春望

応募作品

斧田小夜

小説

3,879文字

江戸と現代の交差点、明治の春画はいかにしてあったのか。2018年4月合評会参加作品。

わたくし、春画でございます。

なんでも薄暗いところでしこしこと摺られた記憶はあるんでございますが、どうにも描かれたばかりの頃でしたんで、あれがなんであったのか定かではありません。私の記憶が始まりますのは、ある親父が私を買い付けたときからでございます。

「これは艶がなくっていけねぇな」

とまぁ、私を一瞥して彼は言うわけです。しかし商人も負けてはございません。

明治に入ってからこのかた、春画や艶絵は発禁物とあいなりまして、売り買いはむつかしくなりました。嫁入り道具で持たせるだとか、火消しがお守り代わりに買い求めるだとかいう依頼はほそぼそとございましたが、露国征伐のこの時期は稀に見るかきいれ時、憲兵に見つからぬよう「春画を胸に忍ばせれば弾も当たらぬ」と密かな商売をしていたのであります。

一方、この親父。昨年、東京中の神社をまわって神頼みしたにもかかわらず軍に召し出されてしまった不運な息子が、今度はなんとニャオトンとやらに送られるとのこと、猫だが豚だかわからねぇが、せめて弾避けとなる春画を持たしてやりてぇ、という親心で商人のところへやってきたのだそうです。しかし、

「なんだ、こんな優男ぢゃ弾にあたっちまうかもしれねぇ」

と、腕を組みまして、私のことを不満そうにしております。商人はけんめいに親父を説得いたします。

「この春画の絵師は、世が世なら天下に名を轟かせたお方さ。明治になってなにもかもかわっちめぇやがったもんで、しがない絵描きで身をやつしているけれどもね、日本橋の大店の蔵にいったらあんた、あらあっちも、それあっちもってな具合だよ。それをあんた、艶がないだのなんだのなんて、随分お目が高いですナ」「なんだとこの野郎。そこまで言うなら買ってやらあ」とまぁこんな具合でございます。

私を買い付けた親父は戦地へ向かう息子に、蝋紙につつんで私をふところに収めておくよう、よくよく手紙を書き、私と同封して送ったのでありました。

 

 

田中明男と私が顔を合わせたのは翌夕刻でございました。手紙を受け取った田中明男は、遊びの足しになるような銭でも入っていないかとまずは封を振ったようです。私は不覚にも、うとうとと夢うつつにおりましたものですから、大変に驚きました。

銭の音が聞こえなかったので、田中明男はチョッと舌を打ち、

「なんだい、親父殿も相変わらずのしわんん坊だナ。封筒っきれか」

などと毒づきます。どうやら近くに見物人もいるようで、

「だけってことはなかろうよ。ちょっと開けてみろ」「なんだ、女からぢゃないのか、つまらんナァ」

などと声がありました。

私はすこし胸がどきどきして、しっとりとした蝋紙に身を横たえておりました。田中明男が乱暴に封を切るので、少しばかり蝋紙が破れたときは、思わず、ア、と声を出しそうになったものでございます。

手紙を引っ張り出した田中明男は、「オヤ、まだあるな」と封筒を逆さまにふって私を机の上に振り落としました。すぐに

蝋紙パラヒンだナ」「まさか見合い写真ぢゃないか」「破ってみろ」

などの声がします。私は間もなく明かりの下に引っ張り出されました。

あちらにも入道、こちらにも入道、見渡すばかりの入道畑でございました。ぎょろりとみな目を大きくして驚いている様子です。中でも田中明男は特に驚いていた様子で、「お、お、親父殿」と吃りました。「大変だ、不敬罪でしょっぴかれちまう」

「ナァニ、大丈夫さ。艶絵ならうちの親父殿も持ってきたよ。送ってきたやつははじめてだがね、検閲でも勘案してくださったんだろう」

こう答えたのは、右手の入道です。ふうむ、と唸って彼は私をまじまじと覗き込みました。ついでに指で私の端っこをなでます。

「艶絵は弾除けの守りになるそうだから、シャツの胸元にとめておくとよいだろう」

「し、しかし、じょ、じょじょ、じょ、上等兵殿」田中明男はまだ吃っております。「洗濯をするとしわしわのくちゃくちゃになってしまうであります」

「洗濯の前にとりはずせば大丈夫だ。班長殿に見つかると叱られて取り上げられてしまうかもしれないから、蝋紙でしっかり包んでおくと良い」

その時になってようやく田中明男は私をぢっと見つめました。ですが、すぐに彼は恥ずかしくなって、私を蝋紙の中にしまいこんでしまったのです。それを見た一等卒が「照れちめぇやがった」と田中明男を冷やかしました。私も少し残念に思いました。春画にかぎらず絵の本分は見られることにございます。ひと目にふれないようにそっとしまい込まれてしまっては、価値も劣るというものです。

