濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

55,997文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

「魔女に魂を売り渡した代償に、私は客観性を手に入れた。」

 

盛者必衰の理、時の移ろいとは非情なものだ。

春から夏へ、夏から秋へ。

私はなんにも意識してないのに、時は自分勝手に進んでゆく。

ついこの間までの日常も、気づいた頃には過去の話になっていて、瞳のスクリーンに映し出されるのは、独り帰路につく、背丈の高い私の影だけだ。

駅前から自宅まで、たった独りのローファーが、サクサクサク、と時を刻む。

この無意識なローファーが、季節に任せて時を刻むとき、同じように自分勝手に流れる時間と、少しだけ誤差が生まれる。

そしてその時間の隙間には、かつての友情――それは過去の日常――が、ゆっくりゆっくり侵入してきて、私の時空はいっぱいになる。

 

この時空がいつかはちきれて、世界を包み込むとき、

今日までと同じように、時は移ろい、進むのだろうか。

そして亀裂の入った友情は、今度はどこで誰の時空に入り込むのだろう。

 

とても主体的な私の元に、また魔女が現れる。

私は疲れてしまって、いとも簡単に魂を売り渡した。

魔女は微笑むと、サクサクサクと歩き去った。

そして私も、少し笑った。

 

Sep.26

 

ふん、アホかえ。

なんにが時の移ろいですかい。駅前のドムドムが潰れただけやっちゅうの。盛者必衰もなにも、三ヶ月前から張り紙してあったっちゅうの。ちゅうかドムドム潰れたくらいで友情にヒビなんか入んないっちゅうの。ミスドでもサンマルクでも、駅前にはあるっちゅうの。

オーバーなんよねー、この子。誇大的っていうか。たぶん本来見えてる世界の数倍、頭の中で処理する世界がダイナミックなん。現実ってもっとコンパクトすよ。こんな無限を想定してハラハラするくらいやったら、8インチの画面とにらめっこして、今すぐにでもあたしらに連絡入れるほうが先決。目下緊急。

あたしはスマホの画面にハアアっと息をやって、Tシャツのへりでゴシゴシゴシとこする。中島誠之助みたいに中空で絶妙にスマホを傾けて、部屋の明かりを真っ黒いディスプレイに反射させる。いい仕事、してんのかね、これ。小さな画面で時間と距離を飛び越える魔法のアイテム。いかにも熱血系が嫌いそうな要素がたくさん詰まっとる。幸い近くに熱血系はおらんのですが。仮におったとて、あたしに熱血を振りまくことはないでしょう。こう言っちゃあなんですが、あたし使いこなせてません、スマートフォン。ゲームもせえへん、ニュースも見いひん、そんなに電話もせえへんし。ラインくらい。それも来たんに返事するくらい。

ほんなら持つ必要ないやん、ってそれはあんた、わかってないよ。まったく使ってないわけちゃうのよ。ちょっとでも使う場合、スマホは必要なのよ。なのでこいつの存在に異議を唱えたり、無駄やとか言って弾劾するつもりはございませぬ。嫌なのはスマホって呼び方くらい。ホ、で思っきし空気が抜ける感じがヤ。スマ、ホ。スマ、ホ。うん、ヤやね。それやったらゆるっぽくスマフォンか、キリッと電話要素を省いて、スマート、って呼びたい。フレッシュ、みたいな感じで。いずれにしてもちょっとレトロっすかね。現代感覚ではやっぱスマホですか。あ、厳密にはフォやから、ホにすんのはおかしいんちゃうん! っていうくだりは、出たての頃に何度も自問自答して解決したから、今さら掘り起こさんでくださいね。別にオッケーってことになったんで。

