白いハナミズキの下で

合評会2019年05月応募作品、合評会優勝作品

大猫

小説

3,997文字

合評会2019年05月参加作品。子供の世界にももちろん「善悪と金」の問題はあります。どちらが良いとか悪いとかではなくて、生きていくしんどさが伝わるといいなと願っています。

洋輔は児童公園でブランコに乗っていた。思い切り漕いで身体を後ろに反らすと、視界がハナミズキの花の大群で埋まり、次の瞬間青空が広がった。揺らすたび、真っ白い花と濃い青が切り替わって目が眩みそうになった。つまんねーのと呟いた。日曜日なのにいつもの友達が誰も来ない。

帰ろうかなと思った時、弾んだ足音が聞こえてきた。誰か来たかと喜んで走って行ったら、公園前の歩道をスキップして来る和人が見えた。洋輔は口に出してちぇっと言った。同じ二年一組の和人のことを「トロい奴」だとバカにしている。動作がのろくて何をしてもビリだからだ。普段なら遊んでやったりしないんだけどな、と思いながら、

「おーい!」

と柵の向こうへ声を掛けた。

「遊ばない?」

はっとスキップの足を止めて、和人は驚いた顔を向けた。

「今日はだめ……えっと、買い物、えっとお使いに行くから」

と小さい声で返事をした。

「なに買いに行くんだよ?」

和人はもじもじしている。

「んっと……ホットケーキ……」

「ホットケーキ?」

「じゃなくて、粉」

「小麦粉?」

「違うよ、ホットケーキの専用の粉だよ」

和人がいくらか得意そうに言ったのにムッとした。

「ダッセーの。お前んち、んなもん食うのかよ」

どうしていいか分からず固まってしまった和人をいらいらして怒鳴りつけた。

「もういいよ、行けよ!」

びくっと飛び上がり慌てて走り抜けようとして、和人は前のめりに転んでしまった。

「うぇーん! うわーん!」

転んだまま和人は起き上がらない。ちぇっ、と言いながら助け起こそうと歩道へ出て来た洋輔の足元に百円玉が転がって来た。あちこち散らばったハナミズキの花びらの間を、銀色の硬貨がころころと転がって行く。このままでは側溝の蓋の隙間へ落っこちてしまう。洋輔はさっと足で百円玉を踏んで止めた。それをかがみこんで拾った時、和人がぱっと立ち上がった。

「何すんだっ!」

大声と一緒に体当たりを食らい、たまらず洋輔は尻もちをついた。そこへ和人がのしかかって、

「返せっ!」

金切り声を上げながら洋輔の手から百円玉をもぎ取った。驚いて立ち上がれずにいる洋輔の真正面に、和人は仁王立ちで叫んだ。

「泥棒、泥棒!」

その顔は涙と鼻水とでぐちゃぐちゃで膝からは血が出ている。洋輔は何も言い返せなかった。

 

立派な木製の机の向こうに校長先生が困り顔で座っている。机のそばには担任の江原泰子先生が立っている。ちょっと疲れた顔だ。休みの日に呼び出されたのだから無理もない。二人掛けのソファーには和人の両親が座り、向かいの一人用には洋輔の母が腰掛けていた。混乱を避けるため子供は同席させていない。

「転ばせて怪我させた上、お金を盗ろうとしたんですよ!」

和人の父・木村和彦の声は憤りで震えている。その勢いにやや気圧されながら洋輔の母・鈴木洋美は言い返す。

「拾ってあげただけだって言ってます」

二人の子供からそれぞれ事情を聞いた校長先生によると、お使いに行く途中の和人が転んで、お金が転がって溝に落ちそうになったのを拾ってあげたと言っているのが鈴木洋輔。お使いの途中に因縁をつけられて転ばされ、その隙に金を盗もうとしたというのが木村和人の言い分だった。

「話を聞いていると和人君は自分で転んだようですね」

江原先生が冷静な口調で説明するところへ、和人の母の木村良子があのう、と口を挟んだ。

「普段から和人はクラスでいじめられるって話をしてたんです。特に洋輔君に絡まれるって。早生まれで他のお子さんよりは発達も遅めだから……動作が鈍いって幼稚園の先生からも言われてましたけど……」

