告白

応募作品

諏訪真

小説

11,618文字

死に際の彼が見た光景はとても美しかった。
だが彼が本当に見たものは、何だったのだろうか。

野生の鹿を見たのは初めてで、私は率直にその美しさに驚きました。その時の私の半死半生の様からすれば生命の輝きそのものでした。その鹿が私を見るなり逃げ去ったので、私はついに生命の象徴からも見放されたと思いました。

登るときのことはよく覚えています。不本意ながら初めての富士登山というのもあり印象が非常に強かったですが、何よりいくら登っても森が抜けられなかったのです。十時間かけても山頂どころか七合目まで到達するのも無理では無いかと思いました。

そもそも旅路についても完全に思いつきでした。その時脳裏にあったのは、凍えて死ぬということでした。自殺の方法について殆ど無知ですが、一番確実に死ねるものではないかと思っていたのです。練炭自殺も考えましたが、必要な機材を集める方法が分かりませんでした。何より、一度富士山に行ってみたかったのです。こういう形で向かうのは不本意ではありますが。

家を真夜中に出て、国道二号線を延々と東に向かっていけばいいだろうというくらいに思っていました。一旦姫路のPAで休むと、そのまま大阪まで進みました。大阪市内を地道で進みつつ、ここから路に迷い始めました。大阪からどう進めばいいのかわからないのです。スマホが鳴るのが嫌なので、ずっと電源を落したままですから、進行方向の決め方は標識が全てです。因みに車にはナビは付いていません。どこかコンビニで地図を買えばよかったと少し後悔しました。大阪から奈良に入った頃、ようやく標識で名神高速に乗り、そのまま名古屋まで向かいました。この時点でもう夜になっていました。正直ずっと地道で行こうと思っていましたが、あの調子ではいつまで経っても静岡まで到着しそうになかったので。

名古屋に入った時の光景はよく覚えています。高速道路が工業地帯の上を走るのですが、工業地帯の夜景を真下に見下ろしながら進んで行きます。個人的に工業地帯の夜景を見るのが好きなのです。人生の最後に見られる光景として、非常に満足していました。そして、豊川でもう一度休息を取ると、いよいよ静岡まで進んでいきました。富士宮市で降りましたが、正直このときまで富士登頂に静岡からだと富士宮道と御殿場道の二種類があることすら知らなかったのです。

私は徹底的に勢いのまま進んできたわけですが、不思議と後悔とか、引き返したいとかという気持ちは、まだ湧いていませんでした。登山道に到着するまでにも色々と迷いました。驚いたのが富士山が巨大すぎて近づくと富士山が見えなくなるということです。迷いに迷ってようやく五合目への道を進んでいった途端、三合目でバリケード封鎖されていました。当然といえば当然です。富士山が開山しているのは七月と八月だけです。私はこのときまで、三合目からでも登れるところまで登っていけばいい、と思っていました。力尽きたところが、そこが私の墓場だと。

富士宮道と御殿場道との連絡路の間は、いくつかレストランが見つかりましたが、何れも休店状態でした。人気も殆どなく、いくつか登山家と思しき人がいるくらいです。連絡路の間を一往復半する間に、PAの近くに狭いですが道が見つかりました。別にバリケードを超えていこうかとも思いましたが、別に山頂を目指すわけでもありません。PAに車を停めるとさっき目についた一番近い獣道から上っていきました。正直頭では理解していましたが、途中で倒木が道を塞いでいてかろうじて下の隙間を潜って初めてここが本来人が通る道では無かったと気付いたのです。覚悟と備えがあればこの道を通り抜けて正規の登山道まで出られたかもしれません。ただそこまで通り抜けられるだけの備えも、正しい見通しもありませんでした。後になって思えばこの時私に最も必要だったものは、病んでいるという確かな証拠でした。獣道の途中で命を絶とうとしたという確かな証拠が得られた時点で、私は旅の目的を果たしたのです。