と、片側のカーテンを閉め忘れていた窓に目をやる。あたしの姿が映る。

このディスプレイまで中島誠之助的に傾けられたら、たまったもんちゃうすわ。だってあたしは、時間も距離も飛び越えへん。何年経っても、骨董品にはなれへん。

窓辺に寄って、カーテンを閉めるのか、と見せかけて窓を開ける。十階建てマンションの九階から、窓外の街並を望む。ほんまは街並というか、町並やけど。

住宅と畑と小学校と池。正直あたしがこういうのんを認識できるのは、ずっとここに住んでるからでしょうな。なんせ暗い。ほいで、ちょっと遠くに駅。このあたりは明るい。隣接するグルメシティの光と、幹線道路の電灯とで、中間の駅がやたら澄んで見える。私鉄一本こっきりで決してでかい駅じゃない。JRでもないし、南海でもない。でもあたしらにとっては重要な重要なー、あー、足。足かな。足でええかな。なんせ堺市中区にある唯一の駅すから。これが順調にやってくれんと、なんばにも天王寺にも行けんしね。あんま行かんけど梅田にも行かれへん。ちゅうかなんばにも天王寺にも、そうそう行かんけど。とりあえずどこにも行かれんわけです。もうこの歳であんま親の運転でどっか行くーみたいなんもなくなったから、あたしらにはこのコレしか手段がない。あんま好きちゃうけどな。朝だけめっちゃ混むし。

しっかし大きくなって足が速くなったんだか、遅くなったんだかねえ。やっていいこととか、やればできることとかは増えたはずやけど、中途よね、正味。電車で遠くには行けるけど、クルマに乗るんはNGで、バイクの免許は取っていいけど、学校的にはやっぱあかんくて。中途なんよ。せやからさっさともっとでかくなってだな、あたしは突っ走りたいのだよ、ジェンキンス。ジェンキンスが誰かは謎いけど。ただこういう事実って、って事実はジェンキンスのことじゃなくて、大きくなって速いかアレかのそれね。こういう事実って、時の移ろいってか、正味、成長のディスクールで語られるっていうか、客体的にそうってよりも、主体的にそうって議論よね。だってなんやかんや理由つけてるのも結局自分で、言うたらもうあたらしら結婚できる年齢ですもん。まわりにはまだおらんけど、その内、早けりゃ明日にでも結婚する子とかも現れる、あるいは現れる可能性があるってことやないすか。そういう年齢に達したってのは客体的だけど、あくまで成長したってのは主体的な事実で、結婚を決断するのだって、結局は自分なわけすから。ん、れれ、なんの話だっけ。まあなんにしろ、いちいち時の移ろいとか引き合いに出さんでも、人生はいつだって主体的。いつだって自分のもの。オーイェスってことす。秋の夜はしこうして、あたしの心を静かなほう静かなほうへと、いざなうの。いざなっちゃうの。

窓をゆっくり閉めて、カーテンをシャっとやる。

でも実際、ドムドムはお店の形だけ残して、廃墟になっていた。すぐに工事とか始まるのかなーって思ってたけど、電気が消えて椅子がなくなってたくらいで、テーブルとか光ってるあのなんていうの、こんなバーガーありまっせ、どうでっか的な、パネル? みたいなのは残ったまま。どうにかすりゃあ、今からだっていつもみたいにお喋りできそう。だァれもおらんだけで、椅子とか店員さんとか、そういう必要最低限のものが揃ったら、きっとまたドムドムに戻るんだと思う。

ただじゃあ明日、部活終わった後、無料で開放してやるから、好きに使っていいよ、って言われたとしても、いらんわ、って即答やよなァ。それは、アイスコーヒーが売ってないからとか、ポテトが置いてないからとか、そういう言説の問題ではなくて、もうここはドムドムではないっていう、なんていうか、行く意義っていうとまたちょっと違くて、なんつうかなァ、それじゃああたしがめちゃめちゃドムドム好き好き人間みたいになっちゃう。言うなれば、家にお母さんとか妹がいなかったら、それは家じゃないっていうのんとおんなじ。とはいえこれも店員さんがいないなんていう、特定の個人に依拠した問題なんじゃなくて、もうドムドムがドムドムじゃなくなったんだから、わざわざ元ドムドムがあった場所に入る義理なんてない、っていう、なんてかな、任侠! ちゃうのはわかってるけど、任侠! 任侠の問題です!

