桜姫東文章八重綴代(さくらひめあずまぶんしやうやへのとぢしろ)

応募作品

大猫

小説

4,045文字

春画と言えば浮世絵。浮世絵と言えば歌舞伎。卯月の空に桜散り、春宵、猫の恋泣きを聞き、独り酒を酌みつつ悦楽の妄想モードに突入するのであります。2018年4月合評会参加作品。

緋色の打掛は金糸の流水文様、肩からすいと滑り落ちて、芍薬と白牡丹を散らした小袖姿の桜姫。身体つきはいとささやかに、かさねの色目は桜にて、紅と白が取り取りに見える襟元に、ほどけ髪がはらはらこぼれかかる。

悪漢・釣鐘権助、ごつい手を襟の内へぬっと差し入れ、久しぶりだなアとにやけ顔。桜姫、恋しい男に胸乳を掴まれ嬉し恥ずかし頬染めて、男の胸へ背中を凭せ、これ見てたもれと左袖を捲る。真白な細腕に青い釣鐘。これこそは、去年の弥生朝まだき、乙女の花を散らして去った見も知らぬ男を忘れかね、薄明かりに見し男の腕と同じ彫り物を、我と我が手で彫った恋の忘れ形見。折助と姫御前の夫婦たぁ不思議な縁もあるものよと権助、半開きの可愛ゆい口を吸えば、姫は夢心地のすすり泣き。

緋色桃色の衣の上に萌黄の帯を解き散らし、黒髪投げ出し柔肌を横たえた桜姫。そこへのしかかる釣鐘権助、ぼろ単衣を脱ぎ捨てた晒し木綿の下帯は、突っ張り切って飛び出さんばかり。渋紙色した手を羽二重の襦袢に突っ込めば、真紅の裾はだけてサッと露わる雪の内腿。その奥を指先で探れば、桜姫あッ、と声を上げ、いとけなき二八の秘所はもうとろとろの濡れ濡れ。指を滑らせ、さやえんどうの鞘開き、中の子豆をそろそろ撫でれば、ビクビクッと震えて、桜桃の唇から荒い息。あれ、もう、どうなりとして、と半泣きで女は首っ玉にしがみつく。よしきた、と権助、下帯解いてぶるっと武者震い、やにわに姫の両膝を掴んで左右におっ広げ、それよ、戸板もぶち抜けとばかりに挑みかかる…

 

…八重婆さんの妄想はそこで止まった。

画本のその先は袋綴じだったのである。畳に座ったまましばらく立ち上がれない。

 

その日から、八重婆さんは明けても暮れても袋綴じばかりを考えることになった。清蔵爺さんの本棚にいつの頃からか浮世絵の画本が置いてあったのは知っていたが、気にも止めなかった。掃除の際に美麗な扉絵が目に入って、つい手に取ってしまったのが運の尽き。好きでたまらぬ芝居の桜姫東文章、その春画を見てしまった。もう袋綴じの中身が見たくて見たくてたまらない。爺さんの本だから勝手に破るわけには参らぬ。春画を覗き見したと悟られるわけにはなお参らぬ。爺さんの方から袋綴じを解いてくれるのを待つより他はない。

婆さんの気も知らず、爺さんは朝から縁側に座ってぼーっと煙草を飲んでいる。日差しは暖かく、生垣に植えた雪柳が一斉に咲いて目に痛いほど白い。どこからか小さいブチ猫がやって来て足元にまつわりついた。この春先に生まれた野良猫の子に台所の残りの煮干しをやって、裁縫用の竹の物差しを即席の猫じゃらしにして遊ばせている。

婆さんはせわし気に家中にはたきをかけた。爺さんの禿げ頭にもはたきを落とさんばかりの勢いで、
「朝からそんなに座り込んでないで、ちっと本でもお読みなすったらどうなんです」
と言ってみる。
「これでも頭ん中じゃ色々と思案しているんだぜ」
「何の思案です」
「そうさな、ま、来し方を思い、行く末を案じるってなもんだ」

