愛を持つ場所

長崎 朝

小説

19,407文字

変わらない部屋、お決まりの散歩道、行きつけの店、一度も見たことのない夢、起こったはずのないできごと、ひどく恥知らずで白々しいおしゃべりの数々……。

親愛なるママ。パンをつくるための酵母菌がそこらじゅうにうようよ飛んでいて、テーブルの上のナマモノが片っ端からから発酵していっていたあのお家がなつかしいです。

ママがパンの生地を捏ねるとき、美味しくなるおまじないなんだって言って、いっつも口にしていたあのフレーズが耳について、今でもわたしは何か難しい問題に突き当たったとき、心の中でそれを唱える癖がついてしまったの。コントリ、コントラ、コントルラ……。そんな馬鹿な! それはおまじないでもなんでもなくて、ただそのときの気分でなんとなく舌の上で転がしていた無意識の一節に過ぎないのだとは知っている。インドネシアだかどこだかの島の、竹でできた風鈴の音色を思い出させるわ。それを東京に持ち込むとどうなるか。冬の真夜中、ベランダで、冷たい北風がそれを一晩中鳴らし続けるときに募る、あの苛立ちをご存知ですか? 聞くのをやめてしまいたくても、耳の中へ玉が転がるみたいにどんどん流れ込んでくるから、わたしは耳の中に坂道をつくってやろうと思って寝返りをうつのだけれど、お察しのとおりこんどは顔の反対側についている耳から転がり込んできて、やがて眠りの表皮が乾いて、ひび割れ、水源は枯渇していこうとしている、永遠に、果てしなく、わたしの中には死に絶えた砂漠が横たわり、この先ここを歩いて行かなきゃならないと思うと胃液が胃自身を溶かしてしまうようなひどく悪い気分。だからあれはベランダからもぎ取って捨てました。ずいぶん前のことだけど。

そうでなくてもぜんぜん眠れないわたしが、眠りの皮を、キャベツの葉っぱを一枚一枚むしっていくみたいに、一晩中かけてちょっとずつはがしていくと、最後には皮が全部はがれてあとには何も残らない。それが、朝。とてもフラットで驚きのない世界。

わたしはママのパンのことがとても好きだったし(たんに美味しいからってことじゃなくて、ママの味がしたからです、もちろん……たぶん)、酵母菌のこともとても好きでした。宇宙に見えないガスが充満しているのと同じみたいに、酵母菌も私たちの部屋の七十パーセントくらいにきっと見えない根っこを張りめぐらしていて、空気中のプラズマを濾し取って食べることで生きているんだと思うとしみじみしてしまう。酵母菌がプラズマを食べるたんびに小さな白い光が、蛍の下腹部が明滅するように空中に光って、わたしはその優しいネオンサインみたいな営みに見とれたものでした。

……そこではあらゆるものが、菌に触れることで普通よりちょっとはやく腐っていく。時間がすべり台を滑って加速していくみたいに。キッチンの棚の上のバナナだって、消費期限が前倒しになって、食べきらないうちに残りのぜんぶだめになってしまう。卒業の日に彼がわたしにくれたあの花。移し替えた花瓶の中で、日に日に鮮やかさを増し、贋物みたいに暗い光沢をおびて最後にはむせ返るほどの淫靡な匂いを部屋中に放ちながら分子を崩壊させていきました。

それから、わたしの古い下着……。箪笥の中は深さの知れない異空間になっていて、奥のほうでは色とりどりの腐りかけの古い下着たちがグロテスクな深海魚の干物みたいになっちゃって、記憶と記憶の狭い隙間で身動きもとれずに浮かばれなそうな様子でくたくたになっている。そうやって腐っていく。赤は弾けた果実から噴き出す血で染色された干物、干からびた愛の澱。後部丁字型。白は彼のお気に入りだった。純潔を意味するから? 違う。それが「まだ」純潔であるということを意味するから。白って未定の色よ、まだ何も書き込まれていない地図。だけどそれはあらゆる色によって汚される可能性のほんの少し前にあって、あなたには逆らう余地のない吸引力を放っている。まぶしい色ですね、白って。彼はわたしを不純の奈落へ墜落させたいし、わたしは喜んでそれに甘んずる。わたしはそれほど色白じゃないから白の下着は似合っているような気があんまりしなかったけど、褒めてくれるから他にも買って、ネイルだって一度だけ白をやってみたし、そうやって誰かのお気に入りになることは、お母さんカンガルーの安心ポケットにすっぽりはまり込むみたいで心地がいいもんだって分かった。後部丁字型も慣れると癖になるわ。

ママ、親愛なるママのこと忘れていました。ママ、わたしが今どこにいるかご存知? ママのお腹の中よ。とても近く。いろんな場所に行ったけど、けっきょくここがいちばん落ち着くみたい。産まれるのをやめようと思います。あんまり成長すると、ママのお腹が大きくなって大変な思いをさせてしまうでしょうから、わたしはそうね、もうちょっと発生初期の段階の、受精卵よりも何週間か過ぎてお魚か勾玉みたいな形のちっちゃなまんまでいたい。

あなたは聖女で、料理の先生で、パパとは別居中で、ときどきわたしのわがままを聞いて特別にからあげパンをつくってくれた。でも、もうそれを食べることもないでしょう。わたしは咀嚼せず、目も開かず、祈りもせず、ただ耳を澄ませている。ママの心臓を聴くために。ママの心臓は鍋で茹でられた毒クラゲの群れのように破裂と融解をくりかえし、わたしの心臓を痺れさせる不純物を血液の中に送り出す。コントリ、コントラ、コントルラ……。最高のコンサートホール。そうしましょう、わたしは産まれませんから、このままの時がずーっと続いていくように、ママも祈って。酵母菌によろしく。

 

 

 

こうして囚われの身である以上、もうわたしは歌ったり踊ったりすることができないのかもしれない。それがすべてだったというのに。わたしは幸福で、わたしは愛を持っているのだと宣言することのできる唯一の場所はわたしのもとに帰ってこないのでしょう。