ドムドムが潰れる前日は、次はどこを根城にすっかー、なんて温泉気分で話してたあたしらだけど、そういやあれ以来、部活の後三人でお喋りとかしてない。となると、友情にヒビってのも、あながち大袈裟じゃない? いやでもドムドムがあったころだって、別に毎日毎日集まってたわけじゃないし、バレー部今週末練習試合とか言ってたから、奈津の予定が合わないだけでしょ。あそことの練習試合はクラシコばりに盛り上がるかんね。因縁深いわけで。

ってことで、この美雪のウェブ日記だって、あんま気にしない。気にしたとてしゃーないし。だって美雪、あたしがこの日記読んどること知らんしさ。知られちゃったら、それこそ友情にヒビなんちゃうかな。えらい書いとるもん。いろいろ。内心に抑えといたほうが健全なことまで。言いたくなる衝動はわからんでもないけど、でも少なくとも、美雪はこの日記、あたしに読ませようと思って書いとるわけちゃうし。ほんなら黙っといてあげるのが仁義ってやつちゃうすかね。あたしはあたしで、この子のこと結構好きなんです。大人しくて、優しくて、そこそこ美人。まあこんなん言うあたし、何様やねんって感じやけど。怒られたりして。マジ顔で。とにかーく、細かいことは気にしませんよ。女の子の細かい感情の動きなんて、わざわざいちいち気にしない。

気にする気にしないでいうと、気になることがある、つーか、アホみたいにうっとい案件がある。あまりのうっとさに忘れようと努力入れるくらい。努力入れて解決するもんでもないすけど。ちゅうか考えないようにしようって努力してる時点で、大いに気にしとるっていうことの裏返しすからね。

政経の教科書を鞄から取り出して、真ん中らへんのページを開くと、やっぱり挟まってる。そりゃそうっすよね。自分で挟んだんだから、ありますよね。それもやっぱ政経の教科書に、すよね。美雪のいう隙間とやらに挟まってるわけないすよね。

手紙を開くも、内容に変化なし。そりゃあそうや。書かれてる内容が変わってる方が、異常すわ。ふかーくため息。ふかーくふかーくため息。

それは今日の五限前。昼休みの終わりを告げる予鈴がいみじくも定刻に鳴ったところであたしは、あー、超しっこ行きてえわ、なんで三分前に行っとかんかねえ、原田の屯田兵体操なんか、別に今日の昼休みじゃなくても見れるし、ってか見なくていいし、いや毎度マイナーチェンジしてるから、実は今日の屯田兵体操は今日じゃなきゃ見れんけど、そうだとしてもやっぱり見んでええし。いや、毎度笑うけどや。でも笑うからなんえ。ここでの問題は、あたし屯田兵体操以外でも、いくらでも笑ってるから、わざわざ原田の屯田兵体操で笑う必要がない、――いやいや、そういう屁理屈チックなあれじゃなくて、単純にこっから五十分、プラス本鈴までの四分、しっこ我慢できるかどうかって、そこ。奈津とかなら授業中でも、先生トイレー、とか綽々言えるんやろうけど、ほて、あたしって案外女子っしょ? それ無理無理。いろいろ想像されても困るし無理無理、って思ってたところ。

