トレツカヤ・バーニャ

応募作品

波野發作

小説

4,270文字

Турецкая баня。
人間は考えるだけ無駄な葦である。
苦悩の末に青年は決断する。
すべて想像で書きました。

破滅派合評令和元年5月応募作品
Photo on Visual hunt

交差点で財布を拾った。今すぐ交番に届けようと思ったが、交差点から交番までの間に問題があった。

仮に、交差点に交番があったとすれば私はすぐに巡査なり巡査長なりに拾得物として届け出た上で、指紋を両手分べったりと取られて、結構な時間を費やして調書を取られた上で、財布は手に残らず、半年後に受け取ることもなく忘れてしまうところだったのだが、ここに交番はなく、交番までの間に特殊浴場が立ち並んでいた。

誤解しないでいただきたいのだが、財布を拾ったからお風呂にでも行こうかと思ったのではない。

ボートでちょっと勝ったんで、いつものように亜細亜人との親睦を深めるのではなく、たまには日本人と楽しく過ごすんでもいいんじゃないかと思いたって、長々とバスと電車とバスを乗り継いで遥々地図上の空白地帯にまでやってきたわけである。ちなみに地図上に本当に空白があるのではなく、この街はよく知られた町名ではなく、別の町名で地図に載っているために、よく知らない若者はそもそもこの街を発見できないという逸話からそう言われているだけである。具体的に言うと千束四丁目を目指せば目的の桃源郷に辿り着ける。

だから、私の懐はそこそこ温かかったわけで、このような幸運に恵まれなくても、当初目的は果たされたわけであり、決して財布を拾ったからここに来たわけではないのである。

日本にもカーストはある。所持金により、社会は輪切りに分断されている。それは街の構造には現れていないが、あらゆるものが有料である以上、人々は見えないカーストの中で、仕分けされ、仕切られ、相互の交流は赦されていない。アンド違う階層の者と関わったところで不幸しか生まないのであるからして、カーストはそれ自体は正義である。そして私の尺度では、私はが属するのは大衆店というカテゴリーであり、そこが落ち着く。激安店は確かに安いんだが満足度が伴わないため、だったらアジアンエステでいいじゃんとなるため、価格とサービスの質のバランスからして、やはり大衆店がいいのである。ということで今日は大衆店に向かってやってきたのだが、目的地まであとほんの数十メートルというところで、思わぬアクシデントに遭遇した。

バリバリと開封音を鳴らしてナイロン製の財布の中身を確認する。ポイントカードがいくつか。ここからすぐの店のカードもある。

免許証はない。最近の若者は免許証を持たないというが、最近の若者でもない私も持たないため、最近の若者に限った話ではないのだが、若者ではない免許証所持者が、若者と自分の差分を見たときに免許証の有無しか言及できないだけあり、若者だって免許証を持っているやつはいる。私の職場にもいる。所持しているのを見たことはないが、バンの運転を担当しているから持っているのだろう。ひとまずこの財布には免許証はない。さらにいうとクレジットカードやキャッシュカードもない。最近知ったのだが、クレジットカードとキャッシュカードは違うものらしい。クレジットカードは借金をするためのカードであり、中に貯金したりはできない。キャッシュカードというのは貯金したり下ろしたりするカードであり、中に金を貯め込むことができる。私もゆうちょカードを給与振込口座としてもっているが、だいたい空にしてある。NHKとか勝手に落ちるからだ。あれはよくない。エロビデオしか見ないのにNHK代金払えとか法律でとか言われても、払えばNHKでエロビデオ流してくれるなら喜んで払うが、実際流れてないし、誰得なんだ。だから落ちないように給料日にはすぐ全額引き出す。そして次の休みにはボートに行くんだが、なまじ現金を持っているせいで、無駄に張ってしまい、だいたい困るがそれは仕方がない。当たればデカいんだからプラマイではちょっとプラスだと思っている。

それで、この財布には現金が入っていたのだが、現金のいいところは名前が書かれていないところだ。所有者は今現在それを手にしている者である。ATMの中にあるときは、銀行の所有物だが、引き出せば私のものになるし、ボートの窓口で舟券を買えば、窓口のお姉さんのものになる。金とはうつろいあるくものなのだ。だから今この金は私のものだ。交番に届ければ警察のものになり、落とし主が現れれば落とし主のものに戻る。それまでの短い期間だが、この金は一時的に私のものになっているわけなのだ。

現時点でのわたしの所持金を総動員すると、いわゆる高級店の高い敷居をまたげる。あの、高い敷居を軽々と、またいで内部に侵入し、見たことはないが高級そうなソファーでくつろいで店のタバコをもらって優雅にくゆらせながら、女の支度を待つことができる。いや、女を選ぶことだってできるではないか。

普段はほんのわずかな割引のために、指名を避け、フリーで入る。大衆店ならフリーだろうが指名だろうが大差ないから、安いほうがいいのだ。しかし高級店は違うはずだ。細かな趣味や好みを伝えると、上品な支配人が、潤沢な在籍嬢から私の趣味趣向にベストマッチする人材を呼び出してくれるのである。実際はそんなに何十人も控えているわけではないが、どの姫もレベルが高いため、誰でも私の好みの要素をすべて内包して凌駕しているものと思われる。ホームページを見る限りはそうだ。高級店は写真の修正などをあまりやっていないように思う。低級店の在籍リストの写真はどれも大変な修正がされていて、素顔が全く想像できない。そして指名したところで、本人かどうかすらわからないのだから、あまり意味がない。その点高級店であれば、写真など修正しなくても上玉揃いであるわけで、そんなところに無駄なコストはかけていないはずだ。だから、私は今日、高級店に行こうと思う。金は足りる。

