木崎香織2

PALS(第4話)

村星春海

小説

4,779文字

予定調和は乱されると気持ちが悪いけれども、いい意味で変わるときは、それはとても新鮮なものだ。

 朝の何時だとか香織は気にして起きたことがないし、あったとすればもっと小さな頃だろう。少なくとも今の香織は太陽と共に目覚め、そして体は一気に覚醒する。
 強めのブラックコーヒーで景気付けをして、トーストを焼く間にスクランブルエッグを用意した。それはいつもの朝食内容で、たまに変わるのは目玉焼きかスクランブルエッグの違いだけで、それ以外は変わらない。いつも通りに動くのが彼女のポリシーで、予定調和が乱れることをもっとも嫌った。
 
 朝食を食べ終わり、大学へ出掛けるまでの時間をメイクと読書に使う。メイクといってもそもそも整った顔にすることはほとんどなく、純文学に費やす時間がほとんどだった。
 彼女は決定的なオチの見えないものを好み、逆に終わりがはっきり決まっている推理小説などは好まなかった。結果を自分で考え自分で考察し、読み返して辻褄が合うかどうかを楽しむのが彼女の読み方だった。
 
 あらかた時間が過ぎ、ジャケットを羽織り、コンバースのスニーカーを履いて外へ出る。東を向いている玄関を開くと、強い光が香織から部屋までを貫いた。
 空は高く風は少し冷たいものの、日差しはとても暖かかった。八階の廊下から見える景色は朝日のベールがかけられ、これから動き出す街の様相を香織に見せた。
 大学までの道すがら、数人に声をかけられる。文武両道、容姿端麗、大学センター試験もトップで通過し、テニスサークルに通いつつもその他のサークルのヘルプに入り好成績を出すなど、香織は大学では知らぬもののいない有名人だった。
 彼女の唯一の謎と言えば、なぜこのFランクの大学にいるのかいうことなのだ。誰にもその謎は解けそうにない。
「先輩!おはようございます!」
 正門に入る前に声をかけられる。
「おはよう、多恵」香織は微笑む。
「今日もいい天気ですね」
「テニス日和だね」
「ですね、今日も付き合います!」多恵はガッツポーズを作った。
 正門から入って真正面の棟に入る。二人は同じ学部だった。経済学部という将来の道が開けそうな学部だが、香織は特に経済学者になるつもりも、胡散臭い朝のワイドショーのコメンテーターになるつもりもなかった。今まで噛んだことのない知識を入れてみたかったと言うのが理由である。新しい知識が入るのはとても新鮮だった。からからに乾いたスポンジが一滴の水分を吸い上げ、そしていつか潤いが蘇るように、香織は新たな知識獲得を渇望していた。
 さまざまなサークルに助っ人で入るのはそうした潤い欲しさであるのはいうまでもなく、実際そうして彼女は「進化」を重ねてきて、これからも成長するだろう。
 
「先輩、よくじっとして講義を聞けますね…。私はぐったりですよ」
 午前の講義後のカフェテリアで、カレーを食べながら多恵は目の前でうどんをすする香織に問いかけた。
「そう?」不思議な顔で答えた。「私は楽しいけどなぁ。新しいことを知るって素敵じゃない?」
「それはそうですけど、ちんぷんかんぷんですよ。ほら、私って文系じゃないですか。なかなか入っていかないんですよ。こう、頭にコーヒーのフィルターが張ってあるんですよ、きっと」
 多恵はこめかみを押さえながら眉間にシワを寄せた。
「なに言ってるのよ。でもちゃんと聞いてるんだから偉いよ。多恵は人一倍頑張り屋さんだからね」
「え、そうですか?」
 そう香織が言えば多恵が奮起するのを、香織本人は知っている。多恵は良くも悪くも単純なのだ。
最後のうどんをすすりながら、香織は心の中で笑い、そしてそっと箸を置いた。
「多恵はほんとに頑張り屋だよ。一生懸命頑張れるってとてもすごいし、実際に成長してるじゃない。私はそんな多恵が好きよ。成長を止めたりやめたりしたら、現状維持だって難しいわけだから」
「はい、だから、先輩みたくなれるように頑張ります」
「よろしい、じゃあ午後の講義も頑張りましょう」
「はい」
 多恵は棒読みで答えを返し、二人は食器を戻して午後の講義へ向かった。

