カリスマ

吉田柚葉

小説

2,031文字

なんも思い付きませんでした。ま、そういうこともある。

意識高い系界隈の終焉だ、と誰かがブログで書いていた。辻本健の経歴詐称が判明したのだ。そう、あの、「元ヤンキーカリスマ起業家」の辻本健である。

 意識高い系界隈ウォッチャーの私としても、これには驚いた。同じく意識高い系界隈ウォッチャーである、友人のKも驚いたらしい。「すごいことになったぞ」という文面のラインが飛んできた。「すごいことになったね」と私は返した。

 中学時代は不良グループのリーダー。猛勉強によって高専に進学し、英語とエンジニア技術を死ぬ気で勉強。卒業後、日立製作所に就職するも、大学進学を目指し、半年で退職。その半年後に東京大学に進学。十七社を起業し、トルコ語とアラビア語の通訳も務める辻本は、トルコ親善大使でもあるが、これらの経歴は全て嘘であり、本当は「中卒、ニート」だという。が、この「中卒、ニート」も嘘であるらしい。東大近くのFランク大学卒、というのが本当のところだ。

「すごいことになったね」とラインに打ってはみたものの、冷静に考えて何もすごいことになどなっていなかった。つまり、辻本の経営する十七社はもとより存在していなかったのだから、世界経済にとり全くのノーダメージであるし、トルコ親善大使というのは……、これは別にトルコ政府が激怒して辻本の嘘が暴かれたわけではないので、おそらく向こうの国は辻本のことなんぞ今以て認知していないのだろう。「意識高い系界隈」にいた少数の人間が絶望的な気持になっただけのことだ。いや、「意識高い系界隈」に片足を突っ込んでいた私が、ちょっと半笑いになっているのだから、案外誰も絶望的な気持になどなっていないのかもしれない。「辻本健みたいな起業家になりたい。あの人の背中が遠すぎる」とつぶやいていた、ツイッターアカウント名「ゆう」君は絶望的な気持になっているやもしれないが、まあ、そのくらいのことだろう。というのも、「私、辻本健は、これまで『東京大学卒業』『イスタンブール大学院所属』『17社企業』といった(改行)経歴を騙り活動してまいりましたが、前述の経歴は全て嘘のものでした。」、「本当は(改行)中卒、ニートであり(改行)事業もこれ一つありません。」という辻本の一連のツイートに対し、「意識高い系界隈」の人間が誰一人として反応を示していないのである。「嘘だろ辻本さん」みたいなのもない。これは全く示し合わせたかのごとくであり、前日にユーチューブのライブ配信で辻本と何か意識高いことを語り合っていた、島崎隆でさえ、今日は十三時半に「肉最高!」とつぶやいて、それからは黙秘を貫いている。おいおい、「明日からすげえ楽しいことになる」んじゃなかったのか。これ、「すげえ」というほど楽しいことではないぜ。……

私「それにしても普段から言ってることがペラくはあったよね」

K「女は笑顔と愛嬌だ、とかね」

私「あれすごいよな。で、大学生、みんなメモとってんだよ笑」

K「『女は笑顔と愛嬌だ』、って実際にノートに手書きしてみれば分かるけど、すごい拒否反応が出るんだよ。いくら意識高い系界隈の人でも、ノートとった瞬間、『いやいや……』と思ったと思うんだよな」

 というやりとりののち、私とKのラインでの会話は自然消滅した。どう返していいものか考えているうちに十分、二十分と経ち、そのうちに尿意を催してトイレに入ると、会話をつづける気がすっかり失せてしまったのだった。そうして尿を出し切ると、辻本のこと自体に興味が薄れてきたのだった。せっかくの休日にこんなことばかり考えてもいられない。今の私に重要なのは、眠りにつくまでの残り八時間を全力で休み、明日への英気を養うことなのだ。

 などと考えてベッドに横になると、途端、ややもするとこんなものかもしれないな、と思った。Kはあのように言ったが、実のところ、辻本の意識高い講座に参加した大学生たちは、辻本の話のメモなんぞ取っておらず、取るフリだけして、その意識高い空気を感じていただけなのかもしれない。明日からの就活を頑張るために英気を養っていたのかもしれない。

 私は、ふと思い立って、机に向かった。で、「女は笑顔と愛嬌だ」と書いた。いや、「愛嬌」という漢字が思い出せず、「女は笑顔とあいきょうだ」と書いた。なるほどこれは全く馬鹿らしいことであった。だが、目の前に辻本がいて、あの迫真の口調で同じことを言われたらどうだろう。私は、「女は笑顔とあいきょうだ」と思い、フンフンと頷いてしまうのではないか……。

 

 次の日の朝、満員電車の中で、副業のライティング案件を確認していると、「政府からの依頼」だというものが目についた。「昨今の、女性の権利を過剰に尊重しようとする風潮を揶揄し、世間に警報を鳴らす」ことを目的とする短文を求む、とのことであった。こんなものが「政府からの依頼」なのか、と馬鹿馬鹿しい気持になりつつ、外に目をやると、次の瞬間、電車はトンネルに入り、車内の電気が反射して、窓に私の顔が映った。

2019年11月8日公開

© 2019 吉田柚葉

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