時は20××年、2月のことである。ここ数年、カカオ豆の高騰によりチョコレートの値段が1枚100円から200円にまで値上がりしている。さらには消費税引き上げによって税込み260円になるご時勢である。ちょっと良いチョコなど贈ろうとすれば、軽く2000円を超えてしまうのだ。それでも、このバレンタインというイベントは相変わらず、愛する男性へ日頃伝えることのできない想いを託してチョコを贈るという女子の一大イベントとなっているのである。
チョコレート業界をぶっ飛ばせ!!!!
このチョコレート高騰により多大なる迷惑を被っているのが、義理チョコ勢である。義理チョコ勢とは、このイベントにおいて、女子たちの
「ねぇねぇ、チョコ何個渡した~?」
というさり気ない女子力測定に勝ち抜くため、義理チョコを大量に配る女子たちのことである。しかし義理に2000円もかけるとなると、財布が痛いのが本音。それを大量にとなると私を含め女学生諸君は大いに財布が痛い!そこで、本年よりこの東京理学大においてバレンタインデーを一新し、世の中の学力向上に貢献できる才ある女子のイベントにしたいと思います!
チョコレート業界の陰謀からいい加減目を覚まさなければなりません。不景気な時代、義理に私財を割けるほど我々学生の生活は楽ではない。そこで、私は手作りの贈り物を推奨する。一人の女子が手を挙げる。
「はい、ガロリアさん。発言を許しましょう」
ガロリアと呼ばれた明らかなる日本人女学生が答える。
「ありがとうございます。手作りの贈り物では、勘違い漢が騒ぎ出すのがオチではないでしょうか」
「さすが、ガロリア。男心がわかっているわね。でもそれは想定済みよ。私たちは幸運にも理系女子。そして渡す男子もまた理系勢しかもここは理学部系大学として国内の理系男女が集まる場所。今の日本の理系分野を将来担っていく人間を養成する場所。つまり、このバレンタイン革命が成功すれば、日本のバレンタインデーに対する認識の50%を変えることができるってわけ。シェアの50%を取れるなら業界も黙っちゃいないでしょうね。きっと市場が動くわよ」
「さすがです! さすが先輩! 普段は数学のことしか考えてないのに、こういう女子力が関わるイベントにはめっぽう歯向かうあたりが最高です!」
さり気なく余計なことまで言われたような気がしたが、まぁいい。ではこれより、チョコレート業界のバレンタインデー独占を一新すべく、このMVD計画を実行します!
チョコ⋍問題
溶けるのがチョコならば、解けるのは問題である。
「さて、手作りチョコをあげると勘違い勢で溢れかえる恐れがあるという問題点があげられましたが、もっと手軽に、安く、それでいて本命と差別化できつつ、義理と本命の違いを渡された側にも認識されるような物を考えねばなりません。そこで私が今年から配る物、それはずばり!」
「ず、ずばり?!」
ガロリアは前のめりになって全身で興味を示している。
「ずばり、問題を贈ります」
「お、おう……? 問題ですか」
思いもよらなかったというよりも、ありきたりすぎた考えとでも思ったのだろうかガロリアはきょとんとした表情で固まってしまった。
「ガロリア、チョコレートは溶けるのよ。解けないものを贈ってどうするのよ!」
彼女に指を向けてビシッと言う。
「あ、あのぉ先輩。失礼ですが、それではただのダジャレじゃないでしょうか……。せめてもっと流行りそうなものでないと如何なものかと思うのですが……」
チッチッチと指を振る。
「わかってないわねえ。そんなだから理系男子にもてないのよガロリアは」
「そ、そんなことないですよ! それ言ったら先輩だって彼氏いないじゃないですか」
顔を真っ赤にしながら抵抗してくるガロリアをよしよしとなだめて話を続ける。
「まぁ、チョコ=問題ではないのは確かだ。せいぜい同相といったところだろう。これで話が終わるようなら私もこんな会議など開こうものか、いや開かない!」
――私もそれだけなら、この小説を書いていないだろう――。
