歓迎会は海老ヌキで

合評会2023年11月応募作品、合評会優勝作品

大猫

小説

3,936文字

海老って美味しいですよね。
私が好きなのは上から順に、白エビ、甘エビ、ボタンエビです。小さいエビの方が美味しいと思う。
本作に出てくる伊勢海老は味噌汁にするのが一番美味しいんじゃないかな。
2023年11月合評会参加作品。

株式会社サウノー川口営業所に昼休みのチャイムが鳴り響いた頃、社員の日野和弘は顎が外れるほど驚いていた。大久保所長が重度の海老アレルギーと知ったのだ。
「知らなかったの? マジ?」

同僚たちは異口同音に驚いてみせる。
「社内じゃ有名だよ。所長と飲む時は海鮮厳禁だって」

今日は新入社員の豊田君の歓迎会だ。近所の居酒屋で「絶品海老堪能コース2H飲み放題付」。豊田君が海老好きだと聞いて日野が気合を入れてセッティングしたのだ。
「宴会コースは月曜日に周知したろう? なんでその時教えてくれなかったんだよ」
「ごめん、ちゃんと見てなかった」
「日野君のことだから、てっきり所長の了解を得てるんだと思ってた」
「所長は欠席なのかと思ってた」

もちろん大久保所長は出席する気満々で、「乾杯の挨拶、何を話せば受けるかな、最近は何が流行ってるの?」なんて社員たちに聞いて回っていた。何事も人任せ丸投げの所長らしく、今日の宴会コースのことは全くご存じない様子だ。
「あいつら、今日までわざと教えなかったんだな」

日野は唇を噛んで悔しがる。日野は数ヶ月前に本社から異動してきたばかりだ。全社挙げて売上強化を図っているこの時期に、固定客が多いのにあぐらをかいて全く努力しない川口営業所のテコ入れとして、本社営業部から送り込まれたのだ。着任早々、新たな顧客開拓の必要性を説き、危機意識をあおり、自ら新規開拓を実践して見せている日野を、営業所の連中は面白く思っていないに違いない。大久保所長の印象を悪くして、あわよくば追い出そうとしているのだ。

歓迎会開始まであと数時間。店に掛け合ってメニューを変えてもらおうと思ったが、開店は17時でまだ電話は通じない。そもそもが海鮮居酒屋だから、海老抜きの料理はあまりないだろう。店を変えることも考えたが、予約当日のキャンセル料は100パーセントだ。15名分10万円以上を補填するのは無理だ。

こうなったら所長に事情を話して了解をもらい、店に頼んで所長だけ別料理にするしかない。それならば納得してもらえるだろう。とは言え、川口営業所のぬるま湯状態に甘んじているのは所長も同じことで、日野を煙たく思っているに違いない。日野への心象悪化は避けられず、そうなると同僚連中の思うつぼだ。しかし話さないわけにはいかない。宴会場に着いてからでは遅い。今のうちに話さなくては。こういう時に限って所長は外出中だった。

お昼休みが終わり午後1時……2時……そろそろ3時。まだ所長は戻らない。まさか会場に直行する気だろうか。電話した方がいいんだろうか。さすがの日野にもジリジリ焦りが出てきている。

と、オフィスにふらりと大久保所長が入ってきた。元気者の所長にしては浮かない顔をしている。いつもは周囲の社員に軽口を叩き、自動販売機でコーヒーなど買ったりするのに、今日はまっすぐ自席に戻ってドッカリと腰を下ろして大きなため息をついている。顔色が良くない。今日は大手の顧客との打ち合わせだったはず。何かまずいことでもあったのかもしれない。

話しかけるなオーラ全開の所長に日野はそっと近づいて、
「ちょっといいですか」
と言おうとしてぎょっとした。所長の大きな顔は土気色で、額から汗がダラダラと流れている。
「どうしましたか? 気分が悪いんですか?」
「ああ、日野君……」

日頃スピーカーと言われるほど地声の大きな所長が、蚊の鳴くような声で言う。
「どっかこの辺にいい病院ないかな。昼前から頭痛がしてたんだけど、急にひどくなってね……吐き気もするし」

それはまずい、くも膜下出血や脳梗塞だったら一大事だ。日野は大急ぎで救急車を呼んで、救急隊員にてきぱき事情を話し、自らも救急車に乗り込もうとした。
「いや、誰も来なくていい」

