シンドロームシンドローム

合評会2023年11月応募作品

松尾模糊

小説

3,953文字

斉白石《海老図》
11月合評会テーマ「海老とストレートネック」参加作。タイトルは「症候群」の意です。

ブラックタイガーが実家から送られてきた。発泡スチロールの蓋が開けられ、灰色の縞模様を持った身体をねじるように飛び跳ねて、おが屑をまき散らしたそれに、妻は「おわっ!」と声を上げて仰け反った。念のために言っておくと「ブラックタイガー」は虎ではなく、海老である。学名はPenaeus monodonで、十脚目クルマエビ科に属するエビの一種。和名で牛海老とも呼ばれるそうだ。体長は三〇センチほどで、クルマエビ科でも最大のものだ。海老が牛や虎の名前を冠するなんて大げさな気がするが、太平洋の海中から揚がって人間たちに検分されて、冷凍されて、箱詰めにされて九〇〇キロを超える長旅の末にまだ一人の大人を驚かせるような体力は、確かにその名に恥じない立派なものだと感嘆する。

「大丈夫? さばこうか?」

いったん開けた発泡スチロールの蓋を上に被せて、顔を横に背けながらそろそろと箱を持ち上げる妻をリビングで眺めながら声を掛けた。うん、お願い。という彼女の返事を聞いて、ソファに座って読んでいた中古の新書の間に栞代わりに使っているレシートを挟んで立ちあがった。居間の電話の呼び出し音が鳴り、妻の方を見ると、彼女が頷いたので受話器を取った。

「もしもし? あたし」

実家の母親からだった。

「届いたね? 海老」と、彼女は確認するように言った。こちらの返事も聞かずに、続けて「浜崎はまさきくんちのお母さんがくれたとさ。覚えとる? 浜崎優太ゆうたくん、子どもの生まれたとって……」中高と同級生だった浜崎とは――というか、ほぼ親友の高田たかだ藤原ふじわら以外の地元の知り合いすべて――大学進学と同時に上京したっきり疎遠になって、その後のことはSNSで知ることもあったが、結婚してからはSNSも長らくログインしていない。

「なんか、出産祝いにたくさん海老ばもらったけんって」

うちはもうお父さんしかおらんし、食べきれんからね。あんたんとこも子どもの生まれたらちょうどよかやろうばってん、弓美さんは仕事も忙しいとやろうねえ、彼女にさばけるやろうか、ああ、なんかレトルトとかの方がよかったかいね? ちょっと心配になって電話したと。母親は一息にそこまで話して、受話器の向こうでこちらの出方を窺っている。キッチンで備え付けのキャビネットを開けて、コーヒーマグを取り出している妻の後ろ姿に視線をやる。大きく息を吐いて気持ちを落ち着けた。

「海老ありがとう。まだ生きとって飛び跳ねとる。弓美ゆみも驚いたばってん、いま慣れた手つきでさばきよる……余計な心配やったね」

「ふーん、そうね」

母親は訝るいぶかような声色で言った。妻がわたしの方言を聞いて、おかあさん? とわたしの顔を見ながら唇を大きく動かした。頷くうなずわたしを見て、彼女は受話器を渡すようにジェスチャーしてキッチンから出てきた。しぶしぶ受話器を手渡す。

「あー、お義母かあさん! お元気ですかあ? 海老どうもありがとうございますう」

毎度のことながら、弓美の声色の変化には驚く。わたしは諦めたように彼女の背中を見遣ってキッチンに向かう。ひとまず、シンク横に出されたコーヒー用具一式でコーヒーをれる。電気ケトルのスイッチを入れてお湯が沸いたら、黒い陶器のドリッパーに紙フィルターを敷き、缶に入ったブレンドコーヒーをさじで掬い入れる。

「お義母さん、たぶんそれ、ストレートネックですよ……」

ストレートネック? 聞きなれない言葉に思わず顔を上げて電話中の弓美の横顔を見た。ライトブラウンに染めたショートカットの髪の合間から覗く小さな耳に押し当てた受話器を持つ左手の薬指にはめられた結婚指輪。湾内を一望する観覧車の前でプロポーズした日から、もう八年という月日が流れた。同じ銀の14号のリングを薬指にはめている、自分の左手の甲を開いて眺めると、肌の張りはなくなり乾燥しかさついていて、やっぱりちゃんと八年分年老いていた。ケトルを持ち上げて、細長く歪曲した注ぎ口を円形のドリッパーの上でゆっくりと回しながらお湯を注ぐ。コーヒーの香りがキッチンからリビングへと広がる。もうひと回りお湯を注げば、マグ一杯分のコーヒーが落ちる。

