今年の夏は花火がなくおわった。おまつりがすべて中止になったせいだ。しかしどうしても花火が見たいのであれば、近所のスーパーマーケットで花火セットを買ってくるなりすればよかったのだ。そうすれば、どこかの日曜日の夕方、宵闇がおりはじめるころに、うちの庭で夫婦ふたり、線香花火をながめ、立ち止まる時のあわいに身をゆだねることもできた。
げんに去年はそんなふうにした。日々の仕事に頭をしめつけられ、どうやってもおまつりに足が向かなかったある週末のことだった。さいごの線香花火のさいごの光のつぶが地面に落ち、妻は「ちょっとさびしいね」とつぶやいた。来年は元気になってくれよ、とかのじょはつづけた。ぼくのことだから、すこし泣いただろう。
それから一年経ち、ぼくは仕事を辞めた。退職届を出す際、上司には「いま辞めたら殺す」とすごまれた。その前日にぼくは、妻から「いま辞めなかったら殺す」とおどされてもいた。じっさいに包丁をちらつかせてきたのは妻の方だった。それに、手づくりの花柄マスクをつけた上司は、いくら眼光するどくぼくを射すくめようとも、ちょっと滑稽だった。かれにも家庭があるとおもえば、ほほえましくさえあった。
最後の出社日である今日、ぼくは職場のカッターナイフをだまって家に持ちかえった。帰宅から三十分としないうちにもと職場からスマートフォンに着信があったが、無視した。ひょっとしたら上司が家にくるかもしれない。ことによれば、家にくるのは上司ではなく警察かもしれない。そんなことをぼんやりとかんがえながら、二階のベランダでぼくは夕日をながめた。まだ蒸し暑かった。手にはカッターナイフをにぎっていた。ここから飛びおりることもできたし、手くびを切ることもできた。
妻は塾講師の仕事を終え、日をまたぐすこしまえに帰宅した。そのころには、ベランダにはだれもいなかった。ただ、「ただいま」と言って、妻がいつもどおりの時間に家に帰ってきただけだった。
玄関でかのじょは「暑い」と言った。そこにぼくはいなかった。ただ、アツイというかのじょの発した声だけが廊下にひびいた。ぼくは、この廊下に見おぼえがなかった。もしかするとここはぼくたちの家ではないのかもしれない。1Kマンションの一室だとあたりをつけた。
かのじょは入ってすぐのところにある狭い洗面所で手を洗った。ていねいに指さきを洗い、ひじまで水でながした。
部屋に入った。七畳ほどのフローリングの部屋だ。シングルベッドとちゃぶ台が置かれている。かのじょの視線は、ちゃぶ台の上におかれた異物にむけられた。カッターナイフである。が、床におかれた段ボールを見やり、すぐに得心した。インターネット通販で購入した秋もののワンピースが今朝とどき、それをほどくためにつかったのをしまいわすれていたのだ。
おもえば今日は八月最終日だった。あと十五分たらずで九月になる。花火のない夏だった。時節がらしかたないとは言え、やはりさびしかった。去年見た、近所のおまつりで打ち上げられた花火がなつかしかった。そのけしきは鮮明にはおもいおこせなかったが、ボン、ボン、と腹にくる音は、かのじょのからだがたしかに記憶していた。
意識がもうろうとしていた。一日中マスクをしていて、いそがしさのためにほとんど水分も摂れていなかった。リュックサックをおろし、こり固まった肩をかくにんした。下着だけになった。それから、リュックサックの中から水筒をとり出し、したたか水をのんだ。
部屋をくらくしてベッドで横になった。
空腹だった。それに、シャワーを浴びなくてはならない。そう思いながらかのじょは、床にころがっているクーラーのリモコンに手をのばし、スイッチを押したか押さなかったかもさだかでないまま、ふかいやみにかどわかされ、ふかいやみに落ち、気づけば目を覚ましていた。朝だった。九月一日、肌寒い朝だった。クーラーは稼働していた。ひどくからだがおもく、腹ににぶい痛みをかんじた。 音が聞こえた。インターホンの音だ。枕もとの目覚まし時計は六時十五分をさしている。今日はフリマアプリで注文したハンドメイドの花柄マスクがとどく日だ。でも、さすがに早すぎる。
もういちどインターホンが鳴った。起きあがり、モニターをのぞいた。首のよれた黒いTシャツを着た、神経質そうな男が、そこには立っていた。見たことのある男だ。同じマンションに住んでいるのかもしれないし、ともすれば、ゴミ捨て場であいさつのひとつも交わしたことがあるやもしれない。あるいは、かれはぼくかもしれなかった。
視線が合った。
かのじょは得も言われぬ恐怖を感じ、ベッドにもどって夏用のかけ布団を頭からかぶった。インターホンは鳴りやまなかった。それは、花火の音にはすこしも似ていなかった。しかし、月のものが来る前におとずれる、冷たい手で胃をにぎられるような痛み……、ドクドクと脈打つこれは、打ち上げられるのを待つ花火玉がくすぶっているようでもあり、とおい昔、ほとんど別人と言ってよいほど幼いころに実家の庭で遊ぶ予定だった線香花火が機をのがしていくたの季節をとおりこし、湿気てくずれ、しずかに鼓動しつづけているようにもおもわれた。
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