっていいいよ」とマイクでささやいた。突然の地声にどきっとせざるを得ない。私たちは一斉に眼鏡をとり、光に包まれた舞台と、人人人、そして紛れもない推し本人のシルエットを目の当たりにする。本当にいる。未だ彼女は顔出しせずに、スモークと逆光ライトで歌っているが、シルエットだけで心が震えた。本当にいるんだ、となぜか泣きそうになる。わけのわからないまま何となく最前列のノり方を真似して腕を振ったり跳ねたりしてみる。

渋谷QUATTROはデカい柱がとにかく邪魔だった。それでもなんだろう。めちゃくちゃ楽しかった。心が震えるとはこういうことを言うのかと思った。もし柱がなかったら衝撃のあまりショック死していたかもしれない。その後も彼女の快進撃は続き、ツアーも立て続けに開催。千秋楽含む2ヵ所以上は大体行くことが多かった。アルバムの売り上げも伸びていき、タイアップも増え、知名度も上がっていった。発表された歌を全て手放しに絶賛できるわけではなかったが、それでもどこか寄り添ってくれるところがあった。歌詞が抽象的になりすぎていてついていけない、とAmazonのレビューで叩かれていても、私は彼女がやりたいようにやれば良いと思ったし、その中で私にぐっと来るものがいくらかあればそれで良い。「昔に比べて有名になっても自分は平凡な人間だし、そんな気持ちを糧にして歌を作っている(超要約。こんなにスラスラしゃべることはない)」私はついていきたくてついていっているのだ。確かにAmazonレビューも一理あるが、その中でも共感できるものもあるし、ライブに行けば毎回楽しい。歌声とは打って変わって、しどろもどろな蚊の鳴くような声のMCも独特の話の内容も好きだし、昔と比べるとあまりたくさんお話しなくなったけど、それでも、皆の前でお話するのも初期に比べれば随分と上手くなっていて、私はそういう部分も見守っていきたい。口下手なりに一生懸命なMCを見守ってる時に近くの若者が「なにこれ、不思議ちゃん? キャラ作ってんの?」と言ってた時に別に悪口というほどの悪口でもないのだが、うわあとなった。嫌だとか、ムカつくとかではなくて、自分が過去に一生懸命おろおろやっている時に「不思議ちゃん? キャラ作ってんの?」と言われた時の感情にそっくりそのままなったのだ。悲しいような、寂しいような、なんとなく傷ついた気持になった。恐らくそれほどまでに私は彼女に共感していたのだ。なおさら親近感を抱いた。恋人と一緒にライブに行ったら「MC何言ってるかわからへん。もっとちゃんと喋って欲しい」と言われてしばきたい気持ちを殺して努めて冷静に振る舞った。過去に人生で自分に同じ事を言われた時よりも腹が立ったし、それを言う人が貴重な席を一つ埋めてしまったことに対して全ファンに土下座したくなった。心の中ではした。

そして2019年の秋のツアーMCで彼女は「今日が一番楽しい」を数か所で発しており、「一番が多いな……」と内心で突っ込んでしまった。しかし、それは違うとすぐに気付くことになる。ツアーの千秋楽で前から四列目だった私は、ライトの光加減で何度か彼女の顔が見えることがあった。大きなホールでライブをやるようになった今となってはきっとあの時の場所が一番近かった場所になるんだろうなと思っている。そんな間近から、千秋楽の一番最後に彼女の笑顔が白いライトで一瞬照らし出された。それは、ものすごい笑顔だった。本当に彼女は「今日が一番楽しい」のだ。「どんどん楽しくなっていく」と彼女は言っていた。そうだ、毎回一番が更新されている。それだけなのだ。彼女にものすごい笑顔になって欲しい。タコピーが闇のタコピーなら私は光のタコピーだ。これからももっと「一番楽しい今日」が更新されてほしい。本気でそう思った。ただただ見てるだけだけど、私はこれを見続けたい。そっと見守り続けたい。彼女がさいたまスーパーアリーナを埋められるビッグなミュージシャンになりたいというならなればいいし、世界進出したいともし言うのならすればいいと思う。私はそれを見守る。彼女の夢が叶うのを応援し続ける。でも、これは恋でも愛でもない。いや、愛かもしれない。家族愛、友情、恋愛いろいろいろあるうちのまた何か一つの形だ。好きではあるけど、「好きな人」というとしっくり来ないし、ハマってるというのも何だか軽々しくて嫌だ。そんなもんじゃないぞ、という気になる。崇拝というのも違う。すべてを肯定したいわけではない。彼女は神ではないし、どんなに大物になっても結局は学生時代クラスでちょっと浮いてた女の子だったことには変わりない。それが良い。もじもじしたMCと力強い歌とのギャップ。それが良い。歌がなかったら彼女はどうやって生きていたのだろう。どんなにMCでもじもじしていても歌になると途端に饒舌になる。シンガーソングライターになるべくしてなった存在。私は彼女をひたすら追いかけているが、彼女は私のことはみじんも知らないだろう。それで良い。知られなくても良い。一方的で良い。あの時QUATTROで見た華奢な口下手の女の子が大舞台を埋めるようになったことが嬉しいし、彼女が望むのならもっとビッグになって欲しい。彼女は「ライブで自分なんかに積極的に呼び掛けたり、リアクションをとるファンを見て、学生時代は話し掛けられないように机で寝たふりしてたけど、もっと攻めのコミュニケーションをしていかないといけないな、と思った(超要約。こんなにスラスラ喋ることはない)」と言っていたし、何だろう、私は結局のところ、この年下の女の子の成長譚を見たいだけなのかもしれない。親か姉のような気持ちとでも言えば良いだろうか。でももしTwitterでいいねされたら狂喜乱舞すると思う。とはいえグッズも全部は買っていない。でも一回のライブで五万円以上は使うくらい課金する。ライブすると聞いたら行ける日程を最大限確保しながら、最大限課金できるように、どこでコストを削るか考える。でも仮に今「ファンクラブの中から抽選でご褒美に握手できます」となっても何がなんでも当ててやろうとは思わない。でも応募は間違いなくすると思う。当たり前にファンクラブ入ってるし。別に会話ができなくてもいい。でも綾辻行人氏がライブに招かれてお話して楽屋でサイングッズ交換したのは噛み締めすぎて口の中がズタズタになりそうなほど羨ましい。

これが、この名状しがたい気持ちが「推し」という感情なのだ。

2022年4月16日公開

© 2022 曾根崎十三

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.0 (1件の評価)

破滅チャートとは

"推論A①"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る