ファンシーウィード

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古戯都十全

小説

15,856文字

コロナやBLMの混乱で映画撮影がストップして仕事にあぶれてしまった丞は、旧知のナンシーの誘いに乗り仕事を求めてイギリスから日本へ帰ってきた。マリファナの離脱症状とも二日酔いともつかない最悪な体調で特に稼げそうもない新たな仕事に臨むかたわら、丞の記憶はイギリス滞在中のマリファナライフへとさ迷い出す。

雨のヒースローから晴天の成田へ、成田からまた雨の富山へ。富山空港へ迎えを寄越すという連絡を受けたじょうはマスクで覆った口でも前方の客室乗務員によく聞こえるように毒づいてからタラップを降りた。空港のロビーに響く、地方局ラジオが流している鼓膜を弄るような声の演歌歌手の歌に辟易しながら丞は空港カウンター内にぶら下がる時計で時間を確認した。

ロンドンでは三月半ばからどこのスタジオも撮影がおおかたストップし、ただでさえ端役にしか与れない丞は完全に仕事にあぶれてしまった。そこへさらにBLMである。たまにスタントの仕事を回してもらっているクリスに聞いても梨のつぶてだった。

「まったく、死体役すら無いってのはどういうわけだ? ロンドンで殺されるのは黒人ばかりだってのか?アジア人だって毎日死んでるだろ?」

「ハッハ。死体役をやるまでもなく既に死人だってか?」

「冗談じゃないぜ、まったく」

クリスによればじきにスタントの仕事は再開する予定らしかったが、丞はしばらく自分には回ってこないだろうと踏んでいた。だからといって、頭痛と徒労しかもたらさない長距離の移動をしてまで、はるか極東の島国に、といっても自分の母国だが、戻る意味などあったのか。いったい自分でも何を考えているのかわからない。

「ジョー、あなたまだ死んだふりしてるの?」

突然、昔それなりの仲だったナンシーから連絡が来たのはダウニング街のボリスがまだウイルスに感染する前だった。いま富山にいるのよ、映画の撮影に興味ないかと思って。まだ先の話なんだけど、どうせ仕事ないんでしょ? 丞が曖昧な返事ばかり返していると、ナンシーはしつこくメールを送ってきた。

仕事が無いから新たな仕事を求めて日本に戻るという展開は丞にとっては屈しがたいことだった。そもそも日本のことが嫌いでわざわざロンドンまで来たのに、たかがウイルスごときで仕事を失くし、キャリアを捨てて、気の合うスタント仲間ともおさらばして戻るのか? クソみたいな日本に。だいたいナンシーはなぜ日本に、しかも富山にいるのか、丞は勘繰った。そもそもナンシーは出会った時から丞のことをバイブか何かと勘違いしていた。会えばジョイントをやりながら朝から夕方までセックスを求めてくることがしばしばあった。当時はまだ学生だったはずだが今は極東の島国で何をしているのか。

九月の富山は予想通りまだ湿気がそこら中に根を張り、雨が降っても熱を逃がさず空気中に滞留させ、道路脇の縁石にしつこく雑草を蔓延らせていた。富山空港には広々としたバスターミナルがあり、閑散として車の出入りもまばらなターミナルは、丞が日本を出る前とさほど変わらない景色だった。しかし空港の名前は変わっていた。富山……。読む気のしない名前だ。そのふざけた名前のせいでハリボテ感が増したと言ってもいいだろう。外に出ると余計にそう感じる。

空港で丞を出迎えたのは万場ばんばという男だった。丞よりも若く短髪の小柄な男である。くすんだグレーのアテンザの助手席に促された丞は車が走り出してすぐに万場から今回の映画撮影についての簡単な経緯について聞いたが少しも頭に入ってこなかった。オレンジ色で表示された車内の時計は午後二時。ヒースローを出てからすでに十五時間以上。そろそろカウントダウンを始めてもいい頃だと丞は思った。

「窓を開けていいか?」

「どうぞ。俺もエアコン嫌いなんですよ。気を使い過ぎましたかね?」万場はエアコンを消して窓を開けるとスピーカーの音量を上げた。ノエル・ギャラガーの歌うフォース・オブ・ネイチャーがサビに入りにかかる。

「俺は水風呂だな。頭まで浸かったらすっきりするぜ。ある意味こっちの方がトリップ感はあるかもしれん」

仲間内でマリファナの離脱症状からの回復方法を話していて、ジェフリーがそう言っていたことを思い出した。丞は一度も試したことはなかったが、今はひどくなる前にできることを何でもやりたい気分だった。離脱症状の種類は数あれど、丞の場合はひどくなれば吐き気、発汗から左腕全体の痺れへと移行する。そうなると演技どころではない。

