単位はとりおわっていたので、あと半年は大学にいかず、すきなところで修士論文を書けばよかった。
あつい日がつづいて、家にこもりがちになった。
生来のめんどうくさがりのために、ろくろく先行論文に目もとおさず、中古で買いそろえた『中村真一郎小説集成』を懶惰によみすすめていた。どの作品もさしておもしろいとおもえず、活字が目をすべりつづけた。
昼すぎに目ざめて、コンビニの弁当をたべて、小説をよみ、数行だけ論文を書くと、インターネットににげ、またコンビニの弁当をたべて、数行だけ論文を書く、だいたいはそのくりかえしだった。
ロジックもなにもなく、思いつきで些末な断定をおこなっては結論をあとまわしにする、そんな酒に酔った文章を、羞恥にさいなまれながら義務としてまいにち書きつづけた。
アリバイをこしらえるだけの日びである。書きたいことなんぞなにもなく、つまりはたいして生きたくなかった。
うつっぽかった。
おまけに、中村真一郎もうつっぽい作家だった。中村は頼山陽の評伝を書いており、その理由は頼山陽にうつの気があったからとのことだが、そういう共鳴がペンをうごかすこともあれば、つよくあたりすぎてペンがとまることもある。
ある日、いよいよぼくのペンはとまった。どうしようもなくなって、実家にかえることにした。
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