婆さん腹の中で、大方、草競馬の大穴の行く末でも案じてるんだろうよとせせら笑い、
「そんなとこに座り込まれたんじゃ邪魔でしょうがない。月の湯で朝湯やってるそうだから、行っておいでなさい」
と湯桶に手拭いを持たせて無理やり銭湯に行かせる。年寄りの常で、内風呂があるのに二人とも銭湯の方を好む。

爺さんが去ると婆さんはさっと本棚へ寄って行く。例の画本は下から二段目の左端。背扉に指をかけてそうっと引き抜こうとしたところへ、おい、と背後から声をかけられて飛び上がった。
「石鹸がないぜ」

縁側の先に爺さんが突っ立っている。石鹸くらい自分で持っておいきなさい、と文句を言いつつ洗面所へ小走りに走って新しい石鹸を引っ掴み、縁側へ戻って邪険に手渡す。

今度こそ爺さんが行ってしまったのを何度も確かめ、ようよう画本を引っ張り出す。もしや気まぐれで袋綴じを破ってはいまいかと、そうっと開いてみるが、頁と頁は蛤のようにピタリと合わさっている。天側の開いたところから覗けまいかと指を突っ込もうとするが、うかつに広げると折り目がついてしまいそうだ。透かせば見えるかと明るい場所へ持って行っても、豪華装丁本の上質紙は分厚くて、いくら陽に透かしても裏側は見えない。こっそりと破ってしまおうかとも思う。丁寧に貼り合わせておけば分からないのではないか。いや、一度破った袋綴じを何ごともなかったように貼り合わせるのはどんな上等な糊でも無理だ。

と、背中に気配を感じて、婆さんヒヤリと総毛立つ。南無三、こんなに早く戻って来やがったかと、恐る恐る首を回して見れば、縁側でブチ猫が顔を洗っている。この猫め、と悪態をつき、まだ早鐘を打つ胸を押さえてうずくまった。庭で雀がさえずっている。風が吹いて雪柳の花枝が揺れ、花びらが風に舞う。猫がにゃーと鳴く。畳に投げ出した画本には桜姫の恍惚の白い顔…婆さん、なんだか馬鹿々々しくなって、本棚に戻してそのまま台所へ立って行った。

 

未練を断ち切った八重婆さんだったが、言い寄ればつれなくするくせに、背を向ければすり寄って来る悪女のごとく、今度は春画の方から婆さんの関心を惹こうとする。下から二段目にあったはずの画本が、翌日はなぜか最上段のど真ん中に陣取っており、これ見よがしに背表紙が飛び出ている。抜き出して袋綴じを確認したいのを堪え、それきり本棚には近寄らないようにしていたのだが、数日経つと今度は座敷の文机の上に新聞と一緒に置いてある。

婆さんは腹を立てた。清蔵爺さんの悪ふざけに決まっている。覗き見したのを知っていて、思わせぶりに画本を置いているに違いない。昔から人を驚かせたりうろたえさせては喜んでいる爺さんだったが、今度のは質が悪い。人の劣情を手玉に取って弄ぶとはあまりにひどい。

誰がその手に乗るものかと徹底無視を決め込むが、爺さんもなかなかしつこくて、ある時は画本は戸棚の上に現れ、ある時は鏡台の横に打っ棄られて、ご丁寧にも桜姫東文章の濡れ場、袋綴じの頁が開いてある。
御簾に満開の桜がゆらゆら散りかかり、睦み合う釣鐘権助と桜姫の肢体がほのかに見えている。男に両足を高々と持ち上げられ顔をのけ反らせた桜姫は、御簾越しにも露わな随喜の涙。

この袋綴じを破れば御簾の向こうがはっきり見えるはず。ああ見たい、見てしまおうか、爺さんが見よと言っているのだから構いはしない………しかし結局踏み切れず、己の意気地の無さにがっかりしながら本棚に戻しておいた。

 

