馬上風

松尾模糊

小説

2,135文字

《繋馬図絵馬》狩野山楽(1614年、京都・妙法院)
砂漠で数多の白骨死体と朽ちた楽器が発見された。話す馬レポマンは、そこで起こった悲劇を調査員に語る。

白骨化した死体の手に抱えられていたのは、朽ちたヴァイオリンの一部だった。その周りからは何体もの遺体が見つかり、それらは錆びついた管楽器やバラバラに破壊された打楽器の傍らで骨と化していた。夜になると砂漠の地にどこからともなく音楽が聞こえてくる、村人たちが話していた幽霊の噂は本当だったのかもしれない。ここにテントを張る。いくら調査の為と言っても、死骸のごろごろ並ぶ場所で一晩過ごすなんていうのは気が引ける。テントの傍にカメラを四脚で固定して設置し、念のために録音レコーダーも置いておく。砂漠と連なる荒涼とした土地の水平線を赤く縁取りながら日が沈んでいくと、暑さは和らぎ涼しい風が頬を撫ぜた。日が沈んでしまうと、途端に辺りは冷気に包まれた。テントに入って厚手のアウターをリュックから取り出していると、遠くからくぐもった振動音が聞こえてきて、その音は段々と近づいてくるようだった。外に出ると、すっかり暗くなった夜空に無数の星が瞬いていた。音の方に視線を向けると、大きな影が近づいてきた。身構えていると、それは一頭の黒い馬だとわかった。近くで見ると黒い艶やかな身体に少し赤みがかった長い鬣を持ち、革製の立派な鞍を背負っていた。

「わたしはレポマン」

馬はぶるるっと鼻を鳴らしながら自己紹介した。鞍の後ろで赤みがかった長い尻尾が見え隠れしている。情報量の多さに言葉が出ずに黙っていると、レポマンは前脚を軽く浮かせて低く嘶いた。弦楽器の音が微かに聞こえ、振り返ると暗闇に白く浮かぶ合唱団が現れ、歌い始めた。腰を抜かして、その場にへたり込んでいるとレポマンは「ハハハっ」と笑った。ここで起こったことについて話そう。レポマンはそう言って、オーケストラと合唱団の演奏をバックに語り始めた。

わたしは将軍を乗せていた。ここはちょうど国境付近で、長いあいだ紛争の絶えない土地だった。あの日は、彼らにとって宗教的な祭日だった。普段なら将軍は神に祈りを捧げて一日を終えているはずだった。だが、あの日は違った。中隊を率いて偵察に出て、わたしもそれに従った。

「丘陵……あの辺りかな」

レポマンは言いながら首を傾げて後ろの方を見た。そこに丘などなく、ただ乾いた平地が広がるだけだった。

「あそこで中隊長から双眼鏡を受け取って、将軍はここで起こっていることについて覗き見た」

背後でヴァイオリンの音色が一段と高くなり、シンバルが打ち鳴らされ、喧騒が聞こえてきた。再び振り向くと、オーケストラと合唱団の周りに無数の人だかりができていて、テントが張られ、にぎあう市場のようになっていた。

「日曜市だ」

レポマンはぶるふっと鼻息を立てて歯茎をむき出しにした。神事以外での音楽は禁止された国家元首である将軍は、彼らが悪魔に魅入られている、と憤慨した。わたしの尻を鞭打ち、丘を駆け下りて国境に迫った。拡声器を国境警備隊から受け取って「即刻演奏を中止せよ、受け入れられない場合は発砲も辞さない」と低い声で警告した。合唱団の歌が盛大に響き、打楽器が打ち鳴らされていた。将軍の警告を聴く者などいなかった。「突撃!」という将軍の掛け声と拳銃の発砲とともに、中隊は小銃を撃ちながら群衆に襲い掛かった。

 

背後で悲鳴と銃声が聞こえ、肩をすくめた。おそるおそるそちらに顔を向けると、騎馬隊が群集に突っ込み、ヴァイオリンのネックが折られ、弦はちぎれ、管楽器は折り曲がり、ピアノの脚が折れて傾き、太鼓に風穴が開き、合唱隊は血まみれになり、指揮者は背後から撃たれて倒れた。音楽と喧騒は銃声と絶叫へと変わり、やがてそれも止んで静寂が訪れた。

 

パンっ!

 

乾いた音が響き、レポマンが嘶いて前脚を宙に高く上げた。レポマンに乗った、小太りの軍服の男の額から血が流れていた。男は上半身を折り曲げながら鞍からドサッと砂の上に落ちた。レポマンは男を置いてそのまま駆けていった。遠くを駆けるボンボンボンとテンポの良いレポマンの蹄の音が夜の砂漠に響いていた。

 

焼けるような暑さで目を覚ました。急いで寝袋から起き上がり、テントの外へと出た。日はすでに高く昇り、遠く陽炎が騎馬隊のように見えた。なぜか砂に埋まっていたカメラの映像を確かめる。暗闇と静寂が続いた後、砂漠を仄かに照らす白い光が降りてきた。その辺りから発光する何かが現れ、それはカメラを覗き込むようにして近づき、カメラを持ち上げたところで映像は途切れた。次にレコーダーを再生する。ブーンという低い音が鳴り続き、プアンプアンと不可思議な音がした。その後に、パピポパピポとさらに変な音? 声? がして音声は途切れた。慌ててシャツをたくし上げて身体を確認すると、へその辺りに小さな縫い目が残っていた。触れると微かに胎動を感じた。頭痛がして頭に触れると頭髪がなく、代わりに長い縫い目の手触りがあった。脳幹の奥でモーツァルトのレクイエムが鳴りはじめた。レクイエムの演奏が終わると、腹部に感じた胎動は激しくなって記憶が飛んだ。白い閃光が視界を覆って何も見えなくなった。大きな爆発音とともにきのこ雲が砂漠の上空にもくもくと広がった。きのこ雲を眼下に眺めながら、レポマンは次の惑星へと駆けていく。

2023年11月1日公開

© 2023 松尾模糊

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