ぼくもいろいろ書いてきたが、きみのようにとちゅうで書くのをなげ出したものはない。
そんなふうに志賀直哉が谷崎潤一郎をなじっていた。
谷崎はそれに苦笑でこたえたと記憶している。だがほんとうは、あなたとは書いている量がちがうのだと言い返したかったにちがいない。
うちの書斎の本棚には志賀の全集がある。二番目にあたらしいもので、全十五巻。そのうち、かれの書いた小説がおさめられているのは、はじめの五巻だけだ。あとは、『暗夜行路』の草稿だとか、随筆だとか、日記だとか……、八十八歳まで生きて文化勲章をさずかった作家の仕事量としては、あまりに貧弱である。
このように私は、さいきん、死んだ作家がのこした文章量ばかりを気にしている。さもしいことだと判ってはいるのだが、何年ものあいだ、言葉のまえでたちつくしつづけている自分になぐさみをあたえてやるには、そうするよりほかにしかたがないのであった。
「志賀直哉は、このわずか十頁ほどの小説を、じつに八ヵ月もの時間をかけて書いたのです」
と、学生たちに説明するとき、私の言葉には何らの含意もない。学生のひとりはその日の講義の感想文の中で、「これだけの名作を書くには、長期間に及ぶ徹底した推敲が必要なのですね」と書いてきたが、私が八ヵ月という期間におもいを馳せるとき、頭にうかぶ画と言えば、机にしがみついて原稿用紙に文字を書いては消しする作家のすがたではなく、机の上に広げた原稿用紙に埃がたまってゆくさまなのであった。とうぜん、そこに志賀のすがたはない。窓から夕陽が射して、ほんの冒頭部分しか書いていない原稿用紙が赤にそまっている。
そうすると、志賀はどこにいるのだろうか。
そのすがたを想像しようとすると、とたんに、志賀の顔はもやがかり、文豪の書斎は私の書斎に化け、したがって、そこには私がいる。私は、ペンをにぎっている。ただし赤ペンである。添削だ。私は、学生たちが書いた小説に赤を入れているのだ。私が大学の講義で出した課題である。指定した枚数は十枚。一週間という期間をもうけて課した枚数としてそれは妥当と言えるか。志賀が八ヵ月かかり、私がそれ以上かけても到達しえない十枚という高い壁を突破したわこうどは、十五人であった。私の講義を受講しているのは三十人ちょっとだから、約半数がクリアしたわけだ。
むろん、傑作などはない。
もとより傑作なんぞ期待しているはずもないのだが、十九歳とか二十歳だとかの男女が、うっかり傑作を書きあげてしまわなかったことに、まずは安心する。小説という分野において、わかくしてまかりまちがうことが、その人の人生をめちゃくちゃにしてしまうことは、ままあるからだ。
それで、添削である。
赤を入れると言っても、今まさに言葉とたわむれはじめたところのわこうどたちが書いたものに対し、内容うんぬんにまで踏み込むことはしない。私が徹底するのは、テニヲハの混乱の指摘である。
読点に関しては、作者それぞれの「呼吸」であるため、私の赤ペンはこれを侵さない。が、いずれやぶるにせよ、守りつづけるにせよ、文人が骨法としてこころえておくべき「文法意識」については、それでオマンマを頂戴している教師の義務として、学生たちにたたきこんでおかねばならぬ必須事項にぞくする。「話す」ということのみをそれまでの人生において「言葉」とのつきあいのほとんどすべてとしてきた人間たちにとり、助詞の正確さなんぞ考えたこともないのが九分どおりだろう。
ゆえに、彼らがここで出会う私からの赤ペンの指摘は、「書く」ということの洗礼にほかならない。
「ようこそ、地獄へ」
私がこの仕事を必ず自宅に持ち帰っておこなう理由は、このこっぱずかしい一言を、それぞれの原稿に向けてつぶやくためである。……
一週間後、講義のはじめに私は、赤にそまった原稿をそれぞれの「作者」に返却する。それをうけとっただれもが、ギョッとした顔をして、すぐに平静をよそおう。二つ折りにしてカバンにしまうものもいれば、熱心に原稿をのぞき込むものもいる。敗者の顔が、十五人ぶん、そこにある。だが、私だって勝者ではない。いつだって添削はどろじあいだ。
