ファッタン市役所。

巣居けけ

小説

5,753文字

クソ舌の街。とてもひどい臭いが漂う街だ。

市役所の中で唯一煙草を吹かすことができるロド職員。はげ頭の彼は、書類に累乗を使うことを極端に嫌う。部下の女性社員が頭を下げながら書類提出を行った時は、決まって埃の詰まっていそうな声で、「ここは数学じゃねえんだ」と吐き捨て、そのまま女性社員の腹に書類を突き返す。女性社員はひどくみじめな思いを頭の中に抱えたまま、先端がくしゃっとしている書類を手に、自分のデスクに戻る。はげ頭はそんな後ろ姿を眺めて口角を吊り上げる……。
「ロドさん。もう少し穏便にやっていけませんかね?」ロドの対角線にデスクを持つ男職員がひょいと顔を出す。「ほら、近頃はエビフライを使った大きな選挙だってあるし、立方体はどこにでも現れる。ロドさんの油分の扱い方に対して、市長の目も光っていないわけじゃない」
「しるか。おれの仕事にそれは必要無い。まったく、どいつもこいつも水みたいな顔でキーボードを打ち込みやがって。やつら、一体だれのおかげで煉瓦の下敷きにならずに済んだと思っているんだ?」最後の煙草を口から離し、作りかけの資料集の上で炭にしたロドは、心の底で想う。『いま問題なのは、あいつがこの時間帯になっても起きているということだ……』そうして眼球を横にずらす。横転した視界の中では、編集長の高級そうな黒机に両手を置いているタロットが居る……。
「ですがね編集長。はっきり言って、あんたの見立ては大間違いだ。戦犯だよ、戦犯。精密な資料作成と、暗算を使用した落雷防止センター建設には、味覚的な作用は絶対に必要なのですよ」
「なら豆腐はどうなる?」
「いつでも問題ありません。病院も、この市役所の醜態を知ったら黙ってはいられないでしょうから」
「ううむ。ならばその件は、こちらで何とかしよう。市長に話してみるよ」
「おお。ありがとうございます」

顔中のしわを広げたタロットが素早く礼をする。編集長に向けたはげ頭は、ロドのそれに負けていない。『向こうも向こうで、小枝から豆を作るのに必死なんだな……』
「で、どうするんです? もう正午ですけど!」男性職員の声が横からする……。ロドはすぐに自分本位に戻る……。
「ああ……お前もゴムになっていい……」

ロドの頭の中には、あのダウン市長の蛙とゴリラを足したような顔面が無数に広がっている。粒あんのように、こちらを見ている小さな顔面がいくつもある。そんな中で、部下に指示を出す。
「よしっ、すぐに昼食をとれ! お前の顔は腐った洋梨ではないはずだ」
すると、いつの間にか口から出てくるのはバナナの香り。部下は颯爽とそれに気が付く。「ロドさん! アンタも昼食に牛乳を必ず飲むべきだ!」

ロドは同意を吐いてから立ち上がる……。

 

四畳ほどの給湯室に誰も居ないことに、ロドは落下をするような安心感を得ている。すぐにゴキブリのような忍び足で水道に歩み寄り、桃色の電気ポットを持ちあげる。取っ手についているボタンで上部の蓋を開き、同時に水道水を規定の量まで入れる。時間がかかるので、そこでボタンをカチカチと何度も押す。そうすることで、何となく水が溜まる速度が上がっているような気がしてくる。ロドは蓋を閉じた。専用の装置に接続し、ボタンを押す。そして、まだ脳に残っているダウンのクソ市長野郎の顔を脳に呼び起こす。怒りが熱となり、ポットに伝わると沸騰までの時間が短くなる。そんな気がしてくる……。

少しして、中の水が暴れまわる音が聞こえてくる。不要になったダウン市長の顔を忘れようと、その音に縋りつく。すぐに、自分が熱されている水の中に居ると思い始める。

自分は服を着ていない。自分は水の抵抗に逆らえない。自分は。ロドは口から漏れる泡に乗って、これまでの悪態も消えていくような気がした。自然と大きく口を開いていた。喉に栓をされた苦しみが腹をつつく。上を見ると水面がある。しかし、すぐに輪郭や色がふやけていく。
「私はいつでも宇宙に居たのか……」

ロドは水滴に塗れていく……。

幼少期の自由な頃を思い出していた。両手には魔法使いの人形があり、口にはコンドームを詳しく模倣したヨーヨー。
「きみはどうしてここに居るの?」頭髪がムカデにすり替わっている園児が駆けて来た。
「ええ。ぼくはロド! 新入生だよ」
「そうなのね……でもあなた、その……それとなく臭いわ!」
「え。えええ……。君だって、ムカデの土の臭いでどうしようもないよ!」
「最低。そんなのだから何度も引っ越す羽目になるのよ」

