INTERLUDE 『放蕩に関する異論』

東京守護天使(第4話)

高橋文樹

小説

7,128文字

警備員ルシ・フェル樹と作家志望の女の子ペニー・レインが交わす書簡体小説。ペニーの提示する新しい「放蕩息子」像とは。

作 ペニー・レイン

 

聖書の有名な逸話に「放蕩息子のたとえ」というものがあります。放蕩から帰った自堕落な長男を受け入れる説話は、キリストの寛容を示すようでもありますが、堕落を助長しかねないその内容に対し、それとは違った異説があると主張する神学者もいるのです。

 

 

人間は生まれてから長い時間をかけて、地のありとあらゆる場所に行き渡っていました。はじめは川沿いの肥沃で平らかな場所に集まりましたが、数が増え、賢くなった頃には、痩せた不毛な大地へさえ住むようになりました。

とある山がちな場所にもまた、そうやって移り住んだ一家がありました。大変な大家族で、十三人もの息子がいました。しかし、家畜の扱いに長け、働き者が多い家族だったので生活はそれほど苦しくありません。むしろ、その不毛な土地においては一、二を争う富豪でした。

ところがある日、長男が家出をしてしまいました。なにせ十三人もいるのではじめは気付きませんでしたが、羊を追う段になって数を数えてみると、三頭足りないことがわかりました。一家の一月分の稼ぎがなくなっていることもわかりました。長男が持ち逃げしたのです。

さて、その長男はというと、地中海の近くまで出て、大都市ダマスカスで遊蕩していました。それまで厳しい労働に嫌々ながら耐えてきた彼にとって、これほど楽しい場所はありませんでした。何人もの女を買い、ワインを樽から直接飲みました。ふっくらと蒸し上げた七面鳥や、柔らかで瑞々しい東方のスイカ、鼻をくすぐる香辛料で味付けされたスズキも食べました。羽振りのいい彼の噂を聞きつけて、多くの者が追従を述べにやってきました。彼は言われるがまま宴会を開き、賭けに興じました。神の御元で楽園に遊んでいた人類の祖とてこれほどではなかったろう、そう思えるくらいの豪遊だったのです。

しかし、半年もたつと、彼には一銭もなくなってしまいました。取り巻きもいなくなり、ついには着る服もなくなりました。彼がその財産の四分の一を費やした娼婦さえ、ツバを吐いて去っていってしまったのです。

彼はダマスカスからはじき出されるようにして辺境の町へ向かいました。砂と埃の吹き荒れる寂しい町です。

「ああ、私はなんて愚かなのか」

と、長男は嘆息しました。ちょうど、どこかの家の豚小屋にある給餌桶からイナゴ豆を盗み食っている最中でした。

「私の実家はみな働き者で、怠けていても裕福な生活ができた。それが今はどうだ? こんな風にして豚どもと頭を揃えて雑穀を食べている。そうだ、父の元に帰り、謝って許してもらおう」

長男はそう思いつくと、その豚小屋から三頭失敬し、実家へと出立しました。

家に着く頃には彼の格好はボロボロになっていました。豚を売ってお金に換えましたが、服装にまで回す余裕はありませんでした。いかにも苦行者といった格好です。

「お父さん、お許しください! 私はあなたのみならず、天に対しても罪を犯しました! お許しください!」

長男は父の姿を見るなり、その膝にすがりついて許しを請いました。道中ずっと考えていた言葉です。するすると滑らかで、ちょっと演技臭くはありましたが、人の胸を揺さぶる言葉でした。

「お父さん、私にはもうあなたの息子と呼ばれる資格がありません。雇い人の一人としてでいいので、ここにまた住まわせてください」

父は息子の昂ぶりに少し戸惑っていました。というのも、実家は長男が出た頃よりずっと大きくなっていましたし、彼の盗んだ金額など大したものではなかったのです。今では三日で稼げる金額でした。

それにそもそも、長男の葬式はもう済ませてありました。大家族はダメな長男坊の死を悲しみ、嘆き、徐々に忘れ、癒され、良い思い出にし……という喪の仕事を終えていました。それがなによりの困惑の原因でした。

「誰か、この子に新しい服を着せておやりなさい」

ともかく、父は召使の一人にそう命じました。しかし、家人用の上等の服は十三男のお下がりしかありませんでした。しかし、長男坊はわざとらしく感謝し、その服にむりやり体を押し込みました。追い出されないだけでももうけものだと思ったからです。

