二章①

PALS(第8話)

村星春海

小説

5,771文字

ついに始まった僕の新しい人生。
これからがどうなるのか、僕が自分自身で紡いでいくのだ。

 面接で採用が決定したあの日は僕の史上最も喜ばしい日だった。不特定多数の人間を対象にした喜び度ランキングがあれば、僕が上位に食い込んでいたかもしれないくらいに大きかった。兎に角、出口から一歩踏み出し、外の世界にやっと出る事が出来た。長いトンネルは終わりを迎えたのだ
 
 そして今日がバイト連勤四日目の朝、スマホの時計は9時前を義務的に表示していた。よく、三日三月三年といわれる第一関門は突破したことになる。長く停止していた僕には、仕事という時間軸はあまりに早く感じられ、まだ戸惑うことが多かった。
 今のところ間違いを起こしたり迷惑はかけていないが、いずれ、と思うと怖くなる。もちろん間違いを起こさないように注意はしているつもりだが、物事には不可抗力というものがある。僕がいくら注意をしていても、料理を運んでいる時、誰かにぶつかられたらどうしようもないのだ。
 時間に関しては、僕から店長に時間を指定はしなかった。まだ大学復帰はできなさそうだったので、朝の開店から夜の閉店までの間、好きな時間にいれてもらっていた。
 
 朝は8:30からのんびりと店長が一人で開店準備をして、9時にはスタッフが揃う。ここは暖かな店内で、冬に入りかけであるにも関わらず不思議な事だった。店長が丹精込めて挽いているコーヒーの香りが漂い、朝早く納品されたトースト用の食パンが香ばしい香りをアクセントに加えている。壁を隔てた外では、車の走る音がせせらぎのように聞こえ、スズメの鳴き声と出勤や登校途中の人々の声が混じって聞こえていた。
 昔は音楽をやってましたという少しチャラさが残っている風貌の30代の店長は(実際に大学時代にやっていたそうだ)、不思議なことに入り口の鐘を毎日磨いている。これをやらないとトーストの焼き具合やオムライスの返しが上手くいかないらしい。もはや日課となっていると聞いた。そんな馬鹿なと思いながらも僕が入って二日目、鐘を磨き忘れた店長はメニューに載っているランチのオムライスに、品切れシールを貼る羽目になった。
 
 入り口のドアを開けると、きれいで澄んだ鐘の音が頭上から聞こえた。それは今日も問題なくメニューを作ることが出来るという合図でもある。
「おはようございます」店長厨房で準備をしているに挨拶をする。
「あぁ、おはよう。疲れてないか?」
「はい、大丈夫です、ありがとうございます」
「明日は休みだから、今日一日、頑張って」
 挨拶を手短に済ませ、僕は着替えるために厨房を抜けて、店長の事務室を兼ねたバックヤードに入った。女性も男性も、ロッカーとロッカーの間にカーテンをしただけの、早着替えをしたくなるような更衣室で着替える。とはいえズボンは私服だし、上もシャツを着るだけなので更衣室の必要性はそんなに無かった。
 見ると誰かが着替えに使っているのが、几帳面に揃えられた靴でわかった。物差しでも使ったかのように、爪先がきっちり揃えられている。ロッカーから制服を出しているとカーテンが開かれる。
「おはよう、直人くん」口にヘヤゴムを咥え、後ろ手に髪をまとめながらカナさんが出てきた。
「おはようございます」
 カナさんは揃えられた靴を右足から履き、そして左足を靴に入れると、右足から一歩を踏み出した。髪をゴムで結わえながら、洗面台の鏡を見てまつげを指で揃えている。
「どう、疲れてないかな?」鏡越しに話しかけられた。
「カナさんがですか?」
「いやいや、直人くんの事だよ。なんで私なの?」
 微笑むカナさんと目が合い、僕は顔が赤くなるのを感じた。
「いえ、カナさんが鏡を見ながらだったから、自分の顔が疲れて見えてないか心配してるのかと」
「あぁ、そういうことね」可笑しそうに笑い、シュッとした目尻に少しシワが寄った。「私は大丈夫よ」
「よかった。僕も大丈夫です、ありがとうございます」
 店長が聞いたことは、なぜかカナさんからも聞かれることが多い。以心伝心しているのか、不思議だった。
 鏡の前から離れ伸びをし、カナさんは事務室から出ていく。
「じゃ、先にいくね」
「僕もすぐいきます」
 僕の声を後ろに聞きながら、カナさんはドアを閉めた。
 カナさんはとても大人の女性だ。目が合う度に僕の心臓は強く動悸を打った。客として来た時からとてもきれいな人だなと感じてはいたのだが、客と店の関係から同僚としての会話をしてみると、そのくだけた口調は僕をさらに虜にした。おそらく僕と一緒で、彼女目当てに訪れている客も少なからずいるだろう。
 
