一日労働に身を捧げると、身体は痺れるように疲れるが、
意識だけははっきりとしている。
日雇いの賃金は、その日をしのぐには事足りるかもしれない。
しかし先の見えない労働の日々は、
ただ同じ工程を繰り返すことが重要で、
常に機械を維持するための作業が求められる。
高島平の工場から抜け出して、首都高速5号線高架下で信号を渡った。
高島大門の急坂を自転車で一気にのぼると、
膝はもうほとんど動かないほどくたびれてしまっていた。
その日の賃金で、酒と肴を買うぐらいのことしか考えられなくなっていることが、
どうしようもなく恐ろしかった。
やりたいことがあるはずなのに、それができないという現状を変えるには、
多少の無理が必要なのだろう。
このままでは、惰性にまかせるまま年老いることに
怯え続けなければならない。
明日にでも終わらせるのだ。人はいくらでも変われる。
深夜の人通りのない新大宮バイパスで、毎日のように自分を奮い立たせていた。
すると、ある所で立て札が目についた。
それはバイパスに分断された神社の敷地で、
金網越しに大きな欅がそびえ立っていた。
立て札には「赤塚諏訪神社のこぶ欅」と書かれ、
たしかに欅の根元には立派なこぶがあった。
このこぶを乳房にたとえて、別名「乳ノ木様」と呼ばれているようで、
母親の乳の出がよくなるよう祈願する民間信仰が
赤塚地域にあったという。
謂れもそうだが、欅そのものに不思議と惹かれるものがあった。
この日常から脱するための、変化をもたらす
大切な何かが、この木にはあるように思えた。
それから私は、工場への行く前に必ず乳ノ木様に挨拶をし、
帰りも一目見てから帰るようにした。
鬱屈としていた気は次第に軽くなり、次の仕事を探し始めていた。
冬の冷たい風に打たれながら、
枝をしならせる乳ノ木様を心の拠り所に、
私は自分が何をしたかったのかを、
ようやく冷静に考えられるようになっていた。
もしかすると私は、現状を変えることばかりに目を向けすぎて、
考えが凝り固まってしまっていたのかもしれない。
とても単純なことが、とても難しく
すぐ目の前のものが、どんどん遠ざかっていく。
わかっていたようで、実は何ひとつ理解していなかった。
人の心の、危うさを
乳ノ木様によって知らされる。
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