世界が終わらない

合評会2022年05月応募作品

曾根崎十三

小説

4,673文字

5月合評会「ソビエト連邦」提出作品。

参考—越野剛「ソ連の学校における少女の物語文化」2008年
アイキャッチ画像—PhotoAC(https://www.photo-ac.com/)より
※この物語はフィクションです。実在する作品とは大体関係ありません。

「それでね、そのお見舞いの時に2人は愛を確かめ合うの」

アリョーナはその話を随分と気に入っている様子だった。語りながら頬を赤らめ、恥じらう。

「はいはい。それで?」

素っ気ないように見えてレイラがしっかりと話を聞いてくれているのをアリョーナは知っている。

アリョーナは気に入った話があるとレイラに熱く語り聞かせずにはいられない。

「エジクの妹と偽ってお見舞いにいったヴァーリャ。2人は手を取りって『好きだ。ヴァーリャ』『ええ、私も好きよ。エジク』って!」

声色を変えたアリョーナ渾身の演技が入る。それをレイラは「アリョーナ劇場だ」と言ってからかうけれど、「でも本当は楽しみなんでしょ」とアリョーナも溢れ出る物語愛を抑えられずに語り尽くす。レイラはアリョーナの情熱を受け入れてくれる優秀な観客なのだ。クラスの他の女子だと一緒にはしゃいでしまってめいめいに語りだすので、アリョーナの情熱は不完全燃焼になってしまう。思う存分語り尽くすことができるのは、ほどほどに恋愛小説に興味のないレイラ相手にだけなのだ。

うっとりとしたアリョーナは自らの髪を撫でる。

「ところが、エジクはそのままチフスが悪化して死んでしまう。ああっ」

自分で言っているのにアリョーナは身をのけぞらせて驚いたような小芝居をする。

「悲しみに暮れるヴァーニャ。それでも気丈に振る舞って、卒業式にも出るのよ。そして、終わった後に校舎裏で隠し持っていたナイフを胸に突き立てて自殺してしまうの」

がくっ、と首を傾げ死んだふりをしつつも饒舌に喋るアリョーナは夢見心地だ。愛に憧れる可愛らしい乙女である。

「2人は生きては結ばれなかった」

大袈裟なアリョーナを見てレイラは幸福な笑みを浮かべる。

「憧れちゃうなぁ。私もそれくらい全力で愛せる人が欲しい」

語るアリョーナの三つ編みはいじりすぎてほつれてきている。レイラは相槌を打ちながらそっと、髪を撫で、三つ編みを解いて丁寧に編みなおしてやる。

 

 

「そして2人は手を取り合って廃院へ身を隠したの」

姫はその話を随分と気に入っている様子だった。語りながら頬を赤らめ、恥じらう。

「それで、どうなるのですか」

素っ気ないように見えて式部がしっかりと話を聞いてくれているのを姫は知っている。教養のある式部は、既に話の結末を知っている。そんな式部の配慮を知ってか知らずか、姫は思う存分素晴らしい物語について熱っぽく語り聞かせるのだ。

「夢枕に美しい女が立つの。それで恨み言を言うの『いとめざましくつらけれ』なんて」

姫はそれらしく恐ろしげに声色を変えた。ちっとも不気味には聞こえなかったが、姫にとってはそれが精一杯の物の怪の真似なのだ。式部は「子供だましみたいね」とからかうけれど、「でも本当は楽しみなんでしょ」と姫も溢れ出る物語愛を抑えられずに語り尽くす。式部は姫の語り相手として優秀だ。他の女房であれば、教養としても読書量としても、姫に追随することができない。姫がどれほど熱心に藤式部の書いた物語をいち早く手に入れようとしているかは屋敷の外でも有名な話である。だからこそ、新しい話が比較的早いうちに手に入るのだ。式部でなければ姫の情熱は不完全燃焼になってしまう。思う存分語り尽くすことができるのは、姫と同じ教養があり、尚且つ落ち着いた式部が相応しいのだ。

うっとりとした姫は自分の頬に手をあてた。

「その夢から覚めても、何だかあやしい空気に包まれてて、夕顔も我を失った様子なの。そしてそのまま帰らぬ人になってしまう。ああっ」

自分で言っているのに姫は驚いたようにわざと床の上で倒れ伏す。

「悲しみに暮れる光源氏。今にも谷に身を投げるのではないかという悲しみ様」

首を傾げ死んだふりをしつつも饒舌に喋る姫は夢見心地だ。

「2人は結ばれなかった」

大袈裟な姫を見て式部は幸福な笑みを浮かべる。

「でも、後を追いたくなるほどに恋しく思える人がいるなんて」

姫は伏した顔をあげ、御簾越しに漏れる月の灯をじっと見つめる。

「私にもそんな殿方が現れないかしら」

式部はただ、その隣で相槌を打つ。この話は夜が明けるまで続きそうだ。まだ夜は始まったばかり。

 

 