ムカデの子の顔が、前に居た幼稚園のいじめっ子のものになる。ロドはその回転式の顔に両足をでたらめに弾かせて茶色い地面に尻もちをつく。ムカデの子はじりじりとロドに歩み寄り、三日月のような口をする。
「最低野郎! 最低野郎!」周りから園児がざわざわと集結していく。全員がムカデの頭髪をしていて、顔はロドが在園した歴代幼稚園に居たいじめっ子園児たちのものだった。
「最低野郎! 最低野郎! 最低野郎! 最低野郎!」
「やめてくれよ! ぼくのお父さんは、ロクデナシのジャンキー野郎なんかじゃない!」

ムカデの群れがロドの頭髪を食らってしまう……。

気づくとロドは給湯室に立っていた。最初に視界にあった棚には、珈琲豆と開封されたゴムがあった。「どうしてここにコンドームが置いてあるの?」

ロドは廊下をスキップでゆく……。まるで、冷たすぎる雲を頬張っているようだ。いつものように腹式呼吸をすると、二つの鼻孔から白い煙が天井に向かって飛んでいく。
「まるで汽車みたいね! くすくす」羽の生えた見学の少年は妹の右手を握っていた。

途中の役所職員はまるで不審者を目にしたような血相でロドのスッキプを見るが、すれ違い様にようやくその異質な客人があのロド職員であると理解する。そしていつもの業務に戻る。

ロドはタロットの専用書類操作室の出入り口を頭突きで突破する。彼は人間として生き、人間としてこの市役所に足を入れているが、実際のところ彼は、一割ほどは山羊だ。

古い紙と埃、そしてタバコのカスの臭いがロドの人間らしい鼻を貫く……。
「お前! お前の舌は脳みそと違って、だし巻き卵の美味しさを知っているかい?」直立をしていたタロットに指を向ける。
「知らないさ。お前は知ってるの?」
「ああ、もちろん。ぼくの舌をセンチメートルで計測した時に出てくる数字は、ぼくの脳のしわの数よりも大きいんだ。もっと楽に言うと、ぼくの舌は、ぼくやきみの腸よりも確実に長い」
「お前の舌長い自慢はもういい……」タロットは消毒を済ませた医者のように、両手の甲をロドに見せつける。「さっさとだし巻きとやらの旨さを言ってみろ。その長い舌で」
「……まず、あれは近くのオモチャ屋さんには置いていなかった。だからぼくは店主に相談を持ち掛けたんだ。『ねえ店主。ぼくの後方の穴を好きにしても良いから、どうか最近うわさのだし巻きをくれないか』って。少年みたいに媚びをすると、店主はまるで酔っているような真っ赤な顔になった。じわじわと赤色が肌色に勝るんじゃなくて、電源を入れたみたいにパッと変わった。テレビみたいだとのけぞっていると、店主はそのトマト顔をグイッと近づけて、『それならアンタ、今夜うちに来れるかい?』って聞いてくる。まるで極道みたいだった。でもすぐにたらこ唇の間から舌をじゅるりと出して見せつけてきたから、あれはおそらくカメレオンだよ。ぼくは、そんな店主に媚びの声で賛同した。それからすぐに、奥のキッチンからだし巻き卵が出てきた。ぼくはそれを素手で口に放り込んだなんだかヌメリを感じたけど、それのおかげでだし巻き卵の温度が下がっていて、ぼくの指はぼくが予測していた火傷を負わずにすんだ。ちなみにそのヌメリが店主の唾液であることを夜に知ったぼくは、店主が自分の体液を使ってまでぼくの指の心配をしてくれていたことに感動して、すぐに店主が持っていた小瓶の中に射精をしてしまったよ」

タロットは一つ大きな咳きを人工的に吐き出す。肺が強い振動を受け、同時に周りの空気が波紋状に山を作っていく……。「もう良いよ」ロドの両肩を軽く叩く。
「あ、ああ。ぼくはこの後どうしても、ムカデの人工衛星を見届けないと……」ロドは専用書類操作室からの退室を臭わせる。薬物常用者のような震えた指でドアノブを目指す。タロットがすぐに自分の後方の長机を両手でバシンとやる。ロドのゴキブリ歩きが止まる。二人は手術室に居ると思い込む。タロットは棚の輸血パックを手に取ると、それを近くのドリンクバー機械にはめ込む……。
「これでトマトジュースが呑める」
「待ってくれタロット」ロドは緑の手術衣服を身にまとう。「そんなことをしたって、美女の血液は飲用するものではないし、第一に、お前は今日の執刀医ではないんだぞ?」

タロットは、ロドの声が上下左右に動いていると感じる。遅れて体が動き、顔がようやくロドの方を向く。湾曲を小指程度の規模で観測したタロットの眼底は、タロットの脳に、ロドの顔面の中に主治医の面影を見せさせた。
「ああ、あんたは主治医……! 我らを救う神々のメス……! すみません。気が立っていました」輸血パックをそっと棚に置く。ぐにょりとゼリーのように柔らかい輸血パックは喜びを表現する。
「それで良い。さあ、きみはさっさと書記を頼むよ」主治医は簡単なボードとボールペンをタロットに差し出す。ボードには茶色いシミが張り付いている白紙が挟まっていて、ボールペンは緑色しかだせないタイプのもの。「昨日、珈琲パーティを開催してしまってね」この主治医は般若のような笑みを人に向けることができる。
「ささ、早く手術を開始するよ。今日はあのペンウィー先生が非番の珍しい日だからね。我々だけで何とかしなくてはならない……」