「ありがとう、淹れてくれて」

弓美のカップにドリップしている時に、彼女は電話を終えてキッチンに戻ってきた。

「ちょっと待ってて」

二度目のひと回しを終えて、ドリッパーの口から落ちる雫を屈んで確認してから落ち切ったのを見計らいマグを彼女に渡した。右手で持ち手を握り、左手をマグの側面に添えながら彼女はコーヒーを啜った。「うまっ!」白い歯が覗く彼女の口元から伸びるほうれい線も八年分深くなった。コーヒー用具をシンクに入れて、先に洗う。発泡スチロールの蓋を開けてブラックタイガーの様子を見ると、再び上の一匹が尻尾を動かしておが屑が舞った。「おっと!」わたしも弓美と同じように声を上げてしまった。

「何にする? エビフライ?」

弓美の問いに、せっかくイキのいいやつもらったんだし、そのまま塩焼きでいいんじゃない? と言って、シンク下の引き出しの中にある竹串を確認した。先端を背中の殻の合間に突き刺して背わたを取り出す。竹串を尾の方から真っ直ぐにつき通して両面に塩をまぶす。

「げ! なにそれ、寄生虫?」

黒くて細長い背わたを見て、弓美が驚く。背わただよ、寄生虫いたらヤバいだろ。わたしはちょっと笑って二匹目を左手に取り、同じ作業を繰り返した。

「なんか、簡単そうにやるね」

やってみる? わたしは竹串を彼女に手渡した。

「さっきさ、ストレートネックがどうの、って言ってなかった?」

ああ。お義母さんね。ストレートネック、知らない? 頸椎が真っ直ぐになって頭を支えるのに余計な負担が掛かってるやつ。ほら、この海老で解説しよう。弓美は、わたしが背わたを取り除いたブラックタイガーを手に取り「こいつら歪曲してるのが自然でしょ。でも……」と言って、尾から竹串を突き通して真っ直ぐになったそれをわたしの目前に掲げた。

「人間の頸椎も普通は歪曲してる。でも、猫背やスマホを見すぎたりして頸椎が真っ直ぐになっちゃうことをストレートネックと言うんだって。ほっとくと手足が麻痺したりするらしいよ。お義母さんさ、誕生日に贈ったタブレット見すぎてるみたい」

ふーん。ステンレスの受け皿の上で真っ直ぐになって塩を振られたブラックタイガーがなんだか哀れに思えてきた。さっきまであれ程イキの良かった彼らは、竹串を突き通され完全な死に体となった。これから焼かれるなんて、まるで葬式のようだ。

「母さんに何か言われんかった?」

わたしは弓美に電話を換わる前に母親に言われた小言を思い出した。

「何かって? ああ、子どもとか仕事の話? そんなこと言わせんよ、ここはお義母さんの家じゃないんだから」

弓美はそう言って、竹串をブラックタイガーにつき通した。不思議と、弓美につき通されたブラックタイガーは背筋を伸ばして威風堂々としているように見える。八年前、いや出会ってからすぐだったかもしれない。十三年前からわたしはこういう日を夢見ていたのかもしれない。大学を卒業して就職して結婚して子どもが生まれて年老いていく……母親が勝手に幸せの定義と思っているそれじゃなくても、この人といればそれが幸せだと思える。八年間、お互いにただ年を重ねただけじゃなかった。ちゃんと幸せだった。真っ直ぐに伸びたブラックタイガーを、熱したフライパンにオリーブオイルをひいて焼く。ガラス張りの蓋の下で熱された彼らの体表は赤く変色していく。香ばしく食欲をそそるいい匂いは電気コンロの上に設置された換気扇に吸い込まれ、家の外へと排出される。あ、この家では海老をオリーブオイルで焼いたやつが夕飯で出ている……会社帰りの誰かが「早く家に帰ろう」と思う瞬間を、世間一般の思い浮かべる〝幸せのかたち〟をわたしたちも二人でちゃんと育んでいる。

