案山子

村星春海

小説

2,116文字

なにか書こうと思ってつらつら書いたのですが、なんだか小説っぽくないです。
違和感しかありません。

 僕は電信柱なのだが、風景がいつもと変わらないからといって、飽き飽きしたりすることはないのがただ一つの幸いだった。普段皆はこう思うだろう? 毎日変わらない風景なんて、そんなもの死んでいるのと大差ないじゃないかと。違うのだ、これが。そもそも生きていることと死んでいることの線引きがきちんと本質的に出来ている人間なんているのだろうか。医学の世界ですら、脳死をもって死とするか否かで荒れているのに我々凡人が解決できるわけないし、死んだ人を未だに思い続ければ心に生きているなんて言う人もいるのだから。話が逸れてしまいそうだから戻すけれど、結局のところ、僕は生と死の混在したこの不可思議で不条理な世界を見るのが好きなんだということだ。いつか僕を作った人は、おそらく生物学的には亡くなっているのだろうけれど、あれからずっと僕はここの場所で街の移り変わりを見てきた。道行く学生や会社員、どんどん進化してゆく乗り物、そして埋められていく電線。
 ──そうだ、僕はその埋められていく電線を見ていつか戦慄したことがある。僕のいる街路の反対側の街路の電信柱が地中に埋められたときに気が付いた。電信柱は電線繋ぎ止めるのが役割なのであって、その必要がなくなればその場にいる事すら無意味なものになってしまうということだ。時間など僕はたくさんあるし、僕にとっての時間とは有限で有って無い様なものだから、僕はたっぷりと死とは何かを自分なりに考えてみる事にした。そしていつか僕は、定義だ、と思った。どんなものにも必ず定義が存在し、その定義があるから生きているのだと思った。車ならエンジンやタイヤが無くなり走れなくなった時、車の定義が失われて死ぬ。人が死んだとき、亡くなった人は心の中に生きていると思いその心の持ち主を励まし生きる活力を与えているとしたら、支え合うのが人だとして、その定義を失っているとは言えない。つまり死んでいるとは言えない。そうであると考えたとき、僕は埋められていく電線を見て、いったい、何に対して戦慄したのか分かった気がしたのだ。
 反対側の電線が無くなり、おそらく同時期に建てられた電線が撤去されてしまうと、街路はきれいに景観を整え凛とした表情となった。なったが、やはり寂しさはそこに確かにあった。なにも進化し変わることすべてが正解ではないということを実感したし、いずれ自分も同じ様に撤去される日が来るのだろうと実感した。物事はとにかくスマートにソフィスティケートされ極度な洗練化と高度化が進んでいくと、すべてが単一の物に変わっていくような気がする。もちろん日々、人々の生活スタイルは進化しているわけなのだから洗練化され利便性に富んでいくのはいいことなのだろうが、高度にそして極度にそれが進むと個々の定義が揺らいでしまうような気もする。もしそうなってしまったら今よりもさらに洗練化された時、そこに個性や定義は存在するだろうか。スマートフォンは様々な個性の集合体で、そこにある機能の全ては、かつてはそれぞれが別々の存在だったのだ。電話、電卓、カメラ、ビデオ、音楽プレイヤー、パソコン、コンパス、地図、メモ、本。それら全て、デジタルに変換されデジタルだったものは更にデジタル化され、一つの奇妙なケースに押し込められた。救いなのはそのケースがファッショナブルだったということだが、すべてはスマートフォンという単一のものに変わってしまった。カメラはレンズしか名残を残さなかったし、音楽プレイヤーもスピーカーしか残っていない。コンパスは針をなくし、本は紙ですらなくなった。本は紙でないといけない、と潔癖でもなければまだ個性や定義はちゃんとそこに存在はしているが、あの紙の独特な香りは楽しめない。洗練化される際に、無くていいものは容赦なく切り落とされる。昔は無駄なものを楽しむことによって、ある種、物事を広く楽しめていたのだ。こうなるといつか食事も見た目や味など切り落とされ、単に栄養剤に変わってしまうかもしれない。
 個性はとても大切だ。個性がない同じ規格のものはシリアルナンバーが付けられ区分されるわけだが人間にはありがたいことに個性というものが存在し、シリアルナンバー無しにきちんと区分できる。ただ最近は個性も希薄になりつつあるのは僕も見てきている。右も左も同じような風貌になり、自分というものがとても薄いのだ。過度に濃密になった情報は誰しもが手にすることが出来るようになったのだが、その分、誰かによって左右されやすくなっているのもまた事実だ。誰かによって作られた人間もいつかは何やらで管理されてしまうのだろうか。
 なんとか生きているでは生きていない。充分に生きていなければ生きていない。生活環境や街がいくら洗練化され技術は進化するのもいいが、自我を持つ人間だけはある程度で洗練化を止めなくてならない。僕はこう考えるようになってから、人間になってみたいと考えるようになった。僕は電線を支えるだけの存在でしかないが、さまざまな事に挑戦し進化し生きられる人間になってみたいのだ。もちろんそんなことはできるわけではないので、とりあえず今日も流れゆく街並みを見ている事にする。

2019年10月6日公開

© 2019 村星春海

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