渡海 小波津

小説

761文字

長編への布石とした実験作です
この文体、作風に対して率直に感じたことを述べてもらえるとありがたいです
端的にはこれで30枚分の短編を読むとして(飽きる/飽きない)かです
よろしくお願いします

 

この通りを歩くだけで私は春がどこを歩いているかが大方検討がつくらしいことがこの歳になってきてわかった。たとえば、朝露に濡れた瑠璃唐草を見つければ訪れを、花水木に潤いを感じ、紫陽花にして春の役目の終えるところを知る。

その中でも蒲公英の移ろいはなお甚だしく春を映す。西洋蒲公英のロゼットが一番花をつける頃には道も空き地も陽だまり、陽だまりと雀たちは跳ねまわっている。花の倒れ、再び起き上がると三寒四温の頃も過ぎる。綿毛を飛ばせば藤が咲き、次々と小さな太陽を咲かせるので、だんだんと温まってきてしまいには紫外線が許容の範囲を超えたのだろうか、葉のしだいに朽ちていくようになる。朽ちてなお花は一輪、二輪残り、静かに直立している。

早く綿毛になって飛んでしまえばいいのに、あんなみずぼらしい半枯れの家にいることもなかろうにと思うが、ちゃっかりと次の日には綿毛になっているので、不思議に思って夜中に道へ出てみたことがあったのだが、なるほど夜のうちに月の下で真白に変わっているらしい。花が太陽ならば綿毛は月なのだろう。そうして東風にさらわれて西へ春を追うように舞い去る。

それでも最後の一輪は数日そのままでいるので、どうしたのかと見守る。すでに葉の部分は昨晩の雨に腐り始め、ダンゴ虫の大きいのや小さいのがうろついている。

翌朝そう言えばと思いだして見てみると茎が首らへんから折れて俯く半開きの真白い月があった。

ああ、お前もやっと発つのか。

夕刻、茜に染まった綿毛の首は葉の上に転がっていた。――春も終わるのか。

来年またここで逢おう。春よ。

 

通りには桜も菫も白詰草も咲いている。来年はどの春をじっくりと見てやろうかと今から先が待ち遠しい。

余命幾許か忘れたふりをして私は院内の道を歩いた。

 

2013年6月19日公開

© 2013 渡海 小波津

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