 午後の講義も香織にとっては目の前に散らばる宝石を見ているようだった。知識が講義室を舞い、すべての知識を片っ端からの脳に放り込んでいく。
 そんな話をしたとき、一杯になることはない某猫型ロボットの袋のようなものだと多恵に言われたことがある。実際にどれだけ詰め込んでも、香織の脳は知識を欲した。その強い欲求は時に自分を止めることができなくなることがあり、質問攻めにして講師をシステムダウンさせたこともあった。それは彼女がとんでもなく好奇心旺盛である証明だった。
 まわりの友人はそんな彼女に羨望の眼差しを送り、誰からも憧れる存在である。プライベートの付き合いが悪い事くらいが彼女の欠点だったが、多恵とは公私共に深い付き合いだった。
 15時くらいで受講を切り上げ、テニスコートへ出る。何人かのメンバーがすでに集まっており各々準備をし、香織と多恵の姿が見えると挨拶を交わした。さっきまで講義で疲れきっていた多恵も元気を取り戻し、体育を待ち望む小学生のようだった。
 朝からの晴天は午後まで持続して、テニスコートを明るく温かく照らし、これからボールを打つ二人を包み込む。
 
 この大学は私立であり、勉学よりスポーツ関連に力をいれていたのは、理事の多くがスポーツ出身者だったのが理由である。実際に学舎よりも運動場が広く、取り扱う学科よりも運動系のサークルの方が多い(という噂)。香織がこの大学に入ったのも家から近く、スポーツが思う存分できるからというのが理由のひとつであったのは間違いない。
 白を基調とした水色のラインの入ったウェアに着替えた香織は、空気のようにフワリと軽く、見るものを飲み込み、ひらりと舞うスカートは、近くの男たちを釘付けにした。彼女はいつも白を纏う。純白の白、純潔の白、純粋の白、清純の白。香織はその場に独特な雰囲気を作り、多恵がいつも香織の側にいるのは、その雰囲気を味わいたい為であった。
「さぁっ」香織はボールとラケットを手にする。
「今日も付き合ってもらうよ、多恵」
「もちろん、気がすむまで付き合いますよ」
 いつものように心を無にする。頭に知識を詰め込んだあとは、クールダウンするように心を無にして整理する。ラケットを振ると、吸い込まれる様に多恵のもとにボールは飛んでいった。
 
 陽が沈みだす頃、時計を見ると18時過ぎ、ざっと3時間は動いたことになる。ここに来ると、多恵の方が体力は上だった。未だに止まることなく動き続け、先に香織の方が根をあげる。
 多恵がここまで動けるのは、いつもハードなラリーに付き合ってるが故であるのは間違いなかった。
「先輩!」大きく手を降り、香織を呼ぶ。「まだ行けますよー」
「…ほんと、すごい体力だね」香織は疲れた顔で答える。
「先輩に鍛えられてますから」
「でも終わり!もう時間だよ、終わり終わり!」
「あ、逃げた」
 多恵の非難に耳を塞ぎながら、部室に逃げ込んだ。
 二人は着替えながら制汗剤を体に吹き、ウェットティッシュで拭く。香織の石鹸のスプレーの匂いが更衣室に漂う。爽やかな香りと共に部室をあとにして、一人片付けが好きな犬に似た顔の(ちなみにパグ)部長に挨拶する。
「お疲れ様です」
「おー、おつかれ。気を付けて帰れよー」
「はーい、お先です」多恵が答える。
 しばらく歩いてから多恵が香織に耳打ちする。
「ね?やっぱり一人で片付けてますよ」
「まぁ、邪魔したら悪いかもね」
 二人はこそこそ笑い合った。
 
 大学正門を出るとさっきまでコートを支配していた暖かいベールはどこかへ飛び去り、これから夜を迎える準備のために肌寒い風が徘徊していた。街はすっかり秋から冬へと向かっていて、日に日に日没は早くなっている。コートを着ている人もいるし、秋物を着ている人もいる。それはまだ季節が秋か冬かを迷っている様に見えた。高校生の自転車の集団が通り過ぎるのを待って、二人は歩き出す。
「先輩」多恵がおもむろに喋り出す。
「最近できたカフェ知ってます?」
「いつできたの?私知らない」
「この先の、すこし路地入ったところです。Liberaっていうとこです」
「へぇ、今日はやってるのかな?」
「多分。いってみます?」
「そうね、新しいとこは気になるね」
  香織は多恵の提案に乗り、目的地を目指す。
 