「ヤバい超泣けるんだけど」

麻里はその話を随分と気に入っている様子だった。語りながらうっすらと涙すら浮かべている。悲しんでいるというよりは、テンションが上がりすぎた涙だ。

「はいはい。それで?」

素っ気ないように見えて美由紀がしっかりと話を聞いてくれているのを麻里は知っている。

麻里は気に入った恋愛小説——と言ってもケータイでポチポチと読み進めていくような物だが―—を見つける度に美由紀へ熱く語り聞かせずにはいられない。

「病魔に冒されたヒロが死ぬ前に美嘉に手紙を書くのそこに『たとえ俺がいなくなっても、俺は自信を持って幸せだと言える』」

手紙なのになぜか声色を変えた麻里渾身の台詞。一人で何役もこなすことも少なくない。それを見て美由紀は「一人で劇団でも立ち上げんの」と言ってからかうけれど、「でも本当は楽しみなんでしょ」と麻里も溢れ出る小説愛とやらを抑えられずに語り尽くす。「ケータイ小説のお陰で私は文学に目覚めた」と麻里は言っていたが、国語の成績は一向に上がる気配がない。美由紀はケータイ小説を読まないが、麻里の話を聞いているうちに何となくどういう話があるのかは理解ができた。冷静に、エロスとタナトスは親和性が近いな、とか思っていった。美由紀は麻里の情熱を受け入れてくれる優秀な観客なのだ。クラスメイトの他の女子だと一緒にキャーキャーはしゃいで、おのおのが語りだしてしまうので、麻里の情熱は不完全燃焼になってしまう。麻里を会話の中心に置いて、思う存分語らせてくれるのは、こうして興味なさげに話を聞いてくれる美由紀相手にだけなのだ。

うっとりとした麻里は自分の髪を撫でる。傷んだ髪を指に巻き付ける。

「でもね、そっから美嘉は死んじゃおっかと思っても、ヒロとの楽しかった思い出をいっぱい思い出して、赤ちゃんができてることも判明するの。で、空を見て思うの。『大好きな人がいるあの空に恋してる。恋空』って」

麻里は勢いよく教室の窓を開けて空を見上げた。空はなんとも言えない曇天だった。もし今の空を「空」として生まれて初めて見た人がいたとしたら、「空は灰色だ」と思うだろう。灰色の空の下で、麻里はそれをまるで気にすることなく夢見心地を続けている。

「2人は生きては結ばれなかった。でも幸せだったんだよ」

大袈裟な麻里を見て美由紀は幸福な笑みを浮かべる。

「憧れちゃうなぁ。私もそれくらい全力で愛せる人が欲しい」

ぱさぱさの傷んだ麻里の長い髪を、相槌を打ちながら美由紀がもてあそぶ。あまりにも傷んでいるものだから、美由紀は自前の櫛で麻里の髪を梳いてやった。ピンク色の美由紀の櫛に麻里の髪が絡まる。

 

 

三つ編みを結んでもらいながらアリョーナはまた別の恋物語の話をしている。レイラは微笑んでその話を母親のように聞いてやる。アーニャがバリレイとひと夏の恋に落ち、妊娠していつまでも待ち続けるも別れを告げられる話だ。学校で流行っているこの書き写しで脈々と回覧され続けている小説たちは大体、性行為が出てきて、最後に死ぬというお決まりのパターンが多い。少女というのはきっとこういう物語を好むのだろう。アリョーナは純朴な少女そのものだ。どれも似たような話に見えるし、恐らく他の作品を真似て誰かが書いた物が派生し続けているのだろう、とレイラは思っていた。他の作品を継ぎはぎしてアリョーナが好みそうな話を何度か書いて見せてみたことがあるが、レイラは「新しい話だわ!」とひどく喜んでいて、レイラはとても幸福な心地になった。レイラが書いたということは未だ知らせていないし、知らせる予定もない。レイラは知っている。アリョーナはそのうち素敵な男の子を相手にして、恋に落ちる。この手の話は何度も聞いている。いつだって「アリョーナ」はなぜだかこうした誰かが死ぬような愛の話を好むのだ。それは心中であることもあれば、後追い自殺であることもあれば、ただ恋人が死ぬのを悲しむ話でもある。

「これはちょっと可哀想だったなぁ。私泣いちゃった。でも結ばれた時の2人の愛は本物だったと思うの。ただ、やっぱり思い詰めて死んでしまったりする方が、ときめかずにはいられないわ。それこそが真実の、突き詰めた、愛の形だと思うの」

アリョーナはいつもいつも何度でもこの手のロマンス小説に惹かれる。悲恋に対する走性でもあるのかもしれない、レイラは思った。アリョーナの三つ編みを何度編みなおしただろう。もうすぐ寄宿舎の消灯時間だ。貴重なプライベートの時間の終わりが近づく。といっても、きっとアリョーナのことだから隣のベッドからひそひそ声で話続けるに違いなかった。アリョーナが語り疲れて眠るまで、レイラは穏やかに笑いながら見守っている。アリョーナはあくびをしながらも次々と素晴らしいロマンスを語り続ける。愛がいかに素晴らしい物で、自分もいずれ手に入れるのだという根拠のない自信を語る。愛したいし愛されたいのだ、と駄々っ子のようにアリョーナは願望を繰り返し口にする。あと何度こんな夜が続くだろう、とレイラは思う。