わたしの閉じ込められているお部屋は、全体的には日本の平均的ワンルームマンションの一室という印象でまとめようとはしているけれど、完全な成功をおさめてはおらず、なぜならベッドがまるで病院にあるような白いパイプの骨組みで、もしかしたらここは病室なのではないかしらと思わせる。考えてみても仕方がないことは考えないようにしたいのに、わたしの内側にいる考える人、あなたは勝手におしゃべりをはじめるし、わたしはあなたとあなたの蛆虫みたいな雑談に脳みそを乗っ取られているような感じがして苦痛だ。あなたはわたしが子どものころ一緒に暮らしていた考える人で、わたしのもとから逃亡した思考性なるもので、喋る馬鹿で、永遠の自律神経失調症で、ロキソニン中毒の偏頭痛持ちの白い蛙みたいにぶよぶよの変態。わたしはあなたを捕まえようとしている。捕まえてその減らず口を高級天然蚕糸で縫い付けてやりたい。だけどじっさい捕らえられているのはわたしのほう。あたり一面、平均的ワンルームマンション的な冴えない空間。ぱっとしない蛍光灯空間。耐え難いパイプベッド生活。

きっと、これはきっとのことだからそれをふまえたお話ですけれど、わたしは誘拐されたか、殺されかけたかでこの場所にいるのだ。でも誰によって? 思考性かもしれない。彼かもしれない。ママってことはありえない。パパってことはありえないとは限らない。黒い夜を纏った影法師。夜から朝へ、朝から夜へ、昼は毎日をつらぬいて昼、串刺しの一週間、焦げ目がついて煙りを立ち昇らせる時・分・秒……ぱくっ。焼き鳥みたいな一週間。カーテンを開けて、閉める、言葉を鳩みたいに飛び立たせると、空をぐるぐる遊泳して日を浴びて、やがて風の匂いをつけた言葉たちは鳩舎に帰って整列。羽を糊付けしたみたいにたたんで目を開けたまま眠っている。わたしはいつも誰かの眠りを拝借して眠る。ママのお腹の中で習ったこと。

子どもの靴底から剥がれ落ちた砂が、子どものお尻より少し遅れてすべり台を降りてくる。そんな砂みたいにさらさらな午後。かすかな寝息と厳かな鼾が、錆びついたシーソーを軋ませて遊んでいる。海の向こうに灰緑色の島が見えるホテルでわたしは、彼の眠りを抱き枕にして眠ろうとしていた。半分開いた窓から潮風とともに、車の通りすぎる音や、波の押し寄せる音、高校生たちのはしゃぐ声が混じって、輪郭を失った抽象的な響きが流れ込んでいた。五月の晴れた日のことで、わたしたちは小高い山や平地の住宅街や砂浜を歩き回ったあげく、疲れてこのホテルに部屋をとったのだ。

曇ったエメラルドグリーン色の壁に、ふかふかのベッドがふたつ。窓際の椅子に座って海を見ている二人のシルエット。わたしの肌と彼の肌。潮と汗の入り混じった匂い。お話しするのを省略してしまうか迷わせる、無数の交接のうちの何度目かの事例。

彼は体全体を舌にして、わたしの体のあらゆる部分を這いまわる。わたしをひっくり返し、尾てい骨から首筋に至るまで、背中の窪みに唾液の水たまりができるほど何度も何度も行き来する。彼は通った道筋に、胡椒の粒みたいな火種を点々と置いていく。それが道しるべとなって彼は後戻りもできるし、わたしは彼の後を追いかけることができる。

「行かないで、待って、戻ってきて」わたしが彼の眼を見つめると、彼の眼でさえも舌になってわたしの眼を愛撫する。ゆっくり時間をかけて角膜を突き破ると、その奥のほうで膨らんでいる水晶体にやさしく舌先で触れ、「美味しい。瑞々しくてカーブしている」と囁くような声を漏らす。わたしの眼の中に彼の温かい唾液を垂らしてほしいと懇願し、彼がそれをわたしに与えてくれると、わたしは彼の舌を溺れさせてしまおうとして、眼の中にみずうみをつくって湖面に彼自身の姿を映し出し、彼が鏡の中の自分のゆがんだ顔や突き出した舌を見てわれを失うほど興奮しているあいだにわたしは彼を窒息させる。

彼は生き返ると、海に浮かんだヨットのマストが天空を突き刺すみたいにわたしに反撃し、わたしは泣きじゃくりながらその痛み自体に発情させられ、体の底の神殿みたいな場所であらゆる種類の体液が沸騰しはじめる。こんどは彼がわたしのよだれを強盗し、わたしの金庫を打ち破り、盗んで汚れた手や顔やマストや帆を、わたしの下着、ベッドの横でねじれて死んでいるわたしのオレンジ色の下着に擦りつけて恍惚に浸っている。

わたしはもはや自分の身体の中で迷子になってしまって、ただ、耳に入ってくる細い滝の落ちるような音を聞いているだけだ。わたしは耳になったのだ。変身してしまって彼にもわたしを見つけるのが困難になり、二人は一瞬途方に暮れそうになっている。太陽が十度傾く。二人の呼吸は荒く、肌一面に生えそろった産毛たちは熱風を浴びて残らず灼け枯れてしまった。わたしは悪戯っ子の精神を芽生えさせ、このまま逃げ隠れすることで彼を困らせてみたいと思い、ひっそりと静まり返った裏庭のような場所で身を潜めていると、体中の傷口から血と汗のしぶきを噴出させて彼はわたしを探し回り、その硬い腕で力強く樹木をなぎ倒していくのが感じられる。わたしは彼にあこがれ、その虜となる決意を示そうと、蛇みたいに泥んこの中でのたうち回ってみせる。

ようやくわたしを見つけた彼が、「ねえ、こんな砂場に隠れて遊んでいちゃだめじゃないか」と耳になったわたしの耳元で言うと、わたしは嬉しさのあまり、「ごめんなさい」と叫んで鼓膜を痙攣させ意識を失いそうになる……。

