木崎香織

PALS(第2話)

村星春海

小説

2,199文字

木崎香織。彼女は自ら道を開いてその道を進む、とても自立した人間だった。

 フェンスに囲まれた都南大学のテニスコートは、いつもサークル部員の手によって清潔、整理整頓が行き届き、他のむさ苦しい男子だけの部室とは比べくもないほどに整っている。その清潔、整理整頓を維持しているのは、そのテニスコートで熱心にラリーに打ち込む木崎香織だった。
 香織はいつもの様に、飛んでくる黄色いボールをラケットで打ち返す。ボールは素直に、小気味のいい音と共に黄色いボールは相手コートへ吸い込まれるように飛んでいった。
 コートを支配するのはラケットの音とシューズの音と彼女の荒い息だった。額に浮かんだ汗は夕日に照らされ青春の煌めきを放ち、美しく線の細かいロングの髪は洗濯したばかりのレースのカーテンの様にひらりと翻った。
 しばらくラリーをして一息つく。冷たいドリンクが喉から食道へ入り、火照った体を内側から冷やしていった。このラリーあとの一息を、香織はとても愛していた。汗を流し二酸化炭素を吐き大きく酸素を吸い込み太陽光を浴びると、大学の講義あとの気だるい不快感がすべて流れていく様に感じるからだった。

 呼吸が整った香織は、ずり上がったウェアの裾を下げ、下がったスカートを上げて、姿勢を整えた。再びラケットを手に取り、相手コートにいる後輩に声をかける。
「多恵、どう?もう一度付き合ってくれる?」
「はい、大丈夫ですよ!」多恵と呼ばれた女の子は元気よく答える。「先輩の気の済むまで、私は付き合いますよ!」
 多恵はスカートを翻してポジションにつき、香織からのサーブを待つ。香織はボールを手に位置につき、ふと目を閉じた。
 なにも考えない、無心になる。大会でもなければ、この瞬間に彼女がなにかを考えることはない。心を空にしてサーブを打つからこそ、意味がある。
 
 気が済むまで打ち終わった後、そこに残ったのは清々しい疲労感と、血液の様に空を染める真っ赤な夕焼けだった。
 日も落ち始め、香織はコートを後にするメンバーを見送り、メンバーは二年目で副部長になった香織に挨拶をして、各々の自宅に帰っていった。今日休みの部長に代わって、部室の戸締まりを多恵と共に進めていく。いつも多恵は、そのすべてを盗む機会をうかがっているかの様に、香織の後をついて回っていた。
「いつもありがとう」
 香織は部室の鍵を閉めながら、後ろのでロッカーの扉を開けて換気をする多恵に声をかける。
「いーえ」多恵は即座に答える。「私が好きで先輩の手伝いしてるんで、気にしなくていいですよ」
「部長のときも手伝ってあげたらいいのに」
「いいんですよ。部長は一人で片付けをするのが好きな変わり者ですから」
 確かに、と形のいい唇の端に笑みを浮かべて香織は笑う。
 
 私服に着替え、二人はキャンパスを後にする。とりとめもない話をしながら平日なりの少しだけ賑わった夕方の学園通りを歩くと、その喧騒に気分は少し高まる。近くのファミレスに入ってコーヒーと塩気の強いフレンチポテトを食べ、流した汗の塩分補給をする。最近の大学の講義は退屈だとか、経済学部の教授の頭髪の具合とか、学食のラーメンが美味しくないとか、大学生ならではの会話に花を咲かせる。
 しかしそのほとんどは多恵が話し、香織が相づちを打つといった感じだ。香織にとって多恵は、音楽を吐き続けるジュークボックスかラジオの様なものだと思っていた。そして、大切な友人だ。
 中学生の頃からテニススクールで一緒に成長してきて、香織がここまでテニスに関して一芸があると言えるようになったのは他ならぬ多恵のお陰であり、いつも一緒にいる妹のような存在だったし、多恵自身も香織を慕って同じ大学に入った。
 そして二人はそれから同じ時間をずっと一緒にいる。

 あらかたいつもの女子トークが終わると、会計を済ませてすっかり暗くなった外へ出る。帰宅ラッシュも終わり、車も少ない。
「それじゃあ先輩、また明日」
「うん、気を付けてね。また明日」
 ここで二人は別れた。香織は一人、学園通りをゆっくり離れて次第に喧騒が遠くに聞こえる場所まで歩く。多恵と別れたあとは、少し寂しい感じがした。夏祭りから帰り、その賑わいを遠くで聞いてるような虚無感がそれに合う気がした。
 オートロック付きの自宅マンションに着き、エレベーターから降りてきた人と挨拶を交わして4階へ上がる。よくこの時間に顔を会わせる若い男だが、香織は彼が何をしている人なのか、名前さえも知らない。とにかくいつもなにかに追われるようにエレベーターから降りてくるが、夜の仕事をしていて遅刻しそうなのだろうと心配していた。
 玄関に入るといつも通り誰もいない。両親は忙しく、一ヶ月のほとんどは県外をうろうろしている。
中学生の頃からこんな生活だが、特に寂しさを感じない。一人でいるのは辛くないし、帰ってからその日の講義の復習をする彼女にとってはむしろ静かな方が有り難かった。
 部屋着に着替える前に、彼女は服と下着を脱いで洗濯機に放り込むと浴室に入りシャワーを浴びる。体から汚れを剥ぎ取りながらお湯は彼女の美しい体の稜線に沿って流れていく。それが排水溝へ流れるのを見ると、香織は気分が良くなっていく。
 インスタントのコーヒーを片手に自室の机に腰かける。そこで一口コーヒーを飲むが、さっき多恵と飲んだコーヒーと違ってそれは不味いものだった。
 それから就寝まで五時間ほど、本を読んだり今日の講義の復習をしたりしたのだが、コーヒーはそれ以上減ることはなかった。

2019年6月27日公開

作品集『PALS』第2話 (全8話)

© 2019 村星春海

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