「まあそう恥ずかしがることはないさ。しかしなかなかいい絵だったね。田中くんの親父殿もなかなか見上げた親心ぢゃないか、だってぇのにけちん坊だなんて、そんなことは言ってはいけないよ」

田中明男も少し反省したようでございます。その日から親父殿を吝嗇家とくさすことはなくなりました。

 

 

時は一九〇四年五月二六日〇時四〇分ごろ、遼東半島の隘路、南山にて田中明男はつかのま身を横たえておりました。

五月半ばに出発した船は、たいへん呑気なものでございました。海軍の兵は勇敢なること相違なく、ざぶんざぶんと荒波を超えて船は進みます。しかし陸軍の兵にはやることがない。それで毎晩、長唄だのちょいと一席だのと素人芸を披露しあっておりました。

素人芸にはみな厳しいもので、「なんだァ、猫が絞め殺されてら」「下手くそ」「ひっこめひっこめ」と野次を飛ばし合います。もっともそんなふうに相手をからかえば、自分の時には仕返しをされるもので、どれだけ粋な野次を飛ばすかの競い合いのようでもございました。

ところが弟子入りをしていた落語家なんかが一席ぶつときなどは、すこし様子が違っております。士官まであつまって耳を傾けるものですから、食堂室はむんむんと熱気がたぎり、笑いがおこるとびりびりと船が震えます。外はいつ敵が来襲するともしれない洋上でありながらも、内はまるで宴席、いないのは女だけ――もっともほとんどの兵の胸元には私のお仲間がございますから、女がいないわけではございません。彼らだって何度も蝋紙の中から私共を引っ張り出してはこっそり眺めたり、班内で比べあいっこをしてみたり、あるいは順繰りに回し見たりしているくらいですから、胸元に隠れてある私共を忘れたわけではないでしょう。もしかすると私共にも少しばかりの安楽を、と気をつかっていたのかもしれません。

あの日々も今となっては夢のようでございます。二五日より南山から金洲城を奪取せんと戦闘がはじまりましたが、露国兵の苛烈なる反撃によって隊はかなりの損傷を受けておりました。はたしてここは引くべきか、それともあとひと押しして露兵から陣地を奪うべきか、難しい局面でございます。夕方より一旦攻撃は中止され、田中明男は翌明朝の再出撃の命を待っておりました。

轟々と山を揺さぶる嵐が吹き、時折鳴る雷鳴に、あれは砲台が唸っているのか、はたまた神のいかづちかと話している兵がおります。前日までは意気軒昂に露兵の首をいくつ取るだの、天晴に死にたいものだと言っていた仲間たちでありますが、今は総じて元気がございません。リュウリュウと迫る砲弾の音はまだ生易しい。塹壕から繰り出される銃撃や機関銃の音に棒っきれのように人が斃れるものですから、田中明男はすっかり肝をつぶしてしまったのでありました。かくいう私も彼の胸に収まっていながら、気が気ではございませんでした。

私は春画、戦場に持ち込めば弾に当たらぬという逸話はございますが、すなわち人の代わりに体が八つ裂きになるということでもあります。しかしもしそうなったとしても、田中明男が無事にあの口達者な親父のもとへ帰れるのであれば、私の絵生に悔いはないようにも思われます。

ああ、とまたため息をついて、田中明男は私をしっかりと胸に抱きました。荒屋の戸板がバタンバタンと風に煽られて激しい音を立てております。明日は海軍がくるというが、この嵐ではどうなることやらと暗闇の中で誰かがぼやいておりますが、その声もかき消す雷鳴。

夜半をまち、号令がかかる直前、田中明男はそっと私を荒れた板間において、手を合わせました。彼の隣で横になっていた一等卒が笑いましたが、田中明男は構わずしばらく神頼みをするように私の前で頭を垂れ、それからそっと私をいつもの蝋紙で包んでくれたのでありました。

