めもりある

島田梟

小説

5,221文字

2020年最後の小説。
夜の教会で行われる悪魔祓いのお話。
サブジャンルいっつも迷うんですが、「官能」「自己啓発」にしときました。

教会の内部はひっそりとしていた。昼間は神父が説教を行い、それを熱心に聞く聴衆もいた。日が落ちた今、長椅子には忘れられた聖書が数冊残るのみだった。それらの表紙右上の角は、示し合わせたように、説教壇に寝そべる少年を指していた。

少年はボタンを全て外したポロシャツと丈の短いズボンを身に着けている。

「神父さま、本当なの?」

暗闇から、静かな息づかい。

「ぼくの中に、悪魔がいるって」

自ら言った『悪魔』という単語を聞き、少年はみぞおちで組んだ両手に力をこめた。

「大丈夫だよ」

不安を鎮めるために伸びた手は、少年の上でしばらく静止した。やがて降りていき、小さな両手を包みこんだ。手の甲に浮かぶ、染みともほくろとも区別のつかない点は、闇のおかげで隠れていた。

「私が神様に頼んで、悪魔を追いだしてあげよう」

神父は身じろぎひとつせずに言った。顔を近づけ、耳元でささやくこともできたが、しなかった。

緊張が解けた少年の手をどかし、神父はポロシャツと体の隙間に手を差し入れる。「君の心臓の音を聞かせてほしい」と神父は言った。真ん中の指三本で鼓動を感じつつ、広げた両端の指で乳首を探す。

「悪魔って、人に移るの?」

神父は答えなかった。血が全身に行きわたり、行きわたった血が帰ってくる。そのありふれたリズムが特別に思えしばらく指先に意識を集中させた。少年に催促され、神父は顔を見る。説教壇からはみ出ているせいか、もたげた頭を休ませる場所はなく、辛そうに見える。神父は黙って少年の体の位置をずらす。今度はふくらはぎが縁から出て、ハイソックスがぶらぶらと宙をうろついた。

「ねえ、移るの?」

「移るとも、誰にでもね」

神父はようやく答えたが、胸に置いた手を動かそうとしない。

「良かった。友だちに移さなくて。昨日ね、いたずらで耳にふーってしたんだ」

「なんて子?」

「ケイちゃん」

「ケイちゃんか」

この前の説教の時、確か最前列に座っていた。額にかかる髪がゆるやかにうねっていて、それに触れているだけで一夜が終わってしまう程、そそるものがあった。

「君はケイちゃんが好きなんだね」

少年はそっぽを向いた。動悸が早くなった。

「好きというか、良く遊ぶから。でも男だし」

神父は、それまで自らの肉を抑えつけるのに使っていた手を放し、少年の二の腕をつかんだ。

「好きに男も女もない。神様と私の前では、決して嘘をつくことはできない」

押せば跳ね返す、反抗的な柔らかさに酔い痴れ、危うくつねりそうになった。

「みんなに笑われそうだから、秘密にしておいてね」

「誰かの愛を笑う人間は、地獄に行くだろう。気持ちを伝えるかどうか、それは君次第だが、恥ずべき感情だと思ってはいけないよ」

「神父さまは誰が好き?」

「神を信じ、ひたむきに祈る人はみんな好きだね」

少年は神父を見るのをやめ、天井に目を向けた。

「じゃあぼくはダメだね。お祈りしてると、眠くなっちゃう」

「それはいけないな」

柔らかな口調で神父が言う。蒸れた足が気になり、彼は革靴を脱いだ。足の甲が痒い。

「どうして眠くなるんだろう?」

「神さま、見たことある?」

答えを待たず、仰向けのまま、少年は天井を指さした。神父は少年と顔が並ぶように位置を調整し、同じ先を見る。天井の梁以外に何もなかった。

「どうした」

「何かいた気がしたんだけど」

少年は指を動かし、奇妙な図形を描き始めた。円が完成する直前に軌道が変わって三角形になり、それもまた隙間を閉じる前に台形へと変わった。

「神さまが来たのかも知れないね」

少年の丸い指を握ろうとしたところで、彼はとっさに手を引いた。正面入り口の扉を開く音が聞こえたからだ。

「神父さま?」

少年の唇に指を押し当て、視線を一点に注ぐ。しばらく待ってみたが、不気味な人影も、詰問するような光線も、入ってこなかった。

彼は指を離した。

「ごめん。こんな時間に、誰かいるのかと思ってね」

「神さまが来たのかも知れないね」

それは少年の声とは思えない程低かった。

悪魔め。

「えっ?」

いつものソプラノだった。

「いや、何でもない。悪魔退治に戻ろう」

神父は手始めに、ハイソックスを脱がせにかかる。ふくらはぎの半ばまでずらし、爪先部分を引っ張ってから、両手を使って撫でるように抜いた。右と左で同一の順序を繰り返し、折りたたんだ。

