青の像

合評会2023年09月応募作品

大猫

小説

2,850文字

こんな渋滞はいやだ。
昔見た夢から題材を取りました。
2023年9月合評会参加作品。

これで十日も仕事に行けてないんですよ。どうしたもんですかね。青の像のせいですよ。青の像って何かって? あなた、この町の人? 通りがかりの人? ご旅行中? そうですか。

青の像があるんですけれどね、そう、この先の河口にちょっとした橋があるんですけれど、街の西と東を分けてるんですけれど、そこを渡らないと仕事にも学校にも行かれないんですけれど、青の像が置いてあるせいで通れないんです。

いえいえ、そんなでっかいものじゃありません。バーゲンセールの車輪付きワゴンみたいなのに乗っかっているんですよ。青って言ってるけど本当は何色なんだろう、緑青色かな、鉄錆色ってのかな、とにかくその橋で川の東西が分かれていて、北側が海でね、青の像はその海と同じ色をしているんですって。

像の姿? 私ははっきりと見たわけじゃないんですけれど、長い髪をなびかせたあどけない少女の像だと聞いています。年頃は十三、四くらい。でも凛々しい少年に見えるという人もいれば、婆さんに見えるという人もいます。今日みたいな曇りの朝は、海の色は灰色混じりの薄い青で、薄雲がたなびく空には海鳥なんか一羽も飛んでいなくて、青の像が空と海の間でふらふら浮かんでいるんですよ。いえ、そう見えるだけってことですよ。

橋を通る人は誰でも、像の前を通ったらそれを殺さなくてはならないんです。殺すって、どうも物騒な言い草ですけれど、ともかく、像の顔やお腹を鋭利な刃物で切り刻むなり、首や胴を斧でぶった斬るなりしなくてはならなくて、そうしないとそこを通してもらえないんです。でもこれがなかなかできないんです。歩行者でも車でも自転車でも例外なしで、像を殺さないと橋を渡れないんです。だから毎朝、通勤時間帯の忙しい時に渋滞が起きてるんです。

なにしろその像はたしかに塑像でしかも青いくせに、生きている人みたいに生々しくて、正面から向き合うと三秒と見てられないそうなんです。実際、近くで見た人に聞いてみるとあの目がいけないんだそうで、作り物だと分かっていても、視線に射すくめられて金縛りに遭っちまうんだそうです。で、切り刻むと物凄い悲鳴を上げるんです。断末魔の声なんて身の毛のよだつほどで、一度聞いたらいつまでも耳に残るほど怖いんです。

それでも大概の人は思い切ってやりますね。ナイフでも鉈でも出刃包丁でも、ピストルや爆弾なんてものを持ち出す人もいますが、要はなんでもいいんです。こいつを殺らないとそこを通れないとなれば、殺っちゃうしかありませんよね。それにその像は、どんなに殺されても殺した人が行ってしまうと元通りに戻ってしまうんです。

今じゃ皆さん、もうすっかり慣れたもので、「一日一殺」みたいな感じで気軽にやっておりますよ。ええ、老若男女問わずですね。すっかり首落としが得意になっちゃったって人がいたり、袈裟懸けに切るのもコツがあるなんて言ってる人もいるし、渋滞もだいぶん解消してきました。中には切り刻むのが好きな奴がいて、毎朝来て首から目鼻から指一本一本バラバラにしちゃうのもいるんですが、時間がかかってしょうかないのでフリーパスになったらしいです。

 

え? 私? 私ですか? 私……そう、私ね、私はね、まだあの橋を渡れないでいるんです。最初の日も次の日も並びましたよ。でも近くなるとね、聞こえて来るんです、あの声が。殺される声だなんて嘘だって分かっていても、どうしてもだめなんです。ちらっと聞こえただけで全身に鳥肌が立って、もう怖くて怖くて腰が抜けて、それ以上前に進めなくて、這うようにして逃げ帰りました。

最初の日、私の同僚が一緒に並んでたんですけれど、彼は勇気を出して青の像の前まで行ったんです。そうしてナイフかなんかで切りつけたそうなんですけれど、どうしてもそれ以上できなくて、そのまま海に身投げしてしまいました。もちろん身投げなんかするつもりはなかったんでしょうけれど、なにしろ青の像の前まで行ったら引き返すことができないんです。後ろに大勢つっかえて「早くやれよ」ってけしかけられるし、だからと言って青の像を殺す勇気もなくて、行くもならず引くもできずに身投げしちまったんです。きっと私もそうなります。きっときっとです。だからこうして十日も仕事に行かれずにいるんです。

どうってことないのにね。みんなできてることなんだから、やってみれば案外できるんじゃないかって思うんだけれど、殺すくらい、いや、本当に殺すわけじゃないんだし……ああ、でも怖い、怖いんです、なんでこんな意気地なしなんだろう、なんでこんなダメ人間なんだろう……

