黒花鮮血。

巣居けけ

小説

6,144文字

とってもゆうしゅうな、くろはなそのみかさんへ!

女は洗面所の鏡を睨んでいた。

黒い下着だけになっている自身の上半身を映している鏡には、女の顔が映っていた。米か、消しゴムのように異様な白を持つ肌に、光を感じさせないぎょろついた黒目の双眼と、梅干しのようなくすんでいる赤色の不気味な唇。髪型はただのおかっぱで、両端は肩にぎりぎり触れない程度に伸びていた。少しだけぼさぼさなのは、女がおしゃれの類に一切の関心を抱いていないが故だった。

そんな顔が今は、赤黒い血にまみれていた。食パンに塗られたいちごジャムのように白い肌の上にべっとりと貼り付いている鮮血は、重力に従って垂れており、鏡と一緒に設置されている女の肌よりも白い洗面台にぽたぽたと落ちていた。頭部に付いた血は髪の毛の一本一本に粘り付き、見るからに洗うのが大変な有様に女は舌打ちをした。

女は自分の血まみれの顔を再度睨んでから、顔面の血を洗い流した。頭髪に付いているものは後に洗うことにした。

女はすぐに洗面所を出た。そして明るい木目調の床の廊下を進んだ。裸足でどんどんと音を立てながら歩いていると、裸の上半身に冷たい風が触れ、身体の芯を素早く貫いた。それは現在の冬の季節特有の無情の寒さで、女はその悪寒が嫌いではなかった。

やがて女は廊下の先にあるリビングにたどり着いた。二十畳ほどの大きな一室にはテーブルや椅子、テレビといった平凡な物たちが置かれていたが、部屋の中央に横たわっているとある物があからさまな異質さを放っており、このだだっ広いリビングを異変のある空間に変えていた。

とある物とは、二つの死体だった。

薄桃色のセーターに紺色のジーンズを着た小太りな女の死体は腹部に切り傷があった。それはへその位置から右に直線で伸びているものだった。また喉元や顔面には無数の切り傷がついており、吹き出した鮮血のせいもあって、顔だけではその死体が誰なのかを判別するのが不可能だった。

女の死体に寄り添うように横たわっている、茶色のポロシャツに黒の長ズボンを着ている長身の男の死体は頭部が切断されていた。腹部に置かれた男の顔は両目が潰れていた。正確には顔面に対し横一直線の切れ込みが入っていて、それによって失明していた。また胴体には肩から入って腰に抜けている襷掛けのような大きな切り傷があり、ポロシャツが破け、赤に染まっている肌が覗いていた。

二人とも、恐怖の感情に支配されているような表情で死んでいた。それぞれの顔からは絶叫の途中で息絶えたことがありありとわかった。

この二つの死体は女の両親だった。

そして両親を殺害したのも女だった。

女は両親の死体を一瞥し、息を吐きながら椅子に腰を下ろした。室内には血の濃い鉄の臭いが漂っており、女は鼻で呼吸をする度に興奮を感じていた。肺の中に血が混ざったここの空気が入り込んできていると考えるだけで、顔面に熱が籠った。

目の前のテーブルの上にはくしゃくしゃになっている刀袋と、黒い鞘に収納されている日本刀が置いてあった。この日本刀は女が今まで振るってきた刃の付いていない居合刀ではなく、正真正銘の真剣だった。女は日本刀を手に取った。すると素手には湿った感触が伝わった。それは持ち手に付着したままの血による湿りだった。女は鞘から刀を引き抜いた。居合刀とは明らかに違う鉄の重みが右手にじっとりと伝わり、窓からの外の光を受けて怪しく輝く刀身に、女は恍惚とした。

時計を観ると、もうすぐ二時半になる所だった。女は三時までにはここを発つつもりだったが、今まで腹の中にため込んできた殺意をついに発散することができたこの喜びに、もうしばらく浸っていたいと思った。

女はこれから自身の愛刀になるであろう刀を鞘に納め、全てを刀袋に突っ込んだ。そして両親を殺害した際の、あの感触を再び素手の中に思い描き始めた。

 

