加奈子が自転車で隣町のスーパーに来たのは午後八時を過ぎたころだった。虫の死骸がたまった蛍光灯の看板の下をくぐって自動ドアを抜けると、薄暗い売り場が広がっている。作業服姿の男が奥の惣菜コーナーで弁当を漁っている。髪を赤く染めた若い母親が同じ髪色の子どもが乗ったカートを押して漫然と歩いている。四つあるうち唯一開いているレジでは、大学生のアルバイトとおぼしき店員が精算に来る客を退屈そうに待っている。防犯カメラの位置を確認しながら、加奈子は今夜の狙いを絞った。値の張るメロンやマンゴーの棚を素通りし、青野菜の値札に目を配る。リンゴの品定めをするふりをしたあと、すかすかになった豆腐と納豆の棚を背にして加奈子は足を止めた。
「おつとめ品」という手書きのポップが貼られた木製の二段の棚が通路の脇に無造作に置かれている。その下の段、しなびたアスパラガスの横に一個だけ並ぶ甘夏の黄色が加奈子の目を引いた。搬入の途中で地面に落ちたのか、皮の一部が黒ずんでいる。へたの近くに一〇〇円の値札シールが貼られている。値引き価格にもかかわらず、他の客は見向きもしなかったようである。数時間後には間違いなく廃棄されるだろう。手に取ってみると、ずっしりとした確かな重みがあった。加奈子は肩から下げているかばんに甘夏を入れ、まっすぐ出口に向かった。
全速力で自転車をこぐあいだ、心臓は高鳴り、アドレナリンが全身の血管を駆けめぐった。加奈子が万引きをはじめたのは二ヶ月ほど前、高校の帰りに立ち寄ったスーパーで詰め放題のシークヮーサーを一握りポケットに押し込んだのが最初である。自分でもなぜそんなことをしたのか分からないまま、いつの間にか同じようなことを繰り返していた。生活に余裕はなかったが、食費に困るほどではない。捕まって父親や高校に報告されるのが怖くないわけでもない。でも加奈子がいくら想像力を働かせても、警察に呼び出された父親がどんな顔をするのか思い浮かばなかった。
父親が花束を抱えて勤め先から帰ってきた日、加奈子はどう言葉をかけるべきか迷った。一応自主的に早期退職したことになっているが、実際は人員削減で会社から放り出されたようなものだった。五十代の前半で再就職のあてもない。辞めてしばらくはハローワークに通ったり「顔をつないでくる」などと言ってかつての得意先の知り合いを飲みに誘ったりしていたが、ここ半年ほどは一日じゅう家に引きこもっていることが多い。電話一つかかってこないようだった。
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