あなたもう行くんですか? これから橋を渡る? 青の像を殺して橋を渡るんですね? そうですか。別に怖いことなんかない? まあ、そうですよね。やっぱり人間そうじゃなくちゃ。勇気のある人がうらやましい。えっ、私も一緒に? ええ、そりゃあ仕事に行かなくちゃと思うんですけれど、そうしないと生きて行かれないし、生きるためには殺さなきゃと思うことは思うんですけれど……一緒について行ってくださるんですか? それはご親切にありがとう。でも、きっとダメです。やる時は一人でやらないといけないんで、人の助けは借りられないんです。きっときっと私にはできない。見ていてくださる? 勇気づけてくださるって? 重ね重ねご親切ありがとうございます。ええ、でも本当にいいんです。ありがとう、どうぞ、お先にお行きなさい……

 

行っちゃった……赤の他人なのにお節介な人だな。よその人に言われなくたって分かってるんだよ。毎日、毎日、みんなに言われてるんだから。ちょっとの勇気を出して乗り切ればいいんだって、他の人はみんなそうやってるんだからって。毎朝殺してるんだから、殺せないことなんかないはずなんだよ。

明日橋を渡れなければ、きっと仕事はクビだ。ああもう、なんでこんなことになったんだろう。それもこれも青の像のせいだ。ひどい話じゃないか。なんでこんな目に遭わないとならないんだ。理不尽だよ。

クビになるくらいならあいつの首を飛ばしてやればいい。ぶった斬ってやればいいんだ。そうだよ、さっきの人の言う通りだ。ここまで来たらもう綺麗ごと言ってる場合じゃない。殺すか殺されるかなら、殺すしかないんだ。ずいぶん迷ったけど、やっと腹に落ちた。きっと明日は殺せる。一回殺してしまえば、後はどうってことないってみんなが言ってる。

首を切ったらやっぱり青い血が飛ぶのかな。返り血を浴びたら洗える場所はあるんだろうか。斧なんか使ったことないから、ナイフで行こうかな。間違えて自分の手を切っちゃったりして。滑り止めの手袋を用意しといた方がいいな。隣のおじさんから猟銃を借りようか。ダメだ、暴発するイメージしか浮かばない。

あの声が嫌なんだよ。声を聞かないように耳栓も用意しとこうか。

 

えっ、どうしたの、なに?

今しがた海に身を投げた人がいるって、誰?

知らない旅の人?

そう……そうか、そうなのか……

明日の海は、何色かな。

2023年9月18日公開

© 2023 大猫

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"青の像"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2023-09-19 16:27

    私の好きな漫画の裏バイト逃亡禁止に出てきそうなエピソードで素敵。素敵ング(ING系)。緑青の像。青の像。緑青の像の話で、赤の他人がうるせえなっていってるのが、これまたよくございました。

  • 投稿者 | 2023-09-23 20:24

    良く出来てるなあととにかく感心。なんとなく、でも、こういう現実を生きてるよなあと思ったりもします。

  • 投稿者 | 2023-09-25 17:19

    珍しくシュールな世界観でしたが、不気味な雰囲気が構築できていてよかったです。1点、鉄の錆は赤いので、青系の場合はおそらく銅の錆(直前にもありますが緑青)と思われます。ただ、あくまで一人称の登場人物の認識なのでわざとなのかもしれません

    • 投稿者 | 2023-09-25 19:12

      コメントありがとうございます。
      鉄錆色ですが、私の中では「錆色」とは別物でして、黒ずんだ青緑色の印象です。昔、「鉄錆焼」「鉄錆塗」の工芸品を見た記憶から来ています。あまり一般的ではなかったですかね。
      確かにご指摘のように「緑青」と一緒に出すのは悪手でした。

      著者
  • 投稿者 | 2023-09-25 18:17

    幻想的で厭な読後感が残る作品でした。私ならどうするかな。青の像を抱き抱え一緒に橋から飛び降りようかしら。水の中でも絶対離さないように沈んでいけば翌日復活しないかもなんて思ったり。

  • 投稿者 | 2023-09-25 18:43

    あー!! たしかにこういう謎ルールを押しつけられる世界観の夢ありそうー! と夢あるあるを感じました。
    なんだか自分もこんな夢を見た気がしてきました。
    そして夢あるあるをベースにしっかり妖しい作品としてまとめておられ、良い意味で爽やかで気持ち悪い読後感が良かったです。

  • 投稿者 | 2023-09-25 18:49

     独白する主人公のキャラが見えにくく、書かれてあることが幻想的すぎて味がよく判らなかったのだが、賽の河原の話みたいな世界観なのかな、と解釈させてもらった。

  • 編集者 | 2023-09-25 21:33

    このどうにも出来なさこそが渋滞の示すものなのだろう。悲しい色やね。岸田に読ませたい。

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