その日は朝から気分が良かった。

双極性障害と診断されて、すでに数年が経っていた。気分の浮き沈みは女が自分で驚くほどに激しかったが、ここまで気持ちの良い日はなかった。

視界がぎらぎらと輝いていた。今の自分には体力に関する制限が無い、と本気で思えた。

だからこそ、女は幼少の頃から自分の腹の奥でのたうち回っている殺人衝動にも寛容になれた。今ならどんな方法で殺人をしても、警察どころか誰にも見つからずに逃げることができると思えた。

朝一番に登校をし、昼に仮病を使った。偽装で発熱があることにすると、すぐに早退の許可が下りたので、居合道部の顧問が所有している真剣を持って、自宅に急いだ。

女の中には強烈な殺人衝動があった。

それは幼少の頃からある抑えられない加虐心だった。いつから、何が原因で女の中にそれが芽生えたのかは本人にもわからなかったが、とにかく女は他の生命を前にすると、それらをめちゃくちゃにしてやりたいという感情が身体を熱くし、気づけば姉や妹を対象に行動に移していることも少なくは無かった。始めの頃は幼い子供のいたずら程度に受け入れられたが、回数を重ねるごとに惨さが増していくのを目の当たりにした両親はこれを異質な物と判断。母親は女を恐ろしい悪魔のような存在として恐れるようになり、父親は静かに放任を取った。また五歳の頃、妹が大事に飼育していた蛙を三匹とも握りつぶして殺害し、さらに串に刺して弄んだことが原因で妹との関係は修復不可能なほどに険悪になってしまった。

女もまた、成長していくにつれて自身の中の衝動を嫌悪するようになっていった。中学に上がる頃には完全に自己嫌悪の域に達し、ついには双極性障害を患ってしまうほどのストレスの中での生活を強いられた。

どうしようもなくなる度、外で見つけた小動物や虫を惨く殺害することで、なんとか抑えるのが女の日常だった。

高校生になったと同時に始めた居合道は、そんな女の衝動を静めるために姉が薦めたものだった。姉曰く、「刀で疑似的に人を斬れば収まるのではないか」とのことだったが、成長と共に巨大化していく衝動に女は抗うことなどできなかった。稽古で居合刀を振るえば必ず人斬りの妄想が脳裡にちらつき、我慢ができずに他の部員を滅多打ちにしたことも数回ではなかった。また多発した部員滅多打ち事件は二度ほど大ごとになりかけたが、新人教育という無理矢理な理由を姉が押し通したことで事なきを得ていた。

これらの現状を見た女は、いつしか諦めの境地に立っていた。自分はこのまま社会不適合な人間として細々とやっていくか、早期に犯罪を犯して処刑されるかのどちらかだと本気で考えていた。

だからこそ、顧問が真剣を所有していると聞いた際、静かに潮時を感じた。

それは自身の真っ当な人間としての潮時だった。いつか訪れる躁状態の最中に、熱い殺人衝動が混ざり合い、自分では歯止めが利かなくなった瞬間、顧問の真剣を奪い誰かを殺害してしまうだろうと思った。そして女は、その予測の先に犯罪者としての道を見出していた。いつか訪れる最悪の日を境に自分は真っ当な道を外れ、人を殺して生きていく道を進むと覚悟していた。

女に躊躇は無かった。

 

昼間の自宅には両親が居た。研究職に就いている女の両親は、研究所や大学で一日を過ごすことが多いが、今日に限っては二人ともが自宅で過ごしていた。

女はそのことが好機であるととらえていた。出迎えてくれた母親に仮病の旨を適当に話し、ひとまずは洗面所に向かった。盗んだ真剣は刀袋に入れていたので不審がられることはなかった。

手洗いを済ませた女はさっそく真剣を抜いてみた。鉄の重さが素手から全身に伝わり、その凶器の重さは女の中の殺意に油を注いだ。天井からの人工的な白い光を受ける刀身は輝いており、女に笑みを作らせた。

