本作には「読者への挑戦状」が2回出てくる。1回目と2回目の前に於陵葵が探偵役として推理を披露する場面があり、本作の「百合ワトソン」役である観露申の父・観無逸が「熱狂的な東皇太一の信者」として行った犯行であるという衝撃的な告発がなされる。しかし、2回目の「挑戦状」では相変わらず「天漢元年に起きた三つの殺人事件の犯人はだれか?」と問われている。これはつまり、無逸が真犯人ではないことを意味する。いったん、犠牲者を整理しよう。
さて、本作では正々堂々と証拠がすべて披露されていると作者自ら言明されている。最初の「密室殺人」では、犠牲者の観姱が殺されたときに犯人が脱出しえたのは観江離と鍾会舞がともに色盲だったため、草むらの血痕に気づかなかった於陵葵によって明かされる。ここでは宗教的な理由によって色盲になったとされているが、それは遺伝的な理由による。鍾会舞によれば、父も色盲の傾向があったので、鍾宣功と観姱の遺伝子を受け継ぐ鍾会舞が色盲であることは納得できる。では、観江離が色盲なのはなぜだろう? その姉妹である観露申、そして故人である観芰衣が色盲だということは言われていない。つまり、無逸の子供たちのうち、観江離だけが色盲なのである。
また、於陵葵が推測する「宗教上の理由」だが、無逸はそれを知らない。ごろつきである無逸はそもそも祭祀に関することをよく知らない。本作では祭祀を司りよく知るのは女性であって、男たちは常に無知である。
二番目の犠牲者である白止水は第一の殺人についての口封じで殺された。これは間違いない。したがって、第一および第三の殺人を犯す必然性がどこにあったのかが争点となる。私の挑戦状に対する解答は次のとおりだ。
- 真犯人は観露申の母である悼氏。
- 無逸の姦通相手である観姱と、その不義の子である観江離が結託して祭祀を乗っ取ろうとしていたために殺した。
まず無逸は妹である観姱と密通していた。そこで生まれたのが観江離である。姉である観芰衣と仲が悪かったことも、体裁のため養子として引き取ったことが影響しているだろう。また、今際のきわの観江離が「鍾会舞と鍾展詩を守ってほしい」と露申に頼んだのは、悼氏からすると両者が不義の子でない証拠がないからである。於陵葵の危惧する次なる犠牲者は観露申ではない。彼女は悼氏の実子だからである。もちろん、悼氏は不義の子が色盲であることに気づいている。また、おそらく観江離と鍾展詩は種違いの兄妹として結ばれ得ない特別な関係にあったろう。
おそらく、最終章では鍾会舞を殺そうとする悼氏が取り押さえられる場面で解決を迎える。本作は知的な官吏としての出世も愛のある結婚による幸福も奪われた女たちの闘争劇なのである。
最後に、本稿のタイトルは本作の作者である陸秋槎の『雪が白いとき、かつそのときに限り』からとった。
"結婚しており、かつ愛があるときに限り"へのコメント 0件