父が後を引き取る。

「だからっていじめてもいいって言うんですか?」

反論しようと口を開きかけた洋美を江原先生が静かに制した。

「洋輔君は元気なお子さんで、お友達と喧嘩まがいのじゃれ合いになることもあります。和人君をからかったので注意をしたことがありまして、その時はちゃんと謝って、もうしないと言っていたのですけど」

そこに父が畳みかける。

「大人しい和人が必死で向かって行ったんです。そこまでするのはよくよくのことです!」

たまりかねて洋輔の母が反論する。

「息子は確かに乱暴なところがありますけど、お金を盗んだりはしません。人の物には絶対手を出すなって小さい頃からしつけて来ました。お金は拾ってあげたんだと思います。それを盗られたと勘違いしたんじゃないんですか?」

木村和彦は皮肉な顔をした。

「そうですかね。不自由させると逆に執着するって聞きますけどね」

それを聞くと鈴木洋美は跳ねるように立ち上がった。

「何を言いたいんですか。不自由させるって何の話ですか? うちが母子家庭だからですか? 母子家庭の子供はお金を盗むって言うんですか?」

まあまあと校長先生が止めに入り、時間も遅くなったことだからと物別れのままお開きとなった。

「少し時間を置きましょう。また話し合いの場を持ちますので」

校長先生の言葉に和人の両親は見るからに納得がいかない様子だ。

「怪我させられてお金を盗られそうになったのに。こんな不公平ってありますか。転校も考えます。もっと上の方にも聞いてもらうようにしますから」

憤然と帰って行った和人の両親を見送ると、江原先生はすすり泣く洋輔の母を慰めながら校舎出口まで送った。

 

戻って来た江原先生を校長先生がご苦労さんとねぎらうと、江原先生は重い口調で言った。

「木村和人君なんですけどね、あの子、自分の持ち物にすごく執着するところがあるんです。一度、算数セットのおはじきを床に落としたことがあって、隣の子が拾ってあげようとしたら、何すんだ僕のだって言って」

「ほう」

「たくさん散らばったのに誰にも拾わせないんです」

「御両親はこのことを知っているの?」

「御存じだろうとは思いますが、だからって、ねえ、あの剣幕ではそうとも言えなくて……」

「まあ、そうだな。少し様子を見ていようかね」

そうしますと言って、江原先生は重い足取りで帰って行った。

 

その夜、布団に入った洋輔に母は尋ねた。

「本当に盗んでないの?」

「盗んでない。拾ってあげただけ」

「分かった。お母さんは信じる」

そうして息子の小さな頭に顔を付けながら言い聞かせた。

「もう和人君をからかったらダメだよ。それに他の子のこともいじめちゃダメだからね」

「いじめない」

「絶対だよ」

うんと言った瞬間、子供はもう眠っていた。

 

月曜日、洋輔は和人とのことなどすっかり忘れて元気に登校した。授業中も給食時間も昼休みも何事もなく、和人に手出しもしなかった。和人は和人でいつものマイペースで過ごしており、江原先生はほっと一安心した。

ところが次の日、洋輔の隣の女の子が下敷きがないと騒ぎ出した。半べそをかいてディズニーキャラクター入りの下敷きを探したけれど見つからない。そのうちに誰ともなく言い出した。

「鈴木洋輔だよ」

「そうだよ、あいつ泥棒だから」

「洋輔が盗ったんだ」

洋輔は呆気に取られた。

「女の下敷きなんか盗るわけねーだろ」

すると誰かが背後から言うのが聞こえた。

「泥棒だもん。お金盗ろうとしたもん」

それが和人の声と知った洋輔はぱっと後ろを振り返った。

「このヤロー」

ガッタンと大きな音がして、すぐに甲高い泣き声が響き渡った。尻もちをついて泣いている和人に、更に手を出そうとする洋輔を江原先生が抱き止めた。

 

再び学校に呼び出されて校長室に駆け込んだ洋美は、パイプ椅子に座らされている洋輔を見るや前後も忘れて怒鳴りつけた。

「何てことしたの!」

むっつり顔の洋輔は返事をしない。

「約束したでしょ? 絶対に他の子をいじめないって」

「いじめてない」

悪びれずに言った洋輔の前に母は両膝を付き、肩を引っ掴んで揺さぶった。

「なんでよ? なんで悪いことばっかりするの? お母さんが何のために毎日一生懸命に働いてると思ってるの? お父さんのいない子はだめだって、やっぱりお母さんしかいない子はだめだって言われないように、言われないっ……にっ、お母さん……頑張ってるのに……なんで……」