「くさい?」

「いや、ちっとも」

ハイソックスは説教壇の空洞に置いた。その上に、ポロシャツをズボンが載った。腰を労わりながら立ち上がった神父の目に、パンツ姿の少年が飛びこむ。

「これ、やったことある。お医者さんのところで」

「健康診断かな」

脇腹に触れると、かすかに鳥肌が立っていた。

「うん。病気じゃないですよって」

「医学で解明できないことはいくらでもある」

神父は椅子を引き寄せて座った。

「ねえ、今からいっぱい祈っても、ダメ?」

「入りこまれてしまったら、もう遅いね」

「百回祈っても?」

「無理だろう。専門家がきちんと治癒を施さない限り」

「そっか」

少年はあばら骨に指を這わせ、叩いた。

「これで音が出たら、面白いのにね」

神父は発育途上の骨の一本を叩いた。

「ここは何かな?」

「うーん、ド!」

「ここは?」

「レー!」

「じゃあ、ここは?」

「ミー!」

「とても良い音色だ。君は素晴らしい楽器だよ」

楽器の演奏がいつしかくすぐりに変わった。少年は笑って身をよじる。恐らく好きな子にも見せない笑顔を作っているはずだ。それを鮮明に観察できないのは残念だったが、誰を相手にしても明かりをつけないのが神父の信条だった。

「悪魔も笑ってるかな?」

「それはない。あいつらは人の苦しみが大好物なんだ」

「じゃあ、怒ってるのか」

少年は手のひらを見て、持ち上げた膝を見て、また手のひらを見た。

「怒ると、表面に出てくる」

「どこ?」

「普通の目ではだめだ。心の目を使わないと」

少年は目をぎゅっと目をつむる。

「わかんない」

「私に任せておきなさい」

神父は未発達の体に現れる徴を逐一報告した。まず右肩でしっぽを振った。彼がつねると驚いて逃げた。次は額、あかんべえで挑発してきたが、親指で拭う動作をしたら、内側に引っこんだ。

「なさけない声だった。君にも聞かせてやりたかったよ」

「そっか。悪魔ってさ、男? 女?」

「性別は、そうだな、どっちもだな。両方の体に入れるから」

「悪魔って、カタツムリなの?」

神父は行き先を変更し、手をへそに置いた。

「何でそう思ったのかな」

「だって、シユードウタイでしょ、おんなじだよね」

「言われてみれば、確かに。君は賢いな」

「図鑑で見たんだ」

「君に神の祝福あれ」

神父は額に口づけをした。

「神父さま?」

「悪魔が出てきそうだったから、急いで唇で押さえたんだ。あっ、もうそこにはいないよ」

「どこにでも出てくるんだね」

少年は体のあちこちを触る。脇の下に触れた時は、自分の攻めに身をよじった。

「くすぐったい」

「そうかな。普通は自分で触っても、予期できる刺激だから感じないと思うんだが」

「そう?」

神父は片手を自分の脇に差しこんだ。

「ほら、笑えない」

「ぼくの中には悪魔がいるからね」

目の前で小さな五本の指を不規則に動かす様を神父は見つめた。反って、曲がって、交差した。少年はふふっと笑った。

「おもしろいよね。この中にもう一人いるなんて。何人まで入れるんだろう?」

「団体で憑りつかれたら、君は君でなくなる」

「ぼくがぼくでなくなると、どうなるの?」

「楽しいことがあっても笑わなくなる」

「それだけ?」

「自分が誰だかわからなくなる」

「あとは?」

「神を愛すること、人に恋することがなくなる」

「そうなんだ」

少年はブリーフパンツのずれを直し、縁を引っ張り、パチンと鳴らした。

「体はどうなるの?」

「体は残る。でも、中身は悪魔だ」

「朝起きたら、ぼくはアクマですって言うの?」

「そうだよ」

「アクマが?」

「そう」

「変なの」

少年は手で顔を洗う動作をした。その間はずっと、あ、あ、あ、と気だるい声を出していた。

「まだ追いだせないの?」

神父は大きなため息をついた。

「相当やっかいな悪魔らしい。とっておきの呪文を使って、弱らせるしかないな」

「ぼくは寝てればいいの?」

「いや、そこに座ってほしい」

言われた通りに座った少年に対して、下も脱ぐように神父は言った。ためらう様子を見て、お風呂に入るのと変わらないと後押しする。終わったら、体のすみずみまできれいになっているから。少年が両手をついて腰を浮かせると、神父の両手が慣れた手つきでもぐりこみ、布きれをおろしていった。かすかにアンモニアの臭いがした。布についた穴を足指が通過して落ち、神父の靴に載った。