その夜、祝宴が設けられました。牛を一頭ほふり、豪奢な食事と酒が供されました。

「今宵、死んだと思っていた我らの長男が帰ってきた。この思わぬ幸運に乾杯しよう!」

父の合図にみんながならおうとした刹那、待ったがかかりました。見ると、次男が居丈高に立ち上がっています。手に持った銅製のコップはわなないていました。彼は長男がいなくなったことで、家督相続の筆頭となっていたのです。

「お父さん! あなたはなぜ、彼をまた迎え入れたのです! 彼はあなたの身代みのしろを食いつぶし、娼婦どもと高らかに笑っていたのです。そのようなことを許しておいては、我が家の秩序は見るも無残なものになってしまいます。それに、見てください、彼の着ている服は十三男坊のものです。彼は我々兄弟の中で末席の序列こそふさわしい!」

父は少し考え込みました。

「……しかし、死んだと思っていた者が生きて帰ったのだから、めでたいではないか。そう言わずに……」

父は得意の事勿ことなかれ主義をふりかざそうとしましたが、今度は三男がそれを許しませんでした。

「父よ、私たちの生活は団結が命です。このように秩序を乱したものを兄弟の長として頂くことはできません。彼を十三男坊にすることに私は賛成です」

父は反論のしようがありませんでした。と、ずる賢い長男は、より幼い方の弟たちの顔色を伺いながら、涙を見せました。

「おお、弟たちよ! たしかに俺のしたことは父や神のみならず、お前たちにも罪を犯したことになる。もちろん、俺はただで長男にしてくれとは言わない! 俺はすっかり心を入れ替え、お前たちを兄弟の順序に関係なく、誠意を持って扱うだろう。順序なく、だ!」

この言葉によって、それまでどこ吹く風で話を聞いていた八男坊と九男坊は、ぴくりと体を前に倒しました。長男の頬には狡猾なサタンの笑いが宿っていました。

というのも、彼らの慣習では「アブラハムには七人の子」の例にならい、相続にあずかれる者は上から七人まででした。長男が全財産の半分を取り、次男が残りの半分を取り、三男はそのまた残りの半分を取り……という具合で、七男坊が残った金で母の面倒を見るのです。

長男の失踪によって相続権を得ていた八男坊は、長男の甘言を聞いて迷っているようでした。九男坊にいたっては、どっちみち貰えなかったものですから、長男の意見には大賛成でした。十男坊以下が大人しかったのは、単に幼すぎて理解できなかっただけで、九男坊が丁寧に説明してやると、一様に色めき立ちました。

宴席は一気に権謀術数の場となりました。とりわけ、八男坊は長男と次男に挟まれ、熱心な説得にさらされました。元の慣習法では相続に与れない九男坊から十三男坊の五人は長男の味方、取り分の減るかもしれない次男以下七男までの六人との多数決の戦いは、八男がどちらにつくかで決まるのです。

「長兄よ、いったい順序に与らない扱いとはどういうことを意味するのです?」

と、八男坊は尋ねました。

「弟よ、おまえは俺がもっとも賢く、数字の扱いに長けていることを知っているな? その俺が算術を間違えるわけがないだろう」

八男坊は深く頷き、納得しました。すると、それを見た次男坊がすばやく耳打ちします。

「おまえは長兄が蛇のように狡猾だということを知っているだろう。彼は吝嗇家だ。おまえは本来の自分の取り分よりわずかに得をするだけだろう。おまえより下の弟たちにいたっては、一ドラクマ銀貨をもらえるきりだろう。考えてもみよ、長兄がどれだけの放蕩をしたか、我々がどれほどの勤労をしたか!」

八男坊の心は千々に乱れました。彼は生来、心根の優しい少年です。羊が動きたくなさそうな顔をすれば、いつまででも待っていてやるようなたちでした。兄弟を二分する問題に決着をつけることなどできず、ついに泣き出してしまいました。

すると、それまで静かに見守っていたはずの父はすっかり狼狽してしまい、こう叫びました。

「争うでない! そんなに醜い争いをするのならば、私は父の名にかけて誓う! 遺産は全員均等に十三分の一ずつだ!」

息子たちが反論する前に、父は山羊を一頭屠り、神に誓いを立ててしまいました。

こうしてそれぞれが十三分の一ずつもらえることになりました。この平等は事勿れ主義が導いたものでしたが、かえって遺恨を残しました。長男から三男までは取り分が減ってしまい、四男から十三男までは取り分が増えたのです。喜びと悲しみは一様ではありませんでした。