「私は愛してる人がいるよ」

ほとんど独り言のようにレイラが言った。

「えー、教えてよ。それって私が知ってる子? ヴィクトルとか?」

アリョーナは目を丸くしてレイラの方へ振り返った。編みかけの三つ編みが緩んだ状態で投げ出された。レイラは首をかしげた。いじわる、といじけた様子のアリョーナの頭をレイラは幼児をあやす母親のように優しく撫でる。

「私は世界のいつにだってどこにだっているし、愛する人がどんな姿になっても見つけ出せるの」

「幼馴染のアレクサンドラとキリルが最終的に運命の再会を果たすみたいに?」

アリョーナはアルバムの物語の中から一つを迷うことなくピックアップしてきた。確かにその2人は意地悪な恋敵に妨害をされて、すれ違いを続けたが、ようやく両想いになったところで片方が引っ越してしまう。運命の再会のシーンを何度も実演しては「本当の運命の相手は引き寄せられるの」とアリョーナが何度も熱く語った話である。その時のアリョーナの意見には、珍しくレイラも強く同意した。アリョーナもレイラと同じなのかもしれない、とレイラは思ったが、そんなことはないだろう、と考えを振り払った。同じであれば、何度も何度も男の子に恋に落ちて、それに絶望した「アリョーナ」を想う人間が一人、自殺するのを黙って繰り返しているはずがない。レイラは自分たちに待っている運命を知っている。きっとこれはあらゆる時代、あらゆる国で永久に繰り返される愛なのだ。

「それもそうだけど、それよりももっとかな」

アリョーナはレイラの言葉の意味を理解しようとしばらく考えこんだが、やはり理解できない、というようなあどけない表情をして、また恋愛小説の話へ戻っていった。レイラもまた相槌を打つのに戻った。そうしながら、レイラは実に愛おしそうにアリョーナの髪を結うのだ。

「愛のあまり死を選ぶ人が、一番愛おしいのよ」

消え入りそうなほどに小さな声で、アリョーナが囁いた。それはほとんど口の中だけで呟かれた言葉で、とてもレイラに届くことなどなかったし、アリョーナ自身、届けるつもりは微塵もなかった。

消灯のチャイムが廊下で鳴っている。2人を照らす電灯も、パチン、と消えた。

2022年5月22日公開

© 2022 曾根崎十三

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"世界が終わらない"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2022-05-27 23:54

    同じシチュエーションの反復で構成されているのいいですね! こういうちょっと凝った/ひねった形式、大好物です。なんとなく『浜松中納言』を思わせる内容で、本音というか自分の恋愛哲学を聴こえないように呟いて消灯という幕切れも鮮やかに思いました。世界が終わらないというよりは終わらせたくないのでしょうね、多分。

  • 投稿者 | 2022-05-28 01:13

    時空を超えた語り部たちによって語られる「あらゆる時代、あらゆる国で永久に繰り返される愛」の物語。シェヘラザードは自分が生きるために語り続けたが、彼女たちにとっては語りの行為そのものが相手に対する精一杯の愛の表現なのだろう。いつもの変態道一直線とは一味違う、爽やかな読後感。

  • ゲスト | 2022-05-28 01:35

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  • 投稿者 | 2022-05-28 08:52

    まずは星5を進呈。実によかったです。輪廻なのか呪われたループなのか、そのシステムが悪魔の手によるものか、あるいは神の悪戯なのか。時空を超えて幾度となく逢瀬を繰り返しても、決してゴールには向かわない無限迷宮というものの尊さを噛み締めつつ、立ち上がって拍手。

  • 投稿者 | 2022-05-28 10:53

    この話は、世にも奇妙な物語の一つみたいで面白かったです。世にも奇妙な物語の劇場版でやってほしいです。携帯忠臣蔵の手番でやれると思います。面白かったです。

  • 投稿者 | 2022-05-28 14:31

    これは百合ですか? 百合かな? 百合ですよね!? 百合に違いない! ですよね!?
    微妙にアレンジしながらのリフレインがいいですね。平安版が好きでした。

  • 編集者 | 2022-05-29 00:27

    レイラの切なさと、電灯が消えて幕が落ちる感じが相まって良きです。いつものグロさなどもなく、夜に本を読み聞かせる母の愛、無償の愛が滲むようでまた良きです。

  • 投稿者 | 2022-05-29 01:37

    すみません。
    わたしには難しくてよく分かりませんでした。

  • 編集者 | 2022-05-29 21:27

    みんなが良いことを書いてしまいました。愛し合っているなら、それも良いとは思うが…

  • 投稿者 | 2022-06-12 23:24

    会話文として繰り返されている表面的内容と、それぞれの深いところにある内的な関係性・表には出てこないし消えたらもう二度と現れないような曖昧な感情の連続が、現れては消えするいい作品でした。憧れとして語られる恋を夢想するその瞬間が、実は一番愛しいものなのね。みたいな。

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