所長はあるかなきかの声で止めた。
「家の者が来るから大丈夫だ。今日は豊田君の歓迎会だろう? 俺は出られないと思うが、構わずに楽しくやってくれ。日野君、ご苦労だが万事取り仕切ってくれ。頼むよ」

遠ざかるサイレンの音を聞きながら、日野は揺れ動く心を抑えかねていた。所長を気遣う気持ちと、厄介ごとが自然解決した安堵感とが胸のうちでジグザグ交錯している。「運のいい奴……」とどこからともなく聞こえてきた。誰かは知らないが姑息な奴など相手にするまい。今日の歓迎会は前代未聞に盛り上げてみせるぞ、と固く心に誓った。

個室を借り切っての歓迎会は大盛況だった。「絶品海老堪能コース2H飲み放題付」がなかなかの内容で、甘エビの刺身に車海老のエビチリ、海老のバケツ盛りに海老クリームコロッケにエビフライ。主賓の豊田君は大喜びだし、同僚連中も人を陥れようとしたことなどすっかり忘れて旨い旨いと舌鼓を打っている。
「やっぱさー、たまにはこういうの食べたいよね」
「海鮮最高!」
「所長がいるとだいたい焼き鳥か炉端焼きなんだよね。飽きちゃった」
「日野さん、さすが本社仕込みの段取りだね。宴会やらせてもトップだね!」

白々しいこと抜かしやがる、と内心思いながらも日野はかいがいしくお酌をして回り、料理が行き届いているか目配りをし、話が下火になりかけたら誰かに話を振ったりと八面六臂の大活躍だ。みんなに酒が回って話が弾みまくる。あっちこっちで女が笑い転げ、男がわめき散らし、宴会の喧騒が最高潮に達したその時、個室の引き戸が開いて大きな顔の人が入ってきた。
「よっ」

ニコニコと満面の笑みの大久保所長だ。首にコルセットを巻いている。
「みんな盛り上がってるじゃないか」

大騒ぎをしていた連中も、一人、二人と所長に気がついて、ものの数秒で宴会場はシーンと水を打ったように静まった。

真っ先に日野が駆け寄る。
「所長、もういいんですか?」
「それがさあストレートネックだって」

すっかり元気になった所長が笑いながら話す。
「首の湾曲がこう真っ直ぐになっちゃって頸椎の具合がおかしくなっちまって、それで血行不良から頭痛や吐き気がしたらしいんだよ。温っためてもらってストレッチしてもらったらだいぶん良くなったよ。あれだね、ノートパソコンで俯きながら仕事しちゃダメだね。ただでさえ頭がでかいんだから首が耐えられないんだって、あっはっは!」
「それは……何よりでした」
「頭痛のせいで昼飯食ってないんだよ。腹減っちゃった」

言いながら所長は空いている席にドッカリ座った。幸いなことにちょうど食べ物が切れていてテーブルに海老の姿はない。
「ちょっと待っててください。何か作ってもらってきます」

日野が駆け出そうとしたところへ、引き戸がガラリと開いて、店員が二人がかりで大皿を運んでくる。
「お待たせいたしました! 本日のダブルメイン、伊勢海老のお造りとオマール海老の姿焼きグラタンでーす!」

恭しく運ばれてきた銀の大皿には、子供の頭ほどもありそうな巨大伊勢海老がぷりっぷりの身を晒しており、隣の皿では真っ二つに割られた立派なオマール海老がジュワジュワ湯気を立てている。伊勢海老の触角とオマール海老のハサミがぶつかり合ってゆらゆら揺れている。
「これは?」

不思議そうな顔の所長、顔面蒼白の日野。それを遠巻きに眺める人々。

そこへ新入社員の豊田君が駆けてきた。
「所長! お体良くなって本当に良かったです。今日は歓迎会ありがとうございます。すっごく美味しいお料理ですね。どうぞ、所長が先に召しあがってください」

何も知らぬ豊田君は、皿を持ってきて取り分けようとした。
「いいんだ、いいんだよ。本当は今日は食事するなって言われてるんだ」

所長は豊田君を止めた。
「みんなに心配させたから顔を出しただけなんだ。俺はもう帰るから」

所長は立ち上がって背中を見せた。それを日野が慌てて追いかける。
「所長! これには訳があって」
「分かってるよ」

大久保所長は小さく笑みを見せた。
「気を遣わせちゃったな」

日野の鼻先でガラガラ引き戸が締まった。

歓迎会は続けられたが盛り上がりが戻るはずもなく、しばらくしてお開きとなった。駅へと向かう帰り道、誰かが「ざまあ」と言う声を確かに聞いた。こんな性根の連中ばかりの営業所はこっちから願い下げだ。異動願いを出してしまおうと日野は考えていた。