やっぱ行こっかな、でも遅れたらだるいしな、でも五十分プラス本鈴までの三分、もぞもぞし続けるのももっとだるいし、でもこれで授業遅れて、トイレ行ってました、とか言ったら、結局授業中に手ェ挙げて、先生トイレー、っていうのとあんま変わりないもんね。ん? あるか。あるわ、変わりあるわ、冷静になったら。ちゅうか、この場合どっちの罪が重いん。その、授業中トイレ行くパターンと、今行って遅れるパターンと。誰に判断してもらう? 簡易裁判所? や、法律で決まってることちゃうし、そんなん訊かれても裁判所かて困る。困るってか、これ人の裁量によるもんだから、司法に委ねる云々ではなく、判事の倫理観に全任するのは極めて危険、ってもう政経始まるわアホ。なにをしょーもないことで。アホが考えとる暇あんねやったら、サッと行ってササッと帰ってこい。ギリ間に合ったやろアホ。と、耳を真っ赤に染めていたあたしの横に、さらに耳の赤い奴が突っ立ってて、そいつは絶対そういう感じの照れ方で、丁寧に折った紙っきれを渡してきた。は? と思いながら、ううん、この場合の正確な描写は、は? って顔をしたあたしは、しかしどうしてか、その明らかなラブレターを右手で受け取る。受け取ってなお、は? が止まらないあたしは、この決定的なシーンに、誰も注目していない事実、あるいはもしかしたら、この耳の赤い男がここに存在すること自体、誰も気づいていないんじゃないか、という、ある種の非現実性と、これほんにもって絶妙なタイミングで廊下を駆けていく隣のクラスのあんま知らん女子ふたりの横顔、あるいはその足音、風圧になびく少々長い目のスカート、なんかが、たった今感じた、性の字をもってしか表すことのできない単語、言ってしまえばあたしの勝手なシュールに委任した感覚、なんかを一緒くたにかき混ぜて、世界、もっともっと鮮烈な言い方をするところの、現実、に寄り添って、あたしは半開きの唇を閉ざすことさえできないでいる。その内、これがなんぼの時間を経てなのかは、これまったく以ってわからんけど、赤耳症の男はさわやかな表情で会釈すると、たぶんあれは小声で、お願いします、みたいなことを言ったんでしょうな、そのまんま廊下に消えてった。

は? え? ん? であたしは咄嗟に手紙を教科書の適当なページに挟む。バレたくないって、なんでなんか、そう思ったん。せっかくみんな気づいてないし、って。で、ほんまにみんな気づいとらんのってキョロキョロするんだけど、マジで誰も気づいとらんくて、うっそん。なんぼあたしの席が出入口の傍だからってうそん、って呼吸そっちのけになるんだけど、でもやっぱり誰もなんも反応なし。反応なしもなにも、誰もこっちを見ていない。信号無視を見逃す警官。これは実体験から思い出したことだけど、あのマヌケさを笑ったん、あれ中二の時よね。ダサダサポリスメン。ただし、ネイティブはポリースと発音する。ポリーーーーーーーーーーっす、と、ここで超冷静になる。冷静、とはかなり冷静な言い方、あるいは言い様であり、実際は単に冷えただけ。目撃者はおらんけども、おそらくは濡れ鼠のごとく、ブルブルブルブル震えていたはずである。

しかしここは女たるあたし。リアルマジ、ハイパー何食わぬ感じで本鈴を待つ。不用意な動作で間を埋めたりしない。エキストラがエキストラとして自然であるように、あたしはあたしとして自然に振る舞う。しかしでも、あたしは女の前の女の子だったんす。その典型的なメロディまでの間、あいつ西辻だよな、一個下の。サッカー部の西辻だよな、とあたしだけの事実を何度も何度も反芻しては反芻し、そして反芻する。西辻か? 本当に西辻か? 西辻すよね。だって西辻の顔やったし! で、あいつが西辻その人だと、点検完了、右よし左よし、おりゃ進めイ! パーパラッパッパー、とあたしなりに全力の確証が取れたところで、ほんと自分でもびっくりするくらいドキドキしてきて、そしてそれに思いっきり反比例するんだけど、チャイムが鳴ってからは、見事なくらい真面目に、たぶんほんに生まれてこのかたはじめて真面目に、政経の授業を聞いた。十五分くらい。そのあとはマジでしっこ我慢できんようになって、手ェ挙げてトイレ行った。

行った後は? 手紙読んだ? 返事返した? なんて言う? オッケー? ごめんなさい? 一週間待って? 西辻ってどいつ? どの西辻? 妹がいたらあれこれ聞かれそうだけど、いないからまあいい。まあいいけど、かいつまんで説明する一応。

手紙を読んだのは家に帰ってから。授業、部活、放課後と一連の平日ルーティンのあたし、マジで沢口靖子やった。女優度が高いのなんの。だってほんまにいつも通りやったもん。挙動不審ゼロパーで、いつもとなんら変わらん。よく笑う人をやる。部活中に藤原が原田の屯田兵体操を丸パクリするっていう(ヤ、藤原は新・屯田兵体操って名付けてたけど、オリジナルは原田のものだし、さっきも言ったけど屯田兵体操は毎回リニューアルされるから、原田も毎回、新・屯田兵体操をやってるわけ。だから藤原は原田の屯田兵体操をパクっただけで、ひねりもなにもないし、センスもなにもないし、原田のアイディアでひと笑い稼ぐっていう、バリ姑息でバリ忌み嫌う対象なんやけど)ハプニングにも、大笑いで対応するくらいの女優度を見せる。いや、魅せる。