ふと気がつくと、時間は落ち着きを取り戻しており、重なったわたしたち二人の体に無数の赤や黒や紫の蝶がとまっているのが見え、遠くのほうでは、高い火の柱が音もなく立ち昇り、積乱雲の底をこんがり焼き焦がしている。

「蝶々がとまっているわ」とわたしが言うと、彼はわたしの眼を見ながら、省略されがちなあの言葉を蝶使いのようにふわっと泳がせて、わたしの唇の上にそっと着地させた。彼は汗びっしょりになって濡れ光っていた。

外が暗くなるまで彼は眠り続けた。わたしは少しうとうとしたけれど、何を考えるともなく、彼の腕の中にもぐりこんだまま、彼の息と体温、それから二人の体の心地よい疲労感に包まれてじっとしていた。

窓の外の暗闇では、海と砂浜さえも黒く溶けあって見分けがたく、向こうの島のあるあたりで灯台が、聾唖の預言者のようにいかにも思慮深げに、明暗を小皿に切り分けようとして眼を光らせていた。

 

 

 

あなたの御主人は変なことをしています。それもママの料理教室で。そのほかいろんな場所でも同じこと。それを報告するのは少しためらわれるけれど、わたしがそうしたいと思ったからそうします。

あなたの御主人は男です。当たり前ですけれど。四十歳くらいでハンサムです。客観的に見てそうだと思います。毎朝、電車に乗って三田にある仕事場に通っています。彼が好んで乗るのは、すし詰めでもなくすかすかでもない、だけどつねに微かに他人の体と接触していなければならないような、通勤電車としてはほどよい乗車率の急行で、いつでも後ろから二番目の車両を選ぶのです。そんなことをあなたはご存知ですか? それがなぜかも想像つかないでしょう。教えて差し上げます。その電車のその車両には、必ず、いつでも空いている席が一つだけあるのです。それ以外の席はすべて埋まり、立って乗車する人もたくさん、というより見たところ人が自尊心を保ちうるぎりぎりの密度で満遍なく混みあった車内の中で、なぜその一席だけ誰も座っていないのか、不思議だと思いませんか? そのくらいの混み具合であれば、人は少しでも空間を効率的に占有しようとして、後から乗車してくる人のためにも、空いている席には必ず誰かが座るものだし(率先しようと譲り合おうとにかかわらず)、また、そうするべきことです。しかしなぜその席には誰も座ろうとしないのか。こう言い換えてもいいのです。なぜ、その席には誰も「座れない」のか。

答えはこうです。それは、あなたの御主人のためだけに空けられている空間なのです。それはあなたの御主人の指定席です。むろん、その電車は指定席がある特急列車なのではありません。普通の、一般的な私鉄の急行電車です。重要なことに、あらゆる他の乗客たちが、その席はあなたの御主人のための席であると、暗黙の裡に了解している。そうでなければその席はとっくの昔に、着崩れた背広の加齢臭を漂わすサラリーマンの尻か、参考書を広げてテストの予習とやらに余念のない長いスカートのくしゃくしゃな女学生の尻によって占領されていたことでしょう。その席に尻をつけることを許されているのは世界でただ一人、あなたの御主人だけです。こうして、彼は毎朝、専用の空間を使って読書などをしながら、悠々と仕事場へ出勤できるのです。

信じがたいことに思われるかもしれませんが、それが事実なのです。あなたの御主人は何か特別な人間なのでしょうか。きっとそうかもしれませんね、あなたは何もご存じないでしょうけれど。だって、彼のためにこの世界に用意された場所がもうひとつあるのですから。それはママの料理教室のことです。正確に言えば、彼は料理教室の生徒ではありません。もともとは、広尾にあるママの料理教室をやっている建物の前を、たまたま通りがかった通行人の一人にすぎませんでした。

ママに頼まれて、ママのアシスタントみたいなことをしなければならなかったわたしは、その日、地下鉄の駅から出ると料理教室の場所を目指して急ぎ足で歩いていました。真昼間、秋の心地よい風が、わたしの髪を梳いて遊ぶ小さい子供の笑い声みたいに流れていきました。途中、交差点で信号待ちをしていると、偶然にもあなたの御主人が、通りの向こう側のコンビニから白い袋をぶら下げて出てくるところを見つけたのです。いつもならわたしはそんなことに気づかないのでしょうが、そのときばかりはわたしの視力は研ぎ澄まされていたようです。

彼はそのままわたしのちょうど向かい側に立ち、同じく信号を待っていました。数台の車が横切るなか、わたしはじっと彼のほうを見つめていました。目が合い、一瞬世界からすべての言葉が消失しました。

「きみじゃないか、何してるんだ、こんなところで」と、一般的な物語であればこのような台詞が出てきて白けさせるところでしょうが、さすがはあなたの御主人です、彼は交差点の向こうからわたしの目を見つめ返し、言葉を発することなく、しかしはっきりとこう言ったのです。

「あかいくつ」と。

わたしはそのとき、あなたの御主人が以前わたしにお話ししてくれた言葉を思い出しました。

「山下公園に座っている赤い靴をはいた女の子のブロンズ像の履いているのは銅色の靴」

それが何だとお思いかもしれませんね。しかしわたしにとっては、というよりわたしたちにとってはと言うべきでしょうが、「あかいくつ」という言葉はとりもなおさず「*****」に等しい言葉なのです。そして、横浜の女の子の像が意味するところは、観念上の「**」つまり赤を、実体を持ったものとして表現することの不可能性(普通の人たちは、赤いペンキを塗りたくればそれで成就すると信じていますが)のことなのです。こんなことを言っても、あなたにとってはちんぷんかんぷんかもしれないし、わたしもドラマチックな再会を強調するつもりもありません。

とにかくわたしとあなたの御主人である先生は、わたしが学校を卒業して以来、ですから一年と六か月ぶりに広尾の路上でばったり出会ったのでした。わたしはママの料理教室に急いでいるところでした。

