火男

村星春海

小説

3,511文字

氷男とは違います。
でもちょっと意識してます。

耐え難い時の流砂の中であっても、私はあなたからの言葉を聞き流さなかった。胸に刺さるアイスピックの様に、じっとりと胸を染める赤い血があなたの言った言葉の鋭さを示していたのだ。誰の目にもわかるように、私は恋に崩れ落ちたのを覚えている。
「いいんだよ。そのままの君で」
あなたはそう言って私の頭を撫で、そして「愛してやる」と一言胸に突き刺した。粗暴なまでの愛の言葉。私の意見なんて一つも聞いちゃいないんだ、この人は。でもきつく縛りあげられる程に私の体は喜びの悲鳴を上げ、心は淫靡な鼓動を打ち乱れた。つまり早い話が私は彼に捕らえられたのだ。

彼、つまり「火男」と出会ったのは今から約一年ほど前。務める会社の新入社員の歓迎会に数合わせで仕方なく呼ばれて参加した私は、ニ十人ほどの座敷の隅っこで少しずつのビールと気持ちばかりのスルメを食べながら時間を潰していた。多分うまく行けば気づかれずに抜け出し、解散時にも誰にも気づかれなかっただろう。ただタイミングが遅かった。もうちょっと早ければ火男に捕まることもなかったのだ。
「ねえ、一人で飲んでて楽しい?」彼はビール片手に私の空いていた隣に座り込んだ。「ずっと見てたけど、誰とも話ししてないし何しにここへ来たの?」
それは私のセリフだ、と言いたかったが、他の部署の誰かもわからない男と警戒せずに話をするほど、私は柔らかくない。
彼はそれから暫く勝手に喋り、私に情報を植え付けた。
私の一個上で同じ部署の所属。地方から出て来て一人暮らしをし、彼女は暫くいない。自炊をまめに行い、休日は冷蔵庫を調理済みの食材で埋めることを楽しみとし、酒とタバコは楽しみの一つではない。他の趣味は特になく、たまに見る野球中継位でしかテレビを見ない。ラジオが彼の生活音の多くに含まれ、音楽を垂れ流す事が好きだった。彼は外見上、特に目立った特徴はなかったが、切れ長の瞳に、剥きたてのゆで卵の様なつるりとした肌と、そして誰もが羨むほどに長身だった。とりたてハンサムともいえないが、どこか人のこころ打つであろう風貌だった。ほのかな温かみを帯びた肌は周囲の景色をぼんやりと揺らせた。
私は暫く彼の風貌を見ながら適当な相槌を打っていたが、会話の端々にある「反し」に興味を惹かれた。チクチクとどこかを引っ掛け、セーターを少しずつほつれさせる感覚に似ていた。私はいつの間にか彼の話を聞いている事に気がつき、そしていつの間にか彼が黙って私の顔を見ていることにも気がついた。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです」
とっさに私は目を反らし、目の前のビールに手を伸ばして底に溜まったひとくちを飲み干した。ぬるくて気の抜けたビールはただの苦い水だ。
「君は聞き上手だね。つい喋りすぎてしまうよ」彼はささやくように言った。
「そう、ですか? そんなこと言われたのは初めてです」
「そうなんだ。きっとそうだよ。僕は普段こんなに喋らないんだ。君とならなんでだろうね、喋りすぎてしまうよ」
彼は私を相手に、それから暫く喋り続けた。とても流暢に。そして私が彼に吸い寄せられてしまうのも、いわば致し方ないものなのだったかもしれない。なぜならば、ズカズカとサンクチュアリに踏み込んできた人間は数多くいたが、きちんと靴を脱ぎ、しかもちゃんと揃えて上がり込まれたのは初めてだったからだ。
そして彼は自分を「火男」と名乗った。
新入社員歓迎会から、私と「火男」はよく話をするようになった。デートにも行った。彼はいつもくすぐるように私へ話しかけ、私はその感触を楽しむように頷いた。彼の会話の端々には、初めてあったときに感じた、チクチクとする感触の他に、どこかに潜むチリチリとした欲望のようなものも感じ、私は何度目かのデートの時に、それが、彼の私に対する欲情の予熱だと気がついた。男が女に対して持つ、一番わかりやすくて重要な感情で、私が嫌いなものでもあった。
でも、彼に対してはなぜかそんな風に感じなかった。これは私にとって意外な事実だった。今まで少しでもそんな感情に触れるだけで寒気がしていたのだが。彼は今まで知り合った男性とは何か違うところがあるらしい。それが何がというのはよくわからないのだか、それでも私自身が拒絶反応を示していないのだから、私はこのまま彼と一緒にいるのが一番いいのだろうと思うようになった。