「いい? まず問題を贈ることによるメリットが3つあるわ。1つ、財布に優しい! これは最初にも言ったとおりチョコレートの値上がりとイベントに託けて定価でそれを売りつける店に問題があるわ。その裏にはカカオ豆を栽培する人への賃金問題や労働に関する問題が山積みなんだけど、とりあえず日本におけるチョコ事情は増税とカカオ高騰の2つ。そしてそれを回避するにはチョコを買わないということに至る。すなわち問題ならば財布に優しいのだ。2つ目のメリットは、お返しをする男性陣への慎ましい配慮。高いチョコを贈られると本命ならまだしも、義理であればやはり相応の値段のものを返さなくてはならなくなる。つまり男性陣も2000円近い出費になるのだ。また昨年、こんな被害を耳にした」
とある女子は義理チョコを学科で親しい男子数名に渡したそうだ。その翌月、渡した男子の一人がお返しにと2000円分のマシュマロを買ってきたらしい。もちろん断われずに受け取ったそうだが、その後彼女が毎晩マシュマロマンの悪夢に襲われたことは言うまでもない。
「こわいっす! マシュマロのお化けこわいっすよ先輩!」
そう、あの何たらバスターもびっくりの量だったらしい。
「こんな悲劇を二度と生んではダメよ。だからこそこの革命を成功させるの! 問題なら返す側は解答を翌月に渡してくれればいいってわけ。本命でないならこっちも簡単な問題を出してあげればいいわけだし。相手の手間も出費もかからないわ。そして3つ目、有用性がある。チョコレートを大量に渡されるだろう男子の場合、チョコニキビで困り、渡されない男子はセルフ手作りチョコを用意しなければならず困る。もしこれが問題ならどうだろう。イケメン男子は問題を解くことで学力も高くなり、外見中身ともにパーフェクトボーイに、もてない男子も自家製問題を問題集から大量コピーでドヤ顔ができるって寸法よ。これでみんなハッピーハッピーね」
「さすがっす! 先輩の考えは私の思考を軽く100段階超えてますっす!」
興奮を押さえきれない様子でガロリアは両手を振り回す。
「そういったメリットを包括した上で、問題もチョコも”とける”という気の利いたシャレが成立しているわけ」
「でも先輩、問題を贈るだけだと気持ちがこもらないというか、オリジナリティがないのではないでしょうか?」
ちっちっちと再び指を振る。
「甘い! 甘いぞ、ガロリア女史! 我々は理学部数学科! それ故いかなる思いも数式で捉え扱って見せようではないか! という気持ちあってこそこの革命が成功するのだよ」
「なるほど、数式の万能性を実証しつつ、自分の気持ちを問題にこめるのですね! もう数学の域を超えて文学的っす!」
「そうだろ、そうだろ」
私は誇らしげに腕を組みえっへんと胸をそらせた格好をしてみせた。
愛はあるのか
「では、さっそく問題⋍チョコにおける義理と本命について定義していこう」
ホワイトボードマーカーをキュッポンとやりゼミ発表のノリで話を進めていく。
「では女史、今から問題を出そう。解いてみてほしい」
私はそう言ってボードに問題を2問書く。
① x^2 +3x -4 =0 ② x^2 +3x +4 =0 (x^2はxの2乗を表す)
「はい、先輩。①はx=-4,x=1 ②はx=(-3±√7i)/2 です」
「さすがガロリア女史。3秒で正解だ。惚れ直したぞ」
「えへへぇ」
照れくさそうに彼女は頬をかいて言う。
「ここからが本当の問題だ。どちらが義理かわかるかね?」
「え? これ義理とか本命とかあるんですか?」
驚いた様子で訊く。
「数学女史ならわからないはずがないぞ?」
「あぁー! i があるって言いたいんですね先輩」
「うむ、つまりあからさまに義理とわかるような解を設定すれば勘違い系男子はいなくなるわけだ」
「でも、もし解き間違いとかされたらどうするんです?」
「そんな者がこの大学にいて溜まるか! もしいたら黒板消しを投げつけろ! 論文紛失の刑だ!」
「でもでも、これだと必然的に方程式の問題が主流になっちゃいませんか?」
チッ、チッ、チッ。ゆっくりと指を振る。
「甘い! 甘すぎる! 十万石饅頭か、ガロリア女史!」
「それは美味いです先輩。それより他に策が?」