「美味しいじゃん、塩かけただけなのに」

海老の汁が左手の薬指のリングをてからせて輝く。決して美しいとは言えないけれど、光沢には違いない。八年という年月を重ねた中でしか出ない煌めきがある。ゆっくりとかたちづくられる幸福が目の前にある。わたしは「愛のスパイスが効いてるからね……」という言葉をグラスに注いだビールとともに飲み込んだ。

 

長い触角をもさもさと動かしながらドクター海老は「あの時、背わたを抜かれた海老です」と自己紹介した。人類はやけに背筋を伸ばして電動キックボードに乗る習慣により、ストレートネック症候群を解消しつつある。けれど、この検体は頚椎症性脊髄症で過去の記憶を延々と夢見続ける奇病に罹っている。治す方法はただ一つ。背骨を引き抜くことだ。ドクター海老は手招きするように、白衣から飛び出た前脚の先端をくねくねと動かして助手海老を呼んだ。大きなボルトのような機器を検体の背中に差し込んで、助手海老と二匹で機器の中央から飛び出た丸い栓の両端にそれぞれ二本の前脚をのせてくるくると回す。ずるっずるっと背骨がゆっくりと引き抜かれ、検体はへなへなと軟体になって床を這う。

 

背中に激痛が走った。声にならない声を上げて膝をついた。ぎっくり腰だ。やはり若い時のように多少の無理は利かないようだ。しかし、何がそんなに重かったのだろう、段ボール箱の蓋を開けて中を覗く。弓美が出ていった時に残したコーヒーマグと彼女が読んでいた文庫本数冊以外には古びた丸い缶しか見当たらなかった。缶に被さったプラスティックの蓋を開けると、藁人形が一体だけ入っていた。手に取って見ると、顔の部分に小さな紙が貼られていた。よく見ると、わたしの名前が記されていた。チクりと親指に何か刺さった。

っ!」

右手から落ちて裏返った藁人形の背中には、錆びついた何本もの釘が刺さっていた。

2023年11月19日公開

© 2023 松尾模糊

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"シンドロームシンドローム"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2023-11-24 16:48

    何なんですかこの話は。
    八年の歳月を重ねた煌めきとかって言ってるから、プライスレス。マスターカードのCMみたいな話だと思ってたのに。
    あの時、背わたを抜かれた海老ですって何なんですか。
    藁人形とか何なんですかっ。
    怖っ。

  • 投稿者 | 2023-11-25 12:22

    最初、ドクター海老パートと現実に戻るパートの時間経過がわからずに戸惑いましたが、円満な夫婦生活パートのあと何かがあって弓美は出て行ったんですよね。
    何があったのかが気になります。

  • 投稿者 | 2023-11-25 14:29

    男だけが「幸せ」と思ってたってやつですね。藁人形に釘打たれてても気がつかなかったと。よくあるテーマなんですけど、前半の抑制ある渋い語り口と、途中で出てくるドクター海老のエピソードがよくハマって、ラストの恐ろしさが引き立ったと思います。模糊さんの作品はしばしば時間軸がずれて、分かりにくいこともあるんですけど、今回のはとても良かったです。

  • 投稿者 | 2023-11-26 17:33

    オチをどうもってくるかですよね。もっとラストを立たせたいなら、序盤で嫁がもっとキレててもいいかもしれないです。

  • ゲスト | 2023-11-26 23:41

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  • 投稿者 | 2023-11-27 16:55

    「愛のスパイスが効いてるからね……」くさいセリフを思いついちゃう夫だから仕方ないっすよね。ドクター海老の「あの時、背わたを抜かれた海老です」って誰に向かって言ってるのか気になりました。

  • 投稿者 | 2023-11-27 17:26

    諏訪先生の作品のあとに読んだのでだいぶクビにダメージがきました。面白かったので賠償を請求します。

  • 投稿者 | 2023-11-27 18:40

    2連チャンで「なんだこの話は!」となりました。
    エビとストレートネックを一番上手く絡めてるなぁと思いました。背わた抜くところまでは辿り着いたんですけど、それ以上は私には辿り着けない境地でした。エビパートのエビかわいい。

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