後は声にならず、洋美は子供の肩に顔を埋めて泣いた。それを江原先生がそっと助け起こした。

「お母さん、ダメですよ、そんなこと言っては……」

「お母さんダメじゃない!」

突然洋輔がすごい声を上げた。顔を真っ赤にしてウーッと唸ったかと思うと、涙がぼろぼろこぼれ落ち、天井を向いてわめくように泣いた。

「お母さんダメじゃない……俺が悪い子だから、みんなドロボーって、い、言った、悪いから……お母さん……ヒッ、ヒック、ヒャクッ!」

大泣きしすぎて過呼吸に陥った洋輔の背中をさすり、水を飲ませたがしゃっくりが止まらない。たまらず母は息子を抱き締めた。

「ごめん、お母さんが悪かった、泣かなくていいよ、ね」

「お母さん悪くないっ!」

校長先生や江原先生が慰めてもしばらくの間二人は泣き止まなかった。

 

洋輔は転校することになった。

結局、下敷きは持ち主のノートに挟んであった。お金を盗もうとしたことも学校側は認定しなかった。和人が普段から洋輔にいじめられており、恐怖心からお金を盗まれると勘違いしたと考えられるとの見解だった。これには洋輔側和人側共に不満を訴え、特に和人の父が強硬な態度に出て収拾がつかなくなった。

 

「歯取れた」

学童保育からの帰り道、洋輔が右の前歯を差し出した。

「前歯両方とも抜けちゃったね」

洋美が乳歯を受け取ってお守り袋にしまい込んだ。

「新しい学校に行く前に歯が生えるかな」

「そんなに早く生えないよ」

先に歩いていた洋輔が急に立ち止まって振り向いた。

「あの木、なんて言うの?」

指差した先には半分花が落ちたハナミズキが夕暮の陽を浴びて黄緑色に光っていた。

名前を教えられた洋輔は、この木は嫌いだと言って走り出した。我が家のある団地の入り口にも白いハナミズキの並木があった。

2019年5月19日公開

© 2019 大猫

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"白いハナミズキの下で"へのコメント 14

  • 投稿者 | 2019-05-23 12:46

    「ダッセーの。お前んち、んなもん食うのかよ」という言葉を発した裏の経緯や感情を考えてしまって、とてもつらくなった。そこまで考えて作られていると思うと、背筋を正される思いがした。……なんて言葉を言うのもためらわれるくらい、よかったです、このような小説を書いてくださりありがとうございました。

  • 投稿者 | 2019-05-23 13:20

    今回テーマの難しさを如実に表している。物語はよくできているし、心理描写もうまい。語られる状況にも破綻がない。私のPTA経験でも、いかにもありそうなリアルなトラブル設定である。生きるのが辛いという前書きの通り、生きるのが難しいのが人類なのだろうか。小説としてはすべての事実がつまびらかになりすぎていて、葛藤や苦悩というものの掘り下げがもっとあってもよかったんではないかとは思うが、それは減点とかではない。

  • 編集者 | 2019-05-25 22:13

    子どもの実態と大人の思い込みのギャップがとてもリアルです。洋輔を寝かしつける母親の場面がとても母性愛を感じる描写で良いなと思いました。不条理な中で洋輔の母親への愛情が胸を打ちました。

  • 投稿者 | 2019-05-26 00:46

    物語としてすごく綺麗に作られていてどんどん読める。
    そのどんどん読ませる仕掛けも結構しっかり作られていて、読みやすいわりに骨太。
    最初の洋輔と和人のちょっとした諍いのシーンから父母同士の対立の場面になって、それを踏まえたうえでそれぞれの事情が明かされながら話が進んでいく、という作りで、読者としてすごく引っ張られた。
    原稿用紙十枚という短い中で、これほど芯の通った物語が作れるのはすごい。
    好きです。

  • 投稿者 | 2019-05-26 17:58

    ストーリーテリングの上手さには脱帽です。私は誰かの親ではないですが、それでも読んでいて子どもの気持ちも親の気持ちもわかってしまって、居たたまれなくなりました。しかし読み終わった後はどこか希望のような、やさしい気持ちになりました。洋輔くんもお母さんも、お互いを思いあっている親子だということがよくわかったからですね。
    私も個人的にはもう少し、事実を覆いその分を読者に委ねた方が小説としてはいいのかもしれないと思いましたが、そうするとまた読後感も変わってくるのかもしれないので、ううん難しいですね。これからこの親子にたくさんの幸せがありますように。