教室に向かって一緒に坂を上っている途中、

「ぼくは包丁を使うのがうまいんだ」と先生あらためあなたの御主人は言いました。「でも迷惑だったらやっぱりやめておくんだけど」

「いいえ、見学者ならいつでも何人かいますから、邪魔にはなりません」

普通の男の人なら、「少し見ない間に、だいぶ女らしくて綺麗になったんじゃない」とかいうことを言ってやはり白けさせるところですが、あなたの御主人は道すがら、「ぼくは包丁使いの名人なんだ」とか、「この一年半、ぼくは戦争に行ってたんだ」とか、「きみのママはますますいい女になっているだろうな」とかいうことを言ってはじめから自分で白けている様子でした。わたしは、焼き魚を食べるのが上手な人と結婚したいとか、この近くの図書館のある公園でドーベルマンに追いかけられ、飛んできたラグビーボールを直撃すれすれでかわしながらダッシュしたことがある話などをしました。

しばらく通常の講習が行われた後、見学者の特別参戦で、あなたの御主人は宣言どおり見事な包丁さばきを見せました。じゃがいもや玉ねぎは刻まれることで、死者であることをやめ、生き生きと生命を吹き返しました。あなたの御主人の右手に握られているものは、もはや包丁には見えず、何かの観念が実体化したもの、「切る」という意思が次元をまたいで表出したライトセーバー(短刀の)のようで、それがわたしたち見ている者に、あの「**」や赤という色が観念として確かにそこに存在し、ときに実体を持ったものとして振る舞ったり、人を殺そうとしたり、生きていく希望を与えたり剝奪したりするのだということを、その「**」が混入し、掻き混ぜられ、煮えたった欲望のスープの味がどんなものであったかを思い起こさせたのです(その日のレシピは冷製スープでしたけど)。

「ではそろそろズボンをおろしていただきましょう」とあなたの御主人は言いました。「ビシソワーズを飲む前に、少し皆さんと遊戯をしたいと思うのです」

誰からともなく生徒たちはそれぞれおもむろに、ズボンやスカートのファスナーをおろし、男の人も女の人もお尻をむき出しにしました。はじめからそうするのが当然だといわんばかりの態度でためらいもなく。そしてそこには十個ほどの薔薇色や桃色や白桃色のお尻が透きとおった地球儀を展示したみたいに並びました。

まず、あなたの御主人は、その中でも特に若い奥さんのを選びました。まだ初々しいそのお尻を、左手の指先で感触を確かめるように軽く触ってから、右手に持った包丁の刃先をお尻の肉に突き立てるようにして少し押し込みます。何か、緊張して絞られた吐息が漏れました。こんどは、刃を寝かせ、触れる面積を確保してそれでお尻を撫でまわすのです。その、ひんやりとした金属の愛撫に、理性は少しずつ解きほぐされ散り散りになっていき、しまいには埃のような微小なカスでしかなくなってしまいます。あなたの御主人はそれをまた包丁でこすってそぎ落とします。すでに若い奥さんの吐息は、弛緩した、だらしのない獣じみたものに変わっており、彼は刃の平たい面で柔らかな肉の曲面をぺしっと叩いてそれを戒め、「もうちょっと我慢しなけりゃだめです」と言いました。若い奥さんはとても苦しそうでしたが、明らかに喜んでもいるようでした。

あなたの御主人はとても手際よく、この一連の儀式を残りの生徒たちに対して施しました。包丁はどこまでも冷たく、その鈍い光沢によって揺るがしがたい硬度を誇示していました。それは一種の権力でした。しかし生徒たちはそれに屈するのではなく、みずから差し出したお尻で戯れるかのごとく権力とすりすりしたのでした。

中には、感極まって罪の告白じみたことをはじめたおばさんもいましたが、終わってみれば、おおむね楽しくご機嫌なひとときと言ってよい雰囲気で教室は満たされ、鼻歌なんかも聞かれたほどでした。

この日を境にあなたの御主人という存在は、毎日の通勤電車で定位置を確約せしめているあの不可解な効力と同じものを、ママの料理教室においても発揮するようになりました。生徒たちはお尻の丸みや弾力を惜しげもなく提供し、彼は包丁を使ってそれを愛撫する。優しさと強さをもって、ひるむことなく「**」の困難に立ち向かう勇士のように、あなたの御主人は現実を変質させる力を持った超能力者なのです。あなたはご存知ないでしょうけれど。

これが、わたしがお話しておきたかったことです。あなたの御主人は変なことをしています。ママの料理教室で。そのほかいろんな場所で。

 

 

 

さいきん耳鳴りがひどくて、瀬内倫子がコーラを飲めば良くなると言っていたから自動販売機でコーラを買って飲んでみたのだけれど、ぜんぜん効果なし。それならはじめからジンジャーエールにすればよかったなと思いながら倫子にメッセージを送ったのが曙橋から市ヶ谷へ向かう途中の防衛省前を歩いているときで、げっぷ、彼女から返信が来たのがそれから二日後の今日、つまりさっきのことだ。

今日は無理、会えない。わたしが会いたかったのは二日前の午後三時過ぎくらいで、なぜそんなところを一人で歩いていたのか、というともっと曙橋よりずっと手前のほとんど新宿あたりの路地で途方に暮れてしまったからとにかく歩いてみようと思ったからだし、途方にくれたのは、伊勢丹の地下で買った菓子折りを持って「くらげ」のママにご挨拶に行こうとしていたのに「くらげ」はシャッターを降ろしていて当然ママも不在だった、というか不在かどうかすら不明だったから。

日曜日だけ夜間はなし、昼間の営業をしているっていう話だったから、混みあいそうな平日の夜間でなくあえてその日にしたのに肩透かしを食らってこれでは耳鳴りもひどくなるわけだった。食べかすしか残っていない幕の内弁当の容器みたいに街には夢の残滓感と腐敗臭が漂う。それは虚無よりもっとひどいものだ。プラスチックの破片で構成されたモザイク状の空。電柱の上で小動物の毛皮じみたものをくわえたカラスと目が合った。不愉快だった。糞を落とされないように変則的な八分の一拍子を刻んで危険地帯を通過したのち、わたしはウンザリしてきて逃げ出すように歩き出したのだ。