明くる朝目が覚めると、戻しておいたはずの画本が布団の横にそうっと置いてあるではないか。爺さんはもう起き出していて隣の布団は空っぽだ。あんまりだ、と怒りと悔し涙が一時にこみ上げて、婆さん、寝巻のまま居間へ飛び出した。爺さんは例によって縁側に座っている。
「何ですよッ! 何の真似ですッ!」
「どうしたい、騒々しい」
「この本、ひ、人をからかって…」

畳に放り出した画本を一瞥し、爺さんはへへっ、と笑った。
「お前、ちょくちょく覗いていたようだから置いといてやったんだよ。好きなだけ眺めりゃいいじゃねえか」
「覗くもんか、こんなもの」
「嘘つけ。涎垂らして眺めてたろうが」
「知りませんッ!」

ぷりぷり怒っている婆さんを、まあまあと宥め、
「おう、ちょっと眼鏡取っちくれよ」
しぶしぶ老眼鏡を渡してやると、受け取りしなに無理に手を引いて座らされる。
「いや、実はよ、一緒に見ようと思って買っといたんだよ。俺たちもとうに干上がっちまったが、たまにゃあ色っぽいもんでも見て寿命を延ばさねえとな。けんど、お前があんまり熱心に覗いてるもんだから、こりゃ一人で見さしておいた方がいいのかと思ってよ」
「嘘ばっかり」
「へへへ、だから、まあ、一緒に見ようじゃねえか」

爺さんはパラパラと画本をめくって、袋綴じの頁を広げた。
「ほらよ、見てえのはこれだろ?」

そっぽを向いた婆さんの目の前に、開いた画本を無理に持って来る。
「お前の好きな清玄桜姫だ」

見るまいと思ったのに、ついつい横目で眺めてしまう。
「…これは清玄じゃなくって釣鐘権助ですよ」
「どっちでもいいや、よう、いい女だが、おっぱいが小っちぇえな。どうも面白くねえなあ」
「だって…お姫様なんだから」
「この袋綴じ、無粋だなあ、お前、破っちまえばよかったのに」
「だって…勝手に破くなんて、ねえ、そんな…」

言い淀んでいる間に爺さんは袋綴じを両手で引き裂こうとする。それを慌てて止めた。
「駄目駄目、そんなに乱暴にしちゃ変に破れちまう」
「鋏はねえか。なんか真っつぐなもんでもいいや」
「これは? 物差し」
「お、ちょうどいい、貸してくれ」

爺さんは竹の物差しを袋綴じに突っ込み、綴じ目に沿って器用に横に引いた。シューッと小気味よい音を立てて袋綴じが破れた。

いよいよだ。八重婆さんは唾を飲んだ。爺さんは物差しでそのまま頁をめくった。
御簾が巻き上げられ、褐色の肌と白い肌が絡み合う世界。素っ裸の権助と桜姫、悦楽の極みにある二人に目を凝らす…

 

クシャッ、と乾いた音がして、急に視界が白黒になった。何かが画本の上に乗っている。猫だ。ブチの子猫が物差しにじゃれかかり、飛び乗ったのだった。

ぐしゃぐしゃになった頁を慌てて引き延ばして見てみると、桜姫の顔の上、権助の尻、そして肝心かなめの接合部分に梅の小紋のような足跡が点々とついている。

「…あーあ」
「…あーあ」

風船がしぼんだみたいなため息をついている二人に、猫がにゃあ、と返事をした。
婆さんは着替えをして掃除を始め、爺さんは猫に煮干しをやって朝湯へ出かけて行った。くだんの春画本は本棚の隅っこに仕舞われたまま、二度と陽の目を見ることはなかった。

 

2018年4月14日公開

© 2018 大猫

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"桜姫東文章八重綴代(さくらひめあずまぶんしやうやへのとぢしろ)"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2018-04-21 09:37

    冒頭の歌舞伎を妄想するパートと、老夫婦の日常パートのギャップが秀逸だ。歌舞伎芝居調の文体で意表をつかれた後、前触れなしの転調でするりと肩すかしを食らった気分である。全体的に楽しく読める話だが、猫に足跡をつけられたくらいで損なわれてしまう老境の性にそこはかとなく悲哀が感じられる。