再び私はキュッポンする。そこで今度は問題に個々の気持ちをアピールしていくための表現が重視されてくるのだ。そう付け足して、私は再び問題をボードに書き始めた。
この胸には愛が詰まってるの
-1
「さて、この問題がわかるかしら?」
「マイナスイチ、ですよね。これって問題というより答えじゃないですか?」
何もわからないといった感じで、目をぱちくりさせる。
「じゃあ、もし女史が本命チョコつまり iに飢えてるとしたらどうかしら?」
「そうですねぇ……」
そういって私からペンをそっと取るとこう書いた。
-1=i^2
「こうでしょうか?」
なるほど。いたってシンプルだ。
「アイの2乗とは飢えてるわね。さすが女史わかってきたわね」
それじゃあ、とペンをガロリアから取るとボードに2つの式を書く。
① e^πi ② cosπ +isinπ
「これ、オイラーの公式とガウス平面ですよね? どちらもこの場合同じ意味ではないですか?」
「あっまーーーーい! てーれってれーって言わせないでよ! 式が違えば意味が変わるのよ。解釈が変わればメッセージ性も変わるの!」
「な、なるほどです……。それで、どのような意味になるのでしょうか?」
「まず、①のほうだけど、読んでみてくれるかしら」
「イーのパイアイ乗ですよね」
ガロリア女史がまたよく飲み込めないといった様子で目をぱちくりしている。
「の、は抜いて言ってちょうだい」
「イーパイあいじょう、ですか?」
「そう!良いパイ愛情なのよ!」
私はホワイトボードをペンで叩きながらまくし立てる。
「つまり、私はスタイルに自身がありますがいかがですか?といった積極的な告白になるの! それだけじゃないわ。この公式は指数、対数、三角関数の3つをつなぐとても偉大な公式なの、つまりボンキュッボンなの!」
「ひゃっふー! すごいっす先輩すごいっす!!」
そこでまた私は指を振る。
「女史、じゃあこの式の答えを言ってみなさい」
「は、はい! あ、-1です先輩」
コホンと咳払いを一つして、
「そう。つまりこれはフェイク! この私があなたと釣り合うわけないでしょ? というぬか喜びさせるパターンなの。お嬢様気取りの子にはぴったりね」
「なるほど、iがあればいいってわけではないんすね……。恐るべしオイラー」
あ、と何か気付いたような表情を浮かべるガロリア。
「じゃあ、先輩こっちのガウス平面もフェイクですよね?」
「そうね、フェイクよ。ただ、こっちはもっとお淑やかな女性にぴったりな式なの。ようはあなた向けってことよ女史」
私はビシッとガロリアを指差し続け様に言う。
「ガウス平面なの! 平面なのよ! つまりぺったん! ぺったんじゃないあなた!」
ガガーン!!!! ガロリアに電流が走る!
「ちょ、先輩。それあんまりじゃないですか?! そりゃあたしかに豊満とは言い難い体型してますけど、これでも小学生の頃よりはほんのりほんわかしてきてますし……って先輩だって人のこt?! ふぎゃっ><。」
ガロリア女史の口を手近にあったチョコパイでふさぐ。
「小学時代と比べてんじゃないわよ。私なんて高校から成長してまだとまってないんだからね」
誇らしげに言ってから、急に空しさがこみ上げてきたので続けることにした。
「と、まぁ同じフェイクでもこれだけバリエーションがあるの。また――」
1=√(-1)^2=√-1×√-1=i×i
「――、といった定義と矛盾した表記をすることで、あなたとの恋愛はアリエナイという意味をも表せるわ」
室内が一瞬どよめく。ただ、そのどよめきはガロリア女史一人によるものだが、
「じゃあ先輩こういうのもどうっすか?」
yはxの原点における180°回転 ⇒∀x∊R,∃y∊R s.t.y=-x
yはxの原点における 90°回転 ⇒∀x∊R,∄y∊R s.t.y=xi
「ガウス平面を使った幾何的な表現ね。どういった意味になるのかしら?」
私は聞く前からニヤニヤが止まらず、女史に回答を急がせる。
「はい、つまりあなたと私は住む世界が違うのよ! ってことです」
「あはは、やるじゃない。そうね、その調子よ女史」
えへへ~と女史が照れる。
