悲しい鹿(プロトタイプ)

村星春海

小説

3,151文字

noteで連載している「悲しい鹿」の初期構想品です。主人公が女性であるという点以外、さして共通点はありませんが、「プロトタイプ」の文面は本作の「悲しい鹿」の作中で使っています。
心がにっちもさっちも行かない「私」が、死を通して先に進む、というコスられまくった内容ではありますが、よろしければ読んでください。三千文字程度です。

 唐突に、ドキュメント番組に映っていた崖にいるニホンカモシカを思い出した。
 ニホンカモシカは人間の立ち入ることの出来ない、ほぼ直角といっていいほどの崖に爪を立てて立つことが出来る。そんなところにいる理由は忘れてしまったが、その異様な光景が私の心に焼き付き、たまにふと思い出させる。
 前に思い出したきっかけは、鳥取県の大山にある三徳山三佛寺の投入れ堂だった。遠くから放って形良くはまりこんだ姿は美しいながらも人を寄せ付けない独特な雰囲気を出していて、その雰囲気が愛嬌ある姿でありながらも人の立ち入れないところにいるニホンカモシカを連想させた。

 そして今回はなにかきっかけでこんなことを思い出したのだろうかと考えたとき、私がニホンカモシカと同じ立場にいるような気がしたからだ。
 数年付き合った彼が私を突き放したとき、必死で愛嬌を振り撒いていたという事に少しの羞恥が生まれた。彼の去っていく後ろ姿を観たときの私自身のざわついた心は山間を吹き抜ける風のように強く冷たく、なおかつ体を痛め付けていった。

 彼の言った言葉は忘れられない。
 君はいつでも僕との間に壁を作るよね、と、身に覚えない事を言われれば、否応なしに心に刻み込まれる。
 何を言ってるのよ、それはあなたじゃない。私はいつだってあなたに尽くしてきたのに。
 そう声を荒げたところで彼は私を見ている振りをして、何もない空虚を見つめていた。そんな目で見ないで、私をちゃんと見て、私が泣きながら言っても彼は見てくれなかった。
 人は自分で自分の事を気づけるほど、視野は広くない。手先の器用さを得るために目を前に持ってきて視野を狭めたのだから。かといって前にあるモノを良く見ているかというとそういうわけでもない。気づけばいつも視界から消えて自分の遥か後ろの彼方へ、青方偏移で青くなりながら遠ざかっていて、最終的には居なくなってしまう。
 結局私は孤独の宇宙に一人、取り残されてしまった。

 考え込んでも仕方がない問題だった。
 崖っぷちに立ち私は自分を見つめ直さなければいけないと考えても、私は自分になんの過ちがあるのかもわからなかった。

 夕暮れの支配し始めた自分のアパートの一室。ベランダのある部屋の窓を開けて、時折通る車や人の話し声を聞く。夏が次第に近づくと気温も上がり、夕方でも若干の蒸し暑さを残し、セミの声も大きくなった。
 私はショートパンツから伸びた脚に付いた畳の跡を掻きながらゆっくり立ち上がり、冷蔵庫から飲みかけのコーラを出して飲んだ。綺麗に冷えてはいるが炭酸はすっかり逃げ出し、甘黒い水となっていた。
 飲むだけ飲んでペットボトルをゴミ箱に放ると、体にへばりついたような汗と湿気が途端に私の心に染み込むような不快をもたらし、首筋がチクチクと痒くなった。ショートパンツとタンクトップと下着を脱いで洗濯機に投げこみ、私は昨日の入浴時の湿り気の残る浴室に入った。
 ぬるめのシャワーを浴びる。頭からお湯を浴びると、私のショートヘヤーは濡れて首に巻き付いてくる。先程の痒みはもうない。お湯はそのまま控えめな乳房を伝い二手に別れ、一方は乳首から床へ落ち、一方は乳房の下に潜り込み腹の方へ流れた。腹の方へ流れたお湯は三手に別れ、一方は申し訳程度に生えた陰毛を伝って床へ落ち、二手は両足から床へ落ち、排水溝へ流れた。
 こうしてみると我ながらスタイルはいいと思う。(胸は小さいが)
 しばらく流れるお湯を考察した後、シャンプーで頭を洗って汗を流し、石鹸で体を清めた。
 水と共に排水口に消えていく白い泡を見ていると、私は今まで何をしていたんだろうと思ってしまう。何かを垂れ流し、結局何も残っていないのだ。きれいさっぱり流れてしまい、水垢のように心の底に沈殿し、それが私の心の汚れとしてこびりついていくのかと思うと、心底うんざりした。