私は講義をすすめる。今日の講義では、チェーホフをあつかう。学生に、『かき』という作品を読ませる。牡蠣を知らない男の子が、金もちのきまぐれで牡蠣を食べさせてもらい、しかし、その食べ方が判らず、金もちにおおいに笑われる。先週の講義で志賀直哉にふれ、この一週間のうちに『小僧の神様』のひとつでも読んできた学生がいれば、その対比がおもしろいだろう、とおもっての選択だが、どんなもんか、講義中の学生たちの反応からは、うかがい知れない。
講義終了後、前回、志賀直哉の執筆期間について感心したうまの感想を書いてきた学生が、私のところにやってきた。闊達な感じのする、ショートヘアの女性である。青いジャージを着ているのは、単に好みなのか、あるいは何かスポーツでもたしなんでいるのか。
「先生」
「やあ」
「先生はわたしの小説を読まれましたか」
むなぐらをつかまれたと思った。添削の毒がかのじょの血をたぎらせたのはあきらかであった。
私は、もちろん読んだよ、と言った。で、
「面白かった」
と言いそうになって、やめた。
「どう思われましたか」
「しぜんな感じをうけた。これまで、よく本を読んできたのだろうと思う」
かのじょが提出した小説の題は、『むかし女がいた』と言った。これは、大庭みな子の短編集の題からの借用にちがいなかった。その内容は、物語性にあふれ、規定枚数でおさめるには、しぜん、その梗概を語るにとどめるほかなく、文章の味としては、淡泊なものにならざるをえないけしきであった。が、私が入れた赤は、とりわけすくない。
「何かコメントをいただけるものと、期待していました」
「それは、原稿に書き込むとか……」
「そうです。わたしのには、いくつか言葉の誤りを正す書きこみがあるだけで、良いとも悪いとも書かれていませんでした」
「今回、ぼくは誰の作品にも感想を書いてないんだよ」
と私は言った。かのじょの目を見ることはできなかった。
「なぜですか」
「なぜと言われると、困るな」
「今回たまたま良いものがなかったからコメントを書かれなかったのですか。良いものがあれば、そのときは、コメントを書かれるのですか」
そのとき私は、『むかし女がいた』の添削ののちの、
「ようこそ、地獄へ」
という自分のつぶやきを耳におもいだしていた。かのじょは今まさに、地獄の釜を焚く火の音をその耳に聞いていた。
「感想は、次の課題から書くつもりでいました。今後は、良いにせよ、悪いにせよ、何らかのリアクションはしていくつもりです」
むろん、このようなはぐらかしをかのじょはみとめない。
「初回にコメントをひかえられたことには理由があるんですか」
私は、苦笑した。
「すまない。そのことにふかい意味はないんだ。いま、きみが作品をわたしてくれれば、この場で感想を書き込ませてもらうけど、どうだろう」
激怒されるかと思ったが、かのじょの反応はきわめてすなおだった。
かのじょは、肩にかけたエナメルバッグから、A4サイズのコピー用紙をとりだし、私に手わたした。
「悪いけど、ちょっと、何か、書くものをくれるかな」
かのじょは、私に赤ペンをさし出した。
ようこそ、地獄へ。
そんな言葉が、たえず頭の中でリフレインしていた。かのじょの熱っぽい視線が飛んできた。
私は、
「テーマ的にもうすこし長い枚数で読んでみたい。ねちっこいくらいの描写が欲しい」
と書いた。背中にひどい汗をかいた。
かのじょは満足そうに講義室を出ていった。
窓から夕陽が射し込み、見えぬ埃をかぶった私がひとり、そこにとりのこされていた。
伊藤卍ノ輔 投稿者 | 2019-12-02 12:39
柚葉さんはうまい。隙がない。面白いです。
メタファーの使い方が直線的じゃないから物語に説得力がでて、そこらへん全部わかってやってらっしゃる感じなのですごい。
最後のシーンで、物語を冒頭に引き戻して締めるのではなく、敢えてメタファーとして連結させるに留めてるから余韻が残るのですね。いいことを学びました。
批評に対して虚を突かれてギョッとする感覚がありありと伝わってきて、そこらへんはさすが志賀直哉好きだなと感じました。
志賀直哉って文章能力の高さとかそれに伴う情景描写の綺麗さで語られがちで、実際それはめちゃくちゃあるのですが、実は心理描写が簡潔で過不足ないから身につまされるんですよね。流行感冒とかまさにそうだし、剃刀もそういう書き方であんなこと書くから凄みがでるわけで。
それに通じるものを感じた次第です。