「くらげ」のママは、彼/彼女は頭脳明晰な人物で、見た目はどちらかというと体育会系あがりのような無骨な厚みのある体躯に短く刈った頭という、まあ要するにそのへんのおっさんという感じだし、はじめて会ったときは、そのオカマみたいな(オカマなのだけれど)コケットリーと、知性の奥行きをにおわすしゃべり方との整合性がどこから生まれてくるのか不思議だった。話によると、新宿で「くらげ」を経営するほか、彼/彼女の言葉を借りれば、悪趣味な写実主義的絵画を描いていて、何度か小さな個展もひらいているとのことだった。

あとで知ったことだが、「くらげ」のママはどうやら美術大学を出ていて、油彩画の道で食べていくことができればと思っていたけれど、そういったものを目指す人間一般によくある理由で挫折し、「よくある理由なんてものはじっさいは存在しないわけだけど」と前置きしてから、「これもよく言うところの伝手ってやつではじめたのよ。意気込みはゼロ。でもこの界隈には知り合いもいくらかいたから」ということだった。

「どんな絵を描いているんですか? できれば見てみたいです」わたしと瀬内倫子はカウンターで寄り添うようにして座っていた。倫子はバス・ペールエールを、わたしはアイスコーヒーに内緒でウイスキーをちょびっと垂らしてもらったものを飲んでいた。

「あたしの絵は陰惨なのよ。それどころか眼をそむけたくなるようなものばかりだわ。船の沈没、航空機の墜落事故の惨憺たる地獄絵図、列車の衝突、スペースシャトルの空中分解、トンネル内の玉突き事故……」

「死体も写っているの」と倫子が声を上げた。

「ええ、写って﹅﹅﹅いるわよ、ばっちりと」

「大きな交通事故が題材なんですか?」わたしはまだ「くらげ」のママのが描くのがそんな絵かしらと疑っていた。

「見たければこんど見せてあげるわよ。じかにね。検索しても出てこないでしょうから」ママの声は明朗で、深く、ゆとりがあった。それから、彼/彼女はべつの客の相手にまわってしまった。

店内には聞いたことあるような、だけどやっぱりないような、外国の音楽――砂浜から波が引いたあとに泡立つ無数の砂粒たちの息づかいのように静かな音楽――が流れていた。この手のバーによくあるような薄暗くてせせこましい感じじゃなくて、意外にも内装は白を基調にしており清潔で、どちらかというとカフェ、んーありがちなと言えば言えなくもないカフェで、パスタとかを出しそうな(もしかしたらじっさいに出していたのかもです)雰囲気の店だ。壁を見回してみたが、絵はひとつもかかっていなかった。ロベール・ドアノーの複製と、おそらくマヌエル・アルバレス・ブラボの、壁の前にいる女の人の写真。植田正治の砂丘。そのほか得体のしれない白黒の写真ばかり。一点だけ、何かローマ字で表記されたお店の前で路上に立っている一群の人たちを写したなんとなく水平にぶれているような写真。あれは安部公房だと思う。まさかね。

考えてみれば、自分もいつか巨大な事故にまき込まれて命を落とすかもしれないわけだ。もしくは、そういったものにまき込まれて死んでいた可能性がこれまでにもあったのだし、旅客機で墜落するなんて目に合わないまでも、そこらへんの歩道で突っ込んできた車にいつ跳ね飛ばされるかも、いつ跳ね飛ばされていたかも、わからない。生きているのなんて不思議だ。幸運にもわたしや瀬内倫子や、ママや彼は今のところ事故にも合わず、死んでもいない。でも「くらげ」のママは? なんだか一度死んで生き返ってきたような顔をしている。だからあんな絵を描くんじゃないかしら。だって、その瞬間を目撃しないかぎり、資料も出回らないだろうし隠蔽されもするであろうような悲惨事故の現場を、写実的に描ききるなんてできるわがけない。もし想像力だけで描いているのであれば、あの分厚い体のおっさんは天才なのかもしれない……。

 

 

 

二日前の午後、わたしは市ヶ谷に向かって歩いていた。とりとめもない断片的な記憶を前頭葉のあたりで遊ばせながらチベット料理屋さんの前に差しかかったとき、店頭に貼りだされたポスターが目に飛び込んできた。わたしは一瞬どきっとした。そこに写っているダライ・ラマ十四世の写真が眼鏡をかけた「くらげ」のママにそっくりだったのだ。やっぱりあの人はどこかこの世の人間じゃないようなところがあるんだと思った。

わたしはよほどぼんやりしていたのだろうか、進行方向に向き直った瞬間、手脚を前後に揺すぶって有酸素運動をしながら突進してきた男がわたしをよけきれず、お互いの肩がぶつかった。男はわたしを振り返り、すみませんといいながら走り去っていた。わたしの手は缶ジュースがこぼれてべとべとになった。

防衛省の建物のあるあたりから急に横風が強くなる。ガソリンの匂い。味気ない通りでわたしは途方に暮れつづける。ほんとうは声が聴きたかった。でも倫子は電話に出なかったから、急いでわたしは彼女にメッセージを送ったのだ。……今夜空いていますか? お話ししたいです。できれば会って顔を見ながら。

目の前に続いていく道はひたすら灰色で、わたし自身はしだいに透明になっていくようだった。だけどわたしの心臓だけはその頑強さを主張しようとするかのように、赤みを増し、音高く脈打っていた。わたしは赤い心臓のための透明な入れ物だった。心臓の生命力は鬱陶しかった。

通りに人が増え、駅が近づいてくる。道路と平行に延びている外濠は川のようだけど、水はよどんでいてどんな方向にも流れていない。その濠に沿って、まだようやくつぼみができはじめたくらいの桜の木が並んでいる。学校の制服を着た女の子たちが歩道を占領し、彼女たちの笑い声が桜の代わりに花を咲かせる。

