私の知らぬ間に妻が小説を書きあげ、あろうことか出版していた。
そんな夢だった。
妻はその小説のことを「ジュブナイル」だと私に説明した。ものを読み、ものを書く生理を持たぬ女の口から出たその言葉は、私の脳にある知識から引き出されたものにちがいなかった。つづけて妻が言った、「でも十冊しか売れてないの」というぼやきで、妻は私であり、要するにこれは自分のつぶやきなのだ、と、停泊するまどろみの中で一歩半ほどこちら側の世界に足をふみ込んだ私は確信した。へんな時間に目覚めてしまった。
妻の寝息が聞こえる。私は寝室を出た。
書斎では、部屋の電気はつけなかった。その方が夜の霊気を感じられるからだ。デスクライトで手もとを照らし、原稿用紙と向き合った。
書くべき何かを見うしなってしまった。重くそう感じた。失意を感じる暇もなく、氷のうえでバランスをとっているうちに、一日は一週間になり、一ヵ月になり、一年になった。三年になった。その間、まわりの作家は、つぎつぎと「傑作」を書きあげていった。みじかいものなら書けるかもしれないと思い、妻とのことをふくらませてインクのシミに滲ませたが、ものになりかけたところでむなしさを感じ、こちらから積極的にものにしないことで、せまりくる何かを回避した。それが、一週間前の今日だ。いいかげんに向き合うべきなのかもしれない。そう思い、さきほどの夢を文字に起こした。しかし、朝目覚める場面とか、主人公が夢の中をさまよう場面からはじまる小説ほど陳腐なものもなく、冒頭の一行を書きつけた瞬間に、この小説が日の目を見ないであろうことは充分に予想せられた。
「あなたは凡庸なんですよ」
と、いつかの横沢先生のメールにはあった。それがおまえの武器なのだとおっしゃりたいのはつたわったが、私の凡庸につきあってくれるほど、今の出版社はうるおってはいない。私は、島崎に電話した。
――間違いですよね。
何十回目かのコールでようやっと応答した島崎の一言目は、むろん、殺意にみちていた。
「ジュブナイルだよ」
と私は言った。島崎の息づかいが聞こえる。
「ジュブナイルものを書けば好いんじゃないかな」
と私は、文章を構築した。
――だれが。まさか先生がですか。
島崎がまどろみの水面で口を開けているのはあきらかだった。私は少しく声のトーンを上げ、
「そうだよ、ジュブナイルだったらどうだろう」
と言った。島崎は、まわらぬ口でその言葉を何度かくり返し、
――いや、無理でしょう。
と言った。あれには技術が要ります。短歌ばかり書いていた人がすぐに新聞記者になれないのと同じです。
「新聞記者なら何年かやっていた」
だったらなおさらぼくの言っていることが判るでしょう。だいたい、先生は少年とか少女の気持が判るんですか。お子さんもいらっしゃらないのに。島崎は一息でそう言った。
私は黙した。
もとより聞き耳を持たぬ人間に何を言ってもむだであった。よなかの紛擾は決別をもたらしかねない。私は撤退することにした。
電話を切った。
つむがれることがなくなった、つまりは、言いよどんだまま息絶えてしまった言葉のかけらがうめ込まれた原稿用紙をまるめて机の端にのかして、デスクライトを消した。くらやみの中で、表現の燃えがらのけはいがただよった。
書斎を出ると、リビングからあかりがもれているのが目に入った。入ると、テーブルで頬杖をついた妻がワインボトルと対峙していた。どうしたのかと問うと、ただ目覚めただけという答えがかえってきた。私は妻と向き合って坐った。
「うるさくしてすまなかった」
妻はコクリとうなずいた。そうして、グラスに注がれているワインを口にはこんだ。
「きみの夢を見たよ」
「嘘ばっかり」
「いや本当なんだ。きみは小説を出版していた。たしか……」
ジュブナイルという言葉が出なかった。なので、
「子ども向けの」
という言葉をえらんだ。表現の重力がうしなわれた感じがした。
妻は、
「またバカにして」
と吐きすてた。が、そのひびきは至って澄明であった。私は満足した。おそらくは妻も満足した。場の空気がふくらんだ。
「きみの、その、子ども向けの小説は十部しか売れてないらしいよ」
「出版社は大損ね」
妻はワインをのむ。
「出版社なんぞ知ったことではないが……」
と言った私の脳裏には、島崎の顔がうかんだ。
「わたしの本を企画した編集者さんは、きっとクビでしょうね」
私はうなずいた。妻のまつ毛に、部屋の照明器具から発せられた光が乗り、とろりときらめいた。ちょっと目が腫れているようだ。
妻はワインをのむ。
「そうなると、こんどはアレだな。本を買った十人のことが気になるな。どんな子が本屋で親にねだったものか……」
わたしね、と妻は言った。「買ったのは子どもじゃないとおもうの」
大人か。
大人……、そうね、それも男。
「どんな男」
「さあ」
妻はワインをのむ。
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