道で拾った錠剤の形。

巣居けけ

小説

3,940文字

先生が栄養剤だけを差し出してくる……。

おれは目の前の不気味な藁人形を一息で口に入れる。すぐに小麦粉と紙粘土を混ぜたような風味が鼻を埋めている垢を鼓動させた。白い床と壁に別れを告げ、シャッターを下ろすように瞼を閉じる。

裏側の血管を見ていると、すぐに内臓の重さが吸い取られていく。

商売人が右側から前に出てくる。やつはおれの視界の中央で腰をくねらせて破顔している。おれの後方からの光でスーツが黒光りをしている。どうしてか、ワイシャツではなく紫グラデーションのシャツを着ている。
「調子はどう?」

おれは彼の後ろの牛肉で作られている壁を見て声を出す。
「ああ……頭がガンガンする……それに」
「それに?」
「アンタが見えている」右手の人差し指を商売人のこめかみに向ける。「アンタはどこから入ってきた?」

商売人はすでにおれの後方に立っている。そこからおれの肩を掴み、今度は左から顔を出す。視界の三分の一が商売人の破顔で埋まる。
「眠ると良いさ……」

頬にキスをもらうと、おれは嬢に咥えられている時の音を口から漏らす。そして、この治療方法を勧めてくれた全ての精神科医に感謝をする……。

 

おれが深いうつ病であると診断されたのはそこまで昔の話では無い。時間の感覚が曖昧なおかげで正確にはわからないが、診察室で赤文字の診断書を受け取ったのが、すでに一年以上前の出来事であるとは思いたくない。
「これらはどうして赤文字なんですか?」
「折れかけている筆で書いたから」

ペンウィー医師は新しい白衣をビニールテープから剥がしている。彼は、診察中だというのに好き勝手にスナック菓子の袋を開けて、それを使ったお人形遊びをベッドの上で始める癖がある。
「きみもどうだい? 今なら貴族のチップスターさんも、この茶会に参加しているけれど」

ポテトチップスを差し出してくるペンウィーは実に幼児的な笑みをしている。おれは自分に向けられたやかましい袋を片手で吹き飛ばすと、「保育士の資格を持っていないから」と断った。

真白いベッドでアヒル座りをしながらお人形遊びをしているペンウィー医師を見つめていると、彼は決まって幼児のような声で訊ねてくる。おれはそれに両手を使ったお断りの仕草をする。二つの手刀でハの字を作り、ペンウィー医師と同じように幼児の声を出す。

三十回目の診察の時、ペンウィー医師はおれがいつもの赤い丸椅子についたにも関わらずこちらを向かなかった。また新しいスナック菓子を開けてお人形遊びに没頭するのかと考えていると、彼は優秀なご年配教授のような顔つきで机の引き出しを開け、チューブ型の医薬品や錠剤の小瓶が散乱している中を両手でごそごそとかき回し始める。ひどく面倒なことが始まる予感に両方の親指が震える。受付の女医曰く、ペンウィー医師の真面目顔は面倒事の始まりの合図。
「きみ専用の薬が決まったよ」
「薬ですか?」
「ああ。きみは強烈なうつ病だからね。薬も強烈でなくちゃならない……」

 

「やあパロン! 今日も新聞配達かい?」
「ん? いいや。おれは基本的にピザトーストしか運ばないよ」

このように、基本的におれは自分の職を覚えない。水道管工事として訪問した一軒家の先で、借金返済日時を伸ばしてほしいと縋りつかれた時、流石に限界を超えたと確信したので、そのまま、つまり作業服のまま精神科医に走った。医師のペンウィーとかっていうヘンテコな服装の男は流石に驚いていたらしく、終始ほそっこい眉をへの字に曲げていたし、語尾にいかにもエジプトって感じの呪文を言っていた。
「なあ、ここの主治医はいつからエジプトファンになったんだ?」
「はい? ペンウィー先生は医学と山羊にしか興味がありませんが?」

恥ずかしくなったおれはすぐに病院を出た。三度目の曲がり角で自動販売機を見つけたのですぐに縋りついた。ひんやりとした触り心地の中には、この町特有のさらさらとした砂の感触があった。おれは思わず飛び上がった。砂に皮膚が触れていると自分の脳神経を脅かされているような気がしてしまう。プライベートな空間を目の前で踏み荒らされているような錯覚を感じた。すると目の前に何かが落下した。どしゃりという音と共に、トマトジュースによく似た赤い液体が舞う。おれの頬にもかかった。おれは瞑ってしまった両目を開いた。目の前のそれは女の死体だった。

ポニーテールの童顔な女。タイツを履いている黒い足は長く、太ももの肉付きがちょうどいい。今すぐに両手で撫でまわしたい。白いワンピースはすでに半分が赤いシミに侵されていた。スカートにはまだ白色が残っていたが、ほどんど白色が無い長袖は無性にいやらしくて、おれは足よりもそっちに集中した。

しゃがんでから長袖に触れる。腕ではなくワンピースの布を指で掴む。冷たい血液が指につく。腕ごと持ち上げて袖の布をよく見る。嗅ぐと強烈な鉄臭さが鼻孔を通り抜けた。脳が握られているような感覚にめまいを感じる……。