濠の対岸にある駅に、長く連なった電車が音もなく滑り込んできた。まるで水の上を走ってきたように。わたしは橋の上から、その電車と、水面に映る電車の鏡像とを眺めていた。倫子に会いたい気持ちはまだあったはずだ。でもそのときはもはや誰のことも頭に浮かんでこなかった。耳鳴りも消えて、わたしには心臓の音がよく聞こえた。わたしは、わたしの心臓が連れて行こうとするところへ移動しつづけるだろう。それがどんな場所かはわからないけれど。

 

 

 

GoogleMapの表示切り替えボタンをクリックして、画面上に航空写真を読み込ませる。見知らぬ街の見知らぬ光景。世界をこうして見下ろすものとして存在するのはまず鳥たちだ。彼は鳥になったのだろうか? それとも神の視点に? あいも変わらず地べたに這いつくばり、ああでもないこうでもないと御託を並べてムカデのように迷走している彼が?

そんなはずはない。何よりもまず、彼は地上に墜落した天使であり、トランプのジョーカーであり、二次元と三次元の狭間で路頭に迷う気高き恒温動物、麻薬常習者のサディストで、逮捕歴もある。だが彼はいまはおとなしい。地図が織りなす世界に服役している。

地図は彼の手の内にあるが、同時に彼はその地図の内部に含まれてもいて、だけど地図は彼の手から逃れていき、彼は地図の世界から疎外されようとしている。地図は、暗号によって現実を閉じ込め隠そうとするわけではなく、むしろ現実を標識化し、あらゆる見通しをその記号どうしの連係プレーによって開示するのだが、その表面はつるつるとしていて彼は地図の上でスリップし、どこまででも滑りつづけていくような気がする。

自然と彼の関心は、何かを覆い隠そうとするような手だてだとか、まだ名付けられていない領域の聖性だとかに向かう。しかしすべての記号や言語とはそもそも、何かを表すとき、当のそのものをむき出しにするから機能するのではなく、何かを隠し、なかったことにすることによって別の何かを表現するという戦略をとっている以上、地図もまたそれと悟られぬように、可視化されない現実を本質的に含んでいるということになりはしないか。神はそのことを知っているだろうか。当然だ。神は地図を支配し、世界を睥睨することによって知るのではなく、神自身が地図であることによってそれを知っているのだから。だから神は航空写真の視点のように見下ろす者ではない。それに、航空写真は地図とはぜんぜん違って何も覆い隠さず、その撮影に軍事的選択など何らかの意図や条件がないという前提をとるならば、ありとあらゆるものをむき出しに提示している。ムカデやトカゲだって写っているかもしれない。それは、神の入り込む余地のない、情報の横溢、ビットの氾濫、メモリを食い尽くしCPUをげんなりさせる工学的産物である。

彼は、マップを通常の地図モードに切り替える。非光沢加工のコンピュータ画面が優しく差し出してくれる、平面のテーマパーク。目を喜ばせ、健気に働き、芸術的だ。女に似ている。平面の女を愛せたらどんなに素晴らしいだろう。彼をなによりも苛立たせるのは立体だった。地図は女に似ていたが、女の体もまた地図のようだった。都市があり、砂漠があり、海があった。でも彼はいつしか立体的な地図にはうんざりしてしまった。それはものすごく多くのことを彼に向かって示唆し、提供してくれたが、同時にものすごく多くのことを彼の世界から隠し、奪い去っていった。何にもまして立体物は猥雑だった。

彼には一人ならず今も昔も女との付き合いがあったけれど、平面の地図を愛するように彼女たちを愛することはできなかった。彼はこうして何時間でも地図のさざ波に浸っていた。あのときも同じように。

ノックの音が聞こえなかったわけではないと思う。ただ、それがノックの音というよりは、苔むした岩を打つ数滴の水の音のように聞こえていたのだ。彼は午前から幻覚剤を服用し、完全に常軌を逸した感覚を身につけていた。彼はハヤブサとなって地図の上をものすごい速度で飛翔し、ビル群の合間を必死に飛んで逃げるハトを追いかけまわしていた。相手を疲れさせるためにじわじわと追い込んでいく。建物にぶつかるすれすれのところを、戦闘機さながら、音を後ろに置いてけぼりにして突っ込んでいくとき、彼の網膜には放射状の数千の線形が突き刺ささってそのまま貫通する。とても静かだ。ときどきはハトの真横から追い越しさえするなどして撹乱し、相手がいったい自分は追いかけられているのだろうか、それとも飛行訓練を受けているのだろうかとぼんやりしはじめたところを狙って一度空高く上昇し、真下に米粒くらいの大きさの、白いリボンの結び目みたいなハトの影を見出すと、羽を折りたたみ、無音のうちにほとんど垂直に近い角度で急降下した。遅い。ハトの飛行はあまりに遅かった。やむを得ないことだが、哀れにもハヤブサの真上からの接近には気づくこともなく、ついには自分がなぜ飛んでいるのかさえ忘れて惰性の水平飛行をしている。彼は徐々に羽を開き、襲撃角度の微調整に入る。最終局面までのイメージがすでに現前している。加速しすぎると相手が通過する前に接点に到達してしまい、空振りに終わるだろう。簡単な微分関数さ。わずかに体を左に傾けつつ首をもたげ、こうして抵抗を取り入れて緊張をほぐすのも悪くない。最後の瞬間を待っているのは誰なんだろう。向こうか、こちらか、それとも?