道を登っている間、誰かの足跡が雪の中に残っていました。最初は登山客だと思っていましたが、登山客が果たしてこの時期に獣道など通るだろうかと考えてみるとこの足跡の主の顔が少し見えてきた気がしました。かろうじて人の痕跡が見つかったことに少しの安心を覚えつつも、死ぬところを誰かに見られるのは少々面倒だという気もしてきました。靴さえ防寒のものではないので、雪が溶けて染み込んできて非常に不快な冷たさと痛みを感じながらのぼっていきました。

野生の鹿に逃げられ、しばらく獣道を進んでいくと、ついに足跡が途絶えました。私はその足跡の人に勝手にシンパシーを抱いていました。この時期に富士山の三合目の、しかも獣道に足跡を残す人など、私と同じ目的以外にあり得ましょうか。私は勝手にその人を同志と思っていました。その同志の足跡がついに途絶えてしまっているのです。私は彼の人の無念を背負って更に先へと目指すべきだったでしょうか。ですが私も無念にももう足が凍るように冷たくなっていました。もうこれ以上進むことは難しかったでしょう。

右手には開けた場所があり、まだ踏まれていない雪が積もっていました。彼の人の痕跡が残っていないということは、恐らく左手側の崖に身を投げてしまったのでしょう。私は道中で買ったマットを敷き、横になって規定量以上の薬を飲みました。
その時私はもう多くのことを考えるのを止めていました。死ぬということは思考も止まるということです。死ぬことを受け入れるには、思考を徐々に減らすということです。実際この時私はもう仕事のことも家族のことも、先に逝った足跡の主のことも、もう殆ど頭には残っていませんでした。

後はもう時間が解決してくれるはずでした。後数十分か、長くて数時間後には凍死体になるのです。私はその間ひたすら背中の凍るような冷たさや外気に耐えていました。ここでもひょっとしたら私にはまだ打算があったかもしれません。過剰な睡眠薬を飲み、富士山に行き、登れるところまで登りついに横になって死を迎えようとした、という行動までは起こした、と。

結論を申しますと、非常に恥ずかしい話ではありますが結局のところ私は自殺をやり遂げることは出来なかったのです。用意が甘かったというのもありますが、本当にやりきることを考えていたのなら、もっと上の方の、七合目や八合目まで目指す用意をすべきだったでしょう。この時期の富士登山はまず死にに行くようなものだという覚悟が余りに足りなかったといわざるを得ません。

なのに降りる時のことは殆ど覚えていないのです。ろくな準備も無かったとはいえ、三時間以上かけて登った道をかすかな記憶を辿っても三十分程度しかかからなかったような覚えがあります。

あるいはただ単に薬の作用で朦朧としていたからかもしれません。そもそも夜の山というのは恐ろしい所です。足下も殆ど見えていなかったはずです。今にして思えば、本当に登ったかどうかすらも怪しいところさえあるのです。

元々死にに行くのに、どこか打算があったと思います。正直に言いますと私はあの逃避行はある種のパフォーマンスの面もあったのです。ここまで突拍子の無いことをすれば、もう元の生活には戻れないだろうという最低の基準を超えていればいいものでした。死ぬというのも一種のパフォーマンスだった側面はあります。そんなに簡単に死の決断が出来るものではありません。

 

淳一の告白を石川医師は黙って聞いていた。叱責よりもまず無事に戻れたことを喜んだ。

「貴方は一人で富士山にいったのでしょうか?」
「そうです。一人で決めて誰にも知られずにそうしました」
「それはいつ頃から考えていましたか?」
「その日の真夜中です。突発的に思いついて」
「浩二さんがいなくなったことについて心当たりは?」
「いえ、全くありません」
「そうですか……。なにはともあれ貴方が無事で幸いです。浩二さんのことは警察に任せてゆっくり休んでください」

と淳一を送り出した。それでも淳一は帰宅する間中、弟のことが気にかかっていた。

 