女は刀を右手に、鞘を左手に握りしめながらリビングに向かった。その顔は紅潮していた。跳ね上がる心臓を深呼吸で抑えながら、一歩一歩を慎重に進んだ。緊張とも興奮ともとれる熱い感情が全身を高速で流れていた。依然として視界はぎらついており、何でもできるという大きな気魄は揺らいでいなかった。

やがて女は両親が雑談を繰り広げているはずのリビングに足を踏み入れた。

静かな女に対し異変を感じたのは父親だった。無言で息を呑みながら椅子から立ち上がり、女の引き締まった顔を見つめていた。母親はリビングには居なかった。どうやらキッチンにて茶でも淹れているようだった。

女は左手の鞘を床に捨てると、父親へ突進するように駆けていき、素早く顔面に一太刀を入れた。肉を切りつけた感触が女の腕から全身へ、神経を通って巡っていき、身体そのものが歓喜の声を上げているのがわかった。その瞬間女は笑みを浮かべていた。やはり自分は人を殺すために生まれてきたのだと確信した笑みだった。

横一文字の斬撃は父親の双眼を潰し、暗闇の世界を視させた。熱湯をぶっかけられたような激痛に呻き声を上げながら後退している父親の身体に、女は二度目の斬撃を食らわせた。右肩から入った一直線は腰にまで伸び、父親が着ていたポロシャツの茶色に赤黒い染みを作った。

父親は腹部を押さえながらうずくまっていた。痛みに耐えているらしい震えた声で女の名前を呼んでいた。女はそんな父親の背にもう一太刀を浴びせて息の根を止めた。

父親を仰向けにした女は、その顔を見下ろした。大きく開かれた口と見開かれている双眼からは恐怖の意が読めると同時に、ぴくりとも動かないことからすでに絶命していることがわかった。女はその事実を前に自慰で絶頂を迎えた時のような強烈な快感を覚えた。身体の奥深くで何かが弾け、その衝動が全身を包んで熱くしていた。刀を握る手に力が入り、もっとこの感触を味わいたいと心の底から思った。

女は跪き、父親の頭髪を掴んだ。そして父親の首元に刀の刃を当てると一気に体重をかけた。刃は皮膚を簡単に裂き、肉の中へと入っていった。女はさらに刀にを握る手に力を込めた。刃は肉をも裂いて父親の首の中へと侵入していき、同時に大量の血が溢れ出てきた。頸動脈を切ったらしく、赤黒い鮮血は女の素手や刀の持ち手を染め、ぬめりを与えた。すると刃が何か硬い物に当たった。それは骨だった。日本刀の刃では人間の骨を断ち切ることは難しいと女は知っていたが、構わずに刀に全体重を乗せ、さらに刀を小刻みに震えさせた。女の規格外な怪力と日本刀の研ぎ澄まされた鋭さが合わさり、ついに父親の首の骨を断ち切ることに成功した。残りの肉と皮膚を簡単に切断し、女はついに父親の生首を手にすることができた。

刀を置いて立ち上がり、血まみれの手で父親の頭部をしっかりと持った。結局は保身と放任のみだった父親の顔は先の一太刀で両目が潰れており、口元から読み取れる表情は、はやり恐怖の最中に居た。

すると後方で悲鳴が聞こえた。続けて硝子のような物が砕ける音が鳴った。

女は父親の頭部を父親の胴体の横に置くと、すぐに振り返った。すると絶叫をしている母親と目が合った。両手を血に染めた娘を目撃した母親は、すでに硬直してしまうほどの恐怖に支配されていた。手にしていたらしい盆は床に落ち、盆の上に乗っていたらしい二つの湯呑はすでに粉々になっていた。

女は刀を持ち、母親に接近した。恐怖で固まってしまっている母親は逃げることも叫ぶこともしなかった。落ち着いた足取りで近づくと過呼吸になっているのがよくわかった。そんな母親の腹を、女はすぐに斬りつけた。すると再び女の身体に快感が走った。全身が火照り、腹の底からとてつもない衝動が突風として湧き出ているような感覚になった。