交点は解ではなく、ひとつの問いのかたちで訪れた。地図の上には雲が立ちこめ視界が塞がれてしまった。口の中にはハトの羽の味がしていたが、彼はもはや鳥類ではなかった。追い詰められ、逃げ道を取り上げられてしまったのは彼のほうだった。扉が開いて、黒い服を着た男が入ってきた。

「私は〈統一地図〉管理局の者ですが」と男は言った。

でたらめだ。きっと何かの勧誘かセールスさ。詐欺師に決まっている。彼は薄暗い玄関で目を細めたが、男の顔をはっきり見ることができなった。いつの間にか外も日が沈んでいたのだ。男の声色は乾ききっていた。

「地図の無断使用と不正書き換え、および地図上への違法長期滞在の嫌疑がかかっています」

「脅迫にしては悪くない出来栄えだ。心当たりがあるからね。だが、冗談だとしたらあまり笑えないな」彼は言った。男は見えない顔で少し笑ったような気がした。

「同行を願えませんか? 痛がることはしたくない」まるでテレビドラマに出てくる警察官だ。たしかに彼は地図に浸った。それが平面であるという理由で、女を愛する以上に地図を愛した。そして、神が地図という形態にいわば滑り込んで厚さを失う構造を暴こうとしていた。でもそれが何だというのか。地図の不可侵性を崇める彼が、それを利用しこそすれ、実際上の書き換えを行うなどということはまず考えにくかった。やったとしても、空想上のことで、それも何か薬の力を借りてようやく試みる気になるくらいのものだ。

「目的を教えてもらえませんかね。命は惜しくないが、名誉は惜しいんだ」冗談のつもりだったが、なんの効力も発揮しないことはわかりきっていた。

「われわれはあなたと取引したいのです。刑法によれば、地図の書き換えには重大な処罰が課せられます。それを見逃す代わりに、大きな声じゃ言えませんが、あなたの能力を使って、失踪者を捜し出していただきたい。うまく解決できれば、お望みの名誉にもなると思いますがね」彼は後半のほうを低い囁き声でしゃべった。彼は腑に落ちぬまま、失踪者という言葉に好奇心をそそられ、身支度を整える時間をもらえるかと尋ねた。彼は湯を沸かして、髭を剃り、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。あんな得体のしれない男は外で待たせておけばいい。〈統一地図〉管理局なんておそらく実在しないのだろう。しまった、報酬を聞いておくべきだった。まさか失踪者を見つけて名誉だけってことはあるまい。それも、誰が知ることもない不名誉な名誉だ……。

彼はそんなことを考えながら戸締りをし、靴下を履き替え、コートを羽織った。家を出るとき、壁の時計にちらっと眼をやった。時計からは時間が消えていた。

 

 

 

彼の四角いお尻、瀬内倫子のひし形なお尻、親愛なるママの楕円のお尻、そのほか料理教室で調べたいろんなおじさんおばさんのお尻もあったけれど、わたしのいちばんのお気に入りは、金剛力士像のぷりっと横に振った風格あるお尻で、だいたいにおいてどんな金剛力士像も、それを威厳に満ちた腰つきによってこちら側の世界に突き出して、確固たる質量をもって空気の流れをつくっている。あちら側の世界では、お尻はあやふやな、像のブレた球体のようなものとしてしか存在しえず、包丁で触ることもできない。

同じように言葉というものも、そのときそこにいる特定の話者どうしのあいだで発声されるものとしてではなく、どこからともなく靄状の流動体のように浮かび上がってくるというようなことがあるとするならば……、いや、そんなはずはない、言葉はつねに、誰かが発するものでなければならない。だからわたしはしゃべりつづける。あの、喋る馬鹿にはかなわないかもしれないけれど。

――存在のまえぶれ……。

――あちら側の世界って。

――黒い影が支配する世界。

――きみはそこから逃げ出してきた。そしてこれからも逃げつづけなければならない。

ブーイング。一対の仁王像を見よ。阿形と吽形。口を開くものと口を閉ざすもの……。桃Aと桃B。酵母菌Aと酵母菌B。数1Aと数2B。狛犬ちゃんたち。対になっているものって好きです。フラミンゴAとフラミンゴBの首が向き合ってつくるハートの形。阿、吽。阿、吽。「いい」と「だめ」。

彼の課外授業は念入りに、まずは黒板を使って始まります。多くの場合、彼ははじめに簡単な点とか線、丸、四角といった図形を描きます。黒い影という悪い奴は幾何を操るのだと教わりました。言葉で誰かを捕まえたり、言葉で誰かを殺したりするよりも、幾何を使って捕まえたり殺したりするほうが手口も鮮やかで、ミステリアス、なおかつ効率的であるということです。ここで注意すべき点は、黒い影のいるあちら側の世界においては、幾何というものが、この黒板の上に表れている図形と同じような固着した概念やイメージを持たないということです。たとえば、四角というものは、黒い影にとっては三・五角から四・五角のあいだを揺れ動きつづけるブレの形態を持っていて、それが形態と呼べるかはさておき、これを黒板に描こうとすると難しくてサルモネラ菌の分子構造図みたいになってしまします。これを理解するというのはわたしにはとてもできません。

黒板を使った講義が終わると、対を成すものについての授業です。黒い影の操る変態的な幾何に対抗するためには、二つで一つになっている「対」というものが有効なんだって、彼は金剛力士のように恐ろしげな顔をして力説するのです。
「生物の対称性について研究したある学者はこう言っている。およそ考えうるすべての生命体が、何らかの対称性または何らかの中心点と呼べそうなものを持っているとするのなら、そして、対称性ということを大雑把に捉え、厳密な意味での非対称性をも含む形での対称性というものを考えるのであれば、この宇宙のあらゆる事象は対称性を本質的に有していると言うことができると。存在とはだから対称性のことである。われわれの宇宙そのものも、時間も、アメーバも、何もかもが見事に、完膚なきまでの対称性を示している。きみは対称性を回避している非対称な生物を想像できるのか? いや、そんなものは存在しえないのだ。なぜなら、あらゆる存在物はおろか、きみの想像力自体がそもそも対称にできあがっているのだから」