私が田中明男の顔を見たのはそれが最後でございます。

その日の戦闘中、どうどうと地面を揺らす足音に混じって、田中明男は凹地を飛び出しました。しかし私は不覚にも胸ポケットからするりと飛び出してしまったのです。その後、彼がどうなってしまったのか、私には知るすべがございません。地も割れんばかりの砲音とともに散り弾ける土、怒号――そして漠然たる響。それを最後にあたりは静かになりました。土をかぶった私を見つけたものはなく、探しに戻ったものもなかったようでございます。

それから長く、私は金州城近くの土の中で眠っておりました。私の上を多くの靴が通り、去っていきました。もし、誰かが土中から私を見つけ出したとき、私の上に色は残っておりましょうか。私を認め、なんの絵画であると思われるのでしょうか。ましてや私が、弾除けの守りとして大事に胸にしまわれていたとはよもや思いますまい。

国破れて春画あり。

おあとがよろしいようで。

2018年4月5日公開

© 2018 斧田小夜

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"春望"へのコメント 7

  • 投稿者 | 2018-04-21 09:28

    春画視点の語りの死角は、自分がどんな春画であるか語れないことであろう。そこをうまく利用して「自分は最高に官能的な春画だと思って生きてきたのに、実は全然違う絵だった」などといった語り手の自己認識と現実のギャップを導入すると、もっと面白くなるのではないか? ただ、今回は視点の妙をうまく活かしきれていないと感じた。春画がテーマなのに、主人公である春画の内容について「優男」が描かれているという以外情報が一切与えられないまま話が進んでいきそのまま話が終わってしまうので、モヤモヤが残る。斧田さんの語り手は自分に関心がないのかただの観察者になってしまう傾向があるように思う。

    それと、もっとユーモアがほしい。『吾輩は猫である』を踏まえたオープニングから、私は爆笑できる話を期待してしまった。もっと人間たちを戯画化して、愚かで卑猥な振舞いをさせてもよかったかもしれない。作者の知性は伝わってきたが、ハートに訴えかける部分は薄かった。

  • 投稿者 | 2018-04-24 12:25

    そもそも春画そのものが語るという発想が自分にはなかった。ので、面白く読んだ。しかし、「春画自体」の描写がもう少しあったら想像しやすかったなあ、と思いました。

  • 投稿者 | 2018-04-24 23:51

    落語調の語り口が滑らかでするする入ってきます。春画の一人語りというのは面白い視点だと思いました。日露戦争で海上輸送される兵士たちの心境は知る由もありませんが、即席の余興で慰め合う場面などはさもありなんという気がします。出て来る兵隊さんがみんな優しいですね。それに春画自身が息子を親父のもとに返してやりたいと思うなんて、絵のくせに世の無情を知る優しい奴です。
    明日は死ぬ運命と覚悟して、最後の楽しみにこの優しい春画を眺めるのだろうと勝手に期待して、春画に何が描いてあるのかと読み進めているうちに終わってしまってあれっと思いました。

  • 投稿者 | 2018-04-25 05:13

    オチのダジャレが秀逸なのでそこで加点。それが言いたかっただけなんじゃ?春画に関してはあまり掘り下げがありませんが、江戸幕府の治世から明治への移行あたりに主眼を置いたのは面白いと思いました。ただ、禁制なのはなにも明治になってから始まったわけではないこと、明治期に入っても明治二十年ごろまではまだ木版画は完全に廃れてなかったことなどから判断するに、そのあたりのバックボーンは少々曖昧なのかなと感じました。あとは明治期あたりは「国が敗れた」とするほどの敗戦はまだなかったんじゃないかなーとも。