ただ西辻と顔合わせたらやばいから、サッカー部と一年生の前だけは警戒する。後輩がそわそわした素振りをしないか注視。またサッカー部で妙な動きはないか校庭を注視。特にあたしが軟禁されている音楽室のほうを何人かでヘラヘラしながら見てたりしたら要注意。なんて思ったりやったりしてたけど、怪しい動きゼロ。異常ゼロ。ならば安心すわ。外的要因以外で、内臓えぐられるようなことはないんすから絶対。だってあたしの女優度はヒャクなんすから。

家帰って部屋戻って、政経の教科書を開く。手紙がある。手に取る。開く。前に、自分自身にちゃんと確認。大事なことだから。

なにが書かれてあっても、ちゃんとした形で、お断りしよう、と。

西辻は、こういう言い方もあんま好きくないけど、まあまあイケメンやと思う。成績は知らんけど、運動神経はまあまあいいんかな、球技大会のとき思い返してみると。中身も別に輩っぽくもないし、オタクっぽくもないし、チャラついてないし、かといって熱血硬派クニオくんでもないし、そもそも下の名前クニオじゃないし、翔平だし。

簡単にいうと悪いところが表面化しづらいタイプっていうかな。だから、まあモテるんちゃうかな、って思う。数えるくらいしか喋ったことないし、西辻に注目したこともこれと言ってないから、全部推測やけど、そうちゃうかな、って思う。

でも、だからって付き合えるかって言ったら別の話っしょ。っしょ? あたし確かに彼氏おらんし、おったこともないし、今好きな人おらんし、条件揃ってるかも知れんけど、でもそれとこれって別っしょ? だって今付き合うとあれよ? もう行くとこまで行く可能性あるよ? 大きな森の小さなお家に案内しちゃうハメになるよ。河合奈保子ね。お父さん大ファンだったらしいから。お父さん、もう死んだけど。

ってわけで断る意思を固めるあたし。そして、手紙を読む。読んで、そして、隠す必要もないのに、また手紙を教科書に挟む、閉じる、なおす。

胸が、かなりドキドキする。息が止まったかと思うと、急に吐き出されたり、神経がゆーこときかん。あたしの顔は真っ赤っかに。そして突っ伏す。

うそやろこれまじ。

飛躍激しない? 前文の流れからは想像できんような、圧倒的シリアス。凶暴性を帯びた突然のセンテンス。あかんあかんあかんて。ちゅうかよ、ちゅうか! なにこの無駄にクラシカルな文章。合ってんの? いやその文法的に。なんとなくわかるけど、合ってんの? ちゃうちゃうちゃう。合ってるかどうかとか、全部どうでもいい。合ってても合ってなくてもどっちでもいい。書いてることが、なに、なんて言うのが正しい? あのー、変! そう、変なこと書いてる。この人、あたしに変なこと言ってる。シャレみたいなこと言ってる! 堂々と!

え? ん。

なん、あ、そうか。シャレか。

忘れとった。堺も一応大阪やわ。西辻、たしか福田とか陶器とか、あっちの方が地元やったはず。あのへん、正直パッとせんけど、あれも堺。堺ということは大阪。なァん。相当わかりにくいけど、こらシャレす。わかりにくいシャレは、もはやシャレちゃう、あたしの括りでは。信心を貫くと、これはシャレちゃうけど、でもシャレすわ。当人シャレのつもりなら、これはシャレ。もっぱら、受けてへんすけど。

手紙。左隅に紫陽花があしらってあって、行線は薄い桃色。春らしい色合いで、夏らしい香りのある、ちょっと幸せな紙。くだらんシャレに使うにはもったいないくらい。あたしだったら、絶対大切な人にしか使わない。