「足を開いて。暗ければ恥ずかしくないだろう?」

「たぶん」

神父が必要とするもの全てを、少年は晒した。

「ありがたい神秘的な呪文を聞けば、悪魔も今度こそ退散するよ」

「呪文って、日本語?」

「ラテン語だ」

「それ強いの?」

「強い。悪魔が最も憎む言葉だ」

「悪魔は何か国語わかるの?」

「それは後でじっくり教えてあげるからね」

すべすべしたふくらはぎ、すべすべした踵を軽く撫でた後、神父は咳払いした。短く、刺すようなラテンの単語を吐く。それに続くのは、文法を無視して並べられた、名詞でも形容詞でもない言葉の羅列だった。

神父が十字を切った。いつもは空中で線を引くのだが、興奮を抑えきれず、カソックを掻くように指を動かしてしまった。その最中、衣とは違う感触があった。左胸のあたりをつかむと、それはビニールだった。

「神父さま?」

「何でもない。さあ、目をつむって」

規則を無視したラテン語のおかげで、平静をとり戻した。彼は足の爪を祝福した。彼は膝を祝福した。彼は上腕の産毛を祝福した。体の内と外を全て祝福するまで、惜しみなく時間をかけるつもりだった。

神父が幼い体を慈しんでいる間も、カソックの胸の裏に、覚書は確かに存在していた。折りたたみ、小袋に入れてから長い月日が経っており、折り目から角まで黄ばんでいた。カソックを新しいものへと換えるたびに、彼は大事にそれを縫いつけた。神父がまだ若かった頃、稀有な体験を書き留めたものだったが、肝心の内容については、日々の仕事と夜の密儀にかまけ、ほとんどが記憶から抜け落ちた。強いてそれを思いだす気もなく、いつしかお守りの一つになりさがった。

窮屈に押しこめられた粗雑な文字は、書かれた当時と変わらず、同じ順序で同じ意味を表していた。

 

一九九〇年十二月十九日 肌寒い夕方 不可侵のあのおかた 全ての聖人に感謝 ざんげを聞いてくださった 体があつい 神はぼくの中にいる はなさない 愛してくれるぼくの神 お顔を見たいとおもったらあの人の目でみるようになった きたない部屋が特別になった ストーブも勝手にあたたかい 蛍光灯も太陽 聖書も数センチ浮かんだ いきていけますこれからもアーメン 八時四十九分

 

神父は大事に取っておいた、少年の朝顔のつぼみを咥えるため、目を閉じ、口を近づけた。そろそろ触れるはずの距離になっても、幸福な接触はなかった。

「ない」

「えっ?」

「あれがない。どうしたんだ」

「ちんちんのこと?」

口を閉じずに発音したため、ちぃちぃと聞こえた。

「どこにやった」

「何言ってんの、ここにあるでしょ?」

ほら、と言って両手をつき、腰を上下させて揺らす。神父は運動に合わせて顔を小刻みに振る。実体はない。実体がなければ、残像も生じなかった。

悪魔め。つぼみをどこへやった。

目と口は信用できない。彼はまた手に頼った。人差し指と中指を股下に沈め、勘がそこと知らせるところで鋭く曲げる。袋はあったが、つぼみのありかは判然としなかった。悪戦苦闘の末に、神父はついに見つけた。

「さあ、出ていけ!」

体を屈めて舌を突きだす。それが少年の尿道を覆う皮の先に触れたとたん、奇跡が起こった。

覚書の末尾に新しい文章が加わる。

 

速やかにざんげせよ。

全ての行いを振りかえれ。

聖人の名を暗記して何になる。

まぎれこませて腐臭を隠せると思ったか。

山崎。何だ、それは。しゃぶって楽しいのか。

何本目だ。

めとれ。めとれ。めとれ。

きさまの罪はのっぴきならぬところまで来た。

アーメン五万回でもまだ足りぬ。

土牢でくたばれ。

二度と我が名を口にするな。

二度と十字架に触れるな。

その目も捨てろ。

きさまにくれてやる光はよそへ回す。

 

これで紙の余白はなくなった。句点が滲み、くっきりと浮かび上がったところで、神父は口を放した。

「悪魔、出た?」

少年はいつの間にか垂れた鼻水を拭った。

「ああ、もう飛んでいった」

神父が触れると、体中に鳥肌が立っていた。

「もう帰っていい?」

「実は、まだだめなんだ」

「どうして?」

「悪魔が入ってこないように、祝福しないといけない」

「でも、ここ木だから硬くて痛い」

神父は少年に服を持たせ、抱きかかえた。

「奥の部屋に行こう。ベッドがある」

少年が扉を開け、ありがとうの言葉とともに二人は中に消えた。

紙は無力だった。

 

〈了〉

2020年12月21日公開

© 2020 島田梟

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