46億年のあくび

斧田小夜

小説

1,327文字

犬が鳴いていなかったので関東地方の終末は遠いでしょう。え?コンテストってなんですか?知らないですってば、本当ですよ。

朝、電視台のスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。同時刻、あらゆる場所でこの言葉が流れる。国内外は問わない。人々はまったく同時にこの言葉を耳にする。まだ覚めない朝の街角で、または太陽の溶ける夕暮れの中、テレビだけでなくラジオからも、インターネットの動画からも、街角に取り付けられた拡声器からも、空の上でも海の下でも、多くの言語で同じ言葉が語られる。いったいなんだ、と人は思う。くだらない冗談かアートだろうか? やがてニュースキャスターは首をかしげて原稿をまじまじと見る。この原稿はどこから? 彼は出所を探そうとするが、原稿を書いたものは見つからない。人々は不思議がって想像をめぐらせる。ショーか、あるいは陰謀か。年寄りは核戦争のはじまりを予感して震え、若者はインターネットの祭りにボルテージをあげる。世界の終わりを恐れるものと、希望を見出すものの間に対立が始まる。ニュースを聞いた人々は誰一人として同じ反応は示さない。奇跡のような終末の一日目が突如としてあらわれ、熱狂が世界をさらう。この謎に膾炙しないものはいない。

一頭の犬だけが、理解している。

かれのきわめてすぐれた聴覚は来るべき破滅を正確にとらえている。犬は喉を震わせ鳴く。仲間を求めるわけではなく、ただ悲しみのために声を上げる。藍色の夜が震え、ほかの犬たちにも知るところとなる。宇宙は遠く、ほしぼしはまばたきもせずにじっと地球を見ている。はるか数億年のむこうから誕生したばかりの地球があかあかと燃えているところを眺めている。犬たちを救う存在はない。闇は悲嘆に濡れ、許しを乞う声に満ちている。犬たちの異変に人間はようやく異変を現実のものと考えるようになる。けれども、残念ながら、ほとんどの人間は破滅を信じない。信じたくないのかもしれない。そうするうちに太陽にぽっかりと大きな穴が開く。太陽のまとっていた炎は引力を失って闇の中に火柱をのばす。まるでほどけるように、火柱の二つの端が太陽系の惑星たちを薙ぎ払う。人々はそのことに気づいても逃げる術を持たない。この現象は人間からみれば突如として現れたように思われるが、実際のところ太陽が丸まっていたことのほうが異常だったのだ。四十六億年の引力から放たれ、太陽はのびをする。辺縁は揺らめき、藍と朱がせわしなくお互いに噛み付いている。火柱がしずかに、ゆっくりと、けれども逃げることのできない速さで迫ってくる。宇宙に寄ったほとんど見えないひだが地球に到達すると、瞬く間に上空を覆っていた空気の層ははぎとられ、地球は無防備な赤ん坊となる。巨大なフレアが迫ってくるのを人間が感知する時間はない。半分の人間はそうと気づかないまま蒸発し、残りの半分、その瞬間夜であった半球に住む人々は一瞬後の死を察知する。太陽ののびは逃げる猶予を与えない。犬たちの嘆きはすこしの余韻も残さず飲み込まれる。すべてが終わると、太陽はまた丸くなる。四十六億年のあくびはこうして終わる。この確定的な未来に気づかず、人間は電視台を見ている。ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う朝に。

2021年6月25日公開

© 2021 斧田小夜

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