歯医者に行く。

かきすて(第45話)

吉田柚葉

小説

1,659文字

ひさしぶりに歯医者に行きました。空いてました。

右の奥歯がいたみだして二週間、ぼくはおもいこしをあげた。

歯科医院えらびはなやまなかった。家からもっともちかいところにきめた。どこにいこうとも、ふだんの歯みがきのいたらなさをなじられ、そう言っても、けっきょくはあっけなく治療をおえることがわかっているからだ。

金曜日のひるやすみに電話で予約した。翌日の十二時半にきまった。

歯科医院にいくのはじつに十年ぶりだ。高校二年生からいままで歯にさしたるふちょうがでなかったのは、よろこぶべきことであるが、いざいたみだすと、十年間の感謝などわきおこるはずもなく、なんとはなく世界をうらむきもちがふくれていった。

午後からのしごとが手につかない。もとより金曜日は倦怠感と解放感の萌芽のせいでうわついたここちになりがちだが、つぎの日によからぬ予定がはいったことで、さっさと家にかえってねむってしまいたくなった。
「あした歯医者いれたんだよ」

と、となりの席の岩城さんに言った。
「わたしも来週、おやしらずをぬいてもらいにいきますよ」

おやしらず、ということばは意外だった。むし歯だとおもっていたが、そういうこともあるかとおもった。
「なるほど」

という声がおもわずでた。

家にかえっても、妻に歯科医院の予約をいれたことはつたえなかった。半年ほどまえ、ぼくが就職活動をしているときに、ひまならいまのうちに歯医者にいっておけと口すっぱく言われていたからだ。ほら、やっぱりいたくなったんだ、となじられるにきまっている。

だが、かくしごとはしぐさにでる。
「なんかげんきないね」

と指摘された。いくぶんかの不快感が口調にあらわれている。妻はあしたもしごとがあるのだ。
「げんきあるよ」

とぼくはふしぜんな日本語でこたえた。それから焼き鮭を口にはこび、いたみのない、左の奥歯でおそるおそるかみくだいた。
「じゃあ、くらい顔しないでよ。波動がさがるでしょ」

それから、ひとしきり波動のはなしがつづいた。ぼくはてきとうにききながした。はなしおえるころには、なんとなく歯のいたみがおさまった気がした。

とこについてからも、低温やけどに似た緊張はつづいた。やみのなかで、かんけいのないことをかんがえようとがんばったが、あしたの午後十二時半、白という暴力的な清潔感をはらんだ異空間に足をふみいれるじぶんのすがたをそうぞうし、くわえてそこでまちかまえている無表情の歯科医師を見て、しかし、奥歯のいたみでげんじつにひきもどされた。げんじつは、歯のいたみだけになった。いたみになぶられながら、さびた鍵でドアをこじあけるようにして、ねむりにおちた。

さまざまな夢を見た。内容はなにもおぼえていないが、すでに歯を治療したつもりで目がさめたので、おそらく歯医者の夢を見たのだろう。げんに昨日ほどのいたみはなかった。

妻はもう家にいなかった。ぼくはコーヒーをいれた。午前中は無為にすごした。

じかんどおりに歯科医院についた。ほかに患者はいないらしかった。うけつけの女性は、インターネットでの評判どおり、きげんがわるそうだった。だが、問診票を書いてわたすと、あんがいとやわらかな表情をしたので、接客の技術が身についていないだけなのだろう。そういう不器用さをこのましくかんじた。

すぐにとおされた。歯科医師は初老の男で、威圧感はなかった。
「奥歯がいたむということですが、そんなにいたみますか」

ひとおり口のなかをかくにんして、初老の男は問うた。
「それほどでもないです」

とぼくは言った。
「そうでしょう」

と初老の男はまんぞくげにうなずいた。その後、レントゲンをとられた。歯に、ほそい線がはいっていた。すこしだけけずりますね、と言われ、五分ほどで治療がおわった。
「すこしけずって、プラスチックをいれておきました」

プラスチックということばがおもしろかった。きのうまでぼくをくるしめていた歯が、とたんにちんぷなものになった気がした。

三千円とちょっとをしはらって、歯医者をでた。うけつけの女性の表情は、やはり、かたかった。

プラスチック、プラスチックとつぶやきながら、家路についた。

2021年12月5日公開

作品集『かきすて』第45話 (全46話)

© 2021 吉田柚葉

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