  • ゲスト | 2019-05-26 19:40

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  • 投稿者 | 2019-05-27 06:06

    「真っ白い花と濃い青が切り替わって目が眩みそうになった」という冒頭の描写が、本作で描かれる子どもと大人の二つの世界とそれらの齟齬に対する戸惑いを鮮やかに象徴している。ハナミズキの上に空が広がっているように、子どもたちは一見無垢なやりとりの中でも常に「うち」を背負っていて、時として家庭環境の違いを残酷な形で露呈させる。今回の合評会応募作の中で最も優れた作品だと感じた。星五つ!

  • 投稿者 | 2019-05-27 21:36

    この複雑な設定を見事に4000字に入れ込む手腕、さすがです。穴が1つもない。

  • 投稿者 | 2019-05-27 23:48

    読んで、かつて学童でバイトをやっていた時のことを思い出しました。子と親と先生含めてのコミュニケーションの誤読を、僕自身当事者として経験し、結果一人の児童が去っていったことがありました。親からも色々なことを言われました。そんなこともあり、のめり込むように読みました。
    大猫さんの作品はいじめの問題から出発して、人と人の間に生まれるあらゆる「誤読」が描かれていると思いました。異なる正義と正義のぶつかり合いこそが、善悪の正体なのかもしれないなと思いました。
    何より読んでいて感情を強く揺さぶられました。思い出したくないことを思い出させられるような。大猫さんの描かれたものこそ、おそらく人が「絶望」と感じるもののような気もします。
    他方、もしかしたら僕は、大猫さんとは異なる解を探しているような気もします。全てに納得していないような、何かに引っかかりを感じてもいます。大猫さんが描いたこの作品とは別の仕方で、僕もまた物語を綴りたいと思わされました。

  • 編集者 | 2019-05-28 02:52

    言いたいことは他の人が書いてしまった……。
    まさにこう言う光景の渦中にいたので、思い入れもあるが、良い小説だった。理由がつきそうで付かない、客観など出来ない、そういう年の生身の世界が蘇っている。

  • 投稿者 | 2019-05-28 16:27

    「なんでよ? なんで悪いことばっかりするの? お母さんがなんのために・・・」お母さんその台詞は絶対言ってはだめ、と思った瞬間に先生が止めて下さり助かりました。
    善悪の基本は「どちらも互いに正義である」ことです。それを如実に表現している小説だなと思いました。ただ、話が大きくなりすぎなのかな?と思います。クラスを変えるなどで対応できそうな事案なのかなと思いました。(可能なのか分かりませんが)

  • 投稿者 | 2019-05-28 17:05

    小学生のころに体験したことを思い出し涙が出そうになりました。このやるせない気持ちぶつけようにもぶつけ先がないので、私が体験した話を書きます(?)友達の家に遊びに行ったときにその友達のおじさんが遊びに来ていて、友達にお小遣いだと言って千円渡しました。友達は私に「はんぶんこな」と言って貯金箱から五百円くれたのですが、翌日学校に行くとクラス中からドロボーと言われ、放課後お袋が教頭先生に呼び出されました。その友達がおじさんからもらったお金を私が盗んだと言いふらしたそうです。お袋は最後まで私のことを信じてくれましたが、それからしばらくクラスで浮いた存在になってしまいました。因みにその元友達は今では小学校の教師をしています、

    • 投稿者 | 2019-05-29 00:06

      諏訪さん
      ひどい話ですね。友だちは優越感に浸りたかっただけなのでしょう。あるいは1000円のうちの半分しかないことを親に見咎められて、盗まれたと言ったのかもしれません。子供はその場逃れのためにはいくらでもずる賢くなります。この子はおそらく、もう忘れているのでしょう。

      著者
      • 投稿者 | 2019-05-29 16:56

        わあ、コメありがとうございます。そうですね。もう忘れてるでしょう。子供の頃のこういった経験は、された側が覚えていても、した側は忘れてしまうものです。私も誰かの心に傷を刻んでるかもしれません。

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