あの時の言葉

渡海 小波津

小説

835文字

撞着語法の試作 出会いの春もいいですが、別れの春もありだと思いませんか。

 

あの時の言葉が今も残っているだろうか。

私は先月妻と別れた。理由は私の考えに妻が腹を立てたからだ。それだけだ。いつものことと言えばいつものことでそれを何も離婚しなくてもよいと思うところを別れると言ってきたのだ。

「雨か」

私は鞄を開け、長いこと入れっ放しのままだった傘を取り出した。通りに出ると、同様に傘を差しはじめる人、小走りの人が私の眼前を過ぎる。信号待ちをして いる車もワイパーを降り始める。私も通りを行く一人となると乾いた傘にはばらばらと雨があたる。アスファルトからは連日浴び続けた春の陽だまりを空に返す かのような香りが立つ。それが傘にたまって鼻元に香る。その匂いが嫌でやはり私も早足で通りを行くのだった。

 

「あら、雨」

私は気付かなかったふうにそう言って手で雨を確かめるようにしてみせる。彼は私に向かって、ほら濡れるからと、傘を差し出してくれる。通りにはそんな私とは対称的に、雨の中を歩く人、小走りの人が行き交っている。私はゆっくりと歩き始めた。

アスファルトからは雨独特の匂いが立ち、乾いた街に潤いを来たす。その香りを胸に吸い込み、大きくはき出した。

「私ね、雨って好きよ」

「突然だね。どうしてだい」

だんまり歩いていた私が急に言ったものだからか、彼はそう返した。

「だって、全部洗い流されるようじゃない。雨上がりに晴れるとまた最高に清々しいわ」

らしくもなく少しはしゃぎ気味に私は続ける。これまでのすべてが洗い流されるような心地がするのは確かだ。全部、全部洗い流されればいい。いっそのこと私 はこのまま雨に打たれて帰りたい気分ですらあった。だが、そんなはしたないことをしては彼にがっかりされてしまうだろう。だから私は、少しはしゃぐくらい で気持ちを抑えておいた。

 

雨が街に降る。男の雨も、女の雨も、皆等しく。

まだ幾ばくか冷たい雨が、温かな春を感じさせてくれた。

あの時の言葉を土へ還しながら。

 

2013年4月9日公開

© 2013 渡海 小波津

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