西辻はこれを、あろうことか耳を赤くする演技までして、そして照れた素ぶりで、あたしに渡してきた。軽く乙女趣味な便箋だって、分析すると、前振りとしては完璧に近い。

カァそっかー、と独りであたし。

これくらいのシャレは受け入れるべきか。おもしろいかどうかは、かなり微妙やけど、咄嗟にこれ来てウロくるようじゃあお笑いジャッジミスすなー。お笑い踏切前一時不停止でしたなー。反則金ですなー。妹だったら笑うかも、こういうの。シャレの難易度が高いのか、あたしに才能がないのか。まあ、どっちにしろ一本取られたね。めちゃくちゃやけど、なんか負けた気分。人のしたことで笑うのって、意外と大変なんですねー、なーんて。

じゃ、まあシャレってことで、内容をつまびらかにする。

 

一、先輩が好きです。

二、一学期の集会で初めて先輩を認識して、それから気になる存在でした。

三、ただ、付き合ってくださいというと、先輩も困ると思います。

四、だから、とりあえず、おしっこ売ってください。

 

これを少しでも、週刊誌的なコンテクストだと疑ったあなたに、あたしは言いたい。読めよ、と。読んで、んで疑ったことを反省せい、と。

 

海恋し町に、海はなし。

大鳥の羽ばたきも、聞こえない。

砂の器に恋慕は募り、浸み浸みては器だけ

器だけ益々も我のものとなりけり。

 

時は還って水無月の晴れ間。

貴を一目見し我が心、途轍もなく震えたり。

友の声も耳に入らず、過ぎゆく時も覚えになく、

ただ一心に、我が瞳奪われたり。

 

ひとえに添い遂げたく思うも、

恋情とはまみえるもの。

我だけに課されたものでなく、

互いの折り合いの上になされるものなり。

鑑みるに、今の唐突な白状に、貴は困惑しけり。

あまりにも身勝手なり。

 

だから、とりあえず、おしっこ売ってください。

 

西辻翔平

 

だから、とりあえず、おしっこ売ってください。 西辻翔平

じゃねえわ。標準語なるわ。

もう、なんていうか、息止まって普通すよね。なんなら心臓止まってもおかしくないし。ま、心臓止まったのはお父さんですけど。あはは。

笑えよ、おい。実娘のこういうやつ。

「おっちゃんがああなってから、聖ちゃんたまに物哀しい顔するようなった」

いつぞやの教室の隅でぼうっとしているあたしに、窓辺から美雪の声。聞こえとる。思っきし。

しかもあたし哀しないし。哀しい顔すんの、美雪のほうやし。無駄に優しくするし、変なラインとかしてくるし、日記であたしのこと心配したりするし。全部全然チョクで言ってくれたらええのに。ほんなら、あたしが全然変わってないのとかもわかってもらえるのに。六月にお父さん死んでから、あたし誰からも、一回も、アホとかボケとか言われてない。死ねもない。ちゅうかそもそもツッコミすらもらってない。一回クラスで東岡が「死んだらええねん!」って、あたしに全然関係ない会話でつっこんだときに、「あ、」みたいな空気を作ったのも美雪。なんか変な感じになっちゃうし、あたしもやりようないからね、ああいうん。「うちのおとんみたいになあ!」はやりすぎっしょ。だから、早くおさまれ、落ち着け空気、ボンベ持ってこい誰か、とかよっけーなこと考えなあかんようになる。東岡が図太いタイプのアホやったから、ふわふわして終わったけど、繊細な奴やったら、あたしに向かって「ごめん」とか言いかねんからね。そうなったら何もかも終わりやから。もう誰もあたしの前で、刺激的なことしてくれんようになるから。

高速で心がしぼんできたので、電気なんか消して横になった。保険でつけているパソコンの光だけ、やけに主張的。この絶妙に滅々としたあたしの心情なんか、推し図ってくれるわけもなく、青白い光だけ、ただひたすらである。海恋し町のど真ん中、感情と感受性で相殺された静かな波打が、心臓の活動と呼応する。あたしは瞼の裏側で、ただ自ずの皮膚を見つめては、自然の光がこの部屋に届くときを待ちわびるのだった。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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