腹を抱える母親は床にしゃがむようにして倒れ込んでいた。

耳障りな高音の悲鳴をまき散らしながら命乞いをしている母親を眺めながら、女は自分の身体が、人を斬れば斬るほど強靭になっていくような気がしていた。例えば今警察の特殊部隊に突入をされたとしても、女はその全てを斬って、無事に逃げることができるような気がしていた。
「その、み……」母親の声に脊髄で反応した女は高速で母親の喉に刀を突き入れた。そしてすぐに引き抜いた。母親は床に大の字で倒れた。しかし女は構わずに喉元に刀を刺した。そしてまた引き抜いて、また刺した。しかし今度のは喉ではなく母親の顔面に刺さっていた。右の頬、口角の少し横に刺さった切っ先は血で濡れていた。それは偶然のものだった。女は刀を抜くと再び刺し入れた。次のは偶然ではなく、最初から母親の顔面を狙った。一度目の傷のすぐ横だった。素早く刀を抜くとすぐに刀を刺し入れた。今度は眉間を狙った。

女は執拗に母親の顔面を攻撃した。突くように刺すとすぐに抜き、また顔面を刺すを繰り返した。それは母親が顔だけでは誰なのかがわからなくなるまで、つまり、顔面が鮮血で真っ赤になるまで続いた。

女が我に返った頃には、母親の着ている薄い桃色のセーターの大部分が真っ赤に染まっていた。それは女が着ている高校の制服も同様だった。黒色のブレザーの上で血は目立っていなかったが、下のワイシャツが見える首元と顔面、そして両手は真っ赤だった。

女は母親の死体を父親の隣に並べてやった。それは自分の中のどうすることもできない殺意の最初の犠牲者としての、女からの最低限の慈悲だった。

床に散乱している茶と割れた湯呑や盆を適当に片付けた後に、女は自分の身支度を始めた。まずは刀の簡単な手入れからだった。といってもすることとしては刀身に付いた血や油を拭き取るだけの簡単なものだった。納刀した刀をテーブルに置いた女は次に洗面所へ向かい、そこで制服を脱いだ。学生用のこの衣服は家に置いていくと決めていた。またそれに伴って、家を出る際の服装も決めていた。

女は鏡を見た時、少しだけ驚いた。

そこに映っていたのは血にまみれた、なんとも美しい自分の顔だった。

 

椅子から立ち上がった女は刀袋に入れた刀を持ち、自室に向かった。

そして黒色の箪笥の一番下の段の、さらに奥に隠しておいた衣服を取り出した。それは軍服のような深い緑色のシャツに、迷彩柄の長ズボンと、黒色のブーツ、さらには黒色のロングコート、そして刀を差せるように改造を施したベルトの五つの装備で、家を発ち殺人鬼として生きていく際に着ようと前から決めていたものだった。

女は手早くそれらを装着し、全財産の入っている財布と刀を持ってすぐに玄関に向かった。両親の死体はもう見なかった。すでに殺した後で、女の興味関心は皆無だった。それよりも今は、次のまだ見ぬ殺人に対しての期待感に夢中だった。

玄関口のドアノブをひねろうとした時、ドアが独りでに開いた。
「あっ、園未加……」

開かれた玄関に立っていたのは姉だった。幼少の頃に様々な嫌がらせで迷惑をかけたにも関わらず、妹とは違い未だに口を利いてくれる上、学生としてやらかしてしまった際には親代わりに色々と面倒を見てくれた数少ない人間だった。すでに成人しており、両親のように研究職に就いている姉はいつものように優しそうな顔で女のことを見ていた。
「どうしたの? そんな恰好で」

女は一瞬躊躇したが、姉の顔を睨みつけながら一度舌打ちをし、すぐに早足に歩き出した。

数秒後、後方から聞こえる姉の悲鳴を、女は心地よく聞いていた。

2022年5月2日公開

© 2022 巣居けけ

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