 僕はまだ糊が硬い半袖のシャツに袖を通して、その折り目を正し、裾をズボンにしまって靴を革靴に履き替えた。まだ履きなれない革靴は心地いい痛みを与えてくれる。腰にダークチョコレートの様な濃いブラウンのエプロンを巻いて、少しキツ目に絞めた。鞄からメモ帳とボールペンを取り出し、エプロンのポケットにしまう。見習いがなんでもメモしなければ先に進めないのは、学校も職場も一緒だ。
僕は事務室の電気を消してドアを開けて厨房に入った。
 

 
 店は朝の9時から15時で一旦閉める。17時からディナー営業となり20:30でラストオーダーで21時に閉店となる。僕はその間の5時間か6時間を勤務時間としていた。まだ勤務していない土日はわからないが、平日の客の流れは清流のように変わることはない。まるで判を押したようにある時刻になると人の波が押し寄せ、一気に引いていく。それは夜も同じだった。故に勤務内容も同じで、よほどのことがない限りは同じことの繰り返しだが、僕にとっては体を馴らすことが一番きつかった。
 うちのモーニングメニューにはよくわからないものが、ラインナップされている。それはゆで卵二個とウインナー二本とサラダとアップルジュースのみという、主食を欠いたものだった。いったい全体誰がこの奇妙なものを注文するのかと思考を巡らせたが、入った初日にこの謎の品を注文するものがいることが判明する。
 神経質そうに眼鏡を掛け直しながら12時過ぎに店に来た、無造作な髪型をした営業マン風の男だった。そしてこの謎のメニューのメリットを発見してしまう。提供から食事、退店までが異常に早いのだ。主食がないので調理に時間がかからない為、注文から提供までが約二分。食事の時間が約三分。冷たいアップルジュースで一気飲みができるので、流し込むことができ、さらに内容が他のものより少な目なので時間がかからない。そして退店。
 この客は時間に追われているのか、凄まじいスピードで帰っていき、来店から約十分で姿を消した。
「あのお客さん、尾行が専門の探偵なのよ」カナさんは冗談とも本気とも取れる事を言った。
 尾行が専門なら食事に時間を掛けることはできないだろう。
 

 
 三人で仕込みを進めていると、9時が過ぎて開店時間となる。カナさんは玄関を開け空気を取り込むと、風で鐘がカラカラと鳴った。
 僕はホールがメインだが料理も教えてもらっていた。自炊ができるようになるのはメリットしかないと考えたからだ。店長から教えてもらった料理を仕事の後に自宅で実践したが、僕はその度に店長から料理と共に教え込まれた「料理は愛で芸術だ」という言葉を思い出すようになってしまった。リベラで扱う料理はA級とB級の間のようなものだった。
 というのも店長はB級グルメをきれいに盛ってA級に見せるのが得意だった。芸術とはこの部分なのだろうと、僕なりの解釈で飲み込んだ。
 カナさんからはコミュニケーションを学んだ。とにかくカナさんは人とのつきあい方が上手く、誰とでも話ができた。
「無理に相手に入り込まないこと」がカナさんのコミュニケーション術のようだった。持ち前の明るく無邪気な笑顔は見るものを魅了し来店を重ねさせ、次第に心を開かせる。大変失礼な事だが、キャバクラでも通用しそうなテクニックだった。僕にはまだできない。神経痛の犬みたいに痙攣した笑顔になるだろう。
 
 12時が近くなると人が多くなり12:30頃にピークを迎える。僕はカナさんとピストンで押し出されるランチを各テーブルに配膳し伝票を客に押し付け、次のランチを運ぶ。これをいままで二人でやっていたというのに驚かされたが、カナさんは全く表情が変わらない。常に笑顔が絶えず、最近ではこの人はサイボーグなのではないかと疑っているくらいだ。13:30から14時くらいには客足は極端に減り、僕は先に休憩をもらう。
 この時の賄い作りが僕の楽しみのひとつで、店長から余った食材をもらい、あれこれと教えてもらいながら食事を作るのは楽しいものだった。今まで物をあまり食べてこなかったのを後悔したし、食べることは生きることなのだと痛感した。
 賄いが出来て食事に入り、しばらくすると15時の中休み(アイドルタイムというのを最近知った)で店長とカナさんが談笑をしながら、食事と共にやって来た。
「直人、おつかれ。大分馴れたな」店長は深いオレンジ色のナポリタンをテーブルに置いた。
「直人くんは覚えがよくて助かるよ。あの求人誌を広げてるときにピンと来たのは間違いなかったってことだね」カナさんはぽってりとしたトマトの挟んであるサンドイッチだった。
「カナの直感にはいつも驚かされるよ」
「店長も、直人くんなら料理もできるって、見抜いたもんね」
「そう。直人は筋が良さそうだったからな。それに、生きようとする人間は料理が上手い。俺の持論だ」
「また変なこと言ってる」
 僕の頭の上で、僕の話題が飛び交っている。なぜだか店長もカナさんも僕を高く評価してくれた。なぜかはわからなかったが、その期待は強く感じれたし応えるべきだと思った。
 
