歩いていると不意に殴られた

破滅派第17号原稿募集「小説の速度」応募作品

高橋文樹

小説

6,339文字

保坂和志の小説論をパロった小説。保坂の『書きあぐねている人のための小説入門』を読んだところ、悪い例として「歩いていると不意に殴られた」という書き出しが挙げられていたので、逆にその書き出しで小説を書いちゃおうかなと思った次第である。筆者はこれを「速い小説」に分類している。

歩いていると不意に殴られた。「いてっ!」と言っていた、おそらく殴った方の奴が。僕を殴った男は「なんだよ」と小さく言い捨ててスタスタ去っていく。スーツ姿を小綺麗に着こなしていたので、営業の仕事か何かをしているのかもしれない。

「俺、なんかしちゃったのかな」

「なんかって、何」

隣に突っ立っているアゴちゃんは聞き返す。僕が殴られたことについて憤りめいたものは感じていないようだ。

「いや、だからさ、俺が手を振ってて当たったとか、そういうので相手が勘違いして怒ったとか」

「当たったの?」

「どうだろう、わかんないや」

「私が見る限り、当たってなかった」

「えー、じゃあなんだろう」

「普通に後ろからポカって殴ってたよ。こう、振りかぶって」

アゴちゃんはそう言うと右手を大きく引いて構えた。それから、シャドウボクシングの要領で「シュッ」と息を吐きながらパンチを打った。

「モロ殴りじゃん。見てたんならなんか言ってくれよなー。止めろとまでは言わないけどさ」

「普通に悪意のある殴り方だったし。流行ってんじゃない、そういうの、通り魔的な」

「流行ってんの?」

「ユーチューブとかでさ。流行ってんじゃないの。知らんけど」

「え、流行ってないの? どっち?」

「知らない。私、ユーチューブ見ないし」

「すげー、ユーチューブ見ないって珍しいね」

僕とアゴちゃんはそんなことを言いながら、江ノ電の踏切を越え、レンタカー屋を目指していた。

「警察呼んだ方がいいのかな」と、僕。

「いんじゃね? もう反対側に歩いてっちゃったし。立件できないでしょ。私、一一〇番したことあるけど、四〇分ぐらい来なかったよ」

「あ、前に言ってた下着泥棒のやつ?」

「そう。しかも、応援呼ぶとか言って、来てからさらに十五分ぐらい待ってんの。鬼殺隊のザコかと思ったわ」

「そんなかかるんだ。警察、仕事舐めてんね。それじゃ間に合わないからいいや」

「カズーのそういうとこすごいよね。殴られてんのにぜんぜん根に持ってないんだもん」

アゴちゃんは僕を『天空の城ラピュタ』に出てくるパズーのアクセントでそう呼ぶ。そんな風に僕を呼ぶのはアゴちゃんだけだ。そもそも僕の名前にはカズが含まれておらず、かろうじて「カ」だけが含まれている。もっとも、それはアゴちゃんだって同じで、彼女の名前にアゴは含まれていないし、彼女のアゴに取り立てて特徴があるわけでもない。誰が名付けたのだかわからないアゴちゃんという呼び名をアゴちゃんはずっと受け入れ続けている。そういう意味では彼女もかなり鷹揚だと思う。

レンタカー屋についた僕らは予約していたミラ・イースに乗った。これから地元の鎌倉を出て、静岡まで緑のタピオカを飲みに出かける。本当はさわやかとかいう店にハンバーグを食べに行きたいのだが、めちゃくちゃ並ぶらしく、代わりに緑のタピオカにした。サイダーのやつを頼むと、マリモを飲んでいるっぽくてかなりえるらしい。レンタカーを借りてまでタピるのかという思いもないでもないけど、連休中に予約したレンタカーはキャンセル料がかかるので仕方ない。

東名高速の下りは混んでいて、僕たちは左車線をゆっくり走った。アゴちゃんはトラックがウザいからもう一車線右側を走って欲しがるのだが、免許を取ってそれほど経っていない僕には無理な相談だ。たとえ到着が明日になったとしても、僕は左車線を走り続けるつもりだ。

ほどなくして僕たちの後ろをいかつい車がピッタリとくっついている。

「もしかして、いま煽り運転されてる?」

僕がルームミラーを見ながら言うと、アゴちゃんは後ろを振り向き、じっと眺めてる。しかし、フロントにスモークのような処理を入れているのか、よく見えない。

「よくわかんないけど、煽り運転っぽいよね。パッシングしてるし」

アゴちゃんはそう言い終えるとそのまま後ろを監視し続けるべく、後部座席に少し身を乗り出した。

「えー、左車線なのに? ヤバいやつかな」

「わかんない。だから右車線を走ればいいっつったじゃん」

この作品の続きは外部にて読むことができます。

2022年5月12日公開

© 2022 高橋文樹

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


4.0 (1件の評価)

破滅チャートとは

"歩いていると不意に殴られた"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2022-05-12 22:25

    煽り運転のあたりから引き込まれました。そこから速いですね。あごちゃんの立ち位置も微妙で絶妙でした。
    わたしだったら殴り返してますけどね。

    • 編集長 | 2022-05-12 23:39

      コメントありがとうございます。アゴちゃん、いいですよね。

      著者
コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る