 シャワーを止めて体をバスタオルで拭いて裸のままで開け放した窓からの風を纏うと、少しは気分が軽くなった。外は次第に日没を迎え、体が冷えてくると窓を閉めた。
 下着をつけて服を着て、冷蔵庫から忘れ去られた食材に集合をかけてビールのアテを作った。氷の様に冷えた缶ビールとアテを持って居間のテーブルに置き、見もしないテレビをつけると、案の定内容のない番組が流れていた。ビールでアテを黙々と流し込んでいたが、良くない酔い方をしそうで不安になった。缶は汗をかいて、テーブルに水たまりを作った。
 私は飲むつもりだったあと一本を冷蔵庫にしまい、昨日の余りの冷飯をジャーからよそって、残ったアテをおかずに夕飯とした。私は冷飯食らいだ。食事を提供する相手もおらず、自分自身すらその提供相手になりえないのだ。
 自己嫌悪、悪酔いだ。これはきっと悪い夢を見る。

 崖っぷちだ。誰かに助けてほしいと懇願したところで周囲には誰もおらず、前にも後ろにも進めないところにいるのが分かった。手を見るが手が見えず、ビニールのほうきのような硬い体毛が全身に生えていた。
 カモシカだった。私はまさに崖の岩肌に立つカモシカで、何時からかじっと身を潜ませていた。辺りは真っ暗で夜なのはわかるが、夜が始まったばかりなのか夜の終わりごろなのか、自分の部屋ではないので時間がわからない。空の星も見えず崖下も見えず、どれ程の高さの崖なのか皆目見当がつかず、ただ見えるのは乾燥した老婆の様な岩肌だけだった。
 どうすればいいのだろう。私は昔、漫画で見たある部屋を思い出した。入れられたが最後、出口は固くロックされ次第に壁が狭まってくる。次第に壁は狭まり体は20センチくらいにまで圧縮され、次はその隙間を埋めるように横から壁が迫ってくる。そして、人間はただの肉塊にされる、というものだ。
つまりはどうすることもできず、足の痺れで落ちるのを待つ状態だ。
 でも、私は嫌だ。もうこんな苦しいのは嫌だった。こんな生き地獄が続くくらいなら飛び降りてやる、どうせ、もう私は一人だ。帰れたところで誰も待っていないし、アパートの一室でビールと冷飯を胃に流し込んで、シャワーのお湯を目で追うだけのそんな生活に、なんの希望も目的もないのだ。
 少しでも遠くへ飛ぶために私は四本の脚に力を入れ一気に爆発させると、今までいた崖はあっという間に闇に紛れて見えなくなった。何も見えないという一抹の不安はあったけど、なぜか妙な高揚心が私を包んでいた。

 目が覚めると、私は布団の上で掛け布団を蹴って寝ていた。奇妙な夢を見たと、ふと思った。
 体を起こして窓を見ると、朝日がカーテンの隙間から差し込んで埃をダイヤモンドダストの様に光らせている。ひとつ呼吸をすると喉に古綿を詰め込まれた様に、ガサガサとしてヤニのような臭いがした。首元を触ると汗で湿って、胸の谷まで汗が溜まっていた。
 顔を洗って歯を磨くと幾分か頭はスッキリし、少し夢の内容を思い出した。恐らく私はカモシカで、勢いをつけて飛び降りた。が、そこからの記憶はない。
 冷蔵庫からお茶を引っ張り出して半分ほど一気飲みをしてテレビをつけると、昨日のテレビの内容よりは中身のあるワイドショーが流れてきた。
 夢をネットで調べると内容の割には吉夢だと書いてあった。どこまでが本当かわからないし信じるべきかわからないけれど、とりあえず良い方向で考えるように努める。
 カーテンと窓を開けて外の風を引き込むと爽やかな清涼剤の様な風が部屋に入り私の周囲を回ると、心がベールで包みこまれた様な安らかな気持ちになった。こうなってしまったのなら仕方がないと、私は自分に区切りをつける。私は夢の中で死んで、少しは変われるのかもしれない。
窓からの生活音が私に日常を呼び戻させ、現実を生きることに誘う。
 昨日までの衣類を洗濯機に放り込むと、新しい夏物の服をクローゼットから引っ張りだした。

2019年10月1日公開 (初出 https://note.mu/murahoshi/m/mb6c448faa954

© 2019 村星春海

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