週明けの月曜日は朝礼があった。最後、相変わらず首にコルセットをつけた所長が訓話をする。
「みんな、金曜日の歓迎会ご苦労さんでした。心配をかけてすみませんでした。本当にストレートネックの症状は辛いもので、文字通り首が回らないだけじゃなくて、死ぬかと思うほど気分が悪くなりました。皆さんもくれぐれも気を付けて、長時間同じ姿勢でいない、業務の合間にストレッチをするなど心掛けてください、それから日野君、ちょっと前へ」

所長は日野を呼んで隣に立たせた。
「もう一つ、お詫びがあります。海老アレルギーの私にみんなが気を遣ってくれていたこと、知ってはいたんだけど、ついついそれに甘えていました。今後は私に遠慮なく海老の出る飲み会をやってください。自分でちゃんと気を付けます。それにしても日野君はさすが気の利く男だね。私が出られなくなって、急遽みんなが食べたいメニューに変えてくれたんだね。みんなの楽しそうな声が外まで聞こえていたよ。こういうことに気がつかないとダメだね」

所長が本気でこう言っているのか、それとも何もかも分かっていてあえて言っているのかは分からない。いずれにしても立ち位置が良くなったことは確かだ。所長の隣で全社員と向かい合って立っていた日野には、みんなの顔がはっきり見えていた。だいだいの目星はついた。「ざまあ」と言った奴、「運のいい奴」と言った奴、宴会場で笑いをこらえていた奴。

朝礼は終わり何事もなかったかのように業務が再開した。ぬるま湯を入れ替える時が来たなと日野は思った。

2023年11月15日公開

© 2023 大猫

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"歓迎会は海老ヌキで"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2023-11-23 18:04

    大久保くんなよー(笑)
    帰れよ家にー。
    看板見て帰れよー。
    なんで来たんだよー。
    お前のせいでいっつも焼き鳥とか炉端焼きとかなんだよ。飽きたんだよー。
    帰れよー。
    安静にしてろよー。
    しゃしゃんなよー。
    体を大事にしろよー。

  • 投稿者 | 2023-11-24 21:23

    さすがの流れるようなストーリーラインでもう諸手を挙げて星五つです。
    キャラ立ちも台詞回しも素晴らしい。完璧だと思います。
    ストレートネックがそんなに急変をもたらすとは知りませんでした。せいぜい肩こりくらいと軽く考えてました。気をつけます。

  • 編集者 | 2023-11-26 13:27

    会社の飲み会セッティングで社内政治を描きつつ、最後は自身が嫌悪する権力欲に魅せられ堕ちていく感じが軽妙な文体でもピリッと効いていました。

  • 投稿者 | 2023-11-26 16:59

    安心して読めました。政治関係も面白いですね。会社あるあるというか。

  • 投稿者 | 2023-11-26 23:38

     同僚の営業マンたちが判りやすい小悪党たちというところが作り話っぽいかなと感じたが、ちゃんとした展開と結末で、地味な内容ながら掌編としてまとまっている。
     時間が飛んで場面が切り替わるときには一行空けたい。

  • 投稿者 | 2023-11-27 15:59

    私も海老アレルギーなので飲み会の時はいつも周りに気を使わせてしまってます。しかし大久保所長はいい人ですね。こういう上司の下で働きたかったな。それと作品には全然関係ないことなのですが、アイキャッチ画像が皆さん海老でおえっとなってます笑

  • 投稿者 | 2023-11-27 17:08

    俺ニンニクだめなんすよね。昔からイタリアンのあとやたら悪酔いするなあと思ってたらどうやらそれが原因だったようです。所長がわざわざみんなの前で幹事のことを言うのは若干不自然な気もしましたが、ボソボソ君を炙り出すシーンの構築のためには致し方ないのかなとは思いました。

  • 投稿者 | 2023-11-27 17:10

    大猫さんはこういうお仕事の話も書けるんですね。エビが美味しそうでした。私もエビ好きです。確かに小さいエビの方がうまみがぎゅっと詰まってる気がします。
    所長が良い人で良かった。こういう人に出世してもらいたいです。

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