ここに、いない、ぼく

かきすて(第6話)

吉田柚葉

小説

2,009文字

三連休ですね。俺は休みが大好きです。良いものです。

松田の返事はなかった。

いや、ぼくが「松田!」と言った瞬間、その声は、自分と外界とを隔てる膜にぶつかって小さな波になり、時空のはざまへと消えていったのであった。

むろん、松田はいない。

つまり、もとからいないのである。

ぼくは、何食わぬ顔をつくって、山田を呼んだ。これには返事があった。これで全員の出席をとった。どうやらきょうは、木下と立川と松田がいない次元にきてしまったらしい。

「きょうはこのあと単語テストやるからな。みんなちゃんと覚えてるな」

とぼくはさぐりを入れた。「えー」と飯塚が悲痛な声を上げた。悲痛な声を上げたのは飯塚だけであった。どうやらこの次元における昨日のぼくは、ちゃんとこのクラスに宿題を課していたようだ。しかしだからと言って油断がならないのは、出題範囲がぼくのつくってきたテストと一致しているかどうかまでは、今の反応だけで判断が出来ないからだ。

朝礼を終えて、テストをくばる。ぼくは、一番まえの席にすわる林の顔色をうかがう。きわめて平均的な成績の生徒である。出題範囲はきちんと勉強してくるが、それ以外のところを出されると、まったく破滅的な正答率を叩き出すこの生徒が目のまえにいてくれてほんとうに助かった。

が、そう言って加えて油断がならないのは、この次元の林がはたしてぼくの知る林と同じ性質を有しているかが判然としないからである。この林が成績優秀で、速読英単語のどこから単語を出題されても平然と満点を叩き出す生徒ではないとの保証はどこにもない。

「せんせー」

と後ろの方の席から声がした。見ると、松田である。

「範囲違います」

と松田は言った。ぼくは、「ああ、そうか」と言って、松田の次のことばを待った。が、松田は何も言わなかった。それどころか、次の瞬間、松田がすわっていた席には島田がすわっているのであった。

林を見ると、黙々と解いている。

十分後、ぼくは生徒全員の答案を回収した。

職員室にもどり、答案を一枚一枚採点しながら、こんなことに何の意味があるのだろうと虚無的な感情にひたっていると、背後からぼくを呼びかける声がした。

「はい」

と言って振り向くと、中島教頭が背中を向けて立っていた。ぼくの後ろの席のぼくに向けて、書類の間違いを指摘しているらしかった。どうやらきょうぼくは……、いや、この瞬間ぼくはぼくではないらしかった。

ではぼくをぼくだと認知するぼくは誰なのかと言えば、どうやら福沢先生であるらしい。ぼくの知っている福沢先生は古文担当だが、この次元では英語担当らしい。ぼくは一年生の授業にむかった。……

午後一で、自分が担任をしているクラスの授業があった。が、そこにいるのは、誰一人馴染みのない生徒である。しかも、木下も立川も松田もいる。見たところ、佐々木と倉本がいないようだが、次の瞬間にはいるかもしれない。悪夢のようなモグラたたきである。

しばらく授業を進めていると、ジリリリリ……と、ふゆかいな音が聞こえてきた。どうやらきょう……、いや、この瞬間は避難訓練があるらしい。

生徒が机の下にかくれる。しかたなくぼくも教卓にかくれた。放送によると、食堂が出火したのでただちにグラウンドに非難しろとのことであった。

ぼくは、生徒全員を廊下にならばせて、全員そろっているか確認した。とうぜん、全員そろっているかどうかなど判るはずもなかった。ぼくは、

「よし、全員いるな」

と言ってみんなの反応をうかがった。誰も何も言わない。たぶん全員いるのだろう。

グラウンドに行き自分の生徒をすわらせる。ふと校舎に目をやると、ものすごい勢いで燃えている。ぼくは何も思わなかった。

が、次の瞬間、「福沢先生!」と、後ろの方で体育座りをしている横田が声を上げた。

「どうした」

「松田くんがいません」

そんないたりいなかったりするやつ、ほっておけ、とも言えなかった。生徒はみな、松田が燃えさかる校舎の中に取り残されていると主張した。中島教頭がぼくに近づいてきて、酸で喉を焼いたような声で、ことばにならないことを言った。「どうしましょう、どうしましょう」と言っているらしかった。

「それでは、ぼくが助けにいきましょう」

とぼくは言った。とたん、中島教頭の怒声が飛んできた。何を自棄になっているのですか、と聞こえた。

だけれどぼくは別に自棄になどなっていなかった。炎の城になった校舎に飛び込んだとして、死ぬのは福沢先生である。知ったことではない。

次の瞬間、福沢先生が中島教頭に背を向け、駆け出した。それも、校舎の方向である。

ぼくはそれを見て驚いた。まったく自棄になったとしか思えなかった。中島教頭は、しばし硬直し、それから、福沢先生を追いかけた。

生徒がひとり、またひとりと立ち上がった。そして中島教頭の後につづいた。ここに巨大な波が出来上がった。

「みんな、もどりなさい、もどりなさい」

と誰かが叫んでいた。それが誰であるかは判らなかった。ひょっとするとぼくかもしれない。

2019年11月2日公開

作品集『かきすて』第6話 (全44話)

© 2019 吉田柚葉

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