幸い大衆店を予約していなかったため(フリーだから予約いらない)、そのまま素通りして、その先の高級店に向かうことができた。大衆店の前で黒服が立っていたが、今は客引きの取締が厳しい。まだ日のあるうちはあまり大ぴらに動いてこない。眼の前を通り過ぎるところで、小声で「今日はどちらへ」などと話しかけてくるのが関の山だ。「うん、今日はあっちかな」と軽くいなして先へ進む。彼らは客の懐事情など知らないから、とりあえず声をかける。身なりの良し悪しは見ていると思うが、服に金をかけないから貧乏とは限らないし、いい服着れてば金持ちとも限らないのがこの街の姿だ。私のように臨時収入に恵まれた貧乏人もいるし、貧乏人ほど手元に金を残さない。私も当然残す気はない。今を生きるためには、今金を使うべきなのである。

高級店としてよく知られた看板が見えた。姫殿下。ひめでんか。ひときわ輝くネオンサインが目に突き刺さる。昼間でこれでは夜はどれほどなのか。

店の前に近づく。自らは足を止められない。止めたら負けだ。入浴料3万円の表示が見える。総額がいくらか瞬時に予測を立てる。入会金などが別立てだった場合、店内で恥をかく可能性が高い。リスキーだ。黒服に聞けば正直に答えてくれるのだが、安く見られるのは得策ではない。番手の低い嬢をあてがわれてしまう。できるだけ上客を装うのが、成功の秘訣であると先輩に聞いた。ようやく実行できるチャンスだ。これを見逃す手はないのだ。そして一度入ってしまったソープから出てくることは難しい。財布に入っている今月の生活費からなにから全部吐き出して、その上でいろいろ吐き出すことになる。素寒貧でひと月暮らすのは辛い。もう少し安全圏を狙うべきではないか。

幸い姫殿下の黒服は何も声を発しなかった。今は空いている嬢がいないのだろう。仕方がない。

隣の店は大衆店だ。オキニがいるが、今日は出勤してないことを私は知っている。スマホは便利だ。

その先に、本命の高級店がある。事前情報では先程の店より若干リーズナブルである。その差は大きい。入浴料二万五千円。つまり推定総額七万五千円となる。それなら他の別途料金があっても対応可能だ。黒服と目があう。

「今日はどちらへ?」

さあ来たぞ。

「とくに決めてないんですけど、たまにはと思って」

たまには高級店にという意味だ。たまにはソープにではない。そこは伝わっているはずだ。

「そうですか、すぐ入れますよ」

すぐに入れる、というのは実は大きな要素である。先客がいる場合、待合室で待たねばならない。その間他の客と鉢合わせになるととても気まずい。できれば避けたい。入店して入浴料を支払い、女の子を決めて、すぐに入室したいのである。ゆえに、そのセリフは私の決断を後押しした。

「じゃあ」

私は黒服に促されるまま光り輝く店内に入った。

 

カウンターでは別の黒服がすっと写真を並べてきた。大衆店ではこの中から選ぶと指名料が発生する。指名料は姫にも分け与えられるわけなので、喜ばれるが、一見で払っても仕方がない。たいていは「フリーで」と言って、とくに指名はせず黒服に任せるようにしている。

「とくに指名料はありませんので」

おお、高級店は一見さんに優しいのか。

「じゃあ〈恋川〉さんで」

「かしこまりました。そちらのお部屋でお待ち下さい」

促されてソファーに沈み込む。とんでもない美人だ。心が弾む。

恋川さんはすぐに下りてきて、にこっと微笑んでくれた。手を差し出されたので、軽く握る。そのまま部屋まで案内された。部屋に入るとサービス料を支払うのだが、入浴料の倍額が相場である。そしてこれはソープ嬢と私の個人的な恋愛感情の果ての好意で渡す贈与の金である。

「五万円ですか?」

「ううん、四万五千円なの」

鈴が鳴るような声とはこういう声だろうか。そして、なんと良心的なのだろう。ますます惚れてしまうではないか。高級店カテゴリで総額七万円はリーズナブルだ。これなら財布を拾わなくても十分足りたじゃないか。

 

「予約入ってたんだけど、キャンセル出ちゃってね。空いちゃうかと思ったけどお客さん来てくれたからラッキー」

「ぼくも今日はラッキー続きなんですよ」

「よかったね! 何があったの?」

「ボートで勝った」

「すごーい。ほかには?」

「財布拾ったんですよ」

「マジで? すごいね!」

「財布にこの店のカード入ったんだけどさ、持ち主わかるんじゃない?」

「え、どれ? あ、ホントだね。たぶんキャンセルのお客さんだと思う。お客さんいい人だね!」

「そうかな」

なんて感じでサービスが向上するといいなと思ったが、たぶんそんなことはないので、拾った金で延長した。財布は遠くで捨てた。

 

EOF

 

 

2019年5月13日公開

© 2019 波野發作

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