「でもよく入国できましたね。入国制限とかはもうないんですかね」

「一応俺は日本国籍だからな。まあそれでなくてもあの検疫はザルだな。現に体温を測っただけで俺を隔離しなかったからな。あれじゃあウイルスもコカインも入れ放題だぞ」

アテンザが左折し国道四十一号線に入った。空中から無数の信号がぶら下がる大通りをまっすぐ進む。

「ホテルに寄ってくれないか」丞はアテンザの窓から首を出してもたれかかりながら言った。雨と風は気持ちいいが吐き気は収まらない。症状はまだまだこれからだ。

「……悪いけどそういうキワどいサービスはやってないんで」

「そういうことじゃない。気分が悪いから今すぐホテルで風呂に入りたいという意味だ」

「何だそういうことか。気を使いすぎましたかね。でも確認を取らないと。俺の一存では決められないんで」

「いいんだ。行ってくれ。金はちゃんと自分で払う」

「じゃあ責任もそっち持ちで」

「任せろ」

車が駅前通りに着いて入ったホテルは東横インで、チェックインすると丞は万場にウイスキーを買ってくるよう頼んでから、服も脱がずに風呂場に直行した。吐こうとしたが、胃液すら出てこない。ダメもとでバスタブに水をため始める。

「マリファナは手に入るのか? 何ならいくらか持っていくか?」

卵型のスキンヘッドに濃い口髭を生やしたクリスがにやけながらそう聞いてきたのは、丞がすでに帰国の手続きをとって退路を断ってから彼に報告した時だった。

「ありがたい話だが、捕まった時のことを考えるとリスクは取れない。ポール・マッカートニーみたいに成田で捕まるのは御免だからな」

日本では大麻取締法で逮捕されると社会的に抹殺されたに等しいとクリスに説明しても理解できなかっただろう。無造作に淡々とたまっていく桶の水を見ていると、感染対策もそっちのけで熱い抱擁を交わしてクリスと別れたのがつい一時間前のことであるかのように甦る。

クリスが自宅にマリファナをため込んでいるという噂は何年も前からスタント仲間内での鉄板ネタだった。昔、カースタントの仕事中に、それも撮影本番の運転中にスピードボールをやって大事故を起こし、ロールスロイスゴーストを大破させた奴がいて、それ以来クリスはコカインとヘロインの常習者に仕事を回さなくなったらしい。ただマリファナはお咎めなしで、それは元々クリス自身がマリファナの愛好者であったからというのが公然の事実である。それ以来、大作映画のスタントに参加して無事に仕事を終えたフリーのスタントマンたちをねぎらうパーティーに度々出てくる多量のマリファナを指さして、彼の家の地下にはマリファナのプールがあるという話がスタントマンたちの間に流れた。

「ファック!」

水の予想以上の冷たさに丞は体中の血管に氷を流し込んだかのような気分を味わった。もう一度毒づいてからたまらずバスタブを出る。部屋に戻って暖房をつけるとベルが鳴った。

「何で暖房なんかつけてるんですか?」

濡れた裸のままの丞から視線を頭一つほどずらして見るともなしに見ながら立ち往生している万場の手から袋をひったくると、丞はワイルド・ターキーを瓶からあおった。スコッチに慣れた舌にバーボンはシュガースティックを山ほど盛ったように甘く感じる。マリファナの代わりにはならないが、丞は徐々に吐き気が収まっていく気分を味わった。

「ナンシーはどうしてる?」

「ナンシー? ああ、レスターのことですか? そういえば最近見てないですけど、彼女がどうかしましたか?」

怪訝な顔をした万場の反応から話が噛み合わないことを察すると、丞は諦めてワイルド・ターキーとともにベッドで横になった。「何でもない。気にするな」

ナンシー・バーミンガムはレスター出身のインド系移民の三世だか四世だかで、気に入らないのかあまり自分の姓を名乗ることはなく、周囲の人は彼女の出身地のレスターが姓であると勘違いしていた。丞にとってナンシーは、端的に言ってファンシーではなく奇妙な女だった。パインウッドで初めて見かけたときから何を考えているのかよくわからないが行動には妙に一貫性があるという、捉えどころのなさを醸し出していた。多数の機材や木枠や重機がひしめく撮影準備中のスタジオ内を歩き回り手当たり次第に声をかけているコーヒーを水で薄めたような色肌の女を目で追っていた丞は、例外なく彼に近づいてきた彼女がこう聞いてきたことを覚えている。

「あなたもスタントマンね? この空間でスタントや演技をすることをどう感じてる?」

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2020年10月19日公開

© 2020 古戯都十全

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