春の陽気が凍った土をじわりと解かしていた、春のある日。私は特にすることもなくいつも一人で近所の川の土手を歩き、過ぎゆく季節の痕跡と、歩み寄る新たな季節の気配を感じながら日の目を見ない詩人のような時間を嗜んでいた。かいつまんで言えば暇なのだ。特に用事ない日はいつもこうして何かと付けた理由を喰みながら近所をうろうろし、なんとも言えないセンチメンタリズムを楽しむのが日課だった。
こんな変な人間に恋人ができるわけもない。出来たところで休みの日になる度に鬱みたいになる女を誰が継続的に愛すだろうか。それこそ相手を鬱にしてしまう。だから私は愛されることもなければ愛することもない。それに生憎だが、今まで両親を別にして、誰かを愛したことなどないし、本当の愛とやらを見たことも聞いたこともない。本当に存在するかなんて言うのを学生の時分に見てみようと思ったが何の事はない、男子が欲したのはただの肉体関係だけだ。幸か不幸か、私は可愛いのだ。言い寄って来る男など、村上小説の全主人公が食べたピッツァの数より多い。私はしばらくはそれらの男たちを相手にしていたが、虚しさゆえにつかれてしまった。それ以来私は、物憂げな詩人や、売れない詩人、はたまた書いた作品に翻弄される詩人の真似事をして過ごし、その気味の悪さに次第に言い寄って来る男も減り、私は本当の意味で開放されたのだ。つまり厨二病を惜しげもなく出したのだ。それが大体、中学の終わりから高校入学してすぐだったので、私の高校生活は一気に漆黒の闇を疾走する重厚な闇〈グラヴィティ・ダークネス〉の様になったのだった。
そんな高校生活を卒業すると、ある程度目が覚めた私はそれなりにまともな大学生活を送っていたのだが、地元の大学へ進学したためか私の高校時代の噂は見事に伝播されており、他の人間からは冷ややかな対応をされてしまった。仕方あるまい、と私は思った。人の輪から外れるというのは簡単で、裁縫糸をチェーンソーで切るくらい容易なことだ。
社会人となった今でもそれは変わらなかった。一人で生きている自分に陶酔し、他の烏合の衆とは違うのだという感覚で溢れ出る脳内麻薬で、私は一人ラリっているのだ。誰にも触れられたくないサンクチュアリ。聖域を侵されないように私は常に気を付けていた。はずだったのだ。

ある日、私は何度目かのデートの時に、堰を切ったように今までの私の歴史を話した。今まで聞き役だった私が多く喋るのに驚きながらも、静かに、あたかも実はそこにいないんじゃないかと思わせるほどに希薄な存在となって聞いていた。あまりの反応の無さに彼がいつの間にか死んでしまったのではないかと不安になったりもしたのだが、私の話が終わる頃には彼はしっかりとそこに戻ってきて、薄っすらとまぶたを開いた。
そして彼はこう言ったのだ。
「いいんだよ、そのままの君で」
彼はトレーシングペーパーの様にうっすらと消え入りそうな声で呟き、そして私の頭を撫でた。その時、胸に強く痛みが走ったように感じた。アイスピックの様に鋭くて冷たい痛みが心臓にまで達し、私の体温で温まる前に血が滲むような気がした。
「愛してやる」
刺したアイスピックを彼がぐるりとねじり込むと、私はもはやオーガズムに達していた。身体的にではなく、彼は二言で私の精神を汚したのだ。私はじわりとした。
私の中にあるどす黒い何かが這い出してくるのを感じ、そして彼はそのどす黒いなにかごと私を抱き、その時初めて身も心も充分に満たされながら彼の腕の中で私は身体的に達した。完全に支配されたのだと実感した。

私は後に彼と結婚した。彼はいつも優しくていつも誠実だった。浮気もせず、酒を一杯も飲まず、タバコ一本も吸わなかった。独身時代のように調理済みの食品で冷蔵庫を埋めることを趣味とし、私自身に家事をしろと詰め寄ったこともない。だから私は仕事を退職することもなく今までどおり働き、逆に彼は会社を退職して簡単なアルバイトを始め、言ってみれば主夫となっていた。
私は特に問題はなかった。彼がそうしたいのならそうすればいいし、私自身も家事は得意じゃなかった。適材適所で分担すればいいのだ。
ある時ふと思った。そんな女っぽいところのある彼は確かに「火男」だったのだ。

2019年10月13日公開

© 2019 村星春海

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