山羊たち。

巣居けけ

小説

3,668文字

山羊野郎!

身体をガラス張りにしたいという要求。銅線で作った子供用メガホンで通る声が、世界中で四足歩行をしている山羊の全身を細かく震わせる……。

山羊は、みな走り出す。「おれたちが山羊だ」彼らは常に刺激を求める。まれに現れる行き過ぎた欲求を持った勘違い野郎は、四足だろうと二足だろうとすぐに身を滅ぼす……。

人間の技師は勘違い山羊野郎を常に無い物質として扱う。彼らは誰もが職人気質の謙虚人なので、ナルシシズムを弦楽器のように弾いている。腐った皮膚の指で陰部もいじり倒す。
「もしもあれらを読み終えた新聞紙のようにできるのなら、すぐにポリバケツのゴミ箱に入れる」

ファミレスの中で、いつでも山羊は取材を受けている。
「粉っぽいモノが手に付くとね……どうしても船の中を連想してしまうから……」ソファーの黄色を少し叩く。ここの素材はあの船のものよりも上質であると確信する。
「なるほど。だから教育者の地位を下りたんですね?」
「はい。私よりも適任な山羊は必ず居ます。……この世には、どんな荒波を渡る船に乗っていても、レースゲームをやりつづけられる山羊がいる」

山羊はいつでもシャッターチャンスを狙っている。だからこそ、街の隅にある喫茶店にすら足を運ぶ……。
「なあ、どうしてキミは二時間もテーブルの上でだらけているんだい? もしも、キミは自分がお人形になったと錯覚しているのなら、それは大きすぎる間違いだ」
「ああ……」四角形のテーブルに体の全てを乗せている白山羊は、かろうじて感覚が残っている右手で店員山羊の頭部を撫でる。「僕は自分が新聞記者になった妄想を、この冷たさの中で、頻繁に繰り返すんだ……」
「なら、どうしてこんなところにいるんだい? ここでラブドールのマネをしたって、だれもキミのことを抱いてはくれないはずだけど?」そういうことがしたいのなら、さっさとファッタンにでも行け、と付け足す。
「そうだねえ」白山羊はすぐに立ち上がる。「そもそも僕はゲイだ」
「ならはやくホテルに行かないと。閉まっちゃう」
「いいや……あいにく生きている山羊を犯す趣味はない」

思い込みで全てが解決できる体質の白山羊は、すでに全身の筋力に絶対的な命令を下している。店員山羊の全てを無視し、できることならハエのような声も無視し、ゴミにゴミを張り付けたようなキッチンから聞こえてくる楕円形の雪山をひたすら想う。そして四肢を使って椅子に移動。店員山羊の虫のような眼球を覗きながら、彼の頭の中を想像する……。風船のような世界が見えた。仁王立ちをしている店員山羊が居る。頭にはハンケチ。黄色い布はソファーから来ている? 彼は、いつでもエプロンを体に巻き付けている。白山羊が堂々と近づくと、機械のように耳から顔が出てくる。
「エプロンよりも自分の毛並みを見せつけたいのさ!」
「なら、もっと大胆な道具を使うべきだ。今時ゼリーを固めたヤツなんて、どこにでも売っている。それこそ、お前の勤め先とか」
「ああ……」店員山羊は上を見る。下着のような青空だけがある。「それでもボク、あそこが好きだから……」

人間に観測されている全ての物質が風船の通り道を介していることを掴むと、白山羊はまるで心臓を引き上げるような腰使いで舌の上に小銭を置く。店員山羊はすでに何時間も自分の性器をいじられた青少年のように伸びていて、白山羊はそんな頬に舌を這わせる。小銭が音を立てて店員山羊の毛並みを荒らす。唾液がこすり付けられる。
「お前の右手だけが嫌いだよ……」白山羊はさっさと立ち去る。ウインドウショッピングのような入れ墨を持っている客とすれ違う……。
「なあ、あんた、どうしてピラミッドはあんなにも尖ってるのか、知っているか?」
「ああ? ……ああ、なんか、良くないモンでも食べちまったんだろう? ここのハンバーガーとか」
客は茶色い普通のブーツをゴキュゴキュと鳴らして廊下を歩く……。先で自動販売機を使ったピスタチオを見つける。そのそばで山羊が伸びて死んでいる。白山羊は自動販売機の甘い蜜の飲み物をいつでも持っていたくなる……。荒波にもまれている気持ちになってしまう……。眼球を光から守る。
「朝が聞こえてくる……」

頭を抱え、その場で白い廊下の床のタイルを見る。そこが新しい柘榴色の高い温泉だとは思わなかった。白山羊はいつでも四肢を使って歩く。砂漠ですらも、それで行く。白山羊には躊躇が無かった。そもそも山羊には自由しかない。
「さっさと教員になればよかった……」

余った小銭が二つ目の胃に入り込んだ。

 