とりわけ、次男と三男の怒りは激しいものがありました。

次男はうまくいけば二分の一、たとえ長男がその座を取り戻しても四分の一はもらえるはずでした。三男も同様に四分の一か八分の一はもらえたのです。それがたった十三分の一になってしまったのです。

憤懣やるかたない次男は、宴のあとの夜更け、三男にこう持ちかけました。

「おい、弟よ。どうだ、我々も放蕩に出ないか? どうせ父は平等を謳っているのだ、我々も長兄のように許されるだろう。真面目に働いてもこのような目に遭うのだ。放蕩に出て、損した分を取り戻そう」

薄闇の中、松明の炎に浮かび上がった次男の顔は、サタンの熱に冒されたようでした。賢く正直者の三男は怯えましたが、その熱はすぐに彼にも伝染しました。

「次兄よ、あなたの言う通りだ。我々が損われたのは、それぞれ二十六分の十一と五十二分の九ずつ、併せて二十六分の十五だ。全財産の半分近くになる。それを我々二人で使ってしまおう」

二人の兄弟は周到に用意を重ね、家の財産のほとんどを黄金に換えると、煙のように消え去ってしまいました。

長兄と異なり、それまで真面目一辺倒で生きてきた二人でしたから、その遊興はずっと派手なものになりました。彼らははるかアフリカの大都市アレクサンドリアまで行き、その町でいちばん高い娼婦を買い、いちばん大きな宿に泊まり、自分たちのためだけに温泉を貸し切りました。それでも地中海に名だたる大都市においては珍しい光景ではありません。二人は少しでも人々の感心を買おうと、競うように散財しました。

月の満ち欠けが三度繰りかえされた頃には、黄金の入っていた麻袋をひっくり返しても埃一つ出てきませんでした。もっとも、許されるという確信があります。少し泣く練習をしただけで故郷を目指しました。

家にほど近くなると、彼らは地面を這って、服を裂きました。みすぼらしい格好を演出したのです。

「ああ、お父さん、お許しください! 私どもは罪を犯しました! それもこれも、あの醜く恐ろしい嫉妬が心に入りこんだせいです。もはや私たちはあなたの息子でいる権利はありません。雇い人の一人として、この家にお置きください!」

その演技は長男ほど堂に入ったものではありませんでしたが、父親の同情を誘うぐらいの効果はありました。

「顔を上げなさい。おまえたち。誰か、この二人に上等の服を持ってきてあげなさい」

二人の兄弟は顔を見合わせて、ずる賢く笑いあいました。長男はそれを見て、苦虫を噛み潰したような顔をしましたが、自分には非難する権利がないともわかっていました。

気に食わないのは四男以下の兄弟たちです。せっかく遺産相続の権利を得たというのに、その大元が減らされてしまったのですから。

彼らは秩序を愛していたので、四男から順序よく、入れ替わりに出奔していきました。持ち逃げする財産は決まってそのときの全財産の大半でした。

十三男が放蕩から帰って来ても、父は許しました。それは寛大さというより、単なる事勿れ主義と、心の奥底に潜む強情さのせいでした。

「ああ、天なる父、我が主よ、私はどこをどう間違ったのでしょうか?」

父は一人、悩みを神に打ち明けました。彼のいうとおり、かつての息子たちは働き者だったのです。長男の放蕩を許したのも、神の教えである寓話『迷い子の羊』に従っただけでした。

それがいまでは誰一人真面目に働こうとしません。一生懸命稼いでも、どうせ誰かが放蕩して散財してしまうと決め込んでいるのです。かつては周囲百里に比肩する者のない大富豪だった家は、ただ大きいだけのがらんとした建物に変わっていました。それだけならまだしも、息子たちには悪魔でも憑依してしまったのか、憎々しげな目つきでお互いを睨みあっていました。

と、懊悩を打ち砕く思いつきがとつぜんやってきました。まるで、神が頭の中に息を吹き込んだかのようです。

「そうだ、私も彼らと同じように放蕩してみよう! そうすれば、彼らの気持ちがわかるかもしれない!」

生まれてはじめて抱いた冒険心を胸に、父は出奔しました。もちろん、財産の大半を携えて。

少ない資金ではそれほど遠くに行けませんでしたが、地中海沿いのけちな港町には辿り着きました。梅毒で鼻の欠けた女を買い、長らく掃除をしていないぬめった温泉で疲れを取り、胡椒で腐臭をごまかした肉を食べました。そんなつまらない遊蕩でも、他人の汗で実った果実を貪る快楽は味わうことができました。

