木崎香織3

PALS(第6話)

村星春海

小説

2,261文字

いつもそばにある友情。それは香織にとって、とても重要な彼女を形成する要素の一つ。

 何も要らない、そんなことを毎日考えていた事があった。それは香織の昔の話。
 昔から両親は働き詰めなところがあり、よくどちらかの祖父母の家に預けられていたのが香織の記憶に深く根付いている。優しい祖父母ならよかったものの、香織はそれに関してはとても貧乏していた。
 香織はそんな冷たい幼少期を過ごし小学校を卒業するくらいには、一人でも苦しくならない方法を身につけ、空気のように中学へ進んだ。中学になってからは、両親が借家から出てアットホームな家庭にしたいと購入した分譲マンションの一室で、相変わらず一人で過ごしていた。高価なマンションだったはずだが、その購入資金に似合うほどアットホームにはならなかったのだ。彼女は今までよりも更に寂しい思いをするしかなかった。それがまだ中学上がりたての頃だったのならばなおさらだった。
 中学ともなれば祖父母の家に預けられることはなくなったものの、一人であることには変わらず両親は昔より忙しく全国を飛び回り一ヶ月に数日しか帰っては来なかった。
 一人でも問題なかった。他人とは深く関わらなかったし、誰も深く関わってこなかった。
ただひとり、佐伯多恵を除いて。
 
「先輩」
「…ん?」
 空虚になっていた香織は多恵の声で呼び戻される。ここはリベラ、多恵とランチの約束をしてここを訪れた。
「どうしたんですか、ボーッとして。あ、空腹が限界ですか?もうちょっとですから我慢してください。ほら、厨房から聞こえますよ…バターの焦げる音、フライパンが動く音、卵を溶く音…。あぁ、匂いまで。情景が浮かびますね。あ、オムライスですけど、卵の焼き方のコツって知ってます?火を弱くすることなんですよ。私もたまに作りますけど、スクランブルエッグをこう、丸めたような形にするのがポイントなんですよ。そうするととてもふんわり柔らかな、まるでベールみたいになるんですよ。いやいや、オムレツにもオムライスにもドレスコードがあるようです。その形じゃないとダメって感じです。…うーん、考えてたら私の方が我慢の限界です…」
 香織が感心してうなずくと、多恵はおしぼりでおもむろに手を拭いた。確かに奥からは調理の音が聞こえる。ボウルで卵を溶く音や、フライパンがレンジの五徳を擦る音、皿をして置く音。そのすべてが料理のためのオーケストラに聞こえた。
 窓際の男性客一人だけの店内は、仄かな太陽の光でふわりと柔らかな暖かさに包まれていた。ウエイトレスがオムライスを運んでくる。
「お待たせしました、昨日も今日も来てくれてありがとうございます。昨日とは違って、塩分は控えめです」
「お姉さんもスポーツしてたんですか?」多恵がウエイトレスに尋ねる。
「なぜですか?」ウエイトレスは首を傾ける。
「昨日の塩加減、すごくぴったりでしたよ。スポーツ経験者ならではの塩加減なのかなって」
「あぁ、昔、陸上をしてました。クラブが終わってからよく塩加減を強くしたポテトを食べてたんですよ。お二人は何を?」
「私たちはテニスです」今度は香織が答える。
「テニスも運動量が多いでしょう。適度に水分補給しながら頑張ってくださいね」
 確かに彼女の体には全身無駄な肉がなく、しなやかに締まった美しいボディラインだった。背筋も上から引っ張られたように伸び、歩き方もモデルのウォーキングを思わせた。
 三人はしばらく談笑したあと、ウエイトレスは厨房へ戻っていった。
 オムライスはふんわりと柔らかく、まるで赤ん坊の肌を思わせた(二人とも赤ん坊を抱いたことはないが)。
 
 食後はコーヒーを飲み、たっぷりと一時間半は滞在した。時間は12時を過ぎて人も増え出したので、二人はウェイトレスの「また来てね」という言葉を挨拶に退店する。香織はこのリベラを自らの予定調和の中に入れることを決めた。
 
 リベラを後にしての道すがら、多恵は午後から用があるといって香織と別れる。多恵の家は両親が幼少の頃に離婚してから母子家庭だった。兄弟もいないため、母親とは家族を越えた友達のような関係を築いている。おそらく、母親と出かけるのだろう。
 香織は一人大学に戻り講義を受け、講義のあとはサークルに参加した。いつものようにラリーをするが、他のメンバーでは香織のペースについていけない。消化不良を感じながらも、夕闇の支配するキャンパスを後にして家路につく。
 
 夜に支配される学園通りは、カップルや家族、友人達の集まりで賑わいを見せている。その組み合わせは様々な背景があって、様々な関係性を持っている。それらのほとんどは愛情や友情だろう。
 香織は昼間にふと思い出したことを考えながら歩く。今の状況を見ての事だろう。多恵がいないとこんなにもくすぶる様な感覚になるものなのかと香織は思う。
 多恵はたった一人でいた香織に、一筋の光をもたらす存在であった。成績優秀で文武両道の香織を周囲の人間は神格化し、崇め、羨望の眼差しを向け、あるものは嫉妬の目を向けたが、香織が望むものはそれらのどれでもなく、ただひとつの友情が欲っした。
 多恵は中学校の一年生の頃にテニスクラブで出会い、意気投合。それ以来一緒に行動している。
 香織を一人の人間として接し友情を与えてくれ、安心を提供してくれる大切な友達だった。香織がいつも多恵の側にいるのは、慕って友情をくれる事に対しての香織なりの恩返しだった。
 多恵のためなら、なんでもしてあげたいと思う。香織は常にそう考えていた。

 家についてすぐ多恵にラインを送ると、間髪いれずに返信がある。
「おかえりなさい、先輩」
 両親にかわっていつも、多恵がそう言ってくれていた。

2019年7月18日公開

作品集『PALS』第6話 (全8話)

© 2019 村星春海

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