淳一は突発的に出奔した一方、彼の弟の浩二は入れ違いになるように行方不明になっていた。帰宅してもやはり弟は戻っていない。
家族にとっても一人でも戻ってきたことを喜ぶべきなのかもしれないが、家を出る前と出た後で淳一の扱いが大して変わらなかったことは、彼にとっても不快なものだった。だが淳一にとってもっと気がかりなことは、弟の不在と自分の突発的な失踪が相互に関与しているのではという疑念だった。何れ正式な診断書のために数日後にもう一度通院の必要がある。

淳一の弟、浩二は彼が戻ってきた日の一週間前、つまり淳一が出奔する三日前から失踪していた。書き置きも痕跡もなかった。帰宅後の夜、その事で淳一は母屋に呼びつけられた。

「本当に心当たりはないんか?」と父は聞いた。

「知ってたら、お前より俺が先に行動している」

淳一はいつもの通りに憮然と答えた。一昔前に父とやり取りしているときよりも、こういう言葉が意識的に吐けるようになった。

「警察に届けを出すことを考えとるんじゃけど、お前はそれでええね?」

「寧ろなんでまだ出してないんだよ」

普通だったら淳一に確認する前に、行方不明に気づいた段階で警察に届けを出しているはずだが、わざわざ淳一に確認しているということは言外に淳一の関与への疑義、それも何らかの犯罪的なものがないだろうな? という圧をかけていることに他ならない。もはや家族からも容疑者扱いされることすら、淳一は諦めていた。

ふと父を真正面から見た。心なしか父は前にあったときよりやつれ、白髪の本数が増えていたような気がした。以前の淳一なら、そんなことすら気づくことも無かっただろう。父の心配事は淳一の病状よりも、浩二の失踪の方であり両親にとってそれが一大事だった。この家の中での問題は昨日今日始まったことではなかった。だがそれに気づいたのは帰郷してから漸く経ってからだった。

 

淳一への扱いの変化は、一年前に出戻った時からより顕著だった。帰郷した時から旧宅から出てくるなと本家から叩き出され、それ以降母屋で一人で住むようになった。淳一は母屋から本家の明かりがついているのを見る度、ある境界が引かれているのを感じた。
あの家庭の中には数年前には確かに自分も弟もいて、そしてもう自分はその中に入れないのだ。

およそ淳一は自分の外の事柄に対して観察と考慮に関しては人並み以上に出来る反面、内省というものに非常に疎かった。家族との間の軋轢も、帰郷後のコロナの疑いによる隔離という名目がなければ、恐らく死ぬまで気付かなかっただろう。

両親は淳一が金が余計にかかる私立大学に進み、卒業した後に勝手に家を出たこと、県外から一円も実家に入れることもなく、結婚もせずに勝手に生きることを快く思っていなかった。そもそも淳一と父とも反りがあった試しがない。淳一の甘さは、心のどこかでまだ家族に受け入れられていると思っていたことだ。それが全くの自分勝手であることを、この間の帰郷で思い知らされた。

元々東京にいたときも、軽い不眠症の徴候があった。内科で軽い睡眠導入剤を処方されていたが、帰郷してから不眠症が悪化してきた。東京では孤独は珍しいものではない故に、孤独との付き合い方の方法はそこら中に転がっていて見様見真似である程度対処できた。

この作品の続きは外部にて読むことができます。

2020年10月18日公開

© 2020 諏訪真

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"告白"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2020-10-19 06:25

    確証は持てませんが、時々、所々、あえて読みづらくさせているような印象の部分があり、道で例えるなら大きくカーブしている箇所があり、そこでスピードを落とす必要があり、それ故にぞくぞくとさせてくるし、あとしっかり確認して飲まないといけなくて、まるであれです。服用です。この話は服用剤、内服剤です。

    • 投稿者 | 2020-10-20 19:46

      今回から初めてプロットから本文を起こすことを試したんですが、プロットを突き詰めてやってみたら初めて上手くいった事例でして。(それまでプロットのようなものは書いてても結局脱線し通し)
      ただところどころプロットを立てる前に本文から起こした箇所もあってひょっとしたらそれが引っかかる箇所なのかなという気が自分でもします。因みにその箇所は手書きでやってたりします。何故か手書きでやりたかった箇所です。

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