さて、それじゃあ義理の話はここまでにして、そろそろ本命の話に移りますか。私はその前に、と言って紅茶の用意を始めた。チョコパイの匂いがたまらなくなったのだ。
彼女の本気、彼氏の本気
「はい! 先輩。本命をあげるに値する男子がいません!」
「よく言った女史よ。おそらくこれを読んでいるであろう理系男子は本命どころか、義理すら危うい状況だろう。しかし。しかしだ女史よ、いつそのような男子にあってもいいように日頃から本命になりうる最上級の問題を考えていなければならないのだよ。そんな一朝一夕でできるような問題など所詮愚問。もらった相手も鼻で笑うこと間違いなしだ。そうはならないようにするのが本命として、本命たりうる条件なのだよ」
「なるほどっす! じゃあ i以外にどんな要素を入れたらいいんですか?」
慌てない慌てないと手で女史を制して、私は紅茶をカップに注ぐ。
「それは相手が、どれだけ渡した相手のことを想ってくれるかよ、女史」
ストレートの紅茶を二つテーブルに並べ、一つをガロリアの方へ寄せた。
「あ、ありがとうございます。想ってもらうってどんな問題ならそうなるんでしょう?」
「簡単よ。愛と憎は裏表、彼が渡した相手を恨むほどの難問を出したらいいわ」
「ええー! それじゃあ逆に嫌われちゃいますよ!」
「大丈夫よ女史。逆は必ずしも成り立たないわ。むしろ裏と表、対偶にこそ、真偽が見えてくるのよ。彼がどれほど想っているのか、もし想っていないなら難問を解こうとも思わないでしょう。もし想っているなら難問でも解いて、3月にお返しをするでしょうね」
「おおー。確かにそうですよね。簡単な問題だったら誰でも解けてしまう。むしろ簡単な問題こそ義理に相応しいということですね!」
「Exactly! そうなのだよ女史。難しい問題を彼がわずか1ヶ月で解かねばならない。しかもこの貴重な春休み期間にだ!研究室ごもりの男子などは阿鼻叫喚だろうな。それでも解く。彼女の喜ぶ顔が見たくて解く。自分のことを想ってこんな難問を考えてくれた彼女のために解く。こういった感情の動きが愛を育てるのだ!!!」
「ブラボーっす! 先輩すごすぎっす!!」
ふぅっと紅茶を吹いて一口すする。うむ、薫りがおちつく。ガロリアも合わせて一口すする。
「でも先輩、これって作る女子側も大変じゃないですか?」
ちっちっち。
「女子は渡すまでに1年の期間があるわ。男子と違ってゆっくり考えられるのが肝ね。アプローチはゆっくり時間をかけて、決断は早急に出させる。クロージング率を高めるコツね」
「おおー、あなたが恋のキューピッドいや恋のミカエルか!」
すごいすごいとはしゃぐガロリアを片目に私は窓の向こうを眺めた。日が少し傾きはじめている。
「さて、そろそろ時間も頃合ね。今年からこのチョコに代わる問題を渡すという新生バレンタインを決行するわよ」
「はい! 私も義理問作りまくって学部中、研究室中に配りまわります!」
「うむ、では本日のMVD(マスマティカルバレンタインデイ)作戦会議はここまで。解散」
こうして、私たちのバレンタイン革命の準備は整った。あとは、この問題をちゃんと渡せるかだ。
学術書贈ってマイダーリン
学生食堂前の広場のベンチ。一人の少女が立っている。すでに夕方も5時を回っており食堂近くに学生はいない。少女は胸元に一冊の本を抱え、肩に鞄をかけている。もう30分くらいは待っているだろうか。いや体感時間と実時間は同じとは限らない。もしかしたらまだ5分くらいかもしれない。その少女が私だ。
「あぁもう……。こんなにどきどきするんだったらあいつのこと逆に待たせてやればよかったかな」
そんなことをぶつぶつ言っている自分をちょっときもいと思ってしまう。私が手にしているのは、『天才ガロアの発想力』という本だ。たしか以前彼がガロア理論について勉強したいって言ってたのを思い出して買っておいたのだ。そして、裏表紙の内側には私の愛情たっぷりの問題が書いてある。
こんな一言を添えて、
あなたに関して私は真に驚くべき感情を見つけたわ。でも、この余白はそれを書くには狭すぎるのでこれを贈ります。
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