わたしにはちんぷんかんぷんな内容でしたが、彼がおそらく求めているであろう質問をせずにはいられませんでした。

「では、黒い影はどうなの?」

「どうなんでしょうか、先生。と今は言うべきだ。言葉遣いは大事だぞ」

「黒い影も対称性を持つのでしょうか、せんせい? あと、くらげは?」

「言うまでもなく、くらげは対称性を持つ生き物だ」彼の眼の奥で、何かが光ったような気がしました。「そして、黒い影、こいつも存在者である以上、対称性を免れるわけではない。だけどね、黒い影というのはちょっと特殊なやつなんだ。どちらかというと、結晶化もせず、化学式に分解することもできない気難しい石ころのようなものだ。何かそこには、非対称性への意思みたいなものが働いている気がする。それは、われわれの時間の中に突然現れた尿路結石のようなものだ」

「酵母菌やからあげに似ていますね、せんせい」とわたしは言いました。

彼はこのところわたしの言葉指導に熱を上げているようで、こういうときは敬語を使ってくれとか、こういうときは生意気な言葉を話せとか、こういうときはこんなふうにっていうのがうるさくて、ちょっとウンザリしてしまいます。広尾での再会を機に、わたしはたしかに彼にいろんなものを委ねてきたし、いろんな役割を押しつけてきた。彼はわたしの何なのでしょう。わたしは彼にほとんど溶け込んでいて、距離が近すぎ、ママのお腹に甘えるみたいに彼にも甘えているのに違いない。だから自然と言葉も距離感を失い、意味を失い、あぷあぷと声を発しているだけになってきて、それなのに彼は理解してくれた。月がまんまるなこと、知らぬ間にできていた太ももの青あざのこと、ムダ毛の脱毛に行こうか迷っていること。わたしが愛を持つべき場所を見失い(それがどんな場所だったのか、今ではもうまるでわからないのだけれど)、誰かの地図の中に迷い込んだ惨めな小鳩になってぺちゃんこの、シールみたいに誰にでも貼りついてはすぐにはがれるだけの平べったさで擦過傷を隠そうとする生き物だということ。

わたしはいい子にするときは丁寧で上品な言葉を使います。悪い子になるときは内緒ですが、少しだけお話しすると、いろんな汚い言葉を使います。たとえば「くそったれ」とか、「きんたま糞野郎」とか……。

「それで、今日は、きみがよく使う『いい』と『だめ』っていう言葉について考えなおしてみようじゃないか。黒い影のふざけた幾何学的謀略にからめとられないために、ぼくはきみと、またそのことを話し合う必要がある」と彼は言いました。「ところで、『いい』と『だめ』という言葉を、きみはどんなときに使うのかな?」

「『いい』というのは、何かがそのままで申し分ない感じだなっていうときに使います。『だめ』は、こんなことではもうどうにもならなくなりそうだなってときに使います、せんせい」とわたしは言いました。先生あらため彼は、急に感動に包まれたように眼を濡らし、わたしのことを抱きしめました。

「ときにそれは、違う言い方で、同じ一つのことを言い表しているということもあるのかな?」

「大まかには。でも、『いい』のときは、大波にさらわれて沖のほうまで流されていくようなスケールがあって、『だめ』のときは、カモメがつんつん海面に魚を求めて突っついているようなくすぐったさがあります。正確に使い分けてるわけじゃないけど」

先生あらため彼の眼は舌になり、わたしの唇に着火しました。火はしだいに大きくなり、風に運ばれてあちらこちらで弾け飛びつづけました。わたしの体は、一面焼け焦げたひとつの丘でした。虫たちや鳥たちはもうやってきません。黒い影だけが、迫りつつある長い冬のようにひそかにその気配を、わたしの上に覆いかぶせてくるようでした。

 

 

 

彼が目覚めているとき、わたしは眠っている。わたしが眠りから覚めるとき、彼は眠りはじめる。

片方は夜勤で、片方は日勤。片方は薬物中毒者で、片方は偶像。片方は失踪者で、片方は告発者。こうして成層圏から眺め降ろす世界は実に静かであるなあと思う。

はあ。とあなたはため息をするだろう。身に覚えのないレシートが財布のあいだから出現したときのような意外性と、ついで湧きおこる後悔の念。これからはじまる億劫そうな世界のために、自分はすでに高額な支払いを済ませてしまったのだ、ああ、やってられない、死んでしまいたい気分だ、かといってこの世の摂理道理には逆らいがたく、わたしはそのしもべですからやむをえない。生きよう。

……生きない。という選択肢……あなたは考える。尻餅をつく。重力の谷底に、ぬるぬるのお尻で借用証明の刻印をスタンプする。生きてしまっている。ベッドの上で、便器の上で、ストリートの上で、地図の上で。負債の壁に閉じ込められて。稀薄です、稀薄です、稀薄です。息が吸えない吐けない、混じり気もない、混じる毛もない、排水溝の蓋を開けるときにいる勇気がいまやちょっと求められているのかもしれない。そして、空気が稀薄なんです。物語が希薄です、意味が希薄です、今が希薄です、生きるが希薄です。

 

 

 

そういえば、親愛なるママ。あなたの娘であるわたしは、今夜もこの部屋で寝ようと思います。それは、あのお家と同じようにここにも酵母菌やらなにやら見えないものたちを培養することに決めたからなの。目に見えないものって大切なものだよ。たとえばそうね、この半分開けられた窓にぶらさがるベージュ色のカーテンをひるがえす風だとか、時間だとか。その風は、インドネシアだかどこだかのお土産にもなっている竹でできた風鈴を鳴らして、人を救いようのない苛立ちと絶望の淵に追いやるような音を立てたりもするけど、それはわたしにとってそうなのであってみんなはそれが心地よいのかもしれない。

とにかく、ここで眠る。そうすれば、一度眠りにつきさえすれば、わたしはふたたび産まれる前に戻ることができて、まだ産まれずに、きっといつまでも産まれずにいることができるような気がしてしまって、それは誤りかもしれないけれど、そう、とにかく、ここにいさせて。この、眠りの領地に。わたしがわたしになる前の居場所に。わたしが、ママのことをまだ知らない時間に。ママがわたしのことを、まだママ自身のことのように考えていたあのときに――これが「眠り」であるとさえ知ることのない、目覚める前の、わたしのものではない夢のほとりに。

2019年8月14日公開

© 2019 長崎 朝

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