 Liberaは大学から歩いて10分ほどのところにあり、表通りからはわかりづらい場所にあった。
イタリアのナポリにありそうな、石造りの外観をしている。木の扉にかかる木製のプレートにはアルファベットで[Libera]とかかれており、香織は自由主義か中立の事だろうと推測した。
 扉を押すと頭上にある鐘がカラカラと乾いた音を響かせ、店内に来客を知らせる。
「いらっしゃいませ」と30歳前位の背の高いポニーテールのウェイトレスが窓側の席まで案内をしてくれた。
 二人の他には2組ほど女性ばかりで、席数は10席ほどだった。木の丸いテーブルには角砂糖が入った蓋がオレンジ色のガラスの瓶と、ステンレスの紙ナプキンスタンドが定規で図ったように並べられてある。カトラリーケースにはナイフとフォークが行儀よくセットされ、真っ白な布が布団の様に被せてある。それらがすべての席に同じ様に置いてあり、店長が几帳面であることがよくわかる。
 
 先程のウェイトレスが水とおしぼりをとメニューを持ってくる。二人はそれをパラパラとめくり、いつもファミレスで頼むものと同じものがないか見る。
「あるよ、多恵。これでいい?」
「はい、それで」
「じゃあポテト一つとコーヒー二つで」
「はい、かしこまりました」
「あ、あと」メニューを持って行こうとするウェイトレスを引き留める。
「ポテトの塩気を少し増やせますか?」
「できますよ。お二人は運動のあとですか?」
「え?えぇ、そうです」
「かしこまりました、適した塩分量にしておきますね」
 ニコッと微笑むとウェイトレスは厨房に入っていった。
「ふーん」多恵が声を漏らす。「あのウェイトレスさん、スポーツでもやってたんですかね?適した塩分量とはなかなか言いませんよ」
「そうね」
 しばらく二人はそのLiberaの雰囲気と建物の内装をなめるように見渡す。基本的に何もないというのが感想だった。店内BGMはかすかに古いジャズが流れ、薄い茶色の壁紙が目に優しい。
 童謡に出てきそうな大きな振り子のついた古時計がコチコチとリズムを取り、優しい雰囲気を演出している。いつも行く騒がしいファミレスと違い、心休まる空間を上手に演出しているなと、香織は思った。
 
「お待たせしました」
 コーヒーの香りがするのと同時にウェイトレスに声をかけられる。深いブラックの温かなコーヒーと、真っ白な皿に盛り付けられたポテトが配膳された。
「ポテトの塩加減、スポーツ仕様になってますからね。どうぞ、ごゆっくりなさってください」
 そのままウェイトレスは下がったが、スポーツ仕様のポテトというフレーズが二人の笑いポイントだった。
 ゆっくり一時間ほどLiberaで過ごし、会計を済ませて外に出る。
「あのポテト」多恵が口を開く。「確かにスポーツ仕様かどうかはともかく。いつものファミレスみたいに塩辛いだけじゃなくて、なんというか、深い塩分でした」
「だね。ビックリしたよ。あんなに美味しいの食べたのはじめてかも」
 二人はそれぞれの感想を確かめ合いながら、大通りに出る。陽はしっかり沈んで夜になっており、談笑をしていた二人はそれぞれの帰路につく。
「また行きましょうよ。普通にランチとかでも」
「うん、スポーツ仕様のなにかが出てくるかもね」
「それ、食べてみたいです」多恵は新しいおもちゃを与えられた子供のように微笑んだ。
「じゃあ、先輩。また明日」
「うん、気を付けてね」
 多恵は手を振って歩いていった。
 一人帰路につく香織は、Liberaという新しい物を自分の予定調和に入れようかなと考えながら、夜の街を歩いていった。

2019年6月29日公開

作品集『PALS』第4話 (全8話)

© 2019 村星春海

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