    だが、冒頭のパートを除けば、本作が「桜姫東文章」を取り上げた必然性は特にないように思えた。もしかしたら袋綴じをめぐる老夫婦の物語の中にも「桜姫東文章」を踏まえた引喩が仕込まれているのかもしれないが、私は元ネタの歌舞伎作品を知らないため判断ができなかった。合評会当日に詳しく話を伺ってみたいところである。

    • 投稿者 | 2018-04-25 23:42

      藤城さん、コメントありがとうございます。「桜姫東文章」(旧仮名遣いは「あづま」なのにタイトルに「あずま」って書いてしまいました。とほほ)を使ったのは、大きな理由はなくて、春の気分を出したかったからです。鳴神上人と雲の絶間姫とか、切られの与三郎とお富さんとかも考えたのですが、雰囲気の明るさから春に一番相応しいと思いました。まあ、「桜姫東文章」も明るい話ではないのですが。
      春画も歌舞伎も荒唐無稽な夢の世界に属していて、妄想に引きずり込まれますね。

      著者
  • 投稿者 | 2018-04-22 20:35

    ゲラゲラ笑いました。袋とじはおそらく当時はなかった(あっても高価だった)と思いますけど、おもしろかったので細かいことは気になりませんでした。

    • 投稿者 | 2018-04-25 23:45

      斧田さん、コメントありがとうございます。
      楽しんでいただけたなら何よりです。私も書いていて楽しかった。
      爺さんと婆さんの生きている時代は一応、現代、昭和末期辺りの気分で書いていたのですが、江戸や明治のように思えたのだとしたら、それはそれで古体な感じが出ていたのかなと勝手に喜んでいます。

      著者
  • 投稿者 | 2018-04-24 12:12

    う、巧い!!流れるように巧い!!おばあさんの可愛さ。おじいさんの粋さ。そして最後の猫。いやー、袋とじが……。きっちりとおちていて、構成も綺麗でした。楽しく読ませていただきました。

    • 投稿者 | 2018-04-25 23:54

      牧野さん、コメントありがとうございます。
      年寄りだから朝っぱらから縁側で春画なんか見てられるのですね。
      それにしても家に子猫がいると日々破壊活動防止に心を砕くことになります。
      楽しんでいただけてよかったです。

      著者
  • 投稿者 | 2018-04-25 05:37

    老夫婦を狂言回しに採用したのがとても素敵なので加点。ただ時代背景がよくわからない。庶民の老夫婦宅に内風呂があるのでおそらくはすでに昭和。戦後の昭和三十年代あたりが舞台だろうか。そのへんはあまり具体的にはされていない可能性もあるけれど、現代風の「袋とじでエロが隠されている」という類の出版物がその頃あったのかとなると、あまり記憶にないので、機会があれば調査してみたいと思った。ちなみに江戸期の出版物は全部袋とじです(製本の構造的な意味で)。

    • 投稿者 | 2018-04-26 00:03

      波野さん、コメントありがとうございます。
      時代はご賢察通り昭和の後半です。30年代よりはもう少し後かな。あんまり厳密には考えていませんでした。
      袋綴じのエロ本がいつ頃からあったのかは分かりませんが、袋綴じの浮世絵画本は昭和の終わりにはありました。なぜなら私の家にあったからです。キヨッソーネコレクションの画本で春画も収めてありました。もちろん私が真っ先に喜び勇んで袋綴じを破りました。

      著者
  • 編集長 | 2018-04-26 12:01

    今回のテーマにきちんとよりそった文体、手練れの仕事だった。ユーモラスなエロティシズムの書き方が特に優れている。
    また、老夫婦の干上がった性というテーマを女性の視点から描いたものは珍しく、その点も評価したい。

  • 編集者 | 2018-04-26 13:01

    老人にも当然「性」が存在する、それを意識すると言うことを改めて感じさせられる。袋とじと言うのは老人の隠された性の隠喩か?今回もっとも福祉的な作品。もっと老人に優しくしよう。猫は三味線にしよう。

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