  • 投稿者 | 2018-04-26 11:24

    今日は仕事の会議で参加できないんですけど春画さんが不憫なので置いておきますね

    明治を境に版木刷りの春画は衰退していくわけですが、裸そのものは西洋美術の浸透を通して芸術に、ポルノグラフィティは速読本や写真に(といっても写真が大衆化したのは日露戦争前に二円で国産のカメラが発売されてから、プリント技法がそれほど確立されていなかった&&職人技だったので実際撮られるようになるのはもっとあと)、教育用途としてはそれなりにそれぞれ形を変えて存続したにもかかわらず、春画の一つの側面であり室町時代からの伝統であった勝絵(春画や屁合戦など)は日露戦争中の大検挙を境に文化として消滅していくわけです。ちなみに新聞には出征軍人に春画を売買していたものが取り締まられた、日露戦争中に大検挙が行われ数百、数千の版木が押収されたなどあるので、実際に戦場に春画を持参した軍人は少なくなかったと思われます。にもかかわらず昭和初期に多く書かれた日露戦争の従軍日記では勝絵の記述は全く見当たりません。新聞と従軍記の齟齬は、建前として春画は禁制品であったので書かなかったのかな……と思いきや、軍規違反についてはふつうに書いていたりするので、戦後に「春画を持参した」=「恥」という認識が広まったせいではないかという仮定が立つわけですね。
    ちなみに本文でとりあげた南山の戦いは日露戦争では初めて四桁の死傷者を記録した最初の塹壕戦で、損傷率が10%ほど、騎兵、工兵、後備兵にはあまり損傷がなかったことを考えると最前線の歩兵や砲兵はそれこそバタバタと死んだようです。旅程や雰囲気は基本的に第二軍従征日記を参考に書いていますが、そのほか素人の書いた従軍記でも戦闘までは物見遊山でおどろくほどゆるゆるで楽観的な雰囲気、最初の戦闘時にビビりまくり、その後持ち直すのが鉄板(とは言え素人の従軍記なのでそういうフォーマットだと思って書いてるフシもある)ですが、最初の戦闘が不幸にも南山の戦いだったりすると生き残った人間としては「あ、お守りとか春画とか意味ねぇや、気合だ気合根性だ」となってしまってもおかしくない。「勝ち絵」といって春画を持参したことを恥じる雰囲気が醸成されたのかもしれません。特に東京の第一旅団が南山の戦い、後備第一旅団は旅順攻略に駆り出されているのでこの傾向が強いかもしれません(鳥取の歩兵第四十連隊は独立第十師団なのでもっと呑気だしおもしろエピソードも多いんですが)。

    という前置きがあって、さらに前置きとして春画さんは二次元ですんで、人間と同じ五感を有しているとは考えがたい。紙なので温度特性はさほどではなく、湿度にはセンシティブ、高周波の感度特性もよくなさそうですが低周波に対してはよさそう。というわけで視覚はよわく、聴覚と触覚に頼っている可能性がたかいです。そもそも蝋紙に包まれていることがほとんどなんでますます視覚情報はすくない。というわけで、視覚による状況描写はできるだけ省き音からの情報を優先させております。
    なお本文は鰯の頭も信心からみたいな話ですが、不運なバカ息子をできるだけ守ってやりたい田中父にとっては優男、実用品としての価値は認める上等兵にとっては艶がある絵、当人にとってははじめは恥ずかしいもの->極限状態ではとにかくすがりたい神仏的な存在(土壇場で現実的にならずに神仏にすがるので田中明男は死ぬ)、存在意義を抹消された今となっては色もなくほとんど白紙(都はめちゃめちゃになったが自然派変わらずあり、春も変わらず巡ってくるし、紙は土に還る)、と状況や見る人によって評価がかわるのでイメージを固定化しないために絵そのものに対して詳細な描写はしませんでしたが、これだけ気になる人が多いのならもちょっと入れても良かったのかもしれません。
    ま、なんにせよ日露戦争といえば旅順旅順旅順遼陽奉天脚気旅順旅順てな具合なんで、南山の戦いがかけて楽しかったです。変な脳汁出そう。合評会でなんかあったらコメントにかいていただけるとありがたいです。

    著者
  • 編集長 | 2018-04-26 11:42

    前回のエロとホラー(だよね?)と若干ネタ被りの今回のテーマに変化球で挑んだ本作を面白く読んだ。
    たしかに他の評者が言うようにどんな春画なのかわかればさらに良かったと思う。

  • 編集者 | 2018-04-26 13:07

    自分も含めて案外今回は近代以前に絞られず様々な時代の作品が出ている。帰りたくても帰れない、死にたくないのに死なされる中でどれほど春画が心の支えになっただろうか。どうでもいいが、太平洋戦争の時には今度は嫁の裸写真が弾避けになったりするので技術の進歩を感じる。今度の戦争はDVD持参だろうか。

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