ゆっくり閉じた瞼を開けると、性器が限界を超えた膨張を始めていることに気が付く。おれは袖を口に含み、そのまま鉄の味を吸い出す。シュルシュルと音が響く。唾液と一緒になった血液が喉を通る、食道を落ちる、胃に溜まる……。

おれは仰向けにした死体の女に全裸で覆いかぶさった。

瞑られた瞼にキスをしてから、舌で瞼を上げてみる。どこも見ていない黒い瞳が現れ、おれはそれにも舌を乗せる。女の眼球を飴玉のようにチロチロと舐める。半開きの口にもキスをする。

最大限に勃起をしている性器を股に押し当てる。女の冷たい皮膚を亀頭で感じる。おれは女の顔を見つめながら女の股を守っているタイツを裂いた。耳元で「今から犯すぞ」と囁いてみても、死んでいる女はちっとも動かない。下着のツルツルな布の触感が指先にくる。おれはそれも適当に押しのけ、冷たい肌に性器を入れた。

おれは騒がしいパレードの中に居る……。精神科医と錠剤のパレード。右には瓶詰された脂汗が並んでいて、それを五百円で売っているペンウィー医師。今の彼は黒タイツの上に紙のおむつを履き、マゼンタ色のシャツに薄い黄色の白衣を羽織っている。おれは下半身に程よいお湯を掛けられているような感覚を覚えながらペンウィーの屋台に進行する。
「なあ、アンタはどうしてそんな恰好をしているんだ?」
「これが私の制服だから」

ペンウィーの顔はあの女の顔だ。昨日犯した死体の女の顔。周りを見ると、他の屋台の人間の顔も同様の顔。おれは自分の性器に精一杯の力を加える。性器の先端の小さな穴から何もかもが放出されてゆく……。

眼球の味を舌先に思い出す。

射精の感覚が遅れてやってくる。透明な飲み物ボトルに水道水を注ぐような音が聞こえる。水面が少しずつ上がっていくのを見つめるのが好きだったあの頃を少しだけ思い出す……。
「今日は、楽しかったな……」レンタカーを運転しながら、おれは助手席の彼女の顔を窓ガラスの反射で覗く。すっかり真っ白な肌に、だらしのない両瞼と口。彼女は車が飛び跳ねる度にガクンと揺れる……。

 

閉じていた瞼を開ける。ピンク色の照明にうんざりしながら、横の商売人の気配を視ようとする。
「なあ、知ってるか? 隣の爺さんが昨日ついに逝ったらしい。おれはそれを昼食の時に聞かされたけど、同室のトムは全然知らなかった。夜になんとなく聞いてみても、あいつはカマキリみたいな顔で知らないって言うだけだった。でもおれは知ってる。なんで知ってるか、アンタはわかるだろう?」

商売人は自分の白棒を必死に擦りながら喘ぐだけだった。
「おれは、この棟の医師連中と特別な取引をいくつかしているから、爺さんの最期もすんなり知ることができた。どうやらあの人は接続されていたパイプの装置が破損して、喉の奥の方にまで入っちまったらしいぜ」窒息で苦しんだということだけが検死で分かったらしい。「医師どもはこう言ってた、『この手の死に方はよくある。むしろ幸福だったと考えるべきだ』って。ペンウィーの野郎はさっさと解剖したくてしょうがないって顔してたって。……でもおかしいよな。あの爺さんはどこまでもアスファルトを信じてはいなかったはずだ」

おれはすぐに座席から立ち上がった。すると耳にはディナーを開催している高級料理店の賑わいが流れ、おれはまるでタキシードを着ているかのような身振りで商売人の顔を見る。すでに白ネギほどの薄色になっている商売人の白棒。それを握りしめる両手には、土嚢のような臭いを放つ白濁液……。
「お前もいつも通りなんだな……」おれは商売人の右顎にココアの缶が張り付いていることに気が付く。すぐに取り上げると、商売人はここに来る前の鮭の喜びを思い出す……。
「あれは遠く離れた日曜日だった。ぼくはいつものように前日の仕込みを処理していたんだ。ちょううど台風で油が全部持ってかれたから、それのショックで寝込んでいる妻に代わって、ぼくがなんとか猫のエサまで用意した……意気揚々だったんだ。きみもわかるだろ? きみはどうやら、海に沈んだ経験があるようだから」

商売人は高い声を吐き散らしながらおれの胸元に縋りつく。おれは入院服のポケットから一本だけの熟成させたラッキーストライクを取り出して、商売人の額に押し付ける。先端が白色から灰と赤色に切り替わったところで離し、フィルター側を咥えてやり始める……。
「白いあごひげを生やして、毎日病棟の廊下を行ったり来たりして、薬の時間になるまで元々住んでいた住宅街の噂話を患者たちに吹き込んで回っているあの爺さん」

商売人はするすると床に落ちてゆく。おれはすぐに商売人の頭頂部を見る。六個のつむじはすでにその役目を終えていたが、咥えている煙草の先端から落ちた灰がちょうどよく乗っかった。

2021年11月4日公開

© 2021 巣居けけ

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