 休憩をし17時前になるとディナーの準備が始まる。予約が入っていることもあるが、それはたまのことのようだ。我々の準備を同じくして、ディナータイムのバイト、中村くんがやってくる。彼は店長と共に厨房に入る。
 気さくで話のしやすい彼は、僕と同じ大学で年はひとつ下だった。
「直人くんおつかれさま。疲れてない?」
「うん、大丈夫。今日出たら休みだからね。頑張るよ」
「よし、あともうちょいがんばろう」
 笑顔で僕の後押ししてくれた。彼は大学の経済学部に属しており、調理系のサークルに入っている。
もともとから料理が趣味で、休みの日は食材探しと調味料探しで過ごし、いつの間にか自宅は自宅でなくなり、下手な飲食店よりも食材と調味料に溢れているらしい。さらに近所から食材などの仕入れまで頼まれることもあるとか。その明るい性格で友人も多く、僕とはまるで正反対の世界に住んでいるといった印象で最初は苦手だったが、分け隔てなく接してくれてことで、彼とはとてもよい関係を持つことができた。
 
 ディナータイムと名前のついた時間帯ではあるが、煌びやかではないがホテルのブッフェスタイルのような堅苦しいものよりおしゃれなカフェでの夕食を楽しむのに適しているように思う。客層も様々で、ランチが一人から二人でサラリーマンやオフィスレディーが多数だったのに対し、ディナータイムは恋人同士や少人数の家族が多くなる。
 昼の明るい雰囲気から、夜はシックな間接照明が点灯し、店内をオレンジの暖色系の光が包んでいる。昼も夜も温かみに包まれた店であるというのが感じ取れた。仄かな灯りの元に人々は集まり、愛を語らい、そのひとときをこの店で過ごす。
 そのひとときを演出するスタッフの一人でいれることが喜びとして感じられるようになった。
 20:30のラストオーダーの時間、平日であると一組客がいるかどうかというのがほとんどである。実際今日は0人だった。そういう場合、店長は店を閉めてしまう。
 どのみちラストオーダーを過ぎていたし、これ以上店を開けておく必要はなかった。カナさんはドアにかかっているの札をしまうために外へ出たが、札と一緒にブレザーの女の子を一人連れて戻ってきた。おそらく高校生であろう。
「どうしたんですか?」
「うん、ここでバイトしたいって。外で閉店まで待ってたみたい」
「この寒い外で?」
 実際に女の子は震えていた。唇も青く、顔に薄いトーンを貼ったように暗くなっていた。僕は厨房に入り、中村くんに温かい飲み物をお願いした。中村くんはすぐ温めたミルクを用意してくれた。僕はそれと一緒に店長を呼んでカナさんのもとにミルクを運んだ。奥のテーブルで震える女の子とカナさんと店長の三人で、話が始まる。
「直人くん、どうしたの、あの子」
「ここでバイトがしたいって、閉店まで外で待ってたみたい」
「外、たぶん寒いよ」
「そうだね」
 
 少し三人で話してたと思うと、店長が僕らに先に帰れと伝えてきた。あとはカナさんと二人で片付けるということだ。僕らは言葉少なめに着替えを済ませ、外へ出る。
 ドアから一歩外へ出ると路地の外にある外灯の光だけで、気温はかなりの寒さになっていた。この寒さのなかでどれくらいの時間待っていたのだろう。学校が終わってからであれば3時間は待っていたことになるが、そうであるならばそこまでしてここでバイトがしたいという、覚悟が感じられた。
「じゃあね、直人くん。明日はごゆっくりね。」
「うん、おつかれさま。気をつけて」
 中村くんと別れ、家路につく。
 
 家とリベラは大体片道十分ほどだった。人通りも車の通りもなくなった通りをポケットに手を入れてのんびり歩く。帰りにいつものコンビニに寄って弁当ひとつと、飲み物を買う。いつもの店員は姿が見えない。おそらく昼間にいるのだろう。だとすれば彼と会えるのは、僕が休みの時だけとなるが、特に寂しさはなかった。
 
 外階段の乾いた音を聞きながら上り、部屋にはいると昼間の暖かさをほんのり残した冷ややかな空気に包まれていた。僕は弁当をテーブルに置いて冷えた体を温める為にシャワーを浴びる。一日の疲れが、温水と汚れと共に肌を流れて排水溝に吸い込まれていった。
 それを眺めながらしばらく動きを止めていたが、ガス代と水道代が気になりさっと上がる。体を拭きながら冷えてしまった弁当をレンジに入れて温め直し、音楽を聞きながら食事をした。唐揚げが温めすぎで固くなっていたが、味は悪くなかった。
 
 明日の休みで一旦の区切りがつく。 四日間の疲れが一気に襲いかかり、急な睡魔がやってきた。オーディオをオフタイマーにして布団にはいる。
 僕はその夜、一度も目を覚まさなかった。

2019年9月30日公開

作品集『PALS』最新話 (全8話)

© 2019 村星春海

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