タロットは主治医に連れられるように手術室の中央へ向かう。そこにはステンレスの手術台があり、乗せられているのは少年。偶然なのか、狐のような幼い顔つきはタロットの好みと合致していた。
「彼は昨日、緊急入院という形でこの台に乗せられた。以来食事は、きみもよく知っているあのチューブからしていた。粘液状になったヨーグルトで済ませ、排尿排便に関してはそのまましてもらっていた。すでにもともと着ていた衣服は彼の強烈な大便によって戦線を離脱。もう戻って来ることはない」

主治医は、注文票を読み上げる配達員が如く文言を吐き出す。「ちなみに、すでに死体だ」

タロットは、手術台の上で静かに天井に全身を向けている少年を見ていた。よく観察すると肌はただの肌色の皮ではなく、いわゆるハニカム構造のように六角形が隙間なく敷き詰められていて、その六角形をメスではがしてみたい衝動に、タロットの心臓は強く押し込まれていた。
「おい手記係。聞いていたのですか?」主治医がお決まりの丁寧さを露骨に披露する。タロットはすぐに顔を近づけていた少年の二の腕から離れ、右手のボードを持ち直す。主治医は好物のパンケーキをむさぼっている時のような顔になり、すぐにメスを取り出して少年の右頬に添える。

えんぴつを持つような手。メスの先端が皮膚の六角形に触れると、刃はそれをすくい上げるような動きをする。六角形は簡単に浮き上がり、下敷きになっていた赤い肉が少し見える。主治医は慎重にメスを、メスの刃の上にある六角形皮膚をトレイに移した。
「見ろよ。これが嘲笑者たちの遺伝子だ。丁寧に記録しろよ?」タロットの肩をぽんと叩く。タロットは押されるようにしてトレイに身を乗り出し、中央の六角形皮膚を視る。

銀色の上にある肌色の六角形は、そう見ると皮膚だとはわからない。別の素材をそういう風に切り落としたのではないかと思い込めるほどに皮膚離れが激しく。タロットは何を記録すればいいのかがわからなかった。なので仕方なく、少年のどこまでも愛でていたくなるような容姿について書き殴る。ハニカムの肌の、砂漠の表面のような美しさを書いておく。瞼をひっぱるとゴムのようにどこまでも伸びていくのを記す。瞳の色は桃色だった。論文のような丁寧さを重視した文の最後に、『今すぐにでも自分の強烈に膨張した白棒を穴という穴の全てに突っ込み、快楽に全身で浸りたい』と付け足すと、すぐにボードを主治医に、付き飛ばすように渡す。そのままタロットは少年の赤い六角形に顔を近づけて口元のマスクを剥がし、鞭のような乾燥している舌をつかって少年の皮膚を舐め回した。冷たいだけで味のしない皮膚の感触が舌から上がって幸福をもたらす。すぐに口を離すと、持っているボールペンを少年の眼球に刺した。グリップ部分が全て入るとぐりぐりと回転させ、眼球ごとボールペンを引っこ抜いた。
「キミ! 一体なにをしているのかな?」
「これも研究の一環ですよ」狐を意識した頷きを繰り返す。

タロットは取り出した眼球を口に放り込み、咀嚼する。唾液と血液が混ざり合い、眼底を完璧に砕いた感覚で全身が痺れる。飲み込むと少年と一体化を行ったように錯覚し、少年が生前にやっていた競技用カラオケの極意を認知する……。
「味は最高。後味まで。アフターフォローを欠かさない企業のようですね」

主治医はその文言を完璧に書き記した……。

立方体の制汗剤を使った髭を生やした黄色い歯の嘲笑者は、どうやれば自分が手品師を超えることができるのかを知っている。夕日に照らされて起床をし、そのままコンビニエンスストアへと歩く。
「おれたちは自分の爪を自分で切ることができる」溶け始めて二時間が経過した脳に、振動としてそれが伝わる。輪郭が再び激しく変動し、異質で焦げている科学物質が分泌される。常用者はすでに眼底を視ていた……。錆の多い街灯からは小さな小豆が見えている。目下を橙で照らすが、すぐに消えていってしまう。先が見えない夜道を歩くと、気づけばコンビニエンスストアの前に居る。不良に絡まれ、自慢の頭突きを披露する。甲高いサイレンが鳴っているので、コンビニエンスストアで煙草だけを購入して帰宅する。小豆は大豆になっていた。
「私はカラオケの稽古があるので。もう失礼する」

タロットはボールペンを使って、手術室のバネ式ドアを器用に開けていく。道はいつのまにか青かった。自宅の玄関から、アジアの臭いがする……。

2021年10月21日公開

© 2021 巣居けけ

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