白山羊が船に乗り込む際、最も注目しなくてはならないのは船の色だ。白山羊は自分と同等か、自分以上の白色を持っている船に乗ってはならない。少しでも触れてしまえは、その瞬間に白山羊の体は溶けてしまう。やる気をなくしたゼラチンのように床にへばりついてしまう。そうなると、もうどうしようもない。あとは同じように船に乗ってる婦人が持っている、四角いヨーグルト容器の中に移動するのを待つしかない。
「まあ! 誰かからのサプライズかしら?」甲高い声に誰もが目を向ける。近くの執事も別の山羊も黒山羊も密偵者も、誰もが婦人の顔を見る。
「ご婦人、それはどうやら急にそちらにやってきたようです」素早く足元で跪く。
「つまり、食べられないってことかしら?」
「はい。いわば料理の際のカスと同等かと」
「まるでアナタみたいね! なら早く処分を」婦人はヨーグルト容器ごと執事に押し付ける。その執事は容器の中の白山羊に鼻を近づけて臭いを嗅ぐ。「ううん。立派な山羊の香りだ……」執事のテントが急速に建てられる。その場にいた全ての山羊が純粋な恐怖を感じた。
「待って! かれは私の友人なんです! だから私に任せてください」黒山羊はヨーグルト容器に手を伸ばす。
「おや。そうなのかね?」執事は少し残念そうな顔で黒山羊の顔を見たが、結局抵抗もすることなく、さっさと容器を黒山羊に渡す。「ならまかせるよ」
「ああそうだ。ところでキミ、もっと不貞腐れたほうが良いんじゃない? ほら、この分け目のあたりとか、もっとハンサムになるのでは?」
「結構です」

黒山羊はすぐにヨーグルトを飲み干した。

 

山羊と人間が乗っている船には、どうしてか教室が二つある。曰く、「機長の趣味」とのことだったが、それが事実なのかは人間にすらわからない。
「いいか。愚民ども。今日の教習は少し変わっている。まるでパン屋の売れ残りのようだ。それとも手術室の隅のホコリだ。あれは人間の皮膚片やら血液の塊やらで彩られているけれど、結局はゴミなんだ。この船に乗っている山羊もそうだ。我々はゴミなんだ!」教壇を一度だけバシンとやる。
「それから昨日の宿題。三番目の問題がいつもの缶コーヒーではなかったことに気づいた者は? ほら、挙手だ……ああ? 三人しかいないのか? まったく。ここ数日のお前らときたら、いつもよりも愚民らしさにあふれているな。匂ってくるぞ? 風呂入ってんのか? 虫が湧くから必ず入れよ?」

教育者はいつものように生徒たちを数分間だけ見渡す。一人一人の目の奥にまで視線を走らせ、彼らの心情を理解しようと必死になる。額に血管が浮かぶ。色がつく。そして教育者は清々しい酸欠になる。額から汗の大粒が降りてくる。脳が縮んでいくのが理解できる。指紋と指紋の間がキュッと狭くなる。ようやく教壇の上の教科書を開く……。
「問題だ。……あいつは他のホームレスよりも高い地位に居る。すなわち、他のホームレスから尊敬をされいるんだ。理由はわかるか?」

すぐさまスッと手があがる。教育者がそれに目を向けると、生徒は同時に、「食料調達が上手いから!」

教育者は生徒の大福のような頬に高速のビンタをお見舞いする。大福はぷるんと揺れたが、生徒が感じた鋭い痛みは赤い腫れと共に現れる。「違う」
「正解は……前職があるからだ」
「前職?」
「ああ……やつはもともと医師の助手をしていた。ペンウィーという医者らしい。しかし、どうにもその医師とは気が合わず、すぐにやめてしまった」

教育者の頭の中には、あの気が狂った医学的犯罪者のペンウィーの顔が浮かぶ。憎たらしい顔で、途端に目の前の生徒たちに八つ当たりがしたくなる。そこで、学長を気取った質素な山羊が教室内に入り込む。教育者を指さす。「おれはお前よりも賢い」
「なんだと? 権力だけで上官になったくせに!」教育者はすぐに教室の出入り口に立っている学長山羊に頭突きを食らわせる。しかし学長山羊の岩のような顔面には全くの無力で、教育者は学長山羊を吹っ飛ばすどころか、酔っ払いのようによろけさせることすら、できなかった。
「山羊はこんな時、自分がどういう言葉を発するべきなのかを理解している」学長山羊は頭突きの体勢をとる……。
「山羊山羊」

瞬間移動と同等の素早さで、教育者の胸元に喰らわせる……。教育者は一瞬で吹っ飛び、教室の灰色の壁に叩きつけられた。
「ああ……これは私が思うに、私の知らなかったキミの一面ってことになるね……」

終業のベルが高速で鳴る……。

2021年10月22日公開

© 2021 巣居けけ

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