父はきちんと金を使い果たしてから帰路に着きましたが、辿り着いた彼を待っていたのは、妻の出奔という驚くべき知らせでした。

「ああ、お父さん、なんということでしょう!」

長男以下、十三人の兄弟たちはボロ布をまとった父の膝に噛りつき、さめざめと涙を流しました。

「お母さんはあなたが財産の大半を持って放蕩に出てからすぐ、家を出てしまいました。なぜなら、あなたが持ち出した財産は私たち兄弟のうちの誰かがお母さんを養うためのものだったからです」

兄弟たちはおいおいと泣きながら、それぞれに母の言葉を伝えました。私はずっと働きづめで、休む暇なく、息子たちに世話をしてもらえる老後だけを愉しみに生きてきた。女には相続権が認められていないからである。それなのに息子たちは働きもせず、私の面倒を見る気もない。厄介ごとを押し付けあうように、私を扱っている。こんなに貧しくなっても飢え死にせずにいられるのはすべて私のおかげだというのに。しかも、夫は女を買いに行った。愚かな息子たちと同じように。もうなにもかもが嫌になった。神など信じない。私はもっとも冒涜的な方法で一人生きる。男たちを喜ばせるのだ。

兄弟たちの報告を聞いた父は驚いてしまいました。彼は篤実な男で、妻以外の一人も愛しいと思ったことがなかったのですから。

さて、母が春をひさぎ、そこに女のさもしい喜びを見出しながらも、悪い男に騙され、ついには子をはらみ、誰かの庇護の元に入らねばならないと思い詰め、家に戻ってきました。

家では男たちが息も絶え絶えになっており、堕落した母の帰還を喜びも悲しみもしませんでした。

彼らがどうにか生き残れたのは、三人の貞淑な妹たちが、春を販ぎこそしませんでしたが、屈辱的な仕事で口を糊するための稼ぎを得ていたからです。もともと家の中では下女同然の扱いだった娘たちが侮辱と感じるぐらいですから、ひどい仕事でした。

「おやおや、女ならば売るものはいくらでもあったというのに。なぜ自ら苦しい道を進んだのです?」

すっかり魂の穢れた母は、娘たちに嘲笑を浴びせました。

「私たちは主を愛すればこそ、女の喜びを結婚まで取っておくことに決めたのです。それはまた、私たち家族のためでもあったのです。それなのに、嘲笑うなんて!」

三人の娘たちは泣きながら出奔の準備を始めました。彼女たちにはもう持って行くものなどありませんでしたが、処女である彼女たちこそが、この家の最後の財産だったのです。

誰も止める者はありませんでした。みな、疲れきっていたのです。どうせ、家族で他に出奔する者は残っていません。娘たちが帰ってくれば、全員が放蕩したことになり、まったくの公平が訪れます。そうすれば、また以前のように熱心に働くことができるでしょう。誰も口にはしませんでしたが、それが全員のなんとなく抱いていた希望でした。あるいは、サタンがそう吹き込んだのかもしれません。

ほどなくして、清らかな蘭のようだった娘たちは、みすぼらしい娼婦の風采で戻ってきました。それは家族を失望させるというより、ほっとさせました。不毛な大地を見て開拓の志を抱いた遠い記憶のせいかもしれません。

一つの気がかりは、母の身籠っている子供のことでした。

「この子がもう少し育ったら、また出奔するかもしれない。そうしたら、私たちの堕落はもう少し続くことになるだろう。ああ、どうしたらいいのだ」

父が嘆くと、ことの発端になった長男は、とつぜん精霊に撃たれたようになり、普段とはまったく違った声で話しはじめました。

「こうなったら、みんなで旅に出るのはどうだろう? なにより辛いのは待つことだ。それに、帰るところがなければ放蕩ではない。放浪になる」

長男の足元からは大きな影が伸び、六枚の翼が広がっています。それを認めた家族の面々は、なぜだかよくわからないまま、長男の話に納得しました。彼らがなによりうんざりしていたのは、自分以外の誰かが放蕩に出るかもしれないという危惧であり、それにともなう絶望だったからかもしれません。

彼らは残り少ない家畜を連れて、帰ることのない旅に出ました。そして、旅芸人の一座となったのです。

2015年7月8日公開

作品集『東京守護天使』第4